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迷宮神獣Ⅰ~汚染獣襲来~  作者: J
迷宮暴走
72/106

絶望を告げる使者③

 男が走る。

 隻眼の男だ。黒い髪が風圧で踊り、その背には大剣を背負っている。

 大地を砕きながら飛ぶように走る男の目に人工物が映る。男の鋭い眼光が和らぎ、心なしか速度が緩む。だが人工物が近づくにつれ男の顔が強張り、その目には焦りが色濃く表れる。



 ズドン!



 地響きと共に姿を消した男は、次の瞬間には人工物――外壁――の上にいた。


 広範囲が崩れ去り、最早意味をなしていない外壁の上から男――ガッシュ――はカサンドラの街並みを見下ろす。


「……汚染獣」


 忌々し気に呟かれた彼の目には破壊された街並みが広がっていた。いや、今まさに破壊されていると言った方が正しいか。

 繰り返される破壊に誰一人として反応する者はいない。まるで無人の街のように。



「まさか……もう」


 いくら魔物暴走(スタンピード)が起ころうと、街に誰もいないということはあり得ない。住民は避難しているのだとしても、最低限の警備兵はいるはずだ。汚染獣が喰らった後には何も残らないことを思えばもう既に……。



「きゃあああああああああああ!」


 突如誰もいないと思われていた街に、絹を裂くような悲鳴が響く。反射的にガッシュは地を蹴り空へと翔け上がった。最短距離を行くガッシュの目に、破壊された建物の地下から汚染獣に摘まみ上げられた人の姿が映った。



 魔物暴走(スタンピード)の開始と同時に人々は地下の避難所での生活を余儀なくされていた。避難所は1箇所ではなく複数個所に別れて存在する。


 ただし、そこにいる大半は子供と老人。女性であろうと戦える者は迷宮へと詰めているためだ。何かあった時のために、少数ではあるが戦える者も含まれているのだが……汚染獣相手には時間稼ぎにすらならぬだろう。


 彼らは聞こえてきた破壊音に遂に魔物が溢れてきたのだと身体を強張らせた。泣き出す子供たちを周りの大人が必死に宥めている。音を遮断する隠蔽の結界が張られているのだが、探知系の権能を持つ者には余り意味がないためだ。


 息をひそめる彼らのもとに無情にも音が近づいてくる。



 ドガアアアアアアン!!



 まるで直ぐ側に雷が落ちたかの様な凄まじい音と共に、天井が崩落する。だが幸いなるかな、上の瓦礫は汚染獣が取り除いた後であったため、誰も致命傷を負うことはなかった。


 勿論それはわざとだ。人が発する恐怖が汚染獣の好物なのだから。

 

「助けて!」

「誰かああああ!」

「ママぁぁぁ!」


 咄嗟に我が子を庇った母親が摘まみ上げられる。新たな命が宿っているのか、その腹は目に見えて膨らんでいた。


「あ、あ……あぁ……」


 恐怖で喋ることもままならない母親をぷらぷら揺らしながら、汚染獣は見せつけるように口を大きく開いた。そのまま口の上へと運ばれた彼女の眼下には、黒い液体を滴らせた鋭い牙が見える。


 風を切る音と浮遊感に自分の運命を悟った彼女は、気を失うことすらできぬ事に絶望しながら、ぎゅっとその目を閉じた。



 …………。



 いつまで経っても襲ってこない痛みに彼女が不審に思っていると、近くから低い男の声がした。


「間に合ったか……」


 彼女が目を開けると、そこには隻眼の男の姿があった。

 




 ガッシュは間一髪助けた女性を腕に抱え、汚染獣の口の中で安堵の息を吐く。正確には閉じられようとしている口を手と足で押し広げている状態だ。


 むしろこのまま口を開かれたら、そのまま体内へと落ちていくだろう……が、〈飛翔〉を持っているガッシュには関係ない話だ。 


「ガッシュ国王陛下……」


 正気に返った女性がガッシュの名を呼ぶ。この西部地域でガッシュの容姿を知らぬ者はいない。何よりも右目を隠す精緻な紋様の入った眼帯が彼の代名詞なのだから。


 女性の頬は赤く染まり、苦しそうに息を吐きながらも、その目はガッシュを見つめ潤んでいた。

 ガッシュは彼女を安心させるように優しく微笑む……が、実際は今から襲い掛かりますと言わんばかりに凶悪な顔である。


「へ、陛下……産まれそうですっ……」

「ふぁ!?」


 ガッシュの笑顔が固まり、ハァハァと苦しそうな女性の息遣いだけが聞こえる。


 正気に返ったガッシュは慌てて汚染獣の口から飛び出すとそのまま蹴り飛ばし、音もなくふわりと地面へと下り立つ。余り揺らさない方がいいだろうというガッシュなりの配慮である。汚染獣を蹴り飛ばしている時点でどうかと思うが。


「おい!産まれそうだ!後は頼むぞ!」


 呆然と立ち尽くしている住民にガッシュは女性を押し付けると、住民を狙ってこちらに向かって来る汚染獣を全て蹴り飛ばす。



(クソッ!ここで戦うのは不味い)


 住民を巻き込む事を恐れたガッシュが戦場を移動しようとした矢先、再度悲鳴が響き渡る。

 目を向けた先には、5体の汚染獣が一箇所に群がっていた。新たな避難所が発見されたのだ。


「チっ!」


 蹴り飛ばした汚染獣に止めを刺せぬまま、ガッシュは5体の汚染獣の下へと急ぐ。


 本能のままに動く汚染獣が連携をすることはない。飢えを満たす、奴らの行動原理はただそれだけだ。本来であれば、それはガッシュの有利に働くはずなのだが……今回はこれが不利に働く。


 汚染獣の数は12体、避難所は5箇所。


 てんでバラバラに避難所を襲う汚染獣にガッシュ1人では手が回らなかったのだ。もし、知恵があり全ての汚染獣がガッシュを狙ってきたのであれば、まだ対応のしようがあっただろう。

  


(このままでは守り切れん)


 ガッシュは眼帯に手をかける。その内に秘められし力を解放するために……





 ◇◇◇◇◇◇





 恐怖に支配される者も

 絶望に打ちひしがれる者も

 (うんめい)を受け入れた者も


 皆等しく空を見上げた。


 人々の目の前で転移陣が輝きを増し、内から巨大な鷲獅子(グリフォン)が顕現する。その背に紺色のフードを被った小柄な人物と、小さな小さな子竜を乗せて。


「ルーファ……」


 バーンは小さく呟くと、自分を押さえつけている地走竜(ラプトル)に目を向ける。


「いい加減放せ」


 ようやく解放されたバーンとアイザックは迷惑そうな視線を地走竜(ラプトル)に送ると、埃を払いながら立ち上がる。


 今から始まる汚染獣とルーファの戦い。どちらが勝つか分からない。分からないはずだが……何故か彼らはルーファが負けるとは欠片も思ってはいない。


 彼らの口に楽しそうな笑みが浮かぶ――これから起こるであろう奇跡を思って。

 






 転移陣で移動したルーファは、その目を汚染獣へと向ける。


 その手に握るは白銀色の弓。普段はその輝きを誤魔化すために巻かれている皮は既に取り払われ、有りのままの姿を晒している。 


 ルーファが勢いよく魔力を弓へと流すと、徐々に輝きを増していくそれに変化が起こる。弓の両端に芽が出たかと思えば瞬く間に葉を茂らしたのだ。


 聖弓からルーファの力を宿した神弓へと。


(良かったんだぞ)


 ルーファは成長した神弓を見て、弓の形を保っていることに安堵する。芽が生えた時はこのまま樹へと成長するのではないかと焦ったのだ。弓がなくとも何とかなるとは思うが、これが一番使いやすいのである。


 ルーファは動きを止めた汚染獣を見つめる。


 不思議と恐怖はない。これから初めて生き物――汚染獣が生き物と言えるかどうかは疑問ではあるが――を殺すというのに。


 これは……治療なのだとルーファは思う。

 汚染獣とは世界を蝕む病巣。ルーファは一目でその本質を理解する。そして……自分はそれを癒さねばならない、と強く感じた。


 それは本能。神獣としての本能がルーファに囁くのだ。





 ザッザザッ……ザザザ……



 弓を引こうとしたルーファの視界が、何の前触れもなく閉ざされる。 


 古ぼけたテレビのようにノイズが走り、白と黒の砂嵐が辺り一面を覆いつくした。ぼんやりとそれを見つめるルーファの目に、映像が映し出される。




 そこには何もない……人も魔物も植物さえも


 世界を埋め尽くすほどの汚染獣

 

 その中心に立つのは……ザッ……ザザッ……






 ハッと我に返ったルーファは辺りを見回す。今、一瞬何かが見えた気がして。


(何だろう。何か凄く重要な事だった気がする)


 垣間見えた何かはルーファの手を掻い潜り、スルリと零れ落ちた。

 モヤモヤする気持ちを振り払い、ルーファは神弓をキリキリと引き絞る。今は汚染獣に集中しなければならない。


 

 ため込まれた力が螺旋(らせん)を描き、白銀色に輝く1本の矢へと姿を変える。まるで星を集めたかの如く眩い光を放つそれは、けれども決して人の目を傷つけること無き癒しの光。


 人々は夜明けの到来を知るだろう。この光こそが絶望を払拭する希望の光なのだから。


「世界へ還れ……汚染獣」


 小さく呟かれたその言葉は誰の耳にも届くことなく消える。

 


 ピィィィィィィィン



 弦を弾く音が空気を震わす。それは瘴気を払う鳴弦の響き。


 放たれた白銀色の矢は空中で8つに分離すると汚染獣へと落ちていく。その様は夜空を翔ける箒星(ほうきぼし)のようだ。



 ――勝敗は決した。

 


 風を切る音すらなく無音で飛来する矢に 本来恐怖など感じぬはずの汚染獣が後ずさる。彼らに出来たのはただそれだけ。避けることも防ぐことも叶わず、矢は吸い込まれるように汚染獣へと突き刺さった。



 ――静寂



 誰もが言葉を忘れたかのように黙り込む。だがそれは絶望ゆえではない。感動、畏敬、驚愕……どの言葉が最も相応しいのか。


 汚染獣とは恐怖の代名詞。

 かつて世界を滅亡へ追いやった災厄の獣。それが……1撃で滅んだのだ。8体もの汚染獣が抵抗すら許されずに。


 人々の目は自ずとルーファへと向けられる。あれは何者であろうかと。



 ある者は思う。神の使徒であると。

 ある者は思う。魔物の王であると。



 数多の魔物に傅かれ、鷲獅子(グリフォン)に跨るその人物は果たして敵か味方か。


 人が暗闇を恐れるのは、そこに何かが潜んでいるのではないかと思う心。分からないこと、未知こそが恐怖の根源なのだ。故に人々は恐怖した。未知なる力に。


 人々に宿った疑心に気付くことなく、ルーファは次の矢を放った。


 果たしてその矢は何を齎すのか。


 打ち上げられた矢は空で花開くと、雨となって人へ魔物へ降り注ぐ。



「ひいいいいいいいいい!」


 汚染獣を屠った攻撃を避けようと、逃げ惑う人の姿は実に滑稽。

 それは癒しの雨だというに。

 

 彼らを正気に返らせたのは怒号の様な歓声。そこでようやく彼らは気付いた……全ての傷が癒えていることに。






「うおおおおおおお!ルウ様ぁぁぁ!!」


 感極まったドゥランが叫ぶ。


「ルウ様!尻尾を尻尾を触らせてくれぇ!」


 負けじとゼノガも叫ぶ。彼が叫んでいるのは自分の欲望だが。

 ビッド、マイク、トビアス、マッシム、ポトフ、チェスター、ズールノーン、そして近衛騎士団。全員が口々にルーファの名を叫ぶ。


 その中にはガウディも含まれていたが、即座にシンシアーナに(物理的に)止められて現在は地に伏している。

 

 人に負けじと魔物も吠える。


 誰もその言葉を理解できないが、何と言っているのかは不思議と分かった。彼らもまたルーファの名を叫んでいるのだろうと。 

  

 歓声に応えるように数度上空を旋回した鷲獅子(グリフォン)はゆっくりと下降を始めた。

 

  




 

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