絶望を告げる使者②
オオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォ…………
激しい戦闘音が空気を震わせる中、何故かそれは誰の耳にも届いた。
視線を逸らせば殺される、そう分かっていながらも戦士達の顔は一斉に声の主へと向く。そう、魔物でさえも。
――沈黙
誰も動かない……否、動けない。それは本能なのだろう。動けば死ぬ、そう感じるが故に。
彼らは知る。
本当の恐怖が何なのかを。
本当の絶望が何なのかを。
彼らは知る。
本当の悪が誰なのかを。
本当の敵が誰なのかを。
餌を見つけた汚染獣が歓喜の咆哮を上げる。
最も近くにいたのは負傷兵達。彼らを守るために築かれた陣地の手前には防護壁が用意され、迷宮の出入口に程近い場所で治療を受けていたのだ。
動くことがままならない彼らに向かって、汚染獣の腕が降り下ろされる。
何度も!何度も!何度も!何度も!
「ゼクロスさん!」
防護壁の上から魔法を打ち込んでいたミーナの口から悲鳴が漏れる。
負傷者に治療を施していたゼクロスを探して、ミーナは目を走らせる。震える手で口を覆った彼女は、溢れそうになる涙をこらえ、深呼吸を繰り返し動揺を追い払う様に頭を振った。
まだ戦闘は終わっていないのだ。冷静にならなくては、と彼女は状況を確認するために辺りを見渡した。
汚染獣は迷宮の入口からやって来た。ミーナ達は背後を突かれた形になる。前方には魔物、後方には汚染獣。正に絶体絶命の危機だといえるだろう。
呆然と動けないでいる人種を尻目に、真っ先に動いたのは魔物。
今まで戦ってきた人種を無視し、汚染獣へと殺到する。それはある意味当然のことだ。瘴気を浄化する役割を担う迷宮が、瘴気の塊である汚染獣の存在を許すはずないのだから。
だがその中に、何かを探すように不審な動きをする集団がいた。その魔物達はまだ生きている人種を抱えあげると一目散に離脱していく。
その間にも餌にたかる蟻の如く魔物が汚染獣へと群がる。だがそれも、汚染獣にとっては児戯に等しい。その巨体を震わす度に魔物が木の葉のように飛んで行く。弱き者も強き者も皆等しく。
瞬く間に積み上げられた屍が……黒く染まる。ソレはずるりと溶けるように地面へ広がり、まるで生き物のように汚染獣へ向けて奔る。黒いタールを思わせるソレは汚染獣の身体を這い上がると血管のように脈動する。
突如、汚染獣が震え始める。
それは苦しんでいる様にも歓んでいる様にも見える。
ビキ……ビキ……ビキビキビキ!
2つに裂けた汚染獣が左右に別れ、地面へと倒れた。
その様子を人々は呆然と見つめる。その目に宿るは……絶望。
彼らの見つめるその先で、2匹の汚染獣が産声を上げた。
「クソッ!」
汚染獣の元へと走るバーンは悪態をつく。辛そうに目を細め、小さくゼクロスの名を呟いたバーンは覚悟を決める。助け出す暇など有りはしないのだから。
汚染獣が魔法の射程圏内に入ると同時にバーンは灼熱魔法・特級〈極小太陽〉を発動させる。2体をその内に取り込んだ積層型魔法陣が強い輝きを放つ。希望を目にし、歓声を放つ人々とは裏腹にバーンの表情は厳しい。
抵抗されているのだ。汚染獣がその内で激しく暴れまわっている。
(……このままでは破られる!)
焦燥がバーンの胸を焦がし、噛み締められた唇から血が流れ落ちる。制御を失えば味方諸共周辺一帯が焦土と化すだろう。残る魔力を注ぎ、制御を取り戻そうとするバーンを嘲笑うかの如く魔法陣が不安定に蠢く。
「バーン!」
膝をつくバーンを横から支え、アイザックはその手を汚染獣へと向ける。
――灼熱魔法・特級〈極小太陽〉
バーンの魔法陣とぴったりと重ね合わせるように新たな魔法陣が出現し、汚染獣を抑え込む。
「おまっ!特級は使えないんじゃ、なかっ、たのかよっ!!」
「切り札は隠しておくものだ」
アイザックは平然と嘘をついた。
特級魔法は使い勝手が悪い上に、使用後動けなくなるというデメリットがあるため見向きもしなかったアイザックだが、最近の戦いを通していざと言う時の自爆技として習得したのだ。
バーンの悪態に皮肉気に笑うアイザックだったが、その額からは汗が吹き出し、軋む身体は悲鳴を上げている。アイザックにとってこれが初の特級魔法。その負荷は計り知れない。
アイザックは1つ息を吐きだすと集中すべくその目を閉じた。
普段の彼であれば絶対にしない愚かな行為だ。戦場で隙を見せるなど、殺してくれと言っているも当然なのだから。
だが、それすらも些事。嘗て汚染獣と死闘を繰り広げたことのある彼らは知っているのだ――その脅威を。
そして……重なり合った2つの太陽が顕現する。
爆発的に膨れ上がった熱量が内部で弾ける。
一瞬……正に一瞬だ。
逃げることも悲鳴を上げることすら許されず、汚染獣は蒸発した。
そこは絶対領域――生者無き地獄なのだから。
同時に崩れ落ちたバーンとアイザックに焼ける様な痛みが襲う。うめき声をあげ転がったバーンは収納の腕輪から神獣の気まぐれを取り出し、震える手でそれを飲む。
徐々に引いていく痛みに安堵しながら、同じ様に地面に転がっているアイザックを助け起こす。荒い息を吐きながらも、目を開けているアイザックに意識はあるようだと、そのまま神獣の気まぐれを口の中に突っ込む。
「ゴホゴホッ!おい……もっと丁重に扱え」
「口移しが良かったのか?お姫様」
掠れた声で苦情を呈するアイザックに、バーンはニヤニヤしながら答える。
「後で覚えていろ」と口の中で小さく呟いたアイザックは現状を確認しようと立ち上がった。
2人がこれほど余裕があるのは周囲から聞こえる歓声の所為である。状況から察するに汚染獣の脅威が取り除けたのは明白だ。しかし、先程まで死闘を繰り広げていた魔物は一体どうなったのか。多くの魔物が汚染獣に殺されたが、決してそれが全てではないのだ。
立ち上がった彼らが見たものは……何故か肩をたたき合って喜ぶ人と魔物の姿。
「……幻覚が見える」
アイザックはきつく目を瞑り、目頭をグリグリと揉む。
「安心しろオレもだ」
バーンはポンっとアイザックの肩に手を置き、魔物と肩を組み踊っているコンシャスに目を止めた。
「「いやいやいやいやいや……」」
あり得ない光景に、もしや特級魔法の副作用なのでは、と不安に駆られる2人。バーンは意を決して目に留まった冒険者に近づく。
「おい、これはどういうことだ?」
「あっ!バーンさん!おい、皆バーンさんだぞ!」
「「「バーン!バーン!バーン!バーン!バーン!」」」
バーンは行き成り起こったバーンコールに顔を引きつらせる。これが綺麗な女であればバーンも満更ではないのだが……如何せん野太い男の声である。
精神をガリガリと削られながらも、バーンは事情を聴くことに成功する。が、結局のところ彼らは何も知らなかった。彼らもバーン達と同じように気付けばこの状態だったという話しだ。
「どう思う?」
一人で避難していたアイザックを恨めし気に見つめながら、バーンは問う。
「分からん。だが、こういう突拍子もないことをする人物に心当たりはある」
「奇遇だな。オレもだぜ」
2人は笑いながらお互いの拳をコツンとぶつけ合った。
「信じられん……2重の特級魔法だと」
呆然と汚染獣がいた場所を見つめていたガウディは、瀑布の如き歓声でハッと我に返った。
「被害の確認を急げ!魔物の様子はどうなっている!?」
喜んでばかりはいられない。今は魔物暴走の真っただ中なのだから。ガウディが矢継ぎ早に指示を出していると、1人の騎士が上ずった声をあげる。
「陛下!あれをご覧ください!」
騎士が指さす先には、地走竜の大群。
背後からの急襲にガウディは歯噛みする。汚染獣に向かっていった魔物の生き残りだ。そのまま出口へと向かわなかったことを幸いに思うか、挟まれたことを不運に思うかは意見が分かれるところだろう。
ガウディの出した戦闘指示は浮かれていた兵たちを現実へと立ち返らせ、彼らは即座に迎撃体制へと移った。
土煙を上げながらこちらへと一直線に駆けていた地走竜の足が止まる。
(……?何故だ、何故来ない?)
直前で止まる意味が分からず、訝し気な視線を向けるガウディ。
「背中に何か乗ってるぞ!」
「人だ!誰か乗ってる!」
「あいつはカサンドラの兵だ!」
口々に騒めきだす兵を一喝し、ガウディはアウディを振り返る。
「様子を見てくる。お前はここで指揮を取れ」
「父上!危険です。ここは私が!」
反対するアウディを押し切りガウディは現場へと向かう。彼の勘が囁くのだ。自分が行かねばならぬと。彼は自分の勘を信じる。この勘がこれまで幾度となく彼を救ってきたのだから。
兵が割れ、道ができる。
ガウディは躊躇うことなくその道を歩む。いや、彼だけではない。地走竜もまたガウディへ向けゆっくりと歩みを進める。
近衛騎士がガウディの前へ出ようとするのを手で制し、彼は地走竜を見つめる。小型の竜とは言えど、その体長は3メートルを超す。今や手を伸ばせば触れられるほど両者の距離は縮まっている。
地走竜は小さくひと鳴きすると、背を見せるようにその場に伏せる。その背にはぐったりとしたゼクロスが乗せられていた。それに続くように次々と伏せる地走竜達。
「救護を急げ!攻撃はするな!」
負傷兵を下ろす兵たちを眺めながら、ガウディは思案する。
彼が最優先で確認したいことは2つ。
1つが魔物暴走の結末。
果たして魔物暴走は終わったのかどうか、その一言に尽きる。現在周りを見渡しても、人種に攻撃する魔物は見当たらない。というよりも何故か仲良く騒いでいる。騒いでいるのは主に冒険者で、兵たちはその様子を遠巻きに見つめているようだ。
もう1つが街の様子だ。
汚染獣が入口から入ってきたということは、街中を通ってきたということだ。ガウディとしては街の様子を最優先に確認したいところだが……魔物がこれ以上暴れないといった保証もなく、迂闊に兵を動かせないでいる。
「ガウディ!」
思考の渦に捕らわれていたガウディは、その声にハッと首を巡らす。
「おお!バーン!」
ガウディは思わず破顔し、お互いに肩を叩き無事を喜び合う。自分たちの王への無礼に対し、普段であれば制止の声がかかるのだが、それを不快に思う者はいない。バーンとアイザックは彼らにとって英雄なのだから。
「それで……」
現状を確認しようと口を開いたガウディの声を遮るように、魔物が警戒するように鳴き声を上げる。一匹だけではない。全ての魔物が一斉に唸り出し、その目を一点に向けている。
――外へと続く道へと
最初に目に入ったのは手。
天井に減り込ませた爪で身体を支え、壁を蜘蛛のように伝いながらソレはやって来た。
開いた口には鋭い牙が並び、真っ黒いタールの様な液体がぽたりぽたりとそこから滴り落ちている。
その獣に目はない。されど確かにその“目”は彼らを補足している。
――汚染獣
8体の悍ましき獣は恐怖を煽るかのように、ゆっくりとゆっくりと進む。
まだ……絶望は終わっていなかったのだ。否、これからが本当の絶望の始まり。
「うそ……だろ」
その声は果たして誰のものなのか。
今や全員の目が食い入るように汚染獣へと向けられている。
まるで縫い留められたかのように、誰一人として動こうとはしない。
すすり泣く声が聞こえる。
祈りを捧げる声が聞こえる。
家族の名を呼ぶ声が聞こえる。
「これまでなのか……」
諦めてはならない、そう教えられてきた。
ガウディは“王”だ。国を繁栄させ、民を守る――その仕事に終わりはない。
彼は前へ前へと進み続けねばならない。それが彼の背負う責務なのだから。だが……ここに至って彼は初めて歩みを、思考を止めた。
シンシアーナが慰めるように彼の手を握り、ガウディも彼女を抱き寄せる。
「すまないな」
「いいんですよ。ここまで戦えたことを誇りに思いますわ」
疲れ果てた老人のように呟くガウディに、シンシアーナは笑いかける。彼らの目はお互いのみを映し、その目が汚染獣へ向けられることはなかった。
諦念が支配する中、それに逆らうようにバーンとアイザックは並び立つ。
「バーン、アイザック……神獣様のご加護を」
2人を眩しそうに見つめ、ゼクロスは祈ることしかできない我が身を呪う。せめて〈浄化〉が使えれば、多少なりとも汚染獣に傷を負わせることが出来ただろうに、と。
「心配するな。時間を稼ぐぜ。あいつが来るまでのな!」
2人は特級魔法を放とうと集中する。その瞬間を狙って黒い影が背後から彼らに襲い掛かった……
彼らと同様にミーナもまた諦めてはいなかった。神獣の気まぐれを飲み干し、魔力を練り上げる。
彼女が選んだ魔法は雷魔法・特級〈無限雷獄〉
ミーナの魔力量は特級魔法を打つには充分足りているが、それは通常ではの話。相手の大きさ、強さによって込める魔力量が変わるのだ。彼女にとってこれは文字通り命を懸けた魔法となるだろう。
(……必ず成功させてみせます~!)
ミーナにとって魔法とは“誇り”なのだ。彼女は人生の大半を魔法の修練に費やしてきたのだから。その自負が彼女を突き動かす。
彼女が魔法を発動させようとした瞬間……
ビターン!
蝙蝠が顔面に張り付いた。
先程までの凛々しさは消え失せ情けない声を上げるミーナ。慌てて蝙蝠を引っぺがした彼女が見たものは……空に浮かぶ魔法陣。
その魔法陣は何の前触れもなく空へと現れた。
下層に潜る冒険者であれば、その正体に気付いただろう。
それは転移の魔法陣。
それは終わりを告げる魔法陣。
全ての魔物が頭を垂れる。
ただ伏してその時を待つ。
彼らが神の降臨を。




