ルーファ捜索網
――竜王国ドラグニル。
この国の興りは古い。新世暦200年――今より4994年前――のことである。
“大災厄”で激減した人種を守るヴィルヘルムを信仰し、集った人々が国を興したことが始まりだ。
本竜すらも知らぬうちに興り、いつの間にか王と呼ばれていたのである。故に、正確な建国の日付は分からず、後世の為政者が新世暦200年と定めたものが定着した。
ヴィルヘルムは君臨すれども統治はせず、国の運営は全て他の者に任せていた。そして、彼を神と仰ぐ叡智ある魔物である竜種が共に暮らし始め、竜種と人種の混血である竜人族が生まれた。最高位の魔物の血を引く竜人族が人種最強と謳われるのはある意味必然であった。
ヴィルヘルムは新世暦3000年に正式に退位し、現在では竜人族が代表者として国を治めている。
この際に、竜人族は〈竜王〉とはヴィルヘルムただ1人を示す名だとして王の名を辞退。以来、ドラグニルの代表は代々竜公と名乗り、その風習は現在に至るまでも続いている。
いや、それは風習というよりも厳然たる絶対のルールである。仮に、ヴィルヘルム以外が竜王を名乗れば、竜の血族全てを敵にまわし、遠からずその首と胴が永遠の別れを告げるだろう。
ドラグニル国軍の1つである竜王軍には、今も尚、多くの竜種と竜人族が在籍し、世界最強の軍団としても有名である。そして、この恐るべき軍団が忠誠を誓っているのが竜公ではなく、竜王ヴィルヘルムただ1人なのだ。
さて、そんな特殊な形態をとるドラグニルがどんな国かと言えば、竜王国と呼ばれているのに反し、実際には多くの種族が暮らす多種族国家となる。ラスティノーゼ大陸東部に位置し、その国土は大陸でも1・2位を争う広さである。観光名所として有名な王都ドラゴの人口は大陸随一であり、その発展ぶりは他国の追随を許さない。
だが何よりも目を引くのは王城・竜王宮。
その威容を一言で表すのなら〝大きい”、ただそれだけだ。何せ竜王宮の敷地面積だけで、小国の王都がすっぽりと収まる程である。
まず、おかしいのは城壁の内に広大な森が広がっていることだ。それも人の手の入っていない原生林。この森は全長50メートルを優に超すヴィルヘルムが、竜化した状態でもゆっくりと過ごせるようにと作られ、例え竜公であろうとも踏み入ることが許されない神聖不可侵な場所である。
次に広大な面積を誇るのが訓練場だ。
本格的な訓練は王都の外で行うものの、簡易な訓練であればこの訓練場が利用される。竜種も参加できるよう強固な結界で覆われており、訓練場が2番目に広いのもこのためである。
余りの広さに、「王城内全てを知るものはなし」と言われているほど。実際、王城内で働いている人々は自分の担当場所以外は全く知らないという者が大半となる。
また、至る所に小型の飛竜――叡智ある魔物ではない――の発着場があり、取り付けられた籠に人を乗せ、王城の敷地内を行き来している。世界広しと言えど、飛竜に乗り王城内を移動するのはドラグニルだけだろう。
時はルーファが家出をした日に遡る。
広大な竜王宮の中枢にある執務室で、1人の美しい男が書類の決裁をしていた。193センチの長身に耳を覆い隠す長さの黒髪、翡翠色の目と浅黒い肌を持つ男である。しかし、最も目を引くのはその黒髪より飛び出した一対の黒き角。年の頃は20代後半といったところか。彼こそ3代目竜公セルギオス・テオ・エペル・ヴィルヘルム――ヴィルヘルムの忠実なる僕という意――である。
外見こそ若いものの、在位694年、御年980歳の世界最高齢の王だ。
静寂に満ちた執務室の扉が何時になく乱暴に叩かれ、セルギオスの許可を待たずして開かれる。
「なんじゃ、慌ただしい。何事じゃ」
突然の闖入者に一瞥もくれることなく、書類を眺めるセルギオス。
「そんな事をしている場合ではありませんぞ!竜王様が先程お見えになったのですが、ご様子がおかしかったのです!」
軍服を身に纏った竜人族がセルギオスを怒鳴りつける。はっきり言って不敬である。
「なに!?続けよ!」
しかし、セルギオスは気にした様子もなく、持っていた書類を机に叩き付けると続きを促す。当然である。竜の血族にとって優先順位最上位はぶっちぎりでヴィルヘルムに関することなのだから。
「それが、先程上空よりお見えになられたかと思えば、尋常ではないご様子で転移陣を起動し、カトレア様の神域へと向かわれました!」
「なんじゃと!まさか、ルーファスセレミィ様の身に何か……。ををををををっ!こうしてはおれん!急ぎ神域に向かわねば!!」
今にも執務室を飛び出さんとするセルギオスに軍服の竜人は慌てて声を掛ける。
「お、お待ちください!無断で神域に侵入すれば、それこそ竜王様の怒りを買いましょうぞ!」
その言葉にセルギオスはピタリと動きを止め、ゼンマイ仕掛けの人形の様にぎこちない動きで椅子へと座り直す。次の瞬間、先程の慌てぶりが嘘のようにキリリとした表情で命令を下した。
「竜王軍を招集せよ!いつでも動けるよう手配しておけ!」
「ははっ!直ちに!」
転移陣が輝きヴィルヘルムが姿を現した瞬間、控えていたセルギオスは跪き首を垂れる。
「我が君、何ぞ問題が起きた模様。我らはヴィルヘルム様の忠実なる僕。我らに貴方様の憂いを払う機会をお与えくだされ!」
セルギオスを一瞥しヴィルヘルムは静かに答える。その胸に渦巻く激情を押し殺して。
「セルギオスか。動いてもらうぞ。」
ただ一言。
その言葉を受け、セルギオスの身体を歓喜が突き抜ける。我らが神の役に立てると知って。
――その日、竜王国ドラグニルが動いた。
◇◇◇◇◇◇
そこは地人族の国バッカス火山王国。世界有数の火山地帯であり、有用な鉱物資源を数多く有している。温泉を利用した保養地としても有名な国である。
王都ランドアースは天然の洞窟を利用し、地人族の技術の粋を集めて作られた天然要塞だ。その都市を一目見れば、バッカス火山王国の技術力の高さが知れるだろう。
そして、この国には神獣サラシアレータの神域が存在する。彼女こそ、ルーファが姉と慕う神獣である。
バッカス火山王国・岩窟城の一室に豪華な顔ぶれが集まっている。人数は5名。
岩窟城の主たるアルコー・ジル・サヴァイ・バッカスと神獣サラシアレータ。
森人族が住まうエルシオン森林王国国王ゴルシュミット・サーレ・エルシオン。
ドラグニルの南に位置する海洋国家、ラーメル海洋連邦国元首リアム・アイオイ・シュネリーゼ。
最後に、今から行われる会議の主催者である巨人族の国ギガント王国国王メガロ・ヌイ・ギガント。
開催地がバッカス火山王国であるのは、神獣サラシアレータが参加の意を表明したためである。普段であれば主催者の国が開催地となる。
さて、この4国には共通点がある。それは、国内に神域を有する神域保有国だということ。そして、国王となるには神獣に認められなければならない。つまり神獣に人柄が保証されており、お互いに信頼できる間柄だと言える。
全員が席に着いたのを確認し、メイドが流れるような仕草で飲み物を用意する。彼女らが退出したと同時にメガロが口を開いた。
「ルーファスセレミィ様が神域より姿を消された。探索に協力してもらいたい」
普段の陽気さは鳴りを潜め、疲労が浮かぶその様子が事態の深刻さを物語っている。驚きに目を見開く3名を残し、リアムが困惑気味に口を開く。
「申し訳ないが、そのルーファスセレミィ様という御方は誰だい?」
「貴殿は知らなんだか……。カトレア様の御子であらせられる」
「な!?まさか、その御方はカトレア様の実子ではないのかい?」
リアムは珍しい光属性を持って生まれた。
光属性というのは特別な属性で、神域の側で最も生まれやすく、離れるにつれ数が少なくなる。また他属性と異なり、訓練により行使可能になるものではなく、魂が穢れれば闇属性へと変わる性質を持っているのだ。
このことから光属性を持つものは神獣神殿に引き取られ、清廉に育てられる。そして15歳になると神域に赴き神獣の審判を受ける。この審判に合格すれば神獣より祝福を賜り、光属性が固定されるのだ。だが、魂が邪に傾けば祝福は消滅するため、15歳を過ぎても光属性を持つ者は尊ばれることとなる。
神獣神殿育ちであるリアムは、ある噂を聞いたことがある。まことしやかに囁かれるその噂とは、神獣カトレアが妊娠していた、というものである。そして、その父親が竜王ヴィルヘルムだというのだ!
リアムはその噂を信じてはいなかった。
神獣カトレアと勇者マサキの恋物語は有名なものであったからだ。マサキとヴィルヘルムが仲の良い友人同士だったという史実も、その考えに拍車をかけた。だが、もしかして……。もしそうなら、その恋物語に枕を濡らしたことのあるリアムとしては、若干……いや、かなりショックである。
半ば否定してくれることを祈りながら、リアムは返答を待つ。
「そうだ」
無情にもリアムの願いは……
「カトレア様と勇者マサキ様の御子である」
破られなかった。
その後、興奮したリアムを落ち着かせ、全員が協力することで合意した。
しかし、ここでも問題となったのがルーファの容姿である。せめて年の頃でも分かれば、と頭を悩ますこととなった。神獣が行方知れずだと知られれば、手に入れようと動き出す存在もいることから、表立って動くことも叶わない。
結局のところ、都市出入り口にある関所で、今まではギルドカードを見せれば素通りできたが、容姿確認を取り入れる、ぐらいしか対応の取りようがなかった。
念のために、子狐姿の写真を全員に配り、ペットショップや魔獣販売所も調べることとなった。
会談が終わり、アルコーは横目でサラシアレータをそっと窺う。各国の代表者たちの姿はすでになく、部屋にはアルコーとサラシアレータの二人きりである。
(……おかしい)
それがアルコーの感想である。
サラシアレータはルーファのことを非常に可愛がっていた。本来、滅多に神域を離れない神獣が、ちょくちょく神域を留守にする程に。
だが、サラシアレータは至って普通である。取り乱すこともなく、いつもと変わりがないように感じられる。
誇り高い彼女のことだ、と最初は平静を装っているのではないかと心配していたが……こと今に至って確信する。彼女は何か知っているのではないか、と。
どう口を開けばよいものか、と頭を悩ませるアルコーにサラシアレータが声を掛ける。
「心配いらないワ。あの子は皆が思っているよりずっと強かだワ」
「貴女様は……ルーファスセレミィ様の居場所を知っているのですね?」
確信をもってアルコーは尋ねる。
「さぁ、どうかしら?」
サラシアレータは意味深に微笑みアルコーを見つめた。
「何かお困りのことあれば、このアルコーに相談下され。私は何があろうと貴女様の味方ですぞ」
ニヤリ、と漢らしく笑い、自身の覚悟をその目に浮かべる。
「ありがとう」
そう答えるサラシアレータの声は驚くほど柔らかかった。