希望の名は
――迷宮1階層
普段はFランク――初心者――冒険者しか訪れないこの階層は、今や様変わりしていた。無数に張られた天幕には大量の物資が運び込まれ、人が忙しなく行き来する様はまるで冬ごもりする蟻のようだ。
ここが最終防衛ライン。ここを越えられた瞬間がカサンドラ滅亡の時となる。
そんな中、ひと際立派な天幕へ息を切らせた兵士が駆けこむ。
「報告します。魔物は遂に40階層へ到達。偵察部隊は全員無事帰還しました」
ガウディはその報告に焦燥と安堵、2つの相反する感情が浮かぶ。だが彼はそれを全く感じさせない口調で淡々と命じる。
「30階層から斥候を出せ。戦う必要はない。魔物を発見し次第すぐ帰還するように伝えろ」
「はっ!」
敬礼をし去って行く兵を見つめながら、ガウディは深く椅子へと腰かけ、ルーファのことを考える。転移陣で何処かへ連れ去られたルーファ。連絡を受けた当初は絶望しかなかったが……今は違う。
間を置かずして届いた新たな報告――魔物暴走――によって。その報せを受けた時、ガウディは悟った。恐らくルーファは迷宮に保護されたのだろうと。
「陛下そろそろ時間ですわ」
天幕の外から王妃にして迷宮方面軍・将軍シンシアーナが姿を現す。その後ろにはガウディの3人の子供たちが続く。全員が武装しており、厳しい面持ちでシンシアーナの後ろへ控える。
滅亡か否かという瀬戸際に於いて、遊んでおかせる戦力など有りはしないのだ。例え、この戦いで王家の血が途絶えようとも。それがカサンドラ“王族”としての誇りの在り方なのだから。
彼としては1人娘であるベティには参加してほしくないのだが……それは彼女に対して最大の侮辱となる。彼女もまた一端の戦士なのだから。
ガウディもそれは分かっているのか、一瞬ベティに目を向けただけで何も言葉をかけようとはしない。
ガウディは今から開かれる軍議へと思考を切り替える。全員揃うのは……これが最後となるだろう。
「失礼いたします」
その言葉と同時に、ぞろぞろと天幕の中へ人が入って来る。各々が歴戦の勇士といった風体の戦士たちだ。
カサンドラ軍からは荒野方面軍・将軍ジェラート・アールスクラムと近衛騎士軍団長フューズ。
カサンドラ軍は国王を総帥とし、迷宮方面軍と荒野方面軍の2つに別れている。そして、この2つに属さないのが近衛騎士軍である。故にフューズはある意味将軍と同等の権限を有していると言える。ここにカサンドラ軍3将が揃った。
冒険者ギルドからはギルドマスターであるインディゴ、そしてAランクパーティのリーダー達。
“赤き翼”紅蓮のバーン、“野獣連盟”怒涛のザラス、“森の友人”幻惑のアイネリカ、“絶対無敵”不敗のコンシャス。
この中で固有魔法士はフューズとコンシャス、そしてバーンの3名のみ。カサンドラ全体を合わせても5名しかいないのだ。いや、5名もいるといった方が正しいだろう。カサンドラの総人口に対してその数は破格である。
「レオンはどうした?まさかビビったんじゃねぇだろうな」
ガラガラとした野太い声で周りを見渡すコンシャスを全員が呆れたように見つめる。
「はぁ、レオンのパーティは指名依頼を受けてリーンハルトへ行ったわよ」
アイネリカが代表して、その馬鹿馬鹿しい質問に答える。
高位冒険者の情報に常に目を光らせている彼らにとって、むしろ何故知らないのかと問いただしたいほどだ。ギルドでもAランクパーティである“疾風迅雷”がいなくなったことは、かなり話題に上がっていたのだから。
「おい、なんだよその目はよぉ。オレは固有魔法士様だぞぉ」
威張り腐って胸をのけ反らせるコンシャスに「はいはい」とおざなりに返事をするアイネリカ。自意識過剰な事を除けば、意外と面倒見がよくいい奴ではあるのだが……如何せん自慢話が長すぎてうんざりするのが難点である。
「だが、“光速”のレオンがいないのは痛ぇな」
ザラスの言葉に全員が頷く。
刺突剣使いであるレオンの攻撃は2つ名に恥じぬ早さを誇っている。とは言うものの、実際は誰もその攻撃を見た者はいない。レオンが構えた瞬間に相手が倒れているのだから。その速さは正に光速の一撃。
固有魔法士とは言葉通り一騎当千の力を持つのだ。1人いるのといないのとでは、戦略にも影響が出る程である。
冒険者たちのお喋りにインディゴが咳払いする。国王の前であるというのにこの態度。ある意味、高位冒険者だからこそ許される態度だと言えよう。カサンドラ限定だが。
本来であればガウディも叱責するところだが……この極限の状況で普段と変わらない彼らの胆力に頼もしさを覚え、苦笑するにとどめた。
静まり返った天幕の中で、ガウディは一度全員の顔を見回してから本題に入る。
「皆の者よく集まってくれた。魔物が40階層を突破した。これより作戦に移る」
長期戦が予想されるこの戦いで、1階層は休息及び救護のための陣営となっている。
決戦の場は30階層、20階層、10階層の3段構えだ。すでに30階層までの魔物は殲滅済みである。転移陣を利用し、30階層と1階層を行き来することで順次交代しつつ戦うのだ。30階層を突破されれば即座に転移陣で1階層に移動し、20階層に集結する予定だ。魔物が転移陣を使用できないことを利用した作戦である。
もし10階層を突破されたら……全戦力をもっての消耗戦となる。こうなれば負けるのは必至。
時間を稼ぐために、戦闘職以外の住民も29階層から順次階段を通れぬように封鎖しつつ、上層へと移動している。その後は1階層で待機だ。これは総力戦、彼らもまた戦うのだ。剣を持つことすらままならない者だけが、避難所の地下で息を潜めている。
冒険者は基本遊撃だと思われがちだが、人数の多い冒険者が各々勝手気ままに戦ったのでは目も当てられない。それは軍隊の進行を妨げる行為に他ならないからだ。何せ低位冒険者であろうと全員参加なのだ。遊撃などさせられる訳がない。
幸いなことにカサンドラの冒険者は複数パーティで行動を共にする事が多いため、最低限の集団戦闘技術を身に着けている。更に、定期的に行われている国軍と合同でのアンデッド討伐も良い訓練になっていると言えるだろう。
遊撃で最も大切なことは機を見る能力。
戦列から離れ、状況に応じて敵の攻撃・味方の援護に回らねばならないのだから。
そこで選ばれたのが彼らAランクパーティである。戦闘力が高く、臨機応変に動ける戦闘経験豊富な一流冒険者である彼ら程、遊撃に相応しい者はいないだろう。
――遅滞作戦
それがカサンドラが打ち出した戦略だ。否、それしか選択肢はないのだ。相手は世界最大級の迷宮なのだから。未だに100階層を突破した者すらいないその現実を、彼らは誰よりも理解している。深層から溢れ出した魔物に勝てる術はないのだと。
故に待つ。希望の到来を。
彼らが望むはひと振りの剣
其は絶望を切り裂く剣なり
其は未来を切り開く剣なり
その剣の名は――“英雄王ガッシュ”
◇◇◇◇◇◇
――魔物暴走
その報せが王都リィンに届いたのは、バーンが氷雷鎧猿を倒してから3日後のことであった。
会議室に首脳陣が集まったのは、それから僅か1時間後。この件をリーンハルトがどれ程重く捉えているかが理解できるだろう。
リーンハルトの軍隊は6つある。
東方軍――将軍ユーリー・マウマウ(熊人族)
西方軍――将軍トゥーイ・ホースピア(馬人族)
南方軍――将軍アンジェラ・ロッド(豹人族)
北方軍――将軍ダイアノス・シーリー(虎人族)
中央軍――将軍フィン・スワロウ(翼人族)
王軍――将軍ザナンザ・アインクライン(獅子/翼人族)
この6軍全てを統括しているのが大将軍――ガッシュ・リーンハルト――である。
前述した6軍はその名が示す通り、東西南北・中央に別れている。ただし中央というのは王都リィンではなく中部地域のことだ。リィンはリーンハルトの真ん中ではなく北部寄りにある為、中部と北部の境目に位置する。リィンを守っているのは王軍になる。
王軍は王を守る軍隊――近衛騎士――だと思われがちだが、リーンハルトに近衛騎士はいない。不要だとガッシュ自ら切り捨てたためだ。建国以来多くの暗殺者が彼を狙って侵入したが、未だかつて生きて帰った者はいない。
6軍の内、東方軍、南方軍、北方軍は動かすことは出来ない。各々がベリアノス、奴隷王国ジターヴ、汚染獣という脅威に向き合っているためだ。更に言えば、仮想敵国がいない西方軍――これより西に国はない――は練度が低い。
西方軍は新兵を鍛え上げる教育現場となっており、今回出兵するに当たっては不適切だと言える。ちなみに鍛えた後、実戦経験を積ませるために各地に派遣されることとなる。
ガッシュは迷わず王軍を動かすことを決める。
理由は単純明快。中部地方に展開している中央軍と王都リィンに駐在している王軍。どちらがより早く動けるのか……自明の理である。元々王軍とはガッシュが即座に動かせる戦力を欲して作られたものなのだから。
とは言うものの、どんなに早くとも準備には数日はかかる上に、転移陣で移動するのだ。順次移動してメイゼンターグで集結する形になるだろう。
方針の決まったガッシュのすることは1つ。丸投げである。
要約すると「オレは行く!後は任せた!」ということだ。
全てを終えた(つもりの)ガッシュはザナンザへ命じる。
「ザナンザ!王軍はお前が率いて来い!オレは先にカサンドラへ行く!」
「ハッ!ご武運を!!」
ここで誰も止めようとしないのがガッシュクオリティーである。王が単身で他国に救援に行くという異常事態のはずだが、何故か当たり前だよね、といった雰囲気が漂っている。
だがここで、ガッシュの行く手を遮るかのように緊急連絡が入る。見たこともない強力な魔物が王都近郊で3体暴れているというのだ。それも別々の場所で、だ。
「クソっ!こんな時に!」
ガッシュは苛立ちを露わに舌打ちする。王宮まで連絡が来た時点で、現地の兵では対処できないということなのだから。
それは奇妙な魔物であった。
3つある頭は各々が別の魔物の特徴を有し、鷲のような翼に大蛇のような尻尾、後足は蹄で前足はネコ科の獣のようである。まるで様々な魔物を継ぎ足したかのような歪な姿のソレは、この周辺の魔物と比べ圧倒的な強さを誇っていた。これが強い魔物が出現する地域であったのならば、冒険者が対処できたのであろう。
だが広大な穀倉地帯であるこの場所は魔物すら滅多に出ることのない安全地帯。普段は小麦がさわさわと風に揺れ、涼やかな音色を響かせる長閑な風景が広がっている。
その日常が……今は赤く染まっていた。
「応援はまだか!」
兵を率いる隊長が声をあげるが、それに答える者はいない。全員が息を荒げ今にも倒れそうな風体である。否、既に半数が血の海に沈んでいると言った方が正しいか。
5日前から出没しているこの魔物は、一通り暴れれば飛び去って行くのだ。そのため補足するため兵を別けたのが徒となった。狼煙を上げはしたが、未だに救援が駆けつける気配はない。現在、彼らが立っているのは死地。剣を持つ手は震え、その表情は恐怖に彩られている。
そして……終焉が訪れる。
彼らが感じたのは一陣の黒い風。
風が彼らの髪を揺らした瞬間、まるで花を手折るかのようにあっさりと命が刈り取られる。
魔法を通さぬ強靭な皮膚も、剣を爪楊枝の如く折る鋭い爪も何の意味もなく切り裂かれる。
――瞬殺
何の感慨もなく、ガッシュはたった今切り捨てた3体目の魔物を一瞥した。本来ならばアカシックレコードを使い詳しく調べたいところだが……今回は間が悪い。
夢ではないかと頬を抓っている隊の責任者を一喝し、けが人の治癒を急がせると同時に、王城から兵が来るまで待機するように言い残したガッシュはリィンへと戻る。メイゼンターグへ直通の長距離転移陣が敷かれているのはリィンだけなのだ。
あれから既に5日が経過していた。
戦闘には時間がかからなかったのだが、3体ともバラバラに動いていたため、追跡に思いのほか時間を取られたのだ。相手が高速移動していたこともそれに拍車をかけた。
離れた場所で暴れる3体は確実にガッシュの足を止めたといえるだろう。
遅れを取り戻そうと急ぐガッシュは、更なる足止めを食らう。
長距離転移陣が瘴気の影響で、5日前から使用できなくなっていたのだ。更に長距離転移陣は何処でも設置してある訳ではなく、メイゼンターグに最も近いのはソリュース、かなり手前の都市となる。ザナンザ率いる王軍は最早間に合わないだろう。
空を翔けるガッシュは言い知れぬ不気味さを感じる。
(……これは本当に偶然か?)
彼の心に暗雲が広がる。
目に見えぬ何かに踊らされている様な気がして。
すみません。ストックが減ってきたので3日に1回の更新に変更します。
これからもよろしくお願いします。




