迷宮融合
「あ~れ~!」
一瞬の浮遊感の後、ルーファの周りの景色が切り替わる。
先程までは気持ちのいい草原だったのが、今は深い森の中。ルーファがいる場所だけ開けており、見上げんばかりに巨大な岩が鎮座していた。
キョロキョロと辺りを見回すが其処には誰もおらず、耳が痛い程の静寂が支配している。動物の声も虫の羽音1つ聞こえはしない。
心細さに狐耳を伏せ怯えるルーファの目に……お菓子の詰め合わせが映る。
(そう、落ち着かねばならない。これは仕方ないことなんだぞ)
心の中で言い訳をしつつお菓子の箱を開けると、様々な種類のお菓子がルーファを誘う。目を輝かせてルーファは早速お菓子を手に取った。
もしゃもしゃ、もしゃもしゃ
水筒にお茶を注ぎ、ほっと一息つく。チラリと箱に目をやると既に半分以上が無くなっていた。
「これは……無かったことにするんだぞ」
証拠隠滅するために再び手を伸ばそうとしたルーファは視線を感じて振り返るが……そこには巨岩しかない。
気のせいかなと首を傾げるルーファの狐耳に、ゴゴーと今度は動物の鼻息の様な音が聞こえる。しかもその音は決して小さな動物が発するものではない。もっと巨大な……
ルーファがお菓子を頬張りながらその正体について考えていると、巨岩に亀裂が入った。
驚いたルーファはしっかりとお菓子の詰め合わせを抱えながらも、慌てて立ちあがりその場を離れる。木の影から警戒した様子でじ~と巨岩を睨むルーファの目の前で、亀裂が……広がる。否、開かれるといった方が正しいか。
それは――目。
巨大な緑色の目が真っ直ぐにルーファを見つめていた。それが誰かルーファはすぐに分かった。
「迷宮さん」
親しみを込めてルーファは彼を呼ぶ。
巨岩だと思っていたソレは、巨大な地竜だったのだ。同じ最上位種である風竜カレンは長じても体長15メートルといったところだ。それと比較しても、この地竜は遥かに大きい。何せ30メートルを超え、その威容は叡智ある魔物である竜種にすら匹敵するのだから。
ゴツゴツとした岩の如き重厚な体表には、鬣の代わりに背骨に沿って鋭い棘が並んでいる。その巨体を支える、太く頑丈な手足は如何なる障害であろうと踏み潰すことができるだろう。身体の側に畳まれた翼を見たならば、誰もが驚愕にその目を見開くに違いない。この巨体が飛ぶのかと。
そして何より目を引くのが額に輝く美しい紅玉。
縦に長い菱形のような形をしたソレは、まるで内側から光を放っているかのようだ。その紅玉を囲むように浮き出た幾何学的な紋様と相まってどこか神秘的にさえ感じられる。
この紅玉こそ“迷宮核”――この迷宮の心臓。
ルーファは駆け寄ると、躊躇うことなくその鼻先に抱きつく。
「助けてくれてありがとう」
パチパチと数度瞬きをした地竜が、苦笑するように喉を震わす。
『儂は何もしとらんよ。何もできなかったからのぅ。すぐにでも助けてやりたかったんじゃが、すまぬことをした』
一部始終を視ていた彼は辛そうに目を伏せる。
「そんなことない!迷宮さんがいなかったら、途中で諦めてた!そしたら皆を……失ってたかもしれないんだぞ」
恐怖でぶるりと身体を震わせるルーファを、地竜は慰めるようにベロンと舐める。大きさの違いにより上から下まで涎でベトベトになったが、慣れているルーファは気にしない。ルーファもお返しとばかりにペロペロ舐め、楽しそうにクスクスと笑う……が、ここで手に持っている証拠隠滅し忘れた例の物に気付いた。
一気に挙動不審に陥ったルーファを地竜は心配そうに見つめる。
『どうしたんじゃ?具合でも悪いのか?』
優しい言葉にルーファの罪悪感は増々膨れ上がり、やがて観念して項垂れる。
「ごめんなさい。迷宮さんにお礼をしようと思って持ってきたお菓子を食べてしまったんだぞ」
そう言って、3つしか残っていないお菓子の箱を見せる。
『ほっほっほっほっほ!なぁに、気にすることはない。その心遣いだけで十分じゃよ』
生まれてこの方、竜生の大半を迷宮で過ごしてきた地竜はお礼の品など受け取ったことがない。死ぬ間際になっての初めての体験に彼は愉快そうに笑う。
ルーファも嬉しくなり、彼に他のお礼の品を紹介する。
「これがから揚げで、これがフルーツの詰め合わせでしょ。このカツサンドは絶品なんだぞ。それからそれから……」
楽しそうに説明をしつつルーファは、食べ物を次から次へと地竜の口に突っ込んでいく。何の文句も言わず、なされるがままに全ての食べ物を口に詰め込まれた地竜は、それをゴクリと飲み込んだ。果たしてどの様な味になっているのか……知るのは地竜のみである。
『ありがとうなぁ。美味かったぞ』
ヴィルヘルムを除外すれば世界最高齢だと思われる地竜は、一片の動揺もなく言い切った。善意100%のルーファはその言葉にパタパタと尻尾を振って喜んでいる。
それからルーファは今までの出来事を身振り手振りを交え楽しそうに喋り続ける。家出したこと、フェンに助けられたこと、“赤き翼”との出会い、道中に起きた数々の冒険。それに律儀に相槌を繰り返す地竜。彼の心はカサンドラ大迷宮と同様に深く広いことだろう。
「それでね、迷宮さん」
さらに続けようとするルーファに初めて地竜が待ったをかける。
『できれば……おじいちゃんと呼んでもらえんかのぅ』
どこかソワソワと落ち着かない様子で地竜が巨体をゆすれば、その影響で地面に罅が入り、周りの木々が抗議するかのように騒めいた。地竜の鼻の上にちょこんと腰かけているルーファには何の被害もないが。
「分かったんだぞ、おじいちゃん。オレのことはルーファって呼んで欲しいんだぞ」
そう言えば自己紹介してなかったことを思い出し、フードを外したルーファは地竜の眼前にぷかぷか浮かぶ。
『そうかそうか、分かったぞぃ』
嬉しそうに尻尾を振る地竜の後方では森の木々が扇状になぎ倒されている。
だが……この楽しい時間ももう終わり。彼に残された時間は僅かなのだから。これからルーファに残酷なお願いをしなくてはならない。自分を……殺せ、と。
急に黙り込んだ地竜にルーファは首を傾げる。
「おじいちゃん?」
ハッとしたように顔を上げ、地竜は苦しそうにルーファを見つめる。
『お願いがあるんじゃが、よいかのぅ?』
先程の闊達な様子とは打って変わって、どこか思いつめた様子の地竜に、ルーファは自分にできることなら何でもしようと頷く。この短い間にルーファは“おじいちゃん”が大好きになっていたのだから。
『この迷宮を貰って欲しいんじゃよ』
予想外の言葉にルーファは目を見張る。くれる物はもらう主義のルーファではあるが……流石に迷宮をもらってもどうすれば良いのか分からない。そもそも迷宮とは貰えるものなのだろうか。
ルーファの戸惑いが伝わったのか地竜は1つ喉を鳴らすと、ゆっくりと首をもたげた。
『儂の身体が見えるかの。罅が割れておるじゃろう?……寿命なんじゃよ。もういつ死んでもおかしくはない」
「そんな!!」
よく見ると身体の至る所に大小様々な亀裂が入っている。ルーファが癒しの力を注いでも注いでも、穴の開いた風船のようにどんどん漏れていくのが分かる。
「やだ!やだ!死んだらやだ!!」
泣きながらも癒すのを止めようとしないルーファに、地竜は鼻先を擦りつける。
『すまんのぅ。本当にすまんのぅ。儂に残された時間は少ない。ルーファにも考える時間を与えてやりたいんじゃが……既にそれも叶わん。どうかこの迷宮を貰い受けてはくれんか?』
「貰ったらどうなるの?おじいちゃんはどうなるの?」
悲鳴のようにルーファは問う。本当はルーファも薄々分かっているのだ。どうなるかなど。ただ認めたくないだけ。
『儂は永い時を生きた。もう十分じゃよ』
森の中にルーファのすすり泣く声だけが聞こえる。
地竜は思う。どちらにしろ自分にはルーファを傷つけることしかできないのだと。
これから自分が口にするのは残酷な言葉。無慈悲な選択。
例えどちらを選んでも、この優しい子は泣くのだろう。
『ルーファ、これを見よ』
地竜は空中へ映像を映し出す。
数えきれない程の魔物の群れが迷宮内を移動している。我武者羅に進むその群れは、まるで迷宮という殻を突き破らんと脈動する1つの生命体のようだ。迷宮が……黒く塗り潰されていく。
ルーファは食い入るようにその映像を見つめる。
その中には人種が映っているものもあり、まだ彼らは気付いていないようだ。すぐそこまで死が迫っているというのに!
『魔物暴走じゃ。いずれカサンドラも飲み込まれるじゃろう』
静かな口調で地竜は現状を語る。
瘴気が増えていること、それによって魔物の数が激増したこと、地竜には魔物暴走を抑える力が残っていないこと。
『もしルーファが迷宮の主となったなら、魔物暴走を止められるじゃろう。お前さんなら増えすぎた瘴気を浄化して魔物たちを正気に戻せる。額にある迷宮核に触れ魔力を流すのじゃ。そうすれば、この迷宮はルーファの物になる』
ルーファは俯き、何かに耐えるように唇を噛んだ。
選ぶべき道は分かっている。地竜はどちらにしろもう長くは生きられないのだから。それでも生きて欲しいと願うのは間違っているのだろうか。殺したくないと願うのは悪いことなのだろうか。
ルーファは未だかつて誰かの命を奪ったことは無い。それは冒険者になった今でも。
ルーファは恐ろしい。摘み取られた命が紡ぎだす、本来あるべき未来を歪めることが。変わってしまう運命が。
この考えの根本には“時空ノ神”がある。
過去、現在、未来を見通すこの力が、無意識の内に強く影響を及ぼしているのだ。
ルーファが視るは調和。
生命が織りなす一枚の絵。例え1本の糸であろうと、失われた瞬間に描かれる未来が変わるのだから。
そして何よりも感情が邪魔をする。
ルーファは“おじいちゃん”が大好きなのだ。もっと一緒にいたい……それだけなのに。
地竜はルーファから視線を外し、遠くを見つめる。過去を懐かしむかのように。
『儂は生まれた時から独りじゃった。言わば、この迷宮だけが儂の家族じゃ。儂はルーファに感謝しとる。何故だか分かるかの?』
目を腫らし言葉にならないルーファに、彼は答えを教える。
『“おじいちゃん”と呼んでくれたじゃろう?儂はそれが嬉しかった。儂の家族はな、儂には逆らえんのじゃよ。どんなに愛しく思っていても儂らには明確な支配関係があるでのぅ。対等な家族……儂はそれに憧れていたんじゃが……最期の最期で願いは叶った。ルーファのお陰でなぁ。ありがとうよ。もう儂に心残りはない。ルーファ、助けるのじゃ。仲間を、カサンドラを。これはお前さんにしか出来ぬことじゃ』
「ズルイ!そんな言い方ズルイ!!オレはおじいちゃんも助けたいのに!!」
泣きながら眉を吊り上げ叫んだルーファだったが、地竜の痛みを堪えるかのような眼差しとぶつかり口を閉ざす。
ルーファは袖で涙をゴシゴシと拭い迷いを振り払うかの様に一歩前に出た。
『ありがとう、ルーファ』
「……オレはおじいちゃんを忘れない。ずっとずっと忘れないんだぞ」
嬉しそうに喉を鳴らす地竜の目から涙が零れる。最期にルーファは力いっぱい地竜を抱きしめキスをした。
額にある迷宮核の前まで移動したルーファは、自分の背丈よりも大きいそれに手を触れる。
つるつると滑らかで仄かに温かい。だがその光はルーファと出会った当初よりも確実に弱まっている。そこから魔力は殆ど感じない。この魔力が尽きた時が地竜が死ぬ時なのだ。いや……魔力は既に尽きていた。残っているのは魔力の残滓だけ。
本来なら疾うに尽きているであろう寿命を、迷宮にある魔力を吸い込み意志の力でここまで持ち堪えたのだ。驚嘆すべきはその精神力であろう。
地竜は安堵と共に目を閉じる。彼が最期に思うのはルーファのこと。願わくばこの小さき家族に幸多からんことを、と。
そして……迷宮核が輝きを取り戻す。
パキパキっ……パキパキパキっ
氷が砕けるような音と共に地竜の罅が広がる。それは瞬く間に全身へと及び、一際大きな音が響いたと同時に割れる。そこには……地竜の形をした巨大な岩があった。
ルーファは泣いていた。迷宮核に縋りつき、声を押し殺して。
ずぶり
突如、その身体が……沈む。
徐々に迷宮核へ呑み込まれていくルーファは、それに気付いていないのか身じろぎ1つしない。やがて完全にルーファを取り込んだ迷宮核が、ずるりと地竜の額から引き剥がされる。不思議なことにそれは地に落ちることなく上昇していく。
やがて空高くに滞空した迷宮核は一際強く輝き、薄紅色の糸を吐き出す。それは繭のように迷宮核を取り囲むと、空へ貼り付く。
伝説が生まれる。
ここが世界の分岐点。
ここが奇跡の出発点。
運命の扉が……今開かれる。
迷宮は歓喜をもって迎える――新たな支配者が羽化する時を。




