迷宮の主
彼は微睡の中にいる。
永い本当に永い年月を彼は生きてきた。
だが……そんな彼の寿命も尽きようとしている。最早彼に残された時はあと僅か。
彼はずっと探してきた。自分の後継者――次代の迷宮の主を。
カサンドラ大迷宮。
この迷宮は他の迷宮とは一線を画す、言わば迷宮の亜種である。その最大の特徴は宿主を選ぶ寄生型迷宮だということ。故に他の迷宮が感情を持たぬのに対し、この迷宮はそれを持つ。
彼は地竜であった。
迷宮に遊びに来た際に迷宮核と融合し、迷宮の主となったのだ。本来5千年の寿命を持つ地竜だが、彼が生きてきた年月は既に数万年を越えている。それは寿命を持たぬ迷宮核と融合したからに他ならない。彼こそ“大災厄”を生き抜いた唯一の迷宮なのだ。だが……それももう終わり。
彼は迷宮を愛していた。彼が丹精込めて作ったこの箱庭を。
空も地も海も……彼が試行錯誤を繰り返して創造してきたものなのだから。失うのには忍びなく、彼はこの迷宮を引き継いでくれる者を探していた。だが彼のお眼鏡にかなう者はおらず、徒に時ばかりが過ぎていった。
更に、ここ数年増えすぎた瘴気が彼の寿命を削った。いや、正確には瘴気ではなく、それによって引き起こされる魔物暴走を抑え込もうと力を注いだ結果である。
なるべく弱い魔物を創り、それでも溢れそうになる魔物を最下層に押し込んだ。暴走状態に陥りそうになる迷宮を意志の力で捻じ伏せ続けている彼の寿命は、刻一刻と削られている。
(……限界じゃな)
諦念が彼の胸に到来し、死を受け入れようとした正にその時……転機が訪れる。
彼はついに見つけたのだ。自分の後継に相応しい存在を。
最初に感じたのは風。
薫風が彼の鼻先を擽り、彼の閉ざされようとした意識を繋ぎとめる。
次いで感じたのは――驚愕。
永い彼の人生に於いてさえこれ程の驚きを感じたことは無い。読み取れぬのだ。彼の世界に在りながら、箱庭ノ神である自分にさえ見通せぬ不思議な存在。それがルーファだった。
悪い存在ではないと感じる。残された時間が少ないこともあり、彼はルーファに接触する決意をした矢先、事件は起こった。ルーファが攫われ命を落としたのだ。よりにもよって彼が支配するこの迷宮で!
彼は怒り狂った。
迷宮ルールにより手出しが出来なかった彼の絶望はいかばかりか。
これが文字通り最期のチャンスだったというのに……。
彼が隠し階層と大喰蟻の巣を直接繋いだのは、瘴気溢れるこの地で生きる人種のため。作物を安全に育てられる環境が必要だろうと思ったのだ。魔物を討伐してもらわねばならい人種へ、労いの意味を込めたプレゼントのつもりであった。
だが……それを禍津教が発見し、犯罪の温床へと変わった。
“安全領域”とは迷宮主であろうと手出しができぬ領域のこと。それが今回、最悪の結果につながったのだ。
彼の怒りと絶望は即座に迷宮へと伝わり、迷宮は歓喜を持ってそれに応えた。
そして……迷宮の深奥から魔物が解き放たれる。
ルーファが死んだその瞬間こそが魔物暴走の始まり。
彼はその様子を静かに眺めていた。最早、未来は定まった、そう思い目を閉じる――目覚めること無き眠りへその身を委ねようと。だが、それを邪魔するかの如く眷属から通信が入る。無視しようかとも思ったが、長年共に迷宮を管理してきた眷属に別れの挨拶もしていなかったと、仕方なしに目を開けた。
眷属から齎された内容は驚嘆すべきもの。
彼は慌てて隠し階層へと目を向け、ルーファが生きていることを確認する。あんぐりと口を開け、呆然とする彼に眷属が魂を送って来る。1人の少女――レイナ――の魂を。
普通に考えたら魂だけあっても仕方がない。
〈万物創造・限定〉を持っている彼ですら死者を生き返らせることは叶わないのだ。
この力を使用すれば、同一の身体を作り出すことは可能だ。個体情報があるという条件付きだが、これは今回問題なくクリアしている。だが……切り離された魂を繋げることはできない。身体と同様に魂を創ればそれを定着させることはできるのだが……それでは、別人になってしまう。
いくら万物創造であろうと同一の魂を創ることなどできはしないのだから。
そして……仮にルーファが蘇生の力を持っていたとしても――彼はルーファが持っていると半ば確信していた――生き返らすことは不可能なのだ。蘇生とは本来、魂が身体に残っている状態でなければ叶わぬもの。
――故に彼は迷う。
この魂をルーファに渡してもよいかどうかを。徒にルーファを傷つける結果になりはしないかと。
暫しの逡巡の後、彼はルーファへレイナの魂を渡す。
それは予感。何かが起こる……その予感が彼を突き動かしたのだ。
そして……彼は視る。ルーファの力、その深淵を。
ルーファが使った力は2つ。
“豊穣ノ神”の権能が1つ〈豊穣ノ化身〉
“創造ノ神”の権能が1つ〈輪廻操作〉
〈輪廻操作〉こそ、魂に干渉する権能。
こうして転生は成った。
何たる奇跡!何たる運命の悪戯か!
彼は……歓喜と共に理解する。
ルーファこそ迷宮の“真”の主だと。否、ルーファは彼の後継者ではない……ルーファこそ彼女の後継者なのだ!
彼はきっとこの日のために生きてきたのだ。ルーファに迷宮を渡すために――。
彼は微睡む。
生命活動を最低限に落とし命を繋ぐ。
ルーファが迷宮へと訪れるその時まで。
◇◇◇◇◇◇
冒険者ギルドの一角にラッピングされた箱が積み重ねられていた。
そして現在1人の男がその山に近づき、手に持っていた包みをそっとその上へと置くと、何故か祈りを捧げた後一礼して去って行く。
カサンドラ冒険者ギルド始まって以来の珍妙な光景は5日程前から続いている。
攫われて以降初めての出勤となるレイナは、先程から続く冒険者の摩訶不思議な行動に首を傾げていた。
「ねぇ、あれって何?」
職務中だからと聞くのを控えていたレイナだが、流石に耐えきれなくなり休憩をしている同僚へ理由を尋ねる。
「あ~、あれはルウ様への捧げものですね」
「……お詫びの品ってこと?」
言い方に引っかかるものがあるが、虐めていたことに対する謝罪ということだろう、と納得しかけたレイナに同僚は首を横へ振る。
「どっちかというと信仰?みたいな?」
「はあ!?何だってそんなことになってるのよ!」
大声を上げるレイナに幾ばくかの怯えを含んだ声で頭をペコペコ下げる同僚に、彼女は仏頂面で礼を言いその場を離れた。
(一体どうなっているのよ)
確実に知っているだろうギルドマスターの執務室へとレイナは突貫する。
始まりは些細な出来事であった。
ルーファが光魔法士だと知った冒険者・商人がルーファに謝ろうと連日ギルドへ押しかけて来たのだ。だが、王宮で保護されているルーファがギルドへ来るはずもなく、彼らの焦りは頂点に達した。更にルーファがカサンドラから去るという噂が流れ出し、自責の念に駆られた彼らが思い余って王宮へ乗り込んで行こうとしたところで、冒険者のギルドマスター・インディゴが仲裁に入ったという訳だ。
一時は暴動に発展するかと思われたこの事件は、ガウディと知己であるインディゴが必ずルーファに渡すという名目で手紙とお詫びの品を預かることにより終止符を打ったかに見えた。
その風向きが変わり始めたのがルーファの屋敷の工事が開始されてからだ。大工等の関係者各位には誓約書が配られ、屋敷で見聞きしたことを洩らすことはない。だが……通行人は別だ。
出入りする業者が門を開く度に、花が咲き誇る庭が垣間見える。それだけではない。ルーファの屋敷を中心に草花が増えており、それに気付いた人々が騒ぎ始めたのだ。
噂は僅か数日でカサンドラ中に広まり、連日ルーファの屋敷を見ようと多くの人が詰めかける事態となった。ガウディが気付いた時には収集が付かぬ程騒ぎが広がり、軍を出動させ連日人払いをしなければならない有り様だ。
そして……現在では冒険者や商人だけでなく、国中の人が毎日のように捧げものをし、祈りを捧げに冒険者ギルドへ来ているのだ。はっきり言って新興宗教だと言っても過言ではない。
そんな事とは露知らず、ルーファは冒険者ギルドの扉を潜る。
苛めっ子がいないかどうか確認するため、ゼクロスの影から中の様子をそっと窺う。例え隠れていても、近衛騎士10名に囲まれているルーファは非常に目立っているのだが。
一斉にルーファへ向けられる視線に思わず顔を引っ込め震える……が、悪意が全く感じられないことを疑問に思いもう一度顔を出す。
手を振ってみるルーファ。
猛烈な勢いで振り返される。
初めて返される友好的な反応にルーファは嬉しくなる。
何度も手を振りながら嬉しそうに歩くルーファを微笑ましく見つめながらも、ミーナとゼクロスの心情は穏やかとは言い難い。冒険者達が見ているのはルーファ自身ではなく、“光魔法士”というブランドに過ぎないからだ。自分たちにとって価値があり利用できると分かった途端にあっさりと手の平を返したのだ。ルーファの気持ちなどお構いなしに。それが2人は気に食わないのだ。
だが、冒険者側にも言い分はある。
彼らはルーファが特殊魔法士だと聞いていたのだ。無属性の特殊魔法士は普通の魔法士に比べ、魔質の変換が容易である。つまり、様々な種類の魔法を操れるようになるのだ。
色で例えるなら無属性は無色透明であり、他の属性は火は赤、水は青という様に色がついている。無色透明な魔質に色を付けるのと、最初から色付きの魔質の色を変えるのとでは難易度が違うのだ。
そんな特殊魔法士が護衛を引き連れ依頼を受けているのを見た彼らは、才能があるのに強くなる努力もせず、財力に物言わせて護衛に戦わせる卑怯者にしか見えなかったという訳だ。
まあ、端的に言えば、要は才能と環境に恵まれているルーファへの嫉妬である。
だがそれも光魔法士ならば話は別。光魔法士はどんなに努力をしようが、肉体を鍛える以外に強くなる方法など有りはしないのだから。
ミーナ、ゼクロスと同様にバーンの内心も穏やかではない。とは言っても2人のそれとは毛色が違うのだが。
バーンは冷や汗を滲ませながら、冒険者ギルドに入ると同時に忽然と姿を消したアイザックのことを思う。誰の首も(物理的に)飛ばぬようにと祈りながら、彼は手早く依頼書を確保する。
(ヤバい。早くギルドを出なくては!)
焦燥に駆られるバーンを嘲笑うかの如く声が掛けられる。
「ルウ!」
ルーファが依頼書を眺めていると、奥からレイナが駆け寄って来た。
「今から迷宮?」
「そうだぞ~」
そう言って、ルーファは手に持った依頼書を掲げる。
「気を付けるのよ」
「大丈夫なんだぞ!」
胸を張るルーファに胡乱気な視線を送るレイナ。あっさりと罠に引っかかりそうである。低層には致死性の罠はないので比較的安全ではあるのだが。
「ねぇねぇ、あれなあに?」
レイナの服をチョイチョイ引っ張りながらルーファはプレゼントの山を指さす。
「あ~あれね。ルーファへの貢物……じゃなくて、そう!お見舞品よ!」
「えっ!!オレへの!?」
嫌われていると思っていたのに、こんなに心配されていたなんて!と感動に目を潤ませるルーファ。実に単純な神獣である。
「屋敷にもたくさん届いていましたよ。帰ったら見てみますか?」
ゼクロスの言葉にルーファはコクコクと頷き、プレゼントの山へと近づこうとしたところで素早くバーンに抱き上げられた。
「今から迷宮に行くんだろうが」
内心の焦りを押し殺し、受付で手続きを済ませたバーンは、ルーファを抱えたまま足早にギルドを後にした。
ところ変わってここは迷宮の低層。
あの後、有無を言わさず迷宮へ連行されたルーファは、辺りに誰もいないことを確かめると〈亜空間〉からお菓子の詰め合わせを取り出した。
「ルーファちゃん休憩には少し早くないですか~?」
まだ迷宮に入ってから30分も経っていない。
「違うんだぞ。休憩じゃなくてお礼なんだぞ」
ミーナに答えるルーファの手はその間も止まることなく、様々な食べ物を並べている。フルーツ、サンドイッチ、から揚げ等々。
「あっ!もしかして迷宮殿へですか?」
急に声をあげたカタリナへ、フューズとソーンの冷たい視線が突き刺さる。ヒッと小さく悲鳴を上げたカタリナに気付くことなくルーファは頷く。
「そうだぞ~。禍津教に閉じ込められた時、出口まで案内してくれたの」
初めて聞く話に全員が困惑した様子で顔を見合わせる。
「それはどういう……」
バーンが問いただそうとした瞬間、ルーファを中心として地面に魔法陣が浮かぶ。稀に迷宮の深層で罠として見かける〈転移〉の魔法陣だ。バーンは咄嗟にルーファに手を伸ばすが……ルーファを囲むように土壁が迫り上がり、彼の手は虚しく土壁を叩いた。
「「「ルーファ!!」」」
土壁が消えた後、そこにルーファの姿はなかった。




