白鬼見参!
異変は深層より始まった。
病が身体を蝕むように徐々に徐々にソレは進行する。
津波が浜へ押し寄せるかの如く。
圧縮されたマグマが吹き上がるかの如く。
溜め込まれた力が一気に牙を剥く。
まるで弓に番えられた矢の様に。
――解き放たれる。
最初にソレに気付いたのは92階層にいたAランクパーティ“地を駆る狩人”、“野獣連盟”、“森の友人”、Bランクパーティ“筋肉躍動”、“もふもふ尻尾”の合同パーティだ。
このメンバーでのパーティは今回初となる。ドゥランとゼノガが親しくなったことで、各々が組んでいたパーティ同士を紹介し合ったのだ。
中には悪質な冒険者も存在するため、己の命を預ける仲間は信頼のおける者でなければならない。故に高位冒険者同士であろうと、そう簡単に組むことは無いのだ。パウロのパーティが誰とも組むことなく迷宮を探索していたのは信がおけぬと断じられたからに他ならない。
こうして彼らは今までは戦力不足で行けなかった階層を突破し、勢いに乗ってここまでやって来たのである。
冒険者のパーティは魔物からの奇襲を防ぐという目的で5人を上限としているが、迷宮に関してはその法則が当てはまらない。それは魔物の出現頻度、罠、地形、様々な要因が重なる。ようは多角的に対応できる人材が求められるのだ。だが、そんな人材がそこら辺に転がっている訳はなく、結局は異なる技術を有するパーティ同士が手を組み、迷宮を攻略していくスタイルに落ち着いたのである。
また深層に行く程、価値の高いものが発見されることもその理由の一つだ。5名では戦力的にも体力的にも深く潜れはしないのだから。
全員が獣人族で索敵能力が高い“地を駆る狩人”の狼人族の男が大気の匂いを嗅ぐ。
「おかしい。ヤバい匂いがする」
全身の毛を逆立てた彼に続き他の獣人族も何かを感じたのか、前方を睨み警戒するように腰を落とした。彼らがかぎ取ったのは……死の匂い。
ポツン、と前方に影が見える。その影は見る間に大きくなり、今では全員が身じろぎ1つすることなく、ソレを注視している。
ソレは猿の魔物。
青い氷の鎧を身に纏い、歩く度に地面が凍る。時折奔る紫電がまるでダンスを踊っているかの如く氷の鎧に纏わりついている。その口から吐き出される息は生物を一瞬で凍らせる絶対零度の死の吐息。
その姿は見上げんばかりに巨大だ。その巨体と比較してさえも、腕は異様なほど太く長い。6本ある指には各々鋭いかぎ爪が光り、その輝きはまるで名工が打った剣のよう。口から生えた牙は下顎まで届く程長く、獲物を見つけた目は愉悦と殺意で歪み、彼らへと向けられていた。
――氷雷鎧猿
彼らが勝てるかどうかも分からぬような強大な魔物。だが……彼らが最も恐れたのは氷雷鎧猿ではない。
誰もこの魔物を知らない。その事実に恐怖した。
冒険者は戦闘能力は当然のことながら、情報収集能力も求められる職業だ。
それは地形・植生の情報であったり魔物の情報であったりと千差万別。そして……この情報が生死を分かつことも多々あり、高位冒険者である程情報に重きを置く傾向が強い。いや、そうしななければ淘汰され生き残ることは叶わないのだ。
そして高ランクパーティである彼らも入念に過去の文献を紐解き、出現する魔物、罠の傾向、地形に至るまで調べ尽くしていた。とは言っても、未だかつて100階層を守る大ボス――50階層毎に存在するボス――を突破したものはおらず、101階層から下の情報は一切ないが。
そして……そんな彼らが知らないということは即ち、氷雷鎧猿は101階層以降に出現する魔物であるということ。その意味することを彼らは瞬時に理解する。
――魔物暴走
彼らの予想を肯定するかの如く、遠くから数多の魔物の咆哮が迷宮を揺るがした。
彼らは即座に踵を返す……この情報を冒険者ギルドへ伝えるために。
彼らは幸運であった。
10階層おきにある転移部屋は90階層に存在するが、それは中ボスを倒した先……つまり、90階層とは言っても最奥だ。その先の階段を下りれば、そこは91階層。彼らから程近い場所にあるのだから。
更に、彼らは91階層のボスを倒した後、通常なら休憩を取るところなのだが、初の91層突破に興奮し、偵察を兼ねて92階層の入り口から様子を窺っていたのだ。ボスを倒して間がない現在、まだ復活していない可能性が高い。
階段を駆け上り、ボスの間に突入した彼らは復活していないことを確認すと、休むことなく91階層へと抜ける。この階層は洞窟が迷路のように続き、出現する魔物は隠密能力に長けた猛毒を持つものが多い。気が滅入るような地形も彼らにとって有利に働く。
後ろを振り返ることすらせず、土魔法を使える者が壁の如き〈土柱〉を次々と発動させ、氷雷鎧猿の追跡から時間を稼ぐ。だがそれも氷雷鎧猿には何の痛痒も与えはしない。背後からは地響きと共にパキパキと何かが凍る音が絶え間なく続いていた。
この絶望的な状況に於いても、彼らの顔に諦めはない。
それも当然のこと。彼らは熟練の冒険者……この階層の特徴を熟知しているのだから。
洞窟の幅が徐々に狭くなっていき、グネグネした細い道が氷雷鎧猿を阻む。洞窟が崩れ落ちるかの様な怒りの咆哮を最後に、追跡の音がピタリと止んだ。
誰ともなしに速度を緩める。だがそれは休息のためではなく、危険を回避するために他ならない。全速力の移動は注意力を散漫にするのだから。
最低限の速度を維持しつつ、獣人族が魔物と罠の位置を嗅ぎ分けながら直走る。
彼らの進行方向には……数多の魔物がその身を潜めている。
果たして彼らは逃げ切れるのか――開かれた地獄の扉は、彼らを呑み込まんと大きく口を開けていた。
◇◇◇◇◇◇
数日ぶりに屋敷に帰り着いたバーンとアイザックは窓から部屋へと入る。
バーンが鬼の仮面を外し、アイザックに渡そうとしたところで明かりが灯る。反射的に三日月刀を抜こうとするバーンをアイザックが手で制した。
彼らの目の前には一匹の珍妙な生物がいた。
手のひらサイズの小さな謎生物は骸骨の頭を持ち、その額には4本の小さな角が生えている。身に着けているのは刺繍の入った黒いマントのみ。
謎生物はくるりと彼らに背を向けるとソファーの背もたれの上に飛び乗る。そして……
『熱き魂が叫ぶ~♪
悪を切れ!
闇を絶て!
無辜の魂を救えっと~♪』
しゃかしゃか短い手足を動かし、背もたれの上を歌いながら平行移動する謎生物。
『我は不滅なり、この世に闇がある限り
我は不滅なり、救いを求む者いる限り
我は闇に潜む処刑人
リ・ベ・ン・ジャ~♪』
歌が終わると同時に『とうっ!』とジャンプした謎生物は、空中で華麗に3回転を決めるとバーンとアイザックの前へ降り立った。
『白鬼見参!!』
尻尾をピーンと立てビシッとポーズを決める謎生物を無言で見つめる2人。
半眼で謎生物の謎行動を眺めていたバーンは、いいことを思い付いたとばかりにニヤリと笑う。
「大変だー。こんなところに魔物が。退治しなくてはー」
棒読みの台詞を吐き、指をボキボキ鳴らしながら謎生物ににじり寄るバーン。
『ええ!オ、オレなんだぞ!神獣さんなんだぞ!』
怯えたように後ずさる謎生物改めルーファの背後から手が伸ばされる。
「あまりルーファを虐めるな」
アイザックの腕の中に納まったルーファは救世主を見るかの如く彼を見つめているが、骸骨の被り物が邪魔をしてキラキラと輝く瞳を窺い知ることはできない。
肩を竦めコートを脱ぎ捨てたバーンは、ドカリとソファーに座る。
「それで?何のつもりだルーファ」
呆れ100%のバーンに気付くことなくルーファは自慢げに答える。
『うむす!オレは今日から“復讐鬼”白鬼だ!ポジションは癒し担当ね』
「バカ!足手まといだ。そもそも何だその恰好は?こんな珍妙な生物連れて歩けるか!」
『し、仕方がなかったんだぞ。鬼の仮面が売ってなかったんだから!一応角が生えてるからいいかと思って』
鬼の仮面よりもレア度が高そうな謎髑髏を売っていたことの方が驚きである。
ちなみに、この謎髑髏は売り物ではなく、店主の趣味で店内に飾られていたものを譲って貰った代物だ。初めて出会った同好の士――髑髏ファン――に店主は快く譲ってくれたとだけ記しておこう。
「そうか。それは心強いな」
「おい!」
にこやかに賛同するアイザックに、バーンは焦った声を出す。バーンとしては自分たちの仕事にルーファを関わらせるなど、例え天地が引っ繰り返ったとしても有り得ぬことなのだから。そしてルーファに対して自分以上に過保護なアイザックは、絶対に反対するだろうと思っていたバーンである。その驚きは大きい。
アイザックはバーンに目を向けることなく続ける。
「ルーファはオレ達のアジトを守ってくれるか?そうだな……ルーファがオレ達の最後の砦だ。最も重要なこの任務をやれるか?」
――“最後の砦”、“重要な任務”。実に甘美な響きである。
この2つの言葉にあっさりとルーファは騙され……否、承諾する。
『任せるがよいぞ!オレが必ずアジトを死守してみせるんだぞ!』
尻尾をぶおんぶおん振り回し、やる気を漲らせるルーファにバーンは憐みの籠った目を向けている。彼は同質の目を時節アイザックから向けられていることに未だ気づいてはいない。
「一体お前はどういうセンスしてるんだ」
話は終わったとばかりにバーンはルーファが被っている骸骨の被り物を掴み、グイッと引っ張る。
ぷら――――ん……
――5分後
『いだだだだだだだだだだだ!もげる!もげる!』
髑髏をバーンが持ち、アイザックがルーファの身体を持ち反対方向に引っ張っている。
「ダメだな。取れないぜ。もう一生そのままでいいんじゃないか?」
馬鹿馬鹿しくなったバーンが投げやりに言い、最早興味がないとばかりにソファーに腰かけ欠伸を洩らす。
「ダメだ。ルーファの可愛さが半減する。それに……いいのかバーン?ルーファの人化した姿が見れなくなっても」
「一大事だぜ!!無理矢理壊すか?」
今までの態度を180度転換させたバーンは勢いよく立ち上がり、真剣な面持ちで考え込む。
ようやく引っ張り合いが終わり、ぐったりと休憩しているルーファの頭上で会話が進んでいく。
何か不穏な単語を聞いた気がして、ルーファは閉じていた目を開いた。
――ギラリ!
ルーファの目の前には、凶悪な輝きを宿す短剣。ぶわっと毛を逆立たせ逃げようとするルーファをバーンな素早く抑え込み、優しく語りかける。
「大丈夫だ。すぐに済む」
「安心しろルーファ。失敗はしない。オレを信じろ」
短剣を手に近づくアイザックの顔は優しく微笑んでおり、それが逆に得も知れぬ恐怖を抱かせる。
『ややややや、やめ……ぎゃああああああああああああああああ!!』
悲痛な神獣の悲鳴が静まり返った屋敷に木霊した……自業自得だが。
 




