調査結果
――樹海。
見渡す限りの樹、樹、樹。
濃厚な土と緑の香りが漂い、人の侵入を拒むかのように草木が生い茂っている。その樹海を囲むように崖が連なり、まるで牢獄の様だ。いや、牢獄という言葉こそこの世界の本質だといっても過言ではない。ここは迷宮44階層の隠し階層――まさに隔絶された世界なのだから。
その樹海の中央に景色にそぐわぬ人工物が存在する。
薄い灰色の角ばった建物は、100人が余裕で生活できるほど巨大である。人によっては100人程度が暮らせる建物など小さいと思うかもしれないが……ここは迷宮。建物が在ること自体が異様なのだ。
その建物の周りで育てられている作物や薬草、草を食む家畜の姿が、そこで何者かが生活していることを如実に物語っている。
家とは長く住めば住むほど家主の“感情”というものを感じさせるものだ。家具しかり、カーテンしかり。そこには確かに住人の人柄や好みを感じさせる何かがある。
だがこの建物からは何も感じられない。灰色と白色で統一された内部は“感情”というものが欠落したかの如く、ただただ無機質だ。
白いカーテンに白いテーブル。その上には所狭しとビーカーや用途の分からぬ器具が置いてある。別の部屋では巨大なガラスの水槽が立ち並び、全ての水槽に水が張られている。本来なら何らかの生物がその中にいるのだと連想させるそれは、現在では水が揺らめいているだけである。
食堂と思しき場所ではテーブルの上に数セットの白いカップが置かれ、中を覗いてみると飲みかけだと思われる黒い液体が残っていた。だが辺りを見回しても誰1人として姿が見えない。いや、それどころか何の音も気配すらも感じない。まるで……中に住まう人だけが忽然と消えてしまったかの様に。
突如、誰もいないと思われた室内に影が生じる。
文字通り影から生じたその人物は黒いコートを纏い、鬼の仮面で顔を隠している。死神の大鎌を手に持ったその姿はまるで生者を刈り取る死の使い。
黒鬼――アイザック――は室内を見渡すと置かれてあるカップへと近づき、それに触れる。
……冷たい。
僅かに感じる魔力の残滓を確認するため、カップを持ち上げ〈看破〉を発動する。掛かっているのは〈毒感知〉ではなく〈保存〉の魔法だ。恐らくは一度発動された魔法の効果が未だに影響しているために、腐ることなく残っていたのだろう。
研究者とは一度没頭したら時間の経過を忘れる者が多い。そのための〈保存〉ということか。〈毒感知〉でないのは全く敵の侵入を警戒していないからに他ならない。
隣接されているキッチンの扉を開けると同時に腐敗臭が鼻につく。匂いを無視し、冷蔵庫に保存してあるものと合わせて食材の腐敗具合を入念に調べていく。
(それほど長期間放置されてはいないようだな。恐らくは禍津教を襲撃したのと同時期……)
アイザックは再び影へと沈み、相棒が待機している場所へと戻って行った。
バーンがミミク・タランチェから手に入れた研究所の情報は、不完全なものであった。隠し階層に存在するのは分かったのだが接触はいつも瘴魔神殿で行われ、誰一人としてその場所を知らなかったのだ。
囚われている教主ゴードン・デルビエルと接触し場所を聞きだそうかとも思ったが、“復讐鬼”の正体が知られている今となっては誰が拷問したかなど自明の理である。
そこで彼らはガウディに交渉した。
謎の巨大犯罪組織「研究所」がカサンドラに存在するという情報と交換という形でゴードンの拷問権を獲得したのだ。これはバーンとガウディが親しくなり、ある程度信頼を勝ち得たことも大きい。ただし絶対に殺さない、またお目付け役――フューズ――付きという条件だったが。
それにより得たのが44階層にある隠し階層の情報であった。
だが……ゴードンからの情報で彼らが得た感情は喜びよりも警戒。
何故なら彼はこう言った。ルーファを攫ったのはパウロであると。
ルーファから自分を攫ったのはパウロではないという証言を得ている。聞いたのは声だけだという話しだが、全く違う声だったと。
更に、アイザックもパウロから精神支配系の魔法を確認できなかった。これは発動条件が合わなかったという可能性もあるので完全にとは言い難いが……精神支配系の力を持つ者は、得てして思慮深く狡猾であると言われている。短慮で傲慢なパウロはその条件に当てはまらないのだ。
以上の理由から、彼らはゴードンが操られているのではないかと疑ったのだ。
以前ダルカスが操られていることを看破したルーファに視てもらえば確実なのだが、彼らは最も確実なその方法を切り捨てた。
アイザックがルーファを助けた時、外傷が無かったにも拘らずルーファは死んでいた。
そこで彼らが行き着いた結論が、ルーファ本人が自分自身を殺したのではないかということ。もし乱暴された記憶を思い出したのならば……今度こそ本当に戻って来ないかもしれない。その恐怖が彼らを縛ったのだ。
現在はガウディが精神支配を解除できる固有魔法士を、冒険者ギルド並びにリーンハルトに問合わせ中だ。ゴードンは幸運――彼にとってはどうかは知らないが――にも当面の間処刑を免れることになった。
ガウディを味方に引き込めたのは、彼らとしても僥倖であったと言える。2人だけなら拷問で口を割らすことはできても長期保存することなど出来はしなかったのだから。
バーンの元へと戻ったアイザックは端的に告げる。
「もぬけの殻だ」
腕を組んで待っていたバーンは苛立たし気に人差し指をトントン動かす。罠でなかったのは僥倖だが……否、彼等にとっては罠の方が僥倖か。喰い破ればいいのだから。
アイザックは再び研究所へと足を向け、それを追うようにバーンが駆ける。だがその足取りは普段より重い。
(誰か残っていれば簡単だったんだが)
バーンは研究所の広い――これから虱潰しに調べねばならい――その建物を一瞥し、ため息を吐く。こんなことならガウディの助力を足手まといだという理由で拒むのではなかった、という後悔と共に。
結局その日は書類の一枚すらも発見できず徒労に終わるのだった。
「ふんふ~ん♪}
ルーファはご機嫌で買ってきた袋を開け、取り出した物を見つめニヤリとほくそ笑む。
準備は完璧である。後は2人の帰りを待つばかりだ。
「早く帰って来ないかなぁ」
◇◇◇◇◇◇
ガウディは上がってきた報告書に目を通す。瘴魔神殿にあった書類を精査したものだ。
徴収した書類の大部分が住民の詳細な情報であった。誰が生贄に相応しいか、その詳細が事細かに綴られていた。
その結果、街中で攫われた者は大喰蟻の巣を使い隠し階層に運ばれていたことが分かった。どうやら出入り口はミミク・タランチェの屋敷だけでなく、他にも数か所存在するようだ。利用しているのが禍津教だけだとは限らないため、追って調査が必要だろう。
迷宮の入り口は既に塞いである為、直接隠し階層へは行けないようになっている。ただし、塞いだのは迷宮に在った出入口――巨木の洞――の方である。巣に在る亀裂を埋め立てても掘り出される可能性があるため、手っ取り早く巨木を切り倒したのだ。迷宮には修復能力があるため、ガウディとしても塞げるかどうかは半信半疑であったが……あれから復活したという報告はない。
隠し階層を発見したにも関わらず、何故ガウディはそこを利用しないのか……それには理由がある。それが魔物暴走。
かつて隠し階層に住むプロジェクトを実行した国が存在した。
当初は上手くいくかに見えたその計画は、魔物暴走によって覆されたのだ。一度暴走した魔物には迷宮に存在する安全領域は意味をなさない。そしてそれは隠し階層にも適応された。
考えてみれば当然のこと。ボス部屋の手前にある安全領域を通過しない限り、魔物が迷宮の外に出ることは出来ぬのだから。もし安全領域が機能していたのなら魔物暴走など端から起こりはしないのだ。
つらつらとガウディが読み進めると、信者のリストに記載されている者は禍津教が壊滅した日以降行方不明だとある。恐らくは、全員が大事な儀式とやらに参加すべく集まっていたのだろう。死体を確認できれば良かったのだが……状態が悪いものが多く全部は出来なかったのだ。バーンが燃やすか切り刻むかしたせいだが。
最後まで読み終えたガウディは失望のため息を吐く。彼が最も渇望する情報がなかったが故に。
――研究所
話を聞いただけでも悍ましい犯罪組織。それがカサンドラに巣くっているというのだ。行方不明になった者の中には、研究所に攫われた者もいるのだろう。
気付かなかった過去の自分に腹を立て、ガウディはテーブルに拳を打ち付ける。何度も何度も何度も何度も――――。
「その位にしとけよ。傷は意味のある時に負うもんだぜ」
閉められていた窓がいつの間にか開いており、カーテンが風になびいている。夕日を背に2つの黒いシルエットが佇む。逆光でガウディからは顔を確認できはしないが、それが誰かはすぐに分かった。
「バーンか……それで?」
性急に成果を問うガウディを無視し、バーンは棚に在るワインとグラスを勝手に取り出しテーブルに並べていく。
その様子を見て少しばかり冷静さが戻ってきたガウディは書類を執務机にしまうと、バーンの対面へと移動した。アイザックはいつの間にかバーンの隣に座っている。
3人でグラスを傾けながらバーンが重い口を開いた。
「結果だけ言えば特に進展なしだな。研究所には誰もいなかった。食べ物の腐敗具合からしてオレ達が禍津教本部を襲撃したのと同時期だ」
「つまり事前に察知されていたという訳か……」
2人は同時に深いため息を吐く。特にバーンの失望は大きい。長年追っている研究所にあと少しというところで逃げられたのだから。
「出国した人間の履歴を調べよう。何か分かるかもしれん」
事件直後に動くより、国内でほとぼりが冷めるまで普通に暮らしている可能性の方が高いのは承知の上だが、しないよりはマシだろう。
「……全員死んでいるぞ」
それまで無言でワインを飲んでいたアイザックがバーンに視線を向け、断言する。
「どういうことだ?」
「言葉通りの意味だ。研究所を見ただろう?飲みかけのコーヒーに食べかけの食事。引き払う時にそのままで行くか?全員切り捨てられた……そういうことだろう」
「だが死体は無かったぜ」
隠し階層限定ではあるが、死体が消えることがないのは先日の事件で証明されている。だがアイザックはこれに対しても懐疑的だ。
迷宮には奇妙なルールが多くある。魔物を解体し、部位を持ち帰ったとする。残した身体は消えても手に持った部位は消えないのだ。食事もそうだ。燻製などの肉も言ってみれば屍骸である。だがこれも迷宮に吸収されることは無い。
そこに人種が知らないルール――隠し階層は死体の吸収が遅い等――がある可能性もあるのだ。
唸るバーンとガウディを気にすることなくアイザックは続ける。
「それに殺した奴が残っているはずだ。そいつが死体を処理した可能性がある。もしそれが精神支配系の固有魔法士だとしたらどうだ?例えば……44階層へ行き死ねと命じれば死体は残らないだろう」
机に突っ伏す2人に、「脳筋が……」と口の中で小さく呟いたアイザックは冷え冷えとした視線を送る。
「……いいか?研究データが1つもなかったということは運び出したということだ。破棄した可能性もあるが……低い。ならそのデータをどこへ持って行く?バーン」
「他の研究所だ!」
ガバリと勢いよく顔を上げたバーンが叫ぶ。
「なるほど。確かに相手が研究者なら研究データは死守したいものだろう」
そしてデータは鮮度が命。何年も手元に燻らせているのであれば、新たに開発させた方が早い可能性もあるのだから。
「精神支配系の魔法士は闇魔法との親和性も高い。影収納で運べば検閲を通過できる」
基本的に空間系、収納系の魔法は検閲で発見できない。それは魔力を使用するのが物を出し入れする時だけであるため発見することが困難なのだ。闇魔法を使える者は、収納している物を自己申告をし、それに間違いがないことを誓約書に署名することで関所を通過できる……とされているが馬鹿正直に話す者はいない。
ただし、生まれた時から魔質が闇の者は、ステータス確認の儀式で国に通告がいくために必ず検閲に引っ掛かることとなる。
だが、アイザックのように修練により後天的に闇魔法を習得したものは、人に言わない限りバレることは無い。かくいう彼も“復讐鬼”の装備はバーンの物と合わせて、全て影収納の中に入れている。
幸いなのは闇魔質の習得は基礎魔法の中で――光は除く――最も習得困難な属性のため、滅多にいないということだ。
アイザックとしてはこの可能性が1番高いのではないかと考えている。
他にも別の隠し階層を手に入れており、そこに移動した可能性もあるが……それならば研究員を皆殺しにしする必要はない。
更に言えば、少しずつでも国外へ移動しなかったのは……彼らが戸籍を持っていないからではないか、というのがアイザックの推測だ。迷宮で死んだことにして研究所に籠っていたという訳だ。
ギルドカードは魔力を登録するものだ。一度でも登録があったのであれば、それを誤魔化すことはできない。例え死を偽装して破棄されたとしてもだ。
研究所には野菜や家畜が飼育され、生活環境が整っていた。それに秘密を保持するためには閉じ込めていた方が安全だろう。それを管理していたのが件の精神支配系の魔法士。
だが……恐らくは他にも仲間がいるだろう。備品の補充に研究素材の確保、外に出なければできないことも多いのだから。
そして最も重要なのはいつ移動するかということ。
恐らくは5日前の定期部隊。その確率が高い。
国内でほとぼりが冷めるまで潜伏するなど、アイザックに言わせれば無駄な時間だ。検閲が厳しくなったのならば兎も角、5日前であればそれもない。ならばさっさと立ち去る方が良い。これから検閲が厳しくなる可能性もあるのだから。
現にアイザックの意見は参考にされ、ガウディは次回の定期部隊から闇魔法・収納系魔法が使えるかどうかを兵、民間人問わず誓約書で確認するつもりである。
「5日前の定期部隊で移動した者のリストを作成させよう。くれぐれも勝手に行動してくれるなよ?約束できなければ、リストは渡さん」
「分かった」
ガウディはあっさりと頷くバーンを胡乱気な眼差しで見つめること暫し、その表情から何も読み取れぬことが分かると深々とため息を吐いた。
バーンもバーンで事前に連絡はするが、言うことを聞く気は全くない。連絡をしておけば“勝手に”とは言わないのである。あくまでもバーンの持論なのだが。
用は済んだとばかりに、後のことはガウディに丸投げして彼らは再び闇へと消えた。
「ねぇ、どうして研究所の記憶を消さなかったの?」
「教主が知らないなんて不自然でしょ」
「ねぇ、どうして研究所を爆破しなかったの?」
「面白そうだから。今頃彼らは証拠を求めて研究所でも駆け回っているかな?あそこには何も無いのにね」
クスクスと意地悪そうに嗤い、彼はカサンドラへと目を向ける。
「相変わらず意地悪ね」
言葉とは裏腹に上機嫌な彼女は、後ろから彼を抱き締めると耳元で甘く囁く。
「でも……残念だわ。とっても美味しそうだったのに。また会いたいわ……ねぇバーン」
ペロリ
舌が艶かしく蠢き、男の耳を舐め上げた。




