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迷宮神獣Ⅰ~汚染獣襲来~  作者: J
邪悪なる教団
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狂える竜王

 明かりを灯して尚薄暗い部屋で、書類にペンを走らせる男がいた。

 ふ、と男が今まで伏せていた顔を上げ窓に目をやる。その瞬間、凄まじい轟音が響き渡り、まるで巨大な地震が襲ったかのように部屋が揺れる。男は慌てて窓辺に近寄ると外を確認した。


 幾筋もの雷光が天より降り注ぐ。

 まるで空が泣いているかのように。いや、風が唸りを上げ雨を巻き上げているその様は、怒りのようにも感じられる。世界が終わる……そう感じる程の光景は既に1月以上続いていた。


 竜公セルギオスは苦し気に顔を歪めその光景を見つめる。自分の、竜の血脈(じぶんたち)の不甲斐なさにきつく歯を食いしばる。まさに、この光景こそ竜王ヴィルヘルムの嘆きであるのだから。


 セルギオスは目を瞑り、今までのことを思い出す。

 竜王軍を総動員しての捜索にもまるで引っかからず、煙の如く消えてしまったルーファ。冒険者ギルドを張るも姿を現さず、生存は絶望的だと思われている。


 当初は冷静に見えたヴィルヘルムも時が経つにつれ、その激情を隠すことをしなくなった。否、抑えきれなくなったと言った方が正しいだろう。


 ルーファスセレミィがいなくなって既に1年近くが経とうとしていた。


 





 ドラグニルの民は連日の異常気象に不安を露わにし、王都ドラゴ周辺の農業は絶望的である。幸いなことにドラグニルでは虹魔石が採取できるため、財政に関しては困っていない。むしろ、ヴィルヘルムの魔力が暴威を振るっているため、虹魔石の採掘量は上がっているほどだ。



 虹魔石とは5魔質(火・土・水・風・闇)を持つ特別な魔石だ。本来であれば、迷宮の深部か5属性を自在に操る竜種の心臓からしか採れないほど希少なものである。しかし、ヴィルヘルムの魔力が永き時をかけて蓄積された竜宮城の地下には、多くの虹魔石が密やかに眠っているのだ。


 民の不満が暴動に発展しないか心配ではあったが、虹魔石のおかげで今回の件は災害として手厚く補償ができ、生活面での不安は当面のところ問題はない。感情的な面ではどうしようもないのが現状ではあるが……先手を打っておいたため民の怒りは()()へと向いている。

 


 ――犯人



 それは母なる神獣の神域を襲いカトレアを傷つけた不届き者。

 未だ犯人は捕まっておらず、竜王ヴィルヘルムは怒り狂っている……ということになっている。


 これはセルギオスが密かに市井の間に広めた噂だ。

 大々的に竜王軍全軍を動かすに当たって、大義名分が必要だったのである。ルーファの存在も隠されており、アグィネス教に知られる訳にはいかなかったこともある。


 ドラグニルが血眼となって()()を探している。その()()がルーファか犯人かの違いだけである。





 セルギオスは祈らずにはいられない。ルーファの無事を。せめて誰かに捕らえられているのだと思いたい。もし、もし既に……。セルギオスは頭を一つ振って不吉な想像を打ち消した。

 だが1度刺さった棘は執拗に彼を苛み、それを忘れるようにセルギオスは仕事へ没頭する。


(考えてはいけない。これ以上は)


 暫しの間、部屋の中にはペンを走らす音だけが響く。



 コンコン



「セルギオス様、客人がお見えですが如何いたしましょうか?」

「……今日はそのような予定はなかったはずじゃが?」


 入室してきた側近アンドリューの言葉にセルギオスは顔を顰める。


「それが……Sランク冒険者のフェン殿が火急の用があると竜王様に面会を求めておいでです」


「確か魔天狼(フェンリル)の冒険者じゃったか……じゃが今はとてもではないがヴィルヘルム様に会うことなぞ叶わぬぞ。近づけば誰であろうと殺される。わしら竜人族とて例外ではない」


 セルギオスは暫し考えるように目を閉じた後、アンドリューに告げる。


「わしが会おう。応接室に通せ」


(Sランク冒険者ならば何か情報を持っているやもしれぬ)


 セルギオスは藁にも縋るような気持ちでフェンの元へ向かった。









 一目で高級と分かる家具が置かれている応接室で、フェンは出された芳醇な香り漂うお茶をガブガブ飲んでいた。昼夜問わず駆け回っていたフェンはようやく一息つき、ソファーにだらしなく凭れ掛かる。だがその心は沈んでいた。


 当然と言えば当然である。

 フェンはヴィルヘルムと会えるのを心待ちにしていたのだから。フェンは街で聞いた噂を思い出す。どこかのアホが母なる神獣を傷つけたというのだ。そのせいでヴィルヘルムは怒り狂い、天候は荒れに荒れドラゴ周辺はひどい有様である。


 だがその一方でフェンの心はヴィルヘルムの凄まじい力を直に感じ取ることができ、歓喜に満ちていた。



「待たせたな」


 フェンが2杯目のお茶を飲み干した頃、ずかずかと入室してきたセルギオスがドカリとソファーに座る。そこに客人に対する配慮はない。フェンも気にすることなく手を上げてそれに答えた。


「火急の件と聞くが何ぞあったか?」


 挨拶も早々にセルギオスは要件を尋ね、姿勢を正したフェンも真面目な表情でそれに応じる。


「原魔の森から叡智ある魔物が消えた。全員消えたわけじゃねぇが……縄張りを持ってた奴は根こそぎ殺られた。原魔の森だけじゃねぇ、奴隷王国ジターヴに居を構えていた不死鳥(フェニックス)もだ」




 フェンは今まで原魔の森を虱潰しに調べていた。

 アカシックレコードを用いて叡智ある魔物の住処を調べ、巡っていたのである。その結果、住居を固定していた同胞は全ていなくなっていた。フェンと同じように各地を流離(さすら)っている者には会うことができたのだが……彼らは何も知らなかった。


 南海にある奴隷王国ジターヴに行ったのもその延長。不死鳥(フェニックス)が消えていたことで、敵はピンポイントで自分達叡智ある魔物を殺して回っていることに確証を得たのだ。




「何じゃとっ!?一体何が起こっておる?」

「分からねぇ。だが1つ言えることがある。汚染獣だ。あいつらは汚染獣に殺られた」


「バカなっ!!」


 フェンの言葉にセルギオスは思わず立ち上がる。


「間違いねぇ。幾つかの場所で濃厚な瘴気を確認した。それに叡智ある魔物(オレたち)を殺せるような奴はそうそういねぇよ。……知恵ある汚染獣が誕生している。オレはそう思うぜ。いや、それしか考えられねぇ」


「まさか……!そんなことが……」


「なら、なぜ叡智ある魔物(オレたち)の居場所が分かんだ?誇り高いあいつらが他の奴らの住処を敵に漏らすとは思えねぇ。たとえ死んでもだ!……知恵ある汚染獣はアカシックレコード閲覧権を持っているんじゃねぇのか?」



 黙考し、押し黙るセルギオスにフェンは続ける。


「ヴィルヘルム様に知らせるべきだ」


 暫しの逡巡を見せた後、セルギオスは重い口を開く。


「今はとてもではないが無理じゃ。我が君は正気ではない」

「それ程なのか!?」


 事態はフェンが思っている以上に深刻のようだ。驚くフェンに、苦し気に顔を歪めたセルギオスが一抹の希望を持って問う。


「最近、銀髪の()()を見かけなかったか?」

「そいつが今回の件の原因か?」


「まぁ、そんなところだ」

「それだけじゃ分かんねぇよ。他に情報はねぇのか?」


「……藤色の目をしている」

「おいおい!それじゃぁまるで神獣じゃねぇか!まさか……」





 フェンは混乱の極致にあった。


(母なる神獣を襲ったのは神獣なのか?まさかルーファが……)


 フェンの心に疑念が沸き起こる……が、その気持ちはすぐさま霧散する。ルーファにそんなマネができるわけがない、と。それにセルギオスは少年だといった。ルーファの外見は完全に少女である。


 恐らくは何か行き違いがあったのだろう、と強引に自分を納得させたフェンはセルギオスの様子を伺うも、その表情からは何1つ読み取ることはできなかった。





「悪いが心当たりはねぇ」


 内心の動揺を抑えフェンは答える。仮にドラグニルが()()してルーファを追っているのであれば隠さねばならない。ドラグニルより先にルーファを見つける必要がある。だがその前に……。

 

「ドラグニルはどう動く?まさかこのまま手を拱いているわけじゃねぇだろうな」


「原魔の森に調査団を派遣し、並行して勇者召喚について調べてみよう。何や分かるかもしれぬ。状況によっては其方(そち)に依頼を出すやもしれぬ」


「その時は引き受けるぜ」


 立ち上がり握手を交わした2人は、それ以上話すことなく別れた。





(ルーファの元へ急がねぇと!)

 

 ここでの悲劇はフェンにとって、銀髪の少年=カトレアを襲った犯人、という構図になっていたことだろう。

 もし、セルギオスが偽の情報を流さなければ……未来はもっと違った結末を迎えただろう。


 だが……すでに(さい)は投げられた。

  


 






 セルギオスは失意のまま執務室へと戻る。結局ルーファの手掛かりは得られなかった。そればかりか、更なる難問が彼の精神を疲弊させようとしていた。


(アンドリューに主だった者を集めるように命じねば)


 そう思いながら扉を開ければ、中に佇む人影がこちらを振り返った。


「お兄様。お久しぶりでございます」


 そう言って微笑むのはセルギオスの異母妹であるオリヴィア。彼は舌打ちしたくなるのを堪えながら、オリヴィアに問いただす。


「なぜここにいるオリヴィアよ」

「もちろんヴィルヘルム様にお会いしに来たのですわ。どうやら酷く荒れていらっしゃるご様子。わたくしがあの御方のお心を慰めてご覧にいれますわ」


 嫣然と微笑むオリヴィアにセルギオスは侮蔑の視線を送る。


「ヴィルヘルム様を御慰めできるのは竜玉であらせられるルーファスセレミィ様ただ御一人。其方ではない。言葉を慎むがよい。それに……そなたはミタンムの王妃、立場を弁えよ」


 瞬間、オリヴィアの目に憎しみの炎が宿る。


「ヴィルヘルム様に相応しいのは……グっ!」


 セルギオスの右手が高速で伸び、オリヴィアの喉を締め上げる。その目に宿るは憤怒。


「口を慎めと言ったであろう。この痴れ者が!!」


 そう吐き捨てると同時にセルギオスはオリヴィアを壁に叩き付けた。



 ドガァァァァァン



 亀裂の入った壁が、その力の凄まじさを物語っている。


「セルギオス様!いったい何が!」


 アンドリューが姿を現し、倒れ伏すオリヴィアに目を見張る。セルギオスは目の穢れとばかりにオリヴィアを一瞥することもなく命じる。


「追い返せ。当分の間ドラグニルの地を踏ませるな」





 アンドリューに支えられ去って行くオリヴィアに、セルギオスは苦々しい気持ちが込み上げる。


(あの女を生かしたのは間違いであったやもしれぬ)

 







 オリヴィア・フレイ・ミタンム――彼女は竜公セルギオスの異母妹である。

 彼女は翼人族の母と、竜人族の父を持つ混血種だ。竜種の母を持ち、竜種(かのじょ)の力を色濃く継いでいるセルギオスとは違いその力は弱い。 


 竜の血族は伴侶を最も大切にし非常に愛情深く、また嫉妬深い。だが子供に対しては厳しく、あまり深く干渉しないことで有名である。


 “竜災”という言葉がある。


 これは伴侶を奪われた竜種がその力を暴走させ、数か国を巻き込んで自爆した際に生まれた言葉である。以降、竜種の怒りに触れ、起きた災害を総じて“竜災”と呼ぶようになった。


 竜玉――()()()()――に手を出すな、それは世界の不文律である。


 これ程までに伴侶を大切にする竜の血族でありながら、セルギオスの父は妻を裏切りオリヴィアの母に手を出した。セルギオスの母はショックの余り自ら命を絶ち、彼は怒り狂い実の父をその手にかけた。オリヴィアの母もその後処刑され、この事件は新たに竜の激情(あいじょう)を世間に知らしめることとなった。


 問題となったのはその娘オリヴィア。


 さすがにセルギオスも何の罪もない幼子を処刑することはできず、自分の妹として引き取ったのだ。彼女は幼少の頃からヴィルヘルムを慕い、その様子をセルギオスは微笑ましく見守っていたが……ある事件を発端に、彼ら兄妹の関係は崩れ去ることとなった。







 それが起こったのは100年以上前。ルーファがサラシアレータの後を追い行方不明になった時のこと。


 それまでヴィルヘルムはルーファの存在を竜人族にすら隠していた。

 ある意味嫉妬深い竜らしき行動ではある。故に彼らは、カトレアこそがヴィルヘルムの竜玉なのであろうと思っていた。ここでもカトレアが産んだ子はヴィルヘルムとの間にできた子供だと誤解されていたのだ。


 しかし、ルーファを求めて荒れ狂うヴィルヘルムを目にし、本当の竜玉が誰であるのかを知った。この当時も血族総出で捜索し、無事見つかった時は心底安堵したものだ。もちろんオリヴィアもその捜索に参加し、発見の報を聞いた時はセルギオスと手を取り合って喜んだ。


 だが……セルギオスがオリヴィアの元を離れた瞬間、彼女はぼそり、と呟いた。


「……死ねばよかったのに」


 その言葉を聞いたのはセルギオスだけであった。周囲は喜びに溢れる声で満たされていたために。

 振り返ったセルギオスが見たのは、美しく微笑むオリヴィアの姿であった。



 ……ぞっとした。



 その瞬間セルギオスは理解した。

 オリヴィアはヴィルヘルムにとって害になる存在であると。

 だが、今まで可愛がってきた異母妹(いもうと)を殺すことができず、止むなく翼人族の国ミタンムへ輿入れという形で追放したのだ。

 

 







 セルギオスは過去を振り返り、後悔の念に駆られる。

 王妃となれば少しは変わるのでは、と淡い期待を抱いていたが……それも今では消え果てた。

 

(わしは間違えたのであろうか) 


 オリヴィアの執着は今も変わらず……否、以前よりも激しく燃え上がっている。

 

 愛しき男――竜王ヴィルヘルム――を己が手に入れんとして。





 

 ◇◇◇◇◇◇ 




 


 風と雨が嵐となって猛威を振るう荒れ果てた大地の中心に、佇む1つの人影があった。不思議なことに荒れ狂う風も滝のような雨もその人影を避けるように渦巻いてる。


 まるで怯えるかの如く

 まるで敬うかの如く


 ひと吹きの風も一滴の雨粒でさえ、かの者には届かない。ひと際大きい轟音と共に雷光が辺りを照らし出し、かの者の姿が露わになる。



 ――竜王ヴィルヘルム



 微動だにしない彼の目はガラス玉のように何の感情も映してはいない。まるで精緻な人形のように。

 


 ガアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!



 突如、彼の口から凄まじい咆哮が迸る。

 その瞬間、辺りが静まり返る。


 ……無音。


 それは異常な光景であった。先程まで声すら届かぬほど荒れ狂っていた風の音も、雨が滝の如く大地をたたく音さえも何も聞こえない。

 まるで音という存在が消失してしまったかのように。


 狂ったように叫び続けるヴィルヘルムの目は欄欄(らんらん)と輝き、その金の目には底の見えぬほど深く冥い狂気が宿っていた。

 彼は愛しき竜玉(ルーファ)を求め、ただただ哭き続ける。




 狂気は徐々に徐々に竜王ヴィルヘルムを蝕んでいく――







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