奇跡の体現者
剣戟の響きがより激しさを増し、既に10人以上が地面に倒れ伏している。
息を荒げ満身創痍の戦士たちにゼクロスが順次〈回復〉をかけているが、それも追い付いているとは言い難く、負傷者は徐々に増えてきている。
誰もが焦燥を覚える中、最も多くの分身を相手取っていたフューズの砲撃魔法を掻い潜り、分身3体が差し迫る。剣を構えたフューズの顔に激しい焦りが浮かんだ。彼が崩されたら勝負は決したも当然なのだから。
「フューズさん!正面を!!」
ミーナが大鎌の軌道上に物理結界を置く。小さな立方体の形を取った結界だが、その分込められている魔力は膨大で通常のものよりも遥かに強度が高くなっている。
フューズは左右から差し迫る2体の存在を無理矢理頭から追い出し、正面の1体の懐に入り込まんと突進した。
ガキィィィィィィィィ
結界が大鎌を防いだ瞬間、それを挟むようにさらに3個ずつ結界が展開し、分身の動きを一瞬止める。その隙を逃すことなくフューズの砲弾が撃ち込まれ、分身が消滅する……が、魔法発動の瞬間を狙い足を払われる。咄嗟に転がり大鎌を避けようとするフューズの動きを読んでいるかの如く、分身の蹴りが彼の膝を砕いた。
くぐもった悲鳴がフューズの口から漏れ、それでも諦めずに剣を握る彼の首に腕が回される。影から突き出された腕が背後から彼の首を絞めたのだ。
霞む視界の中、大鎌が彼の身体へと吸い込まれ……
「……え?」
唐突に消えた分身に理解が追い付かず、フューズは間の抜けた声をあげた。
「フューズ!平気か?」
駆け寄るガウディの後ろにベティ、ミーナ、ゼクロスの姿が見える。だが彼らの視線はフューズを通り越して前方へと向き、フューズもそれを追うように視線を向ける。
そこには黒鬼と対峙する赤鬼の姿があった。
自分には手も足も出なかった分身を単身で撃破した赤鬼に、フューズは思わず感嘆の吐息を洩らす。彼らの技量はさることながら、その魔法の習熟度に舌を巻く思いだ。
魔力量、魔力操作、それに魔法を運用する巧みさ。全てがフューズより高い次元で行われている。その証拠に、フューズの魔力が枯渇しかけているのに対し、彼らにその様な素振りはない。自分よりも長時間戦っているにもかかわらずだ。
〈回復〉を施してもらったフューズはゼクロスに礼を言い、最後の戦いを見守る。否、彼だけではない。今や全員の目が赤鬼と黒鬼に向けられていた。
バーンの剣が閃き、全員がその結末を確信した瞬間、この場に似合わぬ優しい声が黒鬼の――アイザックの名を呼んだ。
「戻ってきて……アイザック……」
白い手がアイザックの頬を撫で、重ねられた唇から癒しの力が流し込まれる。藤色の目は呆然とするアイザックを映し出し、優しく細められている。
誰もが時が止まったかのように動かない中、ルーファの声だけが空気を震わす。
「哭かないで……アイザック。ここにいるから……側にちゃんといるから……もう大丈夫だから」
アイザックの手から短剣が滑り落ち、地面へ転がる。
その場に膝をつきルーファを押し倒したアイザックの身体は、遠目で分かるほど酷く震え、ルーファをきつく抱き締めている。まるで離せば消えてしまうと言わんばかりに。
ルーファは自分の名を繰り返し呼ぶアイザックを抱きしめ、その額にキスをする。
しばらくそうやってアイザックを慰めていると、土を踏む音が近づいてくる。ふ、とそちらに目を向けると、バーンが泣きそうな顔で2人を見つめていた。
ルーファが微笑みながら右腕を広げると、バーンは躊躇うことなくその胸に飛び込んだ。
嗚咽を漏らすバーンの涙を掬うようにキスが贈られ、ルーファは愛おしそうに腕の中で泣く血に塗れた鬼を抱きしめる。
ルーファはずっと見守ってきたのだ。
例えそれが過去に起きた記憶の追憶だとしても。ルーファはずっとずっと2人の側にいた。
彼らがどんなに辛い目に遭おうとただ見ているだけしかできなかったのだ。ようやく触れることができた喜びにルーファは涙する。
(……視線が痛い)
正気に返ったバーンは突き刺さる幾つもの視線を避けるように、未だにルーファの首筋に顔を埋めていた。チラリと横を見ると目と鼻の先に、同じように首筋に顔を埋めているアイザックと目が合う。完全に正気のようだ。
ルーファの手があやす様に彼らの髪を梳いているその下で、熾烈な争いが繰り広げられる。ズバリどっちが先に顔を上げるか、である。
「あっ……」
突然ルーファが驚いたように顔を上げ、宙を見つめる。
「「……どうした?」」
チャンスとばかりに2人が同時に顔を上げ立ち上がり、ルーファを抱き上げた。
「おい、手を放せ」
「迷惑かけたお前が放せ。こっちはお前の尻拭いだぜ」
ルーファ争奪戦を始めた2人に横合いから声が掛けられたのはそんな時だ。
「ルーファちゃん!バーンさん!アイザックさん!良かったです~。もう……もう皆と会えないかと思いました~」
泣き笑いながらミーナが走り寄り3人に抱きついた。
「お二人には後で言いたいことがありますので覚悟しておきなさい」
般若の様な顔でゼクロスが宣言するが、彼らは知っている。その表情はゼクロスの満面の笑みなのだと。笑い合う5人とは対照的に、ガウディを始め全員が平伏していた。
流石に周りの様子に気付いたルーファが戸惑った視線をガウディに送る。
「神獣様!禍津教本部が我が国にあることにも気付かず、神獣様に害を与えたこと全ては王である私の責任。誠に申し訳ありませぬ!私はどの様な罰でも受ける所存です。ですから、どうか我が国を……カサンドラを見捨てないで下さい!伏してお願い申し上げます!!」
ガウディも身勝手な願いだとは承知しているが、それでも王としてカサンドラに生きる者として言わねばならない。
ガウディの心には激しい悔恨が渦巻いていた。
もしフューズを護衛に付けていたのならば、と。勇猛として名高い王としての姿はそこにはなく、ただ迷子の幼子の様に心細げに震えている。
「え~と」
ルーファは困った様子でガウディ達を見つめる。そもそも自分が神獣だということを隠していたことが原因であり、彼らの責任ではない。それどころか、神獣だと名乗っていないにも拘わらずルーファを守ろうとしてくれたのだ。感謝の気持ちこそあれ、罰しようなどとは欠片も思っていない。
(……というか、この状況は一体全体どうことであろうか?)
ルーファはあやふやな記憶を辿る。
レイナがルーファを庇って死んだことまでは思い出せるのだが、そこから先がモヤモヤして思い出せない。凄く怖くて痛かったことだけは分かるのだが……。
ふぅ、と1つため息を吐き、今更過去を振り返っても仕方がないとルーファは気持ちを切り替える。終わってしまったことは覆せはしないのだから。
「大事なのは未来。自分が何を為すか何を掴み取れるか」
呟かれた言葉に思わず顔を上げるガウディ。それは許しの言葉ではないけれど、彼の心を激しく揺り動かした。
「必ずや!必ずや神獣様が御座すに相応しい国にしてみせましょう!!」
先程までの萎れた花の様な姿はなく、そこには決意に燃える1人の漢の姿があった。いや、彼だけではない。そこにいる全ての人種が気焔をあげ、自らの覚悟を叫んでいる。
(………)
独り言のつもりで漏らした自分の言葉がやけに大きくなったことにルーファは焦る。
最早、将来リーンハルトに神域を作るつもりで~す、などと言いだせる雰囲気ではない。いや、まだ大丈夫だ。カサンドラに一旦作って破棄するという手もあるのだから。
人種は神域を変えることはできないと思っているようだが、実際は神樹の種さえあれば破棄して新たに作ることが可能なのだ。ただし、それまで魔力を注ぎ育ててきた神樹が全て無に帰り、神獣自身も弱体化するため滅多な事ではにやらないだけだ。ルーファは正確には神獣ではないので、弱体化することは無いのだが。
取り合えずやるべきことは1つ。
ルーファはバーンとアイザックの腕をするりと抜けて1人の男の下へと飛翔する。
「アイゼン」
のろのろと顔を上げたアイゼンは幽鬼のような顔でルーファを見つめる。その腕の中にはレイナの首が大切そうに抱えられていた。
いつもなら子供扱いしないで、と嫌がるレイナの髪を彼はそっと撫でる。レイナの文句も迷惑そうな顔も最早見ることが叶わない。
何か言わなくてはと口を開いた彼から漏れるのは嗚咽ばかり。
「大丈夫。レイナちゃんは此処にいるから」
ルーファは自分の胸を押さえ、アイゼンに微笑みかける。
「……神獣様に、そう、言って、頂き、レイナも、幸せ、で、しょう」
無理矢理笑ったアイゼンの顔はすぐに歪み、それを隠すかのようにレイナを抱きしめ顔を伏せる。
悲痛な顔でその様子を見守っていたゼノガ達も涙を堪えようときつく目を閉じる。彼らにとってレイナは妹の様な存在だったのだから。
ルーファは全く自分の言葉が通じていないことに不服気に唇を尖らす。
本当にレイナの魂は此処にいるのに、と。先程渡された彼女の魂をルーファは胸の上から大事そうに撫でた。
魂と身体がある。ならばできるはずだ。〈豊穣ノ化身〉には蘇生の力があるのだから。
「ルーファ、やるんだろ?」
ルーファの様子から事の次第を予測したバーンが、運んできたレイナの身体を丁重に下ろし、ニヤリと笑う。ルーファは1度バーンに微笑み、集中するように目を閉じた。
目を見開いた時、そこにいるのは1柱の神獣。
「アイゼン、レイナちゃんを此処に」
神聖な雰囲気を纏うルーファを呆然と見つめ、震える手でレイナの首を身体に添えたアイゼンは、組んだ手に額をつけ一心不乱に祈りを捧げる。その隣にゼクロスとミーナが、そしてゼノガ達……否、そこにいる全ての人種が跪き同じように祈りを捧げ始める。
(……思い出せ。初めて〈豊穣ノ化身〉を使った時のことを)
いつもであれば〈浄化ノ光〉が発動するはずであったあの時、矢の形に変えた途端〈豊穣ノ化身〉へと変わった。
拡散ではなく集中。
レイナを矢に見立て力を集束させる。
ルーファが扱える少量の魔力を少しずつ少しずつ引っ張り出し、レイナへと注いでいく。
だが……自分の膨大な魔力を引き出す間に、レイナへ注いだはずの魔力が拡散していくのが分かった。
ダメだ。このままではダメだ。蛇口をもっと開けなければ、いつまで経っても蘇生は叶わない。
しばらくは栓を開けようと格闘していたルーファだったが、変わらない魔力量に焦りを覚える。
「ルーファ大丈夫だ。自分を信じろ」
アイザックの手がルーファを落ち着かせようと背中を撫でる。ルーファはアイザックを、バーン、ミーナ、ゼクロスを順番に見つめた。
そう、自分は1人ではないのだ。
自分だけではここまで来られなかった。フェンがいて皆がいてようやくここまで来れたのだ。
小さな支流が合わさって大河となるように。
1本の木が集まって森となるように。
1人では不可能なことも皆とならできる。
1つだからいけないのだ。
ルーファは魔力にアクセスする。
1つ2つ……5つ…………徐々に回線を増やしつつ、ルーファは全ての栓を開いた。
瞬間、今までとは比べ物にならぬ程の魔力がルーファを満たす。
レイナの身体から光が溢れだし、瞬くように明滅する。やがてそれは首へと集まると徐々に徐々にレイナの傷を癒していく。
生前の姿を取り戻したレイナに問題がないことを確認し、ルーファはレイナの魂を導く。
空気に触れさせてはいけない。魂の拡散は早いのだから。
ルーファは覆いかぶさるように屈みこみ、合わさった唇から彼女の魂が還される。
――今、ここに蘇生が成った。
未だかつて誰にも成し得なかった神の御業が。
ここにいる全ての者は幸運だろう。この奇跡をその目で見ることが出来たのだから。
「…………ひゅぅっ!」
レイナの口から息が漏れ、その身体が再び鼓動を刻むと蒼白だった顔に赤みがさす。
「お帰り、レイナ……ちゃ、ん」
突然襲ってきた猛烈な眠気に抗うことなく、ルーファはその波に身を任せる。
小さな子狐へと変わったルーファは、アイザックの手の中で暫しの休息を得るのだった。




