狂乱の謝肉祭
残酷な描写あり。苦手な方は避けてください。
森の中を夢見心地で走るレイナの前をルーファが空中を滑るように翔けている。
レイナは牢を出てから現在までの軌跡を振り返る。
2人が牢を出て5分と経たずに、レイナは再び絶望することとなった。
見張りがいたのだ。2人の男が牢へと続く出入り口を守っている。足を止めたレイナにルーファは待っているようジェスチャーをし、浮かび上がる。驚きに声を出しそうになったレイナは慌てて自分の口を押える。
天井を這うように見張りの頭上まで進んだルーファが彼らに手を伸ばし、一瞬で消し去るのを息を飲みつつ見つめる。もしレイナが口を押えていなければ叫んでいたことだろう。
「ルウ、今……」
何をしたの?そう問おうとしたレイナの口にルーファの人差し指が宛がわれ、彼女の頭に直接声が響く。
『後で全て話すから』
再び走り出す2人の足音が廊下に響き渡る。いや、響いているのはレイナの足音だけだ。ルーファはずっと空を翔けているのだから。
ルーファはまるで建物の構造が分かっているかのように右へ左へ迷うことなく進んで行く。時に止まり、時に隠れ敵をやり過ごす。最早レイナはルーファに遅れぬように付いて行くだけである。何しろ彼女はルーファが見張りを消して以降、一度たりとも敵の姿を見ていないのだから。
やがてルーファが立ち止まり、扉の中へ無造作に入っていく。その姿は最初からそこには誰もいないと知っていたかのようだ。窓の側で暫らく屈んでいたルーファが突然立ち上がり、窓を開け外へと飛び出した。
『レイナちゃん急いで!!』
その言葉にレイナは慌てて窓を乗り越える。少し先に森が見え、辺りに敵の姿はない。
『森まで走って!!』
レイナは言われるがままに足を動かす。彼女は既に確信している。ルーファは全て分かっているのだと。敵の位置も建物の構造も……きっとこの階層の出口さえも。
それからはルーファの背中を追いかけ、ひたすら森の中を進んでいる状態だ。
息を切らせて必死についてくるレイナに癒しの魔法を飛ばし、ルーファは先を急ぐ。
頭の中に響く声に先程敵に気付かれたと教えられたのだ。出口まではもう少し距離があるそうだ。間に合うか……いや、何としてでも間に合わせるのだ。この階層を出たら、彼が助けてくれる。それまでの辛抱である。
その時、彼が再び声を掛けてくる。悪い報せだ。
『レイナちゃん。そのまま聞いて。あの男が追って来てる。もし……オレに何かあったら、崖にある切れ目を進んで』
反論しようとするレイナの言葉を遮り、ルーファは続ける。伝えなければならない情報を。
『大丈夫、分かれ道はないから。黒い池が見えるまで真っ直ぐ進んで。その池に飛び込んだら33階層に出る。そしたら……彼が迷宮の出口まで運んでくれる……だから助けを呼んできて』
泣きながら走るレイナを見てルーファは覚悟を決める。もう自分たちはあの男の〈領域〉に補足されているのだから。
森を抜けたところで前方に人影が見えた。
「よーぉ。まさかここまで逃げるとはなぁ。どうやって逃げたと聞きたいところだが、それは後でじっっっくり聞いてやるよ。その身体になぁ」
ルーファはレイナを突き飛ばし、自分も右へ飛ぶ。剣が草を刈り取り舞い散る。
「マジかよ!今のは絶対に当たる一撃だったんだがなぁ」
次の瞬間、パウロの蹴りがルーファを捉え、そのまま吹き飛ばす。
「弱ぇな。だが……お前の力を見通せない。不気味な奴だぜ」
咳き込みながらルーファはふらふらと立ち上がる。折れた骨は既に完治しているが、受けた痛みを忘れる訳ではない。特に今まで痛みとはほぼ無縁に過ごしてきたルーファにとって、それは無視できぬほどの苦痛となって身体を襲う。
再び攻撃される恐怖に身体が竦み、与えられるであろう痛みに身体が震えだす。目には怯えが色濃く表れ、パウロを見つめている。
その様子に嗜虐心を呷られたパウロは舌なめずりをしながら、甚振るようにルーファへゆっくりと近寄る。いつの間にか大剣は鞘へと仕舞われ、抜身の短剣を右手で弄んでいる。あと3歩の位置で彼は一旦止まり、背後に向かって短剣を投げつた。
洞窟へと走るレイナへと――。
バリィィィィィン
結界に阻まれた短剣が地面へと転がり、役目を終えたとばかりに結界が砕け散る。
「クソがっ!!一体幾つ権能を持ってやがる!!」
真っ直ぐ出口に向かって走るレイナに、初めてパウロに動揺が走る。一瞬できた隙を狙い、ルーファの尻尾がパウロに絡みつきバランスを崩させる。
「何で見えねぇ!オレの〈領域〉の中だぞ!?」
領域魔法――これがパウロの固有魔法。その権能は2つ。
〈絶対領域〉領域内に限り法則を捻じ曲げる力。敵の攻撃はパウロに当たらず、逆に彼の攻撃は必中の攻撃となる。
〈絶対把握〉領域内に限り全てを把握する力。それは相手の魔法権能にも及ぶ。
先程から起こる意味不明な現象にパウロは苛立つ。〈絶対領域〉〈絶対把握〉を展開しているにもかかわらず、彼の攻撃が当たらず、ルーファが見えない。
彼は知らない。ルーファが超越種であることを。アカシックレコードにすら映らぬルーファを固有魔法如きで捉えられるはずないのだ。
思い通りにならない展開に彼の頭は煮えたぎり、理性が音を立ててぶち切れる。そして――狂乱の謝肉祭が始まる。
〈領域〉は彼の世界
彼は王、この世界に君臨せし支配者成り
彼は神、この世界を従えし絶対者成り
彼の意に反する者にはすべからく死を
彼に敵対する者にはすべからく死を
死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を――――――――
――絶叫!絶叫!絶叫!絶叫!
――哄笑!哄笑!哄笑!哄笑!
切り取られた手足に尻尾。
泣きながら走るレイナ。
胸から生えた剣。
口から溢れる血。
四肢を失い芋虫の様に這いつくばるルーファの目に、血をまき散らしながら倒れるレイナが映る。
仕上げとばかりに蹴り上げられたレイナの身体から嫌な音が響き、それでもピクリとも動かない彼女は人形の様に飛ばされ、ルーファの側へと落ちる。
「うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
絶叫と共にルーファの身体が光を纏い瞬時に再生を果たす。光はより輝きを増しレイナを飲み込むと視界を白銀色に染め上げた。
……一面に広がった美しい花の絨毯の上に気を失ったレイナが眠っている。傷も血痕さえも蜃気楼の如く消え失せ、ただ服に空いた穴だけが惨劇の痕跡をうかがわせる。
そのあり得ない光景にパウロの目が驚愕に見開かれ、そして……歪む。
彼の目が追っているのはルーファの白銀色の髪。
「ククク、ハーハッハッハッハッハァ!!こいつは驚いた。まさかまさか、神獣様とは!……オレが捕まえたんだ、ちょっとぐらい味見しても罰は当たらねーよなぁ」
欲望を滾らせ近づいてくるパウロをルーファは震えながら睨みつける。
「逃げなさい、ルウ。空を飛べるんでしょ?」
緊迫した場面に不似合いな優しい声が響き、怯えるルーファを庇うように1つの影が立ちふさがった。
――レイナだ。
今まで恐怖に震えていたとは思えないほど堂々と。
只がむしゃらに逃げ惑っていたとは思えぬほどに凛として。
彼女の目に浮かぶは強い意志。
彼女の目に浮かぶは決死の覚悟。
レイナの耳に幼き日の母の声が聞こえる。
『いい子にしてれば神獣様がいらして下さるわ。だから、心正しく生きなさい』
『しんじゅうさまが来てくれたらママの病気は治るの?』
『……えぇ、きっとね』
『わたし、いい子になるわ!それでママの病気を治してもらうの!』
『フフっ約束ねレイナ』
『うん!!』
これが……レイナが母と交わした約束。
もう母はいないけれど、それでもずっと彼女を支えてきた。
母が瘴魔病に侵された時、彼女はまだ6歳だった。彼女は母を殆ど覚えていない。彼女は母の長い髪が好きだった。彼女は母の温かな声と優しく自分を撫でる手が好きだった。でも……それだけ。写真は全て父が処分してしまった。きっと見るのが辛すぎたのだと彼女は思う。
レイナは大好きだった母の記憶が徐々に薄れていくことに恐怖を覚えた。彼女の中から母が消えてしまうような気がして。そんな中……何故かこの約束だけは鮮明に覚えている。
時には感情に任せて怒鳴ったり、八つ当たりしたりもしたけれど……それでもレイナは出来る限り真っ直ぐに生きてきたつもりだ。全ては母との約束のため。
レイナが心正しく生きても神獣は来ない。
例え神獣が到来しても母は生き返らない。
そんなことは疾うに分かっている。
でもレイナにとって母との思い出は、もうこれだけしかないのだ。
この約束が母との全て。
レイナはチラリとルーファを振り返る。神獣の少女を。
彼女がずっとずっと待ち望んだその存在を。
パウロには渡さない。絶対に!!
「逃げないと……許さないからね」
レイナはルーファに話しかけると同時に走り出し、腕を組み2人の様子を眺めていたパウロ目掛けて手に握っていた土を投げつける。
ルーファは泣きじゃくりながら空へと舞う。だが……伸びてきた手がその髪を掴んだ。
「逃がすわけないだろぉ」
そのまま地面へと引き倒され、背中を踏まれるルーファ。背骨が軋み激痛に呻きながらもルーファの目は一点へと向いている。
――地面に転がるレイナの首へと
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
狂ったように叫び続けるルーファをパウロは嗤いながら眺めている。やがてそれにも飽きたのか暴れるルーファの項に短剣が宛がわれ一気に下へと引き裂かれる。破られた服がヒラヒラと舞い、血が辺りを汚す。
パウロがつけた傷が瞬くうちに消えていくのを確認し、彼は残忍な笑みを浮かべる。これならば、多少乱暴に扱ったところで壊れまい、と。
彼は手を伸ばす……幼き神獣を汚すために。




