忍び寄る魔の手
ルーファは可愛いものが好きである。
部屋の中には竜の顔を模したクッション――勿論、デフォルメされた可愛いもの――にキラキラした小物入れ、枕元にはぬいぐるみが置かれている。いつもはズボンにシャツ、フード付きマントといった冒険者スタイルだが、実際はリボンやフリル、レースがあしらわれた服にも興味津々だ。ちなみに、こういった可愛らしい物が女性向けの商品だとは未だに気付いていない。
レイナの瘴魔病を治したことでラプリツィア商会の永久無料会員になったルーファは、同系列の店で買い物をしても料金は全てタダである。ルーファのギルドカードが登録されており、支払い時にそれを識別版にかざしても料金が引かれることは無い。
さすがに悪いかなと思ったルーファは辞退しようとしたのだが、アイゼンに押し切られたのだ。最初は遠慮しがちに購入していたが、最近では色々買い揃えている次第である。
最近のルーファのマイブームはバスセットだ。様々な種類の入浴剤に、毛が痛むことのない神獣には必要ないトリートメント、そして湯船に浮かべて遊ぶ玩具等々。その中でも特に気に入っているのが泡入浴剤とバスボムである。
ちなみに大浴場のお湯を“神獣の気まぐれ”に変えて以降、出入り禁止になっているルーファは自室にあるお風呂を使用している。屋敷の主たるルーファの部屋に備え付けられたお風呂もそれ相応に広く、入浴の際は子狐の姿でバシャバシャ泳いで遊んでいるのだ。
そんな訳で最近ではルーファの趣味に買い物も付け加えられたのである。
今日はミーナとレイナの3人で色々と見て回る予定だ。勿論、案内役はこの街に詳しいレイナである。
「はじめましてレイナさん。ミーナと言います~」
「レイナでいいわ。私もミーナって呼ばせてもらうから」
「ふふっ、レイナちゃんって呼ばせてまらいますね~」
挨拶も終わりルーファは意気揚々と歩き出す……が、何故か両側から手を繋がれる。捕獲されたルーファはそのまま2人に連れられて歩き出した。まずは、服屋から見て回る予定だ。
案内されたのはラプリツィア商会が運営している小洒落たお店。入店と同時に奥の部屋へと案内され、茶菓子が供される。
「こちらがカタログになります」
慣れた様子でカタログを受け取り、ページを捲り始めるルーファにレイナ。2人とは対照的にミーナはそわそわと落ち着きがない。場違い感が半端ないのである。
普通は店頭にある服を物色し、気に入った物をレジで精算するものだ。
しかし、特別な客のために用意されたこの部屋は違う。カタログで好きな服を選ぶとそれを店員が運んでくるシステムとなっているのだ。室内には姿見と衝立が用意してあり自由に着替えができるようになっている。目の前に並べられた茶器もどこか上品で高級感が漂っているように思えるミーナである。
「レイナちゃんはともかく、ルウちゃんもやけに慣れてないですか~?」
ひょっとすると前にも来たのでは、と思い質問してみるミーナ。カタログに目を通していたルーファは小首を傾げ、不思議そうにミーナを見つめる。
「オレは昔からカタログで買い物してたんだぞ。ミーナちゃんはしないの?」
「私は庶民育ちですからさすがにないですよ~」
そういえば神獣だった、とミーナは苦笑する。
「もしかして、ドララのカタログ通販!?」
話を横で聞いていたレイナが興奮した様子で身を乗り出す。
「そうだぞ。世界中のグルメをそれで取り寄せてたんだぞ」
「いいな~。カサンドラには無いのよね」
レイナが聞いた噂によれば、品揃えが豊富で品質も厳選されているとか。現地で購入するよりかなり高めの金額設定になっているが、これは仕方のないことだと言える。
ドララとは100年程前に設立された世界初の通販企業である。
ドラグニルの国有企業で、アグィネス教信仰国以外の国には支店があると言っても過言ではない程手広く展開している。好敵手となる企業もおらず未だ独占している状態だ。
何故この状態が100年もの間続いているかというと、運搬の問題である。この世界に於いて流通の要は短距離転移陣。飛行機どころか鉄道といった運搬手段もないのだ。いや、以前開発はされたのだが……それが運用されることは無かった。
まず大型の乗り物には強い魔力を秘めた魔石を要する。そして、この魔石の魔力が魔物を引き寄せるのだ。
昔、原魔の森に面していない国が飛行船の開発に乗り出したことがあった。原魔の森から遠ければ魔物も寄って来ないだろうという考えのもと研究は進み、ついに完成へと至ったのだ。
そして新技術に大いに沸く民衆と野望に燃える国を嘲笑うかの如く……それは起きた。原魔の森から魔物が溢れ出し、その国を目指して進行を開始したのだ。途中にある国を滅ぼしながら。
人為的な魔物暴走。未だかつて類を見ない程の大規模侵攻に人種は為す術無く蹂躙され、最終的にドラグニルの竜王軍により鎮圧された。その時滅んだ国は3か国、被害を被った国は10か国以上に及び、それ以降大型の乗り物を開発することは禁忌とされている。
では、どうやってドラグニルはそれを成したのか。それは……国で厳重に管理されている長距離転移陣の存在。ドララは国家事業、国家間の取引では長距離転移陣が使用可能なのである。
しかし、これは他国が真似しようと思ってもできるようなものではない。ドラグニルが世界随一の超大国でその影響力が世界中へ及んでいるために出来たことだと言える。ドラグニルの要請を断れる国などあろうはずがないのだから。
こうしてドラグニルは潤沢にある資金を惜しみなく使い、流通網を構築した。長距離転移陣がない国には技術者が派遣されたほどだ。
何故、ドラグニルがこれほど通販事業に力を入れたのか。
それは彼らの王から下された命を遂行するため。
ヴィルヘルムは神域から出すつもりのないルーファのために、せめて世界各地の名産を自由に購入できるよう手配したのである。ただし、外に興味を持つのを防ぐため、ルーファ専用のカタログには食べ物しか載っていないが。
こうしてルーファのために国家一大プロジェクトが勃発したのだ。
余談だが、記念にとセルギオスに頼まれてドララという名を考えたのはルーファである。
ドララ設立の原因が目の前にいるとは露知らず、次々に服を選んでいく2人。知らないとは幸せなことである。
レイナがふとルーファの選んだ服を見て、驚きに目を見張った。
「ちょ、ちょっと!それワンピースじゃない!」
青色の少し大人っぽいワンピース。普通であれば問題ない。問題ないのだが……ルーファは男の子のはずだ。
「ダメなの?」
可愛らしく首を傾げるルーファに、問題ないのではと思いかけたレイナだったが、慌ててその考えを否定する。大分ルーファに毒されているようである。
「ダメに決まって……もがっ!」
「レイナちゃん少しお話が」
ミーナに連行され部屋の片隅で何事か話し合う2人。やがて戻ってきたレイナは謎は解けたとばかりに清々しい顔をしていた。
「これ着たらダメなの?」
心配気に再度質問するルーファにレイナは満面の笑みで答える。
「いいに決まってるじゃない!これとこれなんかどう?ルウに似合うと思うわ」
そう言って次々に可愛らしい服を紹介していく。
現在のルーファの服装は短パンに黒のタイツとロングブーツを合わせ、上衣は戦闘の邪魔にならないようにと、ぴったりとした物を選んでいる。左肩から胸にかけて一部刺繍が施されており、それがシンプルな中に華やかさを演出している。マントも紺色のお洒落なものへと変わり全体的に可愛らしい雰囲気だ。
「マントを取った方が可愛いのに……」
通りを歩きながらレイナが無念そうに呟く。せっかく選んだ服がマントに隠れて見えないのだ。
「仕方ないですよ~。こうでもしとかないと冒険者が寄ってきてしまいますからね~」
ミーナの声はぞっとするほど冷たい。
ソーンから自分たちがいない間、ルーファがどのような扱いを受けていたか聞いたためだ。アイゼンのお陰で現在は表立ってトラブルは起きていないが、今でも陰で悪く言われているのをミーナは知っている。
更に言えば、同じ定期部隊で一旗揚げようとカサンドラへやって来た冒険者――ルーファが光魔法士だと知っている――がコソコソとルーファに接触しているのも気付いている。声を掛けるなら堂々とすればいいのだ。それを……自分たちの保身を優先してのその行動にミーナは怒り狂っていた。ミーナの中でカサンドラの冒険者への評価は限りなく低いのだ。
冷気を放つミーナにレイナは顔を引きつらせ、心なしか護衛達――本日はブルドラン、ククリ、フィルマ――の足取りも重くなったように感じられる。
ルーファはというとマントには虫よけ効果があったのか、と感心しながら裾を弄っていた。
「……んっ?」
突然、違和感を感じたルーファは辺りを見回す。
賑わっていた商店街に沈黙が訪れる。通りを歩く人々も店先で声を張り上げていた店員も、そして隣を歩いていたミーナとレイナも……全員が止まっている。
ある者は手を振り上げたまま、ある者は笑顔のままで。何もかもが停止した世界の中でルーファだけが動いていた。
「みんな!みんなどうしたの!?」
ミーナの手を引っ張り、レイナを揺さぶる。何の反応も示さない彼女たちにルーファは恐ろしくなる。自分だけが世界から切り離されたような気がして、ルーファは無意識に後ずさった。
コツン……
その時、ルーファの足に当たった小石がコロコロと転がっていく。風で揺らめく垂れ幕に目を止め、次いで辺りに漂う甘いお菓子の香りに気付く。
(違う……時が止まっているわけじゃない)
狐耳を澄ませば遠くから人々の喧騒の声が聞こえる。
ルーファは弾かれた様に、動いている人を求めて走り出しす。
「誰かっ!誰か助けて!!皆が……」
「おやおや、光魔法士だと思っていたけど固有魔法士だったんだね」
静寂の中、嘲笑うかの如く響いた声を最後にルーファの意識は闇に閉ざされた。
「おい、この女はもらってくぞ」
「いいのかい?そんな勝手をして」
レイナを担ぎ上げたパウロに灰色のフードを被った男が困ったような声を出した。
「ミミクさんが御望みなんだよ」
「僕が欲しいのはこの子だけ。後は君が好きにすればいい。責任は取らないけどね」
フン、と鼻を鳴らして歩き出したパウロの後を、肩を竦めた男が追っていく。その手にルーファを抱きかかえて。
◇◇◇◇◇◇
――迷宮32階層――
ボス部屋のボスの上に腰を下ろし2匹の鬼が休息を取っていた。この部屋から彼らが移動しない限り新たな攻略者は入れないため姿を見られる心配がないのだ。
既に3日迷宮に潜っているにも係わらず、31階層から探索を始めて未だ2階層しか進めていない。それには訳がある。彼らが捜しているのは隠し階層なのだから。
隠し階層とは迷宮から稀に発見される広大な空間のことを指す。森林に草原、洞窟といった階層によって千差万別な特色を有している。ただし、隠し階層に金銀財宝が眠っているかといえば、そうではない。この階層の最大の特徴は魔物が一切侵入できない、それ自体が安全領域となっていることだ。
階層に鉱山があれば安全に採取でき、条件が整えば作物すら育てられるため住むことも可能だ。故に階層自体が宝だと言ってもよいのだが……中にはマグマなどの危険地帯もあり一概にそうとは言い切れない。
迷宮内に生贄を捧げる祭壇があると仮定して、彼らが行き着いた答えが隠し階層。
禍津教は生贄を捕らえ、ただ殺すだけではない。その前にありとあらゆる方法で心と身体を汚すのだ。果たしてそんなことが危険な迷宮内で出来るのか。答えは否だ。だが……隠し階層ならば話は別だ。生贄を捕らえ拷問する場所の確保も、死体の処理さえ容易に行える。
これならば今まで誰にも知られることなく活動できたことにも納得がいく。謎なのはミミク・タランチェの商会を含め、街中で行方知れずになった者がいることだ。迷宮内で攫った方が遥かに簡単で、足が付きにくいというのに。
彼らは隠し階層を見つけることを目的としているが、実際に探しているのはそこの出入り口を守っている人間である。さすがに秘された階層の入り口をそう簡単に見つけられるとは思っていない。例え黒鬼が持つ暗殺魔法に〈看破〉が内包されていようとも。
「どうする?一旦戻るか?」
赤鬼の問いに黒鬼は逡巡する。普段であればもう数日は籠っているのだが……ルーファの存在が迷いを抱かせる。狙われるのではないか、その思いが捨てきれないのだ。
光魔法士を狙えば禍津教――それも本部――の存在が世間に知れる可能性が高い。
それは孤立したカサンドラに於いて致命的だといえる。何せ何処にも逃げ場がないのだから。果たして今まで慎重に行動してきた邪教徒共がそんな愚を犯すだろうか。理性ではそう分かっているのだが……嫌な予感がしてならない。
「……戻ろう」
音もなく立ち上がった彼らは、そのまま迷宮を後にした。




