恋とはなんぞや
ルーファは物憂げにほぅっとため息を吐き、読んでいた本を閉じる。ミーナから借りた恋愛小説だ。
(世の中にこんな素晴らしい本があったなんて……)
感動の余韻に浸りながらも、ルーファは恋についてつらつらと考える。自分も恋がしてみたいが、如何せんどうすればいいのかが全く分からない。暫く思い悩んでいたルーファだったが、何かを思いついたのか決然と顔を上げた。そう、難しく考えるからいけないのだ。実践あるのみ。
ルーファは恋を見つけるべく扉の外へと踏み出した。
ルーファが廊下を歩いていると前方にゼクロスを発見する。
「ゼクロス~。しゃがんで!しゃがんで!!」
走り寄るルーファに笑顔で挨拶をしたゼクロスはルーファの要望通り腰を落とす。
……ちゅっ
ゼクロスの唇を奪ったルーファは、硬直している彼を気にすることなく次なるターゲットへと向かう。
「ミーナちゃん!おはよう!!」
「ルーファちゃん、おは……ちゅっ……」
挨拶を返すミーナの唇を塞ぎ、ルーファは走り去る。呆然とするミーナを残して。
「バーン君!トウゾック~!!」
食堂で談笑している二人に近づくと、振り返った彼らにそのまま噛みつくようなキスをする。さすがにバーンは呆然とすることもなく、次なる獲物を探すルーファの手を掴む。ちなみにアイザックは手で口を押え、顔を赤らめている。
「待て待てっ!何処へ行くつもりだ」
「ソーンたちにキスしてくるんだぞ」
何故か悪化しているルーファの症状にバーンは頭を抱える。一体ミーナはどんな本を与えたのだろうか。
朝食を取るつもりであったが、この危険物を放置するわけにはいかず、一旦部屋へと戻る2人。そこへ正気に返ったゼクロスとミーナが合流する。
「ルーファ、何でキスして回ってるんだ?」
扉を閉めるや否や、早速問い詰めるバーンにルーファはしたり顔で頷く。
「うむす。オレは恋を探してるんだぞ」
そう言って取り出したのはミーナから貸してもらった本である。
「この指南書によれば、恋とは甘酸っぱいものなんだぞ。そして……キスもまた甘酸っぱいそうなんだぞ。ズバリ、キスの味が甘酸っぱい相手こそがオレの運命の人……恋の相手だ!!」
(……まさか、味覚で恋の相手を探していたのだろうか)
その時彼らは悟った。ルーファは常識の無さが問題なのではなく、思考回路が変なのだと。
「ルーファ、よく聞いてください。恋とは感情に由来するものなのです。甘酸っぱいキスが恋なのではなく、相手を特別に思ってるからこそ、キスが甘酸っぱく……特別に感じるものなのです」
「えっ!?じゃあキスしても分からないの?」
「そうですよ~。それにキスは特別な相手とするものですから、誰彼構わずしたらダメですよ~。ルー
ファちゃんは可愛いですからね、世の中には変態もたくさんいるから気を付けないといけませんよ~」
何故かバーンを見つめながら言い切るミーナ。バーンは涙目である。
「知らなかったんだぞ。みんな、ごめんなさい」
ルーファはキスして回ったことを謝り、気を取り直して1人1人に好きな人がいないか質問する。
ゼクロス、バーン、アイザックの特にいないという返答にがっかりするルーファ。
「ミーナちゃんはいないの?」
「いますよ~」
「いるの!?誰?誰なの?」
ルーファはキラキラした眼差しをバーン達3人に向ける。この中の誰なのだろうか。
「もちろん英雄王ガッシュです~!!」
拳を握り、言い切るミーナにルーファはハッとする。
「ま、まさか、この胸の内に溢れる英雄王ガッシュへの想いが恋なのか!?」
「そうです!その通りですよ~!!」
衝撃がルーファを貫き、感動に打ち震える。知らなかった……自分は既に恋をしていたのか。
「ミーナちゃん!!」
「ルーファちゃん!!」
手を握り抱き合う2人。
「食べに行きやすか……」
疲れたようなアイザックの声に全員が立ち上がり、食堂へと向かう。始終ポーカーフェイスを貫いていたバーンの足取りは安心したように軽やかであった。
◇◇◇◇◇◇
「ねぇねぇレイナちゃん、好きな人いるの?」
レイナの屋敷へ遊びに来ているルーファは、最近のマイブームである恋バナを振る。
「う~ん、特にいないけどルウはどうなの?」
友人とする初めての恋バナに、レイナは内心ドキドキしながら答える。
「うむす。オレは英雄王ガッシュが好きなんだぞ!」
「……いや、それは恋じゃないでしょ。というかルウはガッシュ陛下にお会いしたことあるの?」
「本の中のガッシュには会ったことあるんだぞ」
レイナは話にならないとばかりに首を振るが、気になっていたことを聞くチャンスだと思い直す。
「ルウは女の子よね?」
「男の子だぞ」
「……いい加減本当のこと話したら?」
レイナは腹立たしさにルーファのほっぺを抓る。格闘の末、どうにかレイナの攻撃を脱したルーファは叫ぶ。
「本当だもん!オレは男の子なんだぞ!!おち〇ぽついてるんだぞ!!」
ズボンを脱ごうとするルーファにソーマが慌てて止めに入る。その様子に信じられないような思いでルーファを見つめるレイナ。
「嘘でしょ?じゃあ何でガッシュ陛下が好きなのよ。陛下も男性よ」
「ダメなの?」
小首を傾げるルーファにレイナは知識の無さを悟った。
「あ・の・ね!恋は女と男がするものなの!!男同士はしないの!!」
レイナも一応知識の上では男同士で愛し合う者もいる、というのは知っている……というか、何を隠そうレイナは隠れBLファンなのだが、ここでは言わないでおく。
「えっ!?じゃ、じゃあオレのこの熱い想いは何!?」
「はぁ、それは憧れね。恋じゃないわ。そもそも一度も会ったことのない人に恋なんてできるわけないじゃない」
レイナの言葉にショックを受けたルーファはソファーへ突っ伏した。
(……何と言うことであろうか。英雄王ガッシュがオレの運命の人だと(勝手に)思っていたのに!)
そしたら、ガッシュの部屋に(勝手に)住み着いたり、庭に(勝手に)神域を作っても怒られないはずである。なのに……いや、きっと大丈夫だ。恋人がダメならペットになればいいのだ。元々そのつもりだったのだから。で、でもガッシュが既にペットを飼ってたらどうしよう……。
クッションを抱きしめ悶々と悩むルーファに、レイナはアドバイスする。彼女も恋などしたことないのだが。
「そんなに焦る必要ないんじゃない?恋なんてしようと思ってもできるものじゃないし、案外今まで会ったことのある人が運命の人かもしれないわよ?」
「運命の人って分かるものじゃないの!?」
「パパとママは幼馴染だったけど、好きになったのは成人してからだって言ってたわよ。ひと目で恋に落ちる人もいるから一概には言えないけどね」
「気付かなかったらどうしたらいいの!?無くなっちゃうの!?」
ばね仕掛けの人形のような勢いで起き上がり、そのままレイナに詰め寄るルーファ。
「それは運命の人じゃなかったってことじゃない?」
最早レイナの返答も適当なものへと成り下がっている……が、その言葉はルーファの胸にストンと落ちた。
(……良かったんだぞ)
ルーファは安堵する。もしかしたら、気付かずに失くしてしまったのではないかと心配したが、宝石はちゃんと自分の手の平に残っているのだ。残っているのならば安心だとルーファは思う。いずれ見つけることができるのだから。
突然ご機嫌におやつを頬張り始めたルーファを訝しく思いながら、レイナもそれを口にする。話題は自然と食べ物の話へと移り、2人の話はルーファが帰るまで途切れることなく続いた。
夕闇の中、レイナの屋敷からルーファを乗せた魔獣車が出立したのをジッと見つめる2対の目があった。
漆黒のフード付きコートに身を包み、鬼の仮面を被った2人の男。赤鬼と黒鬼だ。
黒鬼は今まで〈分身〉を影へと放ち情報収集に努めてきた。迷宮は特殊な空間のため、そこへ潜っている間はさすがに無理だったが、それでも黒鬼が眠っている間も絶え間なく情報を集め続けた結果……成果なし。
アイゼンの情報を元にミミク・タランチェを張っていたが、特に行方知れずになった者もいなかった。“至高の力”のパウロとの接触は確認できたのだが……それだけだ。迂闊にタランチェ商会に潜入はしていない。
仮にそこが禍津教の本拠地だとすれば、他にも固有魔法士がいないとは限らないからだ。特に厄介なのは探知系の権能を持つ者だ。黒鬼の〈気配完殺〉を見破られないとも限られないのだから。敵の戦力を確認できるまでは慎重にいかねばならない。出来れば、固有魔法士の数と大まかな権能を知りたいところだが……パウロの権能すらも把握できていないのが現状だ。
単純そうに見えた男だが、他の冒険者へ探りを入れた時もその力を知っている者はいなかった。しつこく聞いて怪しまれる訳にもいかず、本当に知らないのかは此処へ来て日の浅い彼らには分からないが。
屍骸肉塊との戦いで黒鬼の〈分身〉を大勢の人間に目撃されたのも痛手であった。これで迂闊に〈分身〉を使えなくなった。似た系統の固有魔法の中には同じ権能を内包している場合もあるが、〈分身〉はその中でも珍しい類に入る。獲物を罠にかけるまでは知られる訳にはいかない。
だがそうなると使える手段が限られ、それが調査を難航させている。リーンハルト内であればまだ協力者の存在があったのだが、カサンドラではそれも望めない。
そこで彼らが目をつけたのがアイゼン・ラプリツィア――甥を殺され、ミミク・タランチェに恨みを持つ男。ルーファが懐いたことで彼の人となりは保証されたと言ってもよい。協力者とするのにこれ程打って付けの相手はいない。
「オレが行く。お前はここで待機してろ」
「しくじるなよ」
黒鬼が身を翻し、闇へと消えた。
普段から全くの別人を演じている黒鬼とは違い、赤鬼は素のままだ。知り合いの前に姿を現すのは、常にバレる危険を伴う。
今の黒鬼の姿を見ても“アイザック”と同一人物だと思うものはいないだろう。普段丸められている背は伸ばされ、一回り背が高くなったように感じられる。間抜けな雰囲気は鳴りを潜め、まるで鋭利なナイフのようだ。
さらに、彼らの素顔を隠すための仮面は特別製だ。〈視野確保〉〈遠視〉〈暗視〉〈呼吸補助〉の魔法がかけられている。この内の〈呼吸補助〉は水中での呼吸を可能とし、毒を防ぐ効果もある。更に正体が知れるのを防ぐため〈声変換〉も内装されているのだ。
ルーファを見送ったアイゼンは自室でのんびりと寛いでいた。レイナの病気の件が解決したこともあり、久しぶりに秘蔵の酒でも飲むか、と隠し棚を開ける。隠し棚をわざわざ作り、その中に入れているのは気分である。浪漫というやつだ。
酒を手に取り振り返った彼が見たものは……鬼。小さく悲鳴を上げて、アイゼンは手に持った酒を取り落とす……が、背後から伸ばされた手がそれを掴む。
「いい酒だな」
耳元で囁かれる男の声にアイゼンは身体を震わす。前方からゆっくりと歩み寄る鬼を凝視するアイゼンの肩に、背後から手が置かれる。
――2匹の鬼
アイゼンはソレに心当たりがあった。いや、知らぬ者などいはしないだろう。
“復讐鬼”赤鬼と黒鬼。
確かに商売柄、多少は汚いこともしてきたが、節度は守ってきたつもりだ。それなのに何故……アイゼンの背を恐怖が這い上がる。何より彼を絶望させるのは、この鬼は家族もろとも犯罪組織を一網打尽にすることで有名だ。彼の愛する一人娘までも。
(……何としてもレイナだけは逃がさなくては)
声さえ届けば優秀な護衛がどうにかするだろう。彼は叫ぶべく息を吸い込むが素早く伸びた手がその口を塞いだ。
「おっと、声をあげるな。殺しはしない」
その言葉と同時に背を押され床へと転がるアイゼンを、もう1匹の鬼が掴みソファーへと投げつける。
アイゼンはソファーへと腰かけながら胸を撫でおろす。どうやら自分は彼らの標的ではないようだ。だが犯罪者を専門に狩るとはいっても、彼らもまた犯罪者。油断はできない。アイゼンは1つ深呼吸をし、背筋をしゃんと伸ばした。
「私に何か御用ですかな?」
「さすがはアイゼン・ラプリツィア。話が早い」
アイゼンの目の前に1匹の鬼が座り、彼の背後に逃がさぬとばかりにもう1匹が立つ。
「……ミミク・タランチェ。心当たりはあるな?お前が常に見張りを付けている男だ」
驚愕に目を見開くアイゼンに鬼は薄く笑う。
「見張っているのがお前だけだと思わないことだ」
「彼が何か……犯罪に関わっているので?」
鬼は暫し考える素振りを見せた後……嗤う。仮面に隠れその表情を覗うことはできないが、確かに嗤ったとアイゼンは感じた。そして……空気が変わる。濃密な殺気が辺りに充満し冷気が漂う。
「禍津教。その本部がここにある。だが……ミミク・タランチェが本当にそうであるかは不明だ。さて、そこで質問だ。オレ達に協力するか否か。返答は?」
「断れば殺されるのですかな?」
「殺さない。だが話せば殺ス。オレ達を妨害する者は誰であろうと殺ス」
アイゼンは目を瞑る。
思い出されるのは甥のこと。弟子にしてくれと押しかけて来た強引でどこか憎めない愛すべき甥。レイナの誕生日には少ない給料をはたいて、質のいい治癒石を毎年贈ってくれた優しい男。決して……決して殺されていいような男ではなかったのだ。アイゼンに迷いなどあるはずもない。
「協力致しましょう」
「首尾は」
「上々」
待機していた赤鬼に黒鬼は先程の会話を聞かせる。
「パウロの固有魔法は“領域”か」
「本人がそう言っていたらしい。正確には「オレの領域に入った者は全員死ぬことになる」だったか」
「空間系か。やっかいだな」
「恐らくは領域内に限り強い力を発揮する類の権能だろう。暫くは近寄らない方がいい。もしかしたら、解析系も内包している可能性がある」
もし解析系を内包しているのであれば赤鬼と黒鬼の正体どころか、彼らの固有魔法までもが丸裸になるということ。ただでさえ戦力面では圧倒的に不利なのだ。対策を取られかねない愚を犯すつもりはない。
彼らの目は自然と迷宮へと向けられる。禍津教には必ず生贄を捧げる祭壇がある。彼らはそれが迷宮にあるのではないかと睨んでいた。
しばらくは“赤き翼”としての活動はない。街での情報収集はアイゼンに任せ、彼らは迷宮を探索する予定だ。
以前、迷宮へと潜るパウロを付けたこともあったが……転移結晶が曲者だ。転移陣が起動された際、共に移動しない限り何階層に行ったのか分からないのだ。そのためには使用者の身体に触れる必要がある。パウロの権能のこともあり、当面はパウロを直接張るのは見送ることに決まった。
アイゼンに聞いたパウロの目撃情報は30階層~70階層。彼らは30階層~40階層の間に何かあるのではないかと睨んでいる。パウロの実力的に見て、難易度が低すぎると判断したためだ。深層の方が遥かに稼げるのだから。
瞬き1つの間に彼らの姿は消え、そこには夜の闇だけが広がっていた。




