赤鬼と黒鬼③
バーンとアイザックそしてミーナ。彼ら3人のパーティが名を得たのはミーナが加入して半年以上が経過した頃であった。
ミーナとしては最初から名がないことに不満ではあったが、新参者であるという自覚があったためにそれまで我慢していたのだ。彼らに慣れたこともあり、パーティ名を決めようという話しになったのだ。
英雄王ガッシュに憧れているミーナの希望は“黒き狼”であったが、これにバーンが反対した。バーンはヴィルヘルムに憧れてはいたが、この時まで彼を指す名をパーティ名に付けようとは思っていなかった。不敬であると感じたためだ。
では何故反対したのか。それは……嫉妬。愛する女が憧れの男を指す名をパーティ名に付けたくなかったのだ。バーンのせめてもの意地である。
ジャンケンで勝利したバーンにより、彼らのパーティ名は“赤き翼”に決定した。
ゼクロスが加入してきたのはそれから1年以上経った頃のこと。
表向きは善良な冒険者を演じていた彼らに、国とギルドからゼクロスを紹介されたのだ。
これは彼らにとって幸運であった。光魔法士の加入とは即ち、国からも信頼されているということに他ならないのだから。自分達へ捜査の手が伸びる確率が殆ど消えたと言っても過言ではない。懸けられた賞金の低さから、彼らも国が本気で自分たちを捕らえる気がないということは察していたが、それでもゼロではないのだ。保険は多いに越したことは無い。犯罪者はまだまだ溢れているのだから。
誤算があったとすれば、金銭管理に厳しいゼクロスに小遣いを減されたこと位だろうか。これにより遣り繰りが一層厳しくなった。
それからも変わることなく2重生活は続いた。
時には犯罪者から巻き上げた金を使い、装備を整えながら狩りを続けた。
ゼクロスは光魔法士なだけあり、見かけによらず優しく気のいい男だった。男嫌いのミーナが彼にだけはあっさりと気を許したほどに。それがバーンには悔しくもあったが、ゼクロスとならミーナは幸せになれるのではないか、という思いもあった。
バーンは遠くから仲良く買い物や料理をする2人を見守った。いつしか嫉妬は鳴りを潜め、これでいい、そう思えるようになった。
彼らはもう引き返せぬところまで来ている……いや、引き返す気など毛頭ない。そんな生温い感情であったのならば、端から修羅の道に堕ちたりはしないのだから。
ミーナがカサンドラへ行きたいと言い出したのは今から1年ほど前のことだ。
依頼には事欠かず、迷宮から産出される魔法のかかった武器は確かに魅力的ではある。だが、彼らは当初その意見に渋った。なぜなら、カサンドラは人口が少なく孤立した国だからだ。カサンドラで“復讐鬼”として動けば、その分彼らの正体が知れるというものだ。
風向きが変わったのは、リーンハルトの地方都市で“禍津教”の支部を殲滅した時。
禍津教――それは汚染獣を信奉する邪教徒の集団。汚染獣こそ古き時代を終わらせ、新しい時代を運ぶ神の使徒であると妄信する狂信者共。奴らは清き者を攫いあらゆる方法で汚す。
光魔法士に憎しみを植え闇へと堕とし、清い身体を凌辱し絶望を与える。心根が美しき者を拷問し歪ませ、最後には汚染獣へとその穢れた生贄を捧げるのだ。
彼らの標的の最上位に位置する犯罪者の中の犯罪者。その本部がカサンドラにあるという情報を得たのだ。瘴気溢れる荒野の中に位置し、汚染獣を信奉する禍津教には確かにお似合いの場所である。
彼らは迷うことなくカサンドラへ向かうことを決意する。それが彼らの存在意義なのだから。
犯罪者は迷宮で処理すればいい。迷宮で死んだ者は迷宮へ吸収されるのだ。そうすれば、自分たちの正体もある程度は誤魔化せるだろう。
カサンドラへ向かおうとした矢先、今度はミーナが北上するならついでにフォルテカ公国へ行きたいと言い出した。確かにフォルテカもカサンドラもリーンハルトの北部に位置するが……それは東と西で方向が逆だ。魔道具マニアの彼女は、その研究に力を入れるフォルテカへどうしても行ってみたかったのだ。
ついにはバーンが折れ、先にフォルテカへ向かうこととなった。惚れた弱みというやつである。
フォルテカの地方都市シルキスへの護衛依頼を受けたバーンにアイザックは激怒し、この後相当嫌味を言われることになったが……これは自業自得である。
そして運命の日がやって来る。
ルーファとの出会い。
それが彼らの運命の分岐点。
当初は光魔法士をカサンドラへと送る、少し変わった護衛依頼であると認識していた。
バーンとアイザックが自分の心の変化に気付いたのは、国境の砦で起きた奇跡の後。
憎悪が……小さくなっている。ルーファの癒しの力が無意識に彼らへと流れ、その心を少しずつ少しずつ癒していたのだ。それが〈浄化ノ光〉を浴びることで一気に表面化した。
これに彼らは焦った。
このままでは戦えなくなるのではないか、そう感じる程の劇的な変化であった。一時はルーファを殺すことも視野に入れたが……それは出来なかった。神獣だと知ったからではない。彼らの傷にまみれた心がルーファを求めたのだ。乾いた大地に水がしみこむように、彼らの暗く澱んだ心が温かな光に包まれる。満たされることのない飢餓が癒え、内から溢れる狂気が凪ぐ。
特に変わったのはアイザックだ。
狂気以外の感情がその目に宿る。アイザックがルーファを見つめるその目は、愛おしさが垣間見える。張り付けたような“アイザック”の表情に本来の彼が顔を覗かせる。
ルーファは似ていた。アイザックの妹ミシェルに。その容姿がではない。天真爛漫で屈託のない性格と偶に見せる小悪魔的な振る舞いが。
ルーファは意識することなくアイザックの心にするりと入り込む。時に彼に甘え、いじけてみせ、おねだりをする。彼に抱きつき、手を引き、笑いかける。
アイザックもそれに応えるかのようにルーファに触れる。人との接触を避ける彼から触れるなど、以前なら考えられない事であった。ルーファの頭を撫で、弓を教え、守ろうとする。
その過程でアイザックは失った様々な感情を取り戻した。怒り、悲しみ、喜び、そして……愛を。
バーンはその様子を歓喜と共に見守る。
子供の頃は無邪気に信じれた未来と言うものを、彼は再び夢見るようになる。
だが……そんな彼らに再び狂気が舞い戻る。
ルーファが害されたと知ったあの日、彼らは最後の感情……“恐怖”を得た。鬼の仮面を被って以来、捨て去ったはずのその感情を狂気と共に取り戻したのだ。
激しい憎悪と絶望が心の中を荒れ狂う。
彼らは悟る、自分たちがどれほどルーファに依存していたのかを
彼らは悟る、自分たちが得たものが如何に儚いものだったのかを
砂上の楼閣の如く崩れ消え去る温もりを
マグマの如く吹き出す際限なき憎しみを
彼らは再び思い出す
彼らを現実に押しとどめたのは“希望”。
ルーファがまだ生きていると、そう願う心。
だが……もし、ルーファが消えてしまったのならば、この心のままに生きよう。破壊と死を振りまく“鬼”として。
もう二度と還ることのできない、狂気へとこの身を沈めよう。
逸る心を抑えながら彼らはルーファの痕跡をたどる。
そして……彼らは見つけた。彼らの“希望”を。
アンデッドを優しく包むその白銀色の光は、バーンとアイザックの絶望をも癒す。甘露のように甘く、清水のように清らかにその光は彼らに深く染み渡る。
ルーファを取り戻した彼らは再び安寧を得たかに思えた。だが、その心は以前と同じではなかった。
“恐怖”……ルーファを失うかもしれないという想いが、彼らの心をかき乱す。
心を捨てたはずの鬼は、いつの間にか人の心を手に入れていたのだ。
それは彼らにとって吉か凶か。
誰にも測るすべはない。
それでもバーンは思う。
ルーファに追い回されるアイザックを見て、これも一つの在り方なのだと。温かな感情も恐怖も憎悪も狂気さえも自分の一部であると。
ルーファに出会い、徐々に仮面が剥がれつつあるアイザックを見つめ、彼は願わずにはいられない。このささやかな幸福がいつまでも続くように、と。
そして彼は思い出す。竜王ヴィルヘルムとの邂逅を。
彼は絶望の果てに何を見たのだろうか。自分達と同じ光景なのか、それとも……もっと先を見たのか。どちらにせよ彼も手に入れたのだろう。この胸に宿る温かな光を。ルーファを育てたのは竜王ヴィルヘルムなのだから。
今なら彼の言った言葉の意味が分かる。その先に救いはない……その意味が。救いはもっと別の場所にあったのだから。
思えば不思議な縁である。親友を手にかけたヴィルヘルムと、姉を手にかけた自分。汚染獣を憎み駆除するヴィルヘルムと、犯罪者を憎み駆除する自分。スケールは遥かに違うが、それでもバーンはそこに共感を覚える。
果たして自分はその名を呼ぶに値する強さを得たのだろうか。
いや、きっと得てみせる。それが彼のささやかな“夢”なのだから。
最早交わることがないと思われた彼らの縁を、ルーファが再び結ぼうとしていた……
ガラガラドシャーン!!
もの凄い勢いで浴場の扉が開かれたと思うと、怒れる魔人ミーナが姿を現す。
ミーナは目ざとく転がる酒瓶に目を止め、次いでアイザックを押し倒しているルーファに目を向ける。おおよその事情を察知したミーナは諸悪の根源であろうバーンを睨みつけた。
「バーンさん、何をしているんですか~?」
ツンドラの如き冷たさでミーナは微笑む。
「お前こそ何してるんだ!入浴中の札が掛けてあっただろ!?」
「ミーナ!ルーファをどうにかして欲しいっす!!」
バーンの抗議の声とアイザックの切羽詰まった声が重なった。
ミーナの制裁対象リストからアイザックの名が消える。彼は無罪のようだ。
「ゼクロスさん、ルーファちゃんをお願いしますね~」
扉の向こうから無表情なゼクロスが姿を現し、バスタオルでルーファを包んだ後片手で抱き上げる。もう片方の手はアイザックの首根っこを掴み引き摺りながら去って行った。
浴場に残される全裸のバーンと棍を構えるミーナ。そこには恋だの愛だのといった甘っちょろい雰囲気は皆無。
「せ、せめて服を……ぎゃああああぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!」
バーンの懇願が虚しく浴場に反響する。
その後浴槽は血で染まり、誰も入る者はいなかった。
ちなみに、ルーファが長時間浸かっていたそのお湯は神獣の気まぐれへと変わっており、他の者に知られることがなかったのは、バーンのファインプレーだといえるだろう。
バーンの傷が翌朝には綺麗さっぱり消えていたことから、この事実が発覚することとなる。
アイザックは真夜中に気配を感じ目を覚ます。
それと同時に窓をカリカリ引っ掻く音が聞こえる。彼が窓を少し開けると子狐が入って来た。どうやらメーのところに行きたいらしい。彼はルーファを抱き上げると窓から身を躍らせ、音もなく地面に着地してメーの下へと向かう。
しばらくメーの毛皮に埋もれてその感触を堪能していたルーファが、やがて荒れ果てた庭と呼ぶにも烏滸がましい地面へと飛び降りた。
『今からメーちゃんのお家を綺麗にしてあげるんだぞ!』
嫌な予感を覚えたアイザックが止める間もなく、ルーファの〈豊穣ノ化身〉が炸裂する。光が広がり、止めるのが不可能だと悟ったアイザックは目を閉じる。ルーファの優しい力が自分を包み込むのを感じる。この瞬間が彼は好きだ。
ルーファは彼を否定しない
ルーファは彼を拒絶しない
彼の虚無を満たし
彼を縛る鎖を解き放つ
血に染まった彼を受け入れ
臓物に塗れた彼を抱きしめる
彼は不思議に思う。ルーファは神獣、彼の穢れた魂など疾うにお見通しだろうに。
目を開けるとそこには緑あふれる大地が広がっていた。
美しいその光景に彼は暫し見とれる。
この大地のように闇に染まった自分の魂も癒されるのだろうか。否……それはあり得ない。例え癒やされたのだとしても、彼がこれまでに積み重ねてきた業も、これから重ねていくであろう罪も消えることはないのだから。
「……何故恐れない?気付いているんだろう?オレの手が……血に染まっているということに」
ポツリと呟かれた彼の声にルーファは振り返る。そして飛翔し彼の目の前で止まると、じっとその目を見つめる。ルーファの目には、どんな感情が映っているのか。それを確認するのが恐ろしく、彼はそっと目を伏せた。
『最初は少し怖かったんだぞ。でも、今は知ってるから。2人が優しいって』
「……優しい?それは……まやかしだ」
数え切れぬほど多くを殺した彼に、これ程不釣り合いな言葉があるだろうか。吐き捨てるように呟かれた言葉に怯むことなく、ルーファは続ける。
『じゃあ、どうしてオレを助けに来てくれたの?オレが家出したのを秘密にしてくれたのはなぜ?優しくしてくれたのは嘘?』
「それは……」
“演技”そう続けようとして彼は押し黙る。本当に演技だったのだろうか。自分は“アイザック”を演じていたはずだ。だが……分からない。彼には自分が分からない。自分が誰なのか。“黒鬼”かそれとも“アイザック”か。
『オレは自分の力が嫌いだった。戦う力が欲しかった。でも……今はこの力で良かったと思う。皆を癒せるこの力が好き』
ルーファは彼に近寄りその目を覗き込む。
『2人ともいつも傷だらけ。ずっと血が流れている。
覚えてる?オレが泣いている時、皆泣き止むまで側にいてくれたよね?
オレも皆の側にいるんだぞ。辛い時、悲しい時、苦しい時、オレが側にいるから。
例えその手が血に塗れていたとしても、それは絶対に変わらない。
だから……泣いていいんだよ?辛いなら泣けばいい。悲しいなら泣けばいい。
忘れないで、貴方はもう1人じゃないということを……』
彼の目から涙が溢れる。
彼は泣けなかった。ずっと泣けなかった。
温かな家を失った時も、両親の死を知った時も、愛しい妹の最期を知った時も。
もし……自分が村を出なければ
もし……自分が側にいれば
守れただろうその命を
力が有るが故に彼は苦しむ
力が有るが故に己を責める
彼が本当に許せなかったのは……自分
声もなく哭くアイザックをルーファは優しく抱きしめる。
「大丈夫、もう大丈夫……」
幼子をあやすように、ルーファの手は彼を撫でる。ゆっくりとゆっくりと。
「バーンさん!ルーファちゃんみつかりましたか~?」
翌朝、屋敷は大騒ぎになっていた。一晩で庭が花畑へ変貌していたのだ。
だが、ミーナとゼクロスは別の意味で焦っていた。ルーファが部屋にいないのだ。現在、手分けして探している最中である。2人とは裏腹にバーンは全く焦っていない。いや、正確には先程までは焦っていたが今はそれもない。なぜなら……
「アイザックがいない。2人で散歩にでも出かけているんだろう」
バーンは今しがた出てきた部屋を目で示す。
その言葉にミーナはノックもなしにアイザックの部屋に押し入り、中を確認する。
……誰もいない。
アイザックが一緒であれば安心だと、束の間ミーナは気が抜けたように壁にもたれかかる。それからパン!と頬を叩き、気を取り直したミーナはゼクロスに知らせるべく走り去って行った。
ミーナを見送ったバーンは扉を閉め、誰もいないはずの部屋へと話しかける。
「……いるんだろ?」
いつの間にかベッドにアイザックが腰かけ、眠っているルーファの髪を弄っている。
――〈気配完殺〉
基本的に自分にしか効果がないが、相手に触れていれば数人程度なら問題なく発動する魔法だ。
「……ヤったのか?」
アイザックのベッドに眠る一糸まとわぬルーファを見て、思わずバーンは尋ねる。
「お前と一緒にするな。相変わらず低能だな」
皮肉気なアイザックの口調に、バーンはまるで昔に戻ったかのような錯覚に陥る。
呆然とするバーンを他所にアイザックの目はルーファを見つめている。その目は優しく細められ、僅かに微笑みさえ浮かんでいる。
信じられない思いでその光景を眺めていたバーンから、やがて笑い声が漏れる。
「ハッ、ハハッ!お帰り……お帰りアイザック」
手で顔を覆ったバーンは、万感の想いを込めて声を掛ける。その声は泣き出しそうな子供のように震えている。
「……ただいま、バーン」




