赤鬼と黒鬼②
バーンとアイザックは日夜犯罪者を狩っていく。
正体が知れぬようにとバーンが使うは二振りの三日月刀。そしてアイザックは死神の大鎌。
“赤鬼”と“黒鬼”の名は西部で知らぬ者がないほど轟いた。それは冒険者としてAランクへと昇りつめ、“紅蓮”と“首狩”の名を得た表の顔とは比べ物にならぬほどに世間を震撼させた。
犯罪に巻き込まれ、愛する者を失った者からは喝采と共に。
闇に堕ち、罪を重ねる者からは恐怖の代名詞として。
4年の間、只ひたすら犯罪者を追う彼らに転機が訪れる。
とある犯罪組織を潰した際に、彼らが得たのは違法な研究所の情報。
忌まわしき出来事を思い出させるその情報は、彼らの心を憎悪に染める。
彼らは即座にそこへと向かう。奴らを皆殺しにしない限り、この胸に宿る狂気が収まることはないのだから。
その研究所で行われていたのは汚染獣の研究。
手に入れた汚染獣の部位を使い、その力を制御しようというもの。
1つは、汚染獣を安全に培養する実験。
1つは、汚染獣を支配する実験。
その中には人種に汚染獣を喰わせその力を取り込む実験や、汚染獣の部位を埋め込み新たな種の誕生を目論む実験も含まれる。
かつての再現……そう思わせる悍ましき実験の数々。
途中までは順調だった。
彼らはいつもの様に全てを殺す。
誤算だったのは最後に残った研究員が、汚染獣の細胞の入った容器を彼らに向かって投げつけてきたことだ。危険を感じたバーンは、即座にそれを弾き返しアイザックを抱え離脱する。
くるくるとスローモーションのように床へと落ちた容器は砕け散り、その場に満ちる魔力を取り込むと爆発的に増殖した。そして、側にいた研究員に群がると……汚染獣へと生まれ変わる。
その汚染獣に呼応するかの如く、研究所にあった全ての細胞が蠢き集合する。そこにある死体を喰らいソレはどんどん増殖する。
1体2体、4体……8体……。
彼らは死を確信した。そして……思う。自分たちにお似合いの死に場であると。
逃げることはあり得ない。考えることすらしない。彼らは既に狂っているのだから。
彼らは汚染獣を切り刻み、切り離された部位を次々に焼き尽くす。当初はそれでうまくいくかに見えた。確かにその汚染獣はどんどん小さくなっていったのだが……周りの汚染獣は彼らが放つ魔力を吸い、みるみる力を増していった。
先に膝をついたのはバーン。
魔力配分が巧みなアイザックに比べ、彼は稚拙であった。魔力欠乏症に陥り、そこを汚染獣に薙ぎ払われたのだ。それは人が耐え得ることなき致死の一撃。だが……彼の武王魔法――〈金剛体〉と〈剛力〉――がその命を辛うじて繋ぎ止めた。
バーンを守るべくアイザックが繰る数多の〈分身〉が壁となって汚染獣の眼前へと立ちはだかる。
「立てるか?」
アイザックの言葉にバーンは震える手を伸ばし剣を掴む。それが彼の答え。折れた足で立ち上がろうとするバーンにアイザックは肩を貸す。最早邪魔にしかならない大鎌を捨て、アイザックは短剣を取り出した。
時を同じくして、汚染獣が〈分身〉の壁を突き破り姿を現し、2人は示し合わせたかの如く同時に剣を構える。否、バーンの腕は剣を持ち上げることすら叶わず、ただそれを握りしめているだけに過ぎない。だがその目は真っ直ぐに汚染獣を睨み、その闘志は衰えることを知らない。
最期まで戦い抜く――例え手足がもがれようと、例え片翼を失おうと。
それがあの日誓った約定。
汚染獣が真っ直ぐ向かって来るその様を、彼らは静かに眺めながら待つ。
(せめてあと一太刀)
汚染獣の尾が唸りを上げ、彼らに襲い掛かる。
そして……汚染獣が吹き飛んだ。
彼らの目の前に立つのは、金色の目をした美しい男。
漆黒と深紅の独特の色合いの髪を持つその男は、興味深げに2人を眺めている。
「名は?」
そう問われ、2人は現実に立ち返る。慌てて汚染獣に目を向けると、まるで羽をもがれた虫のように地面に這いつくばっていていた。
「そなたらの名は?」
再度の問いに2人は答える。“赤鬼”と“黒鬼”だと。
「バーンとアイザックではないのか?」
2人を何の感情もなく見つめる男の言葉に、警戒心が頭をもたげる。
「……誰だ」
押し殺したアイザックの声を気にする素振りもなく、男の目は汚染獣へと向けられる。その瞬間、彼らは見た。冷徹な光を宿すその目に激しい憎悪が渦巻くのを。
「警戒する必要はない。我は世界に沸いた害虫を駆除しに来ただけだ。放っておくと際限なく湧く害虫をな」
男が手を前に掲げると、一瞬辺りの景色が歪んで見える。次の瞬間、汚染獣が消滅する。まるで……初めからそこにいなかったかの如く。
その圧倒的なまでの力に驚くより先に、彼らは興味を抱いた。自分達と同質の憎悪を抱くその男に。男の言葉が自分たちの想いを代弁しているかのように感じ、共感さえ覚える。
「……その先に救いはないぞ」
ポツリと呟かれた男の言葉にバーンは反射的に言い返していた。
「承知の上だ」
「そうか……愚にもつかぬことを言ったようだ。許せ」
謝罪の言葉を意外に思いながら、今度はアイザックが男の名を問う。
「我が名はヴィルヘルム。ヴィルヘルム・セイ・ドラグニル。そなたらには竜王と言った方が通じるか?」
男――ヴィルヘルム――の言葉に思わずバーンを取り落とすアイザック。だがバーンが地に落ちることはなかった。いつの間にか側まで移動したヴィルヘルムの腕がバーンを支えていたのだ。バーンは酸欠の魚のように口をパクパク動かしていたが、仮面に隠れてその姿を晒すことはなかった。
彼らの驚きを他所にヴィルヘルムは続ける。
「我が名を呼ぶことは許さぬ。そなたらでは……まだ足りぬ。強くなれ人の子よ」
ヴィルヘルムの背に長大な翼が広がり、バーンは空の住人となる。よく見るともう片方の腕にはアイザックが抱えられている。一体どれほどの膂力なのだろうか。
瞬く間に景色が流れ、考えられぬほどの速さで彼らは街道の上へと運ばれた。
「すまぬが我は治癒石を持ち合わせてはおらぬ。ここからであれば街に近い。そなたらなら無事に辿り着けるであろう」
街道の先を指さすヴィルヘルムに、彼らは揃って礼を言い頭を下げる。彼らが頭を上げた時にはヴィルヘルムの姿は何処にもなかった。
バーンは今まで激しさと冷静さは同居しないと思っていた。バーンが動をアイザックが静を担当し、それでいいと考えていた。だが……激しいまでの荒ぶる力と冷徹な思考が見事に調和したヴィルヘルムに会い、それではいけないと考える。
思考は冷静に身体を熱く燃やす。
自分に足りないものを見据え、彼は一段上の段階へ辿り着くことになる。
この出会いがバーンを変える切っ掛けとなった。復讐しかなかった彼に新たな目標が宿ったのだ。
それは……ヴィルヘルムに会い、名を呼ぶ許可を得ること。
彼に宿った芽は、次なる出会いを経て瞬く間に成長することになる。
重症のバーンを支え、アイザックは街道を行く。鬼の仮面は既に外し影の中にしまってある。バーンの意識はすでになく、死は時間の問題だと思われる。彼らの誤算はヴィルヘルムの近くと自分達人間の言う近くとの認識の差であった。街まではまだまだ距離があったのだ。
それでもアイザックは歩みを進めた……が、彼も限界はとうの昔に超えている。至る所から出血し、いつ途切れてもおかしくはない意識を気力で繋ぎ止めている状態だ。ついには彼も倒れ、そのままピクリとも動かなくなる。
パチパチと火の爆ぜる音で覚醒したアイザックは跳ね起きると、短剣を構え周囲を確認する。
「気が付いたんですね~。良かったです~」
これが彼らとミーナの出会いであった。
街道で行き倒れていた彼らをミーナが拾い、治癒石で手当てしたのである。これにより彼らは再び九死に一生を得る。
ミーナは悩んでいた。
今まで何度かパーティを組んだが、そのこと如くが上手くいかなかったためである。原因は可愛らしいミーナの容姿と、その豊満な肉体にある。メンバーの男が毎回ミーナに迫って来るのだ。酷い時には夜中にベッドにまで侵入してきたこともある。幸いなことに全員を返り討ちにし、純潔は死守できたが。その代りに毎回パーティを追い出される羽目になった。
女性のパーティも探したが、彼女たちは友人と連れだって冒険者になることが多く、ギルドに加入した時には既にパーティメンバーが決まっているのだ。そこにミーナが入る余地はなかった。
今回は野営の最中に交際を無理矢理迫られ、逃げて帰る最中である。リーンハルト南部のこの辺りは原魔の森から遠く、魔物が少ない故の暴挙である。
その道中に拾ったのがバーンとアイザックだ。
ミーナとしては渡りに船だった。自分に恩があり、かつ話を聞けば2人ともAランクの冒険者。Aランクともなれば、その人格も査定の対象であり、冒険者ギルドから信頼されているという証拠でもある。彼女は恩を盾に自分とパーティを組んでもらえるように頼んだのだ。
この時、彼女はまだBランクではなかったが、その試験を受ける資格は既に持っていた。早々に足を引っ張るようなことは無いとう自負がある。
この提案は彼らにとっても一考の価値があるものであった。
“赤鬼”と“黒鬼”――この名は有名になり過ぎ、自分たちの髪の色も赤と黒。同じような背格好に同色の髪を持つ二人組の高位冒険者。疑ってくれと言わんばかりだ。
だが、そこにミーナが加われば話は別だ。動きにくくなるだろうが、それでも多少は疑いの目を逸らすことができるだろう。
高位冒険者ともなればその報酬額は破格だ。依頼の期間より休養期間の方が遥かに長く、狩りはその間にすれば良い。
双方の利益が一致し、彼らのパーティに新たなメンバーが加わった。
彼らはミーナの目を誤魔化すために、女と賭博に溺れる男を演じた。彼らが娼館と賭博場に通い始めたのは実はこの頃からである。だがミーナが思っている程通いつめていたわけではない。彼らには表の装備の他に裏のソレがあるのだから。装備の更新に補修……金はいくらあっても足りないくらいだ。
ミーナには2人が自堕落に過ごしていると思わせ、その間に彼らは犯罪者を狩り続ける、という2重生活が始まった。
バーンの意識が変化したのはミーナとパーティを組んでしばらくしてからのことである。
彼は……ミーナに恋をした。
裏表のない彼女にいつの間にか惹かれ、その存在に安らぎを感じるようになったのだ。
だが同時に彼は分かっていた。自分はミーナに相応しくはないと。彼の胸の内には未だに激しく燃え上がる憎悪がある。彼は……もう戻れないのだ。普通の生活に。幸福な人生になど。
(オレにその資格など無いのだから)
彼は多くを殺した。犯罪組織に関わっているとはいえ、その中には赤子もいた。だがそこに後悔はない。これこそが彼の狂気。
同時に彼は自分がこの狂気に支配されることはないと確信していた。彼はこの狂気を完全にコントロールしている自信があったのだ。ヴィルヘルムとミーナの存在が彼を変えたのだから。
だが……アイザックは未だ狂気の淵を覗き込んでいる。いつソレに飲み込まれてもおかしくない程に。
アイザックの喋り方が変わったのはミーナと出会ってから。それは狂気を悟られないための彼の仮面。いや……もしかしたらそれは、彼の生み出した別の人格なのかもしれない。
彼は誰にも心を開かない
彼は誰も愛さない
彼に言葉は届かない
彼が愛するは憎悪
彼が安らぐは狂気
彼の目に映るは犯罪者のみ
彼は殺ス、全てを殺ス
それこそが彼の生きる意味なのだから
バーンはアイザックを見捨てない。
彼と共に在り、彼と共に死ぬ。
もし彼が狂気に飲み込まれたのなら……殺す。自分がこの手で殺す。
これが彼の覚悟。
家族として親友として、バーンはアイザックの側に在り続ける。
死が2人を分かつまで。




