赤鬼と黒鬼①
バーンとアイザックはリーンハルトの南部にある人口千人程の小さな村に生まれた。
バーンの家は農家で両親と姉の4人家族。
アイザックの両親は元冒険者で彼が生まれたのを機に、何もないこの村へ越してきた変わり者である。
年が近い子供が他にいないこともあって、彼らは幼少の頃からずっと一緒に過ごしてきた。平穏に過ごす彼らに事件が起きたのは5歳の時。真実の水晶によるステータス確認の儀式で2人が固有魔法保持者だということが判明したのだ。
静かな村はハチの巣を突いたかのような大騒ぎとなった。固有魔法発現率はおおよそ20万人に1人。それが僅か人口千人程度の村に2人だ。しかも、どのような神の悪戯か、2人は同い年であった。
それから彼らの日常は激変した。
高位冒険者であったアイザックの両親に弟子入りし、毎日が厳しい稽古の連続であった。ただし、質の違いからバーンはアイザックの父親から剣を。アイザックは母親から森で特殊な訓練を受けた。お互いに研鑽を積み、いつしか彼らの夢は冒険者となって名を馳せることへと変わった。
その頃のバーンの憧れはSランク冒険者である“死神”セイ。
その圧倒的なまでの武威に憧れた。高潔に過ぎる英雄王ガッシュは自分の柄ではないし、竜王ヴィルヘルムは力の次元が違い過ぎて現実感が湧かないためである。ただ彼らの物語は面白く、欠かすことなくチェックしていた。
アイザックは英雄譚には興味がないのか、ストイックに己の技能を高め続けた。彼が読む本といえば戦略書や魔法書、さらには心理学書といった戦闘の参考になるような本ばかり。基本的にアイザックはバーンと違い生真面目なのである。
2人が8歳の時にアイザックに妹――ミシェル――が生まれた。
アイザックは年の離れたミシェルを溺愛し、暇さえあれば彼女の面倒を見るようになった。それに付き合うバーンも実の妹のように可愛がっていた。ただし嫉妬に駆られたアイザックに短剣で追い回されるというオプション付きだが。その頃のアイザックの口癖は「ミシェルに手を出せば殺す」である。幼女に手を出す趣味の無いバーンとしては実に心外である。
それからはバーンの姉が嫁ぎ、甥が生まれた以外は特筆することもなく平穏な日々が続く。
バーンとしては姪が欲しかったのだが、こればかりは仕方なしと諦めた。彼の後をよたよたと追いかける甥も十分可愛かったのだ。
彼らは13歳で冒険者登録をし、15歳で泣く泣く(主にアイザックが)村を出た。さすがに村の近辺では依頼があまりなく、ランクが上げられなかったためである。
向かったのは南部最大の港湾都市アクラム。
彼らは僅か3年でCランクまで駆け上がった。これは破格の快進撃だと言ってもよい。高位冒険者――S(英雄)、A(超一流)、B(一流)――には今一歩届かないが、それでも上級冒険者。10年以上経験を積んだベテランの冒険者がようやく到達できるのがCランクなのだから。
パーティも組んではいたが、特に名前を付けることはなかった。何せ2人しかいないのだから。新たなメンバーを募集しようかとも思ったが、同じランクの冒険者と組んでも彼らと実力の差がありすぎるため諦めた。彼らとしてはもっとランクを上げてからメンバーを募集するつもりであった。
それに、パーティを組めば自由に動けなくなる懸念もある。
彼らは故郷を愛しているのだ。1度故郷を離れれば、中々戻ってこないとされる冒険者だが、彼らは3年の間に2回も帰郷している。
アイザックは帰省中、近所の男を脅して回っていた。バーンはその様子を見て、密かにミシェルが嫁に行き遅れなければいいがと心配したものだ。
18歳の時にとある依頼を受けた。「新種の魔物を見た」という報告を受けたギルドからの周辺の調査依頼だ。何の変哲もない調査依頼だと思われていたその依頼は……悍ましき人体実験の産物であった。
彼らは森の奥で建物――研究所――を発見し、物のついでと単独でそこへ乗り込んだのだ。
その研究所で行われていたのは魔物と人種の融合。
1つは自然繁殖による融合。
〈魔物調教〉で使役された魔物を特殊な薬で発情させ、女を犯させるというもの。
1つは移植による融合。
臓器などの身体の部位を魔物と入れ替え、融合させるというもの。
1つは人の身体はそのままに、魔石を定着させるというもの。
上記の内、上2つの実験は低確率ではあるが成功していた。その内の一体が逃げ出し発見された、というのが今回の依頼のあらましであった。
男は死ぬ確率が高く、使用されていたのは全て女である。
そこで彼らが見たのは地獄であった。
魔物に犯され続ける気の狂った女たち。
下半身に触手を生やした女。人肉を貪り喰う手だけが異様に長い女。そして……肉団子の様な女。いや……それは女とすら分からぬほど醜く変質した肉塊である。頭部に生える美しい赤髪だけが唯一、人としての名残だ。
「ごろ゛じてぇ。ごろ゛じテェェェェェェェェェェ」
肉塊となり果てた女の叫ぶ姿にバーンは吐いた。
初めて魔物を殺した時も、初めて人を切った時も彼は吐かなかった。相手は人を襲う魔物であり犯罪者、これが必要な行為だと割り切れた。彼は殺すと同時に殺されるであろう誰かを救っているのだから。
だが……彼女は、彼女たちには何の罪があったというのだろうか。
吐くものが無くなってもまだ胃液を吐き続けるバーンに、青い顔をしたアイザックが歩み寄る。
「どけ。オレが殺る」
アイザックは既に研究所内の人間を全て殺しつくし、残るはここにいる異形の女たちのみ。
バーンはふらつく足で立ち上がり、アイザックを押しのける。親友1人に全てを押し付けるわけにはいかないのだから。震える剣先を彼女たちに向け何度も振り下ろす。その姿は剣を持ったことのない素人のように無様であった。
燃える研究所を見つめながら彼らは郷愁に襲われる。
(……家族に会いたい)
そうすれば、この胸の内に巣くう得体の知らない感情を消し去ることができるだろうから。
彼らは久しぶりに家族の待つ村へと足を向ける。
故郷へと帰る彼らに不穏な噂が耳に入ったのはそんな時だ。それは……盗賊が近辺の村を襲っていると言うもの。彼らの歩みは自然と早くなり、走るように村へと向かった。
今、彼らは村を見下ろせる丘の上に呆然と佇んでいる。その丘は村が一望できる彼らのお気に入りの場所。そこから見える小さいながらも活気溢れる村の景色は、無残な残骸へとなり果てている。
我に返ったアイザックが叫びながら両親と妹が待つはずの家へと向かい、バーンもつられた様に走り出した。彼らの家には火がつけられ、家の燃え滓だけが無残に残されていた。
その時のアイザックの取り乱しようは普段冷静な彼からは考えられない程であった。どちらかというと、先走るバーンを止めるのがアイザックの役目だ。
一抹の望みをかけて彼らは戸籍を管理している最寄りの神獣神殿へと向かった。生き残りがいればそこで分かるはずだと信じ。記録によれば村が襲われたのは2月近く前であった。
結果、生き残りはゼロ。
死者の名に彼らの両親とバーンの義兄と甥の名があった。だが……そこにバーンの姉とアイザックの妹の名はない。連れ去られたのだ。
彼らは即座に取って返し周辺を聞き込んだ。その結果、リーンハルトの軍に対応するかのような動きを見せていることが分かった。恐らく内部に裏切り者がいるのだろう。この情報をもとに彼らは網を張り、獲物が掛かるのを待った。
幸運にもすぐに獲物はかかり、彼らはアジトの情報を得る。
彼らは夜陰に紛れアジトへと急ぐ。もし生きているのなら時間との勝負だ。だが……本当は分かっているのだ。襲われて既に2ヶ月以上……もう再会は絶望的であると。
アジトを発見した後は速かった。彼らは固有魔法士、中級以下の魔法は全て無効化するのだから。それは一方的な虐殺。彼らは家族の行方を聞き、知らぬと分かれば即座に首を刎ねた。
分かったことは見目の良い者は売られ、そうでないものは犯され飼っている魔獣の餌にされたということ。
バーンは売却された奴隷の行き先を調べた。バーンと姉はよく似ており2人とも綺麗な顔立ちをしていたのだから。手に入れたリストで2か月前に売られたおおよその場所を知る。その中の1つが……研究所。位置も何も書かれてはいない。ただ研究所とだけ記載されている。
震える指で文字をなぞる。
思い出されるのは研究所にいた赤髪の肉塊。美しいストレートのバーンと同じ色合いをした髪をもつ醜い化け物。
バーンは記憶を思い起こす。彼女は何色の目をしていた?自分と同じ赤色ではなかったか。
そう、彼女が……彼女こそがバーンの姉。バーンに止めを求めたのは……彼が自分の愛する弟だったから。せめて家族の手で死にたいという彼女の最期の想い。
バーンの口から獣の様な雄叫びがあがる。まだ生かしておいた盗賊たちに向け、その凶刃が振るわれる。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
既に原形をとどめていない彼らに執拗に剣を突き立て、足で肉片を踏み潰す。
いつの間にか目からは止めどなく涙が流れ、口からは呪詛が絶え間なく漏れる。やがてバーンは糸の切れた人形のように蹲り動かなくなる。一体どれほどの間そうしていたのかは彼にも分からない。親友の存在がバーンを再び現実へと立ち返らせた。
(……あいつを探さなくては)
彼はのろのろと立ち上がりアジトの中を夢遊病者のようにさ迷い歩く。ようやく魔獣小屋の片隅にアイザックの姿を見つけ、近づいて行く。
アイザックはぼんやりと空を見つめていた。
その手には腐り、半ば白骨化した子供の腕が握られている。よく見れば、その腕にはブレスレットがつけられていた。ひと目で手作りだと分かるような安っぽいブレスレット。それは、アイザックがミシェルの誕生日に作ったプレゼントだ。初めて作ったブレスレットは不格好で歪な形をしていたが、ミシェルは嬉しそうに腕へとつけ笑ってお礼を言っていた。
まだ10歳だった彼女は犯され、魔獣の餌へとされたのだ。
バーンはアイザックへ近づき声をかける。
「行くぞ」
「……どこへ?もう行く場所なんてないだろう」
掠れ皺枯れた声でアイザックは答える。
「ごみ共を掃除しに。この世界にはまだ腐るほどいる。そうだろう?」
バーンの目に宿るは憎悪。それに呼応するように絶望に彩られたアイザックの目にも狂気が灯る。
「そうだな……。殺ス。ごみ共は全て殺ス」
差し出されたバーンの手を握りアイザックが立ち上がる。
――この日、復讐に燃える鬼が二匹誕生した。
彼らは闇へと墜ちる。
漆黒のコートに身を包み、鬼の仮面を被りし死刑執行人。
彼らは殺す。全てを殺す。
女であろうと子供であろうと老人であろうと赤子であろうと犯罪組織に属するものに容赦なし。
表向きは冒険者として活躍しながら、彼らは影に潜む闇の住人。
鬼の仮面
其は、心無き復讐者の証
其は、人を捨てし鬼の証
未だかつて彼らに狙われ生き残ったものは無し。
――特A級犯罪者。それが彼らの隠された正体。
法を犯した者を取り締まるはずの衛兵も、彼らを本気で探しはしない。
彼らは正義、悪の華
彼らは必悪、闇狩人
彼らは復讐鬼
“赤鬼”と“黒鬼”
闇に生きるものが何より恐れる処刑人なり