冒険者の国
迷宮王国カサンドラ――元はベリアノス大帝国の一都市であった。
荒野の中に存在するこの国は常にアンデッドと汚染獣の脅威にさらされている。さらに内部には世界最大と謳われる200層からなるカサンドラ大迷宮を有し、いつ魔物暴走が起きてもおかしくはない。
このような立地上何よりも強さを重んじる国柄であり、亜人――人族以外の種族の蔑称――を差別する余裕などなく、アグィネス教が根付く余地がなかったのだ。
英雄王ガッシュがベリアノスに反旗を翻した時、真っ先に呼応したのはカサンドラ冒険者ギルドのギルドマスターであった。冒険者を率い暴利を貪る領主を打倒した後、ガッシュに合流した。リーンハルト独立と同時期に建国を果たすと、初代国王にはギルドマスターが就任し、現在もその子孫が国を治めている。
人口は約15万人。その内、実に半数近くが戦闘職かそれに準ずる戦闘技術を有している。料理屋の娘であろうと剣を持って戦う、それがカサンドラの民である。
作物も何も育たぬ不毛の地ではあるが、迷宮から湧き出る水がカサンドラ周辺を潤し、森と呼ぶにはおこがましい程度の樹木を育んでいる。そのため財源の9割以上が迷宮の資源からなる、迷宮に依存した国でもある。
雨が降ることも滅多にないこの地では、建造物は土を用いて作られている。土とは言っても強固に固められ、魔法が施されたその強度はコンクリートにも勝るほどだ。ただし、外観は一貫して土と同じ赤茶けた色をしており、お世辞にも美しいとは言えない一種独特の街並みが広がっている。
カサンドラは30メートルを超える高さの分厚い外壁に囲まれており、出入り口はたったの一か所。
大門の内側に小門があり、普段開いているのはこの小門である。定期部隊の出入りまたは大規模なアンデッドの討伐以外で大門が開くことはない。
この門から最も離れた反対側の外壁に面して国王が住まう迷宮城が佇み、中央付近に大迷宮への入り口が存在する。さらに、この迷宮を20メートル級の内壁が取り囲んでいる。外壁の外側にはアンデッドが、内壁の内側には魔物が溢れる正に危険と隣り合わせの国だ。
荒野から戻って1日。迷宮城の王の私室でガウディは一息つき、道中にあった出来事を振り返る。
当初、バーンからルウの力のあらましを聞いたはいいが到底信じられるものではなかった。
まず、ルウの力が神聖魔法に近い固有魔法だということ。
そして、その力はアンデッドを消し去るのではなく、輪廻へと還すものだというのだ。輪廻など古い文献でしか見られぬような嘘か真か分からぬような場所へと。
さらに、癒やしの力のみならず、植物を成長させる力もあるという。魔法の発動に必須であるはずの魔法陣すらも視認できないという前代未聞の固有魔法であった。
この内の1つだけでも眉唾だと思えるような力。
懐疑的な眼差しを向けるガウディにバーンは一言こう言った。実際に見てみればいい、と。その言葉を証明するかの如くアンデッド発見の報が届き、即座に手出し無用と通達したガウディはルウを伴いアンデッドの下へと向かった。
アンデッド共はこちらを襲う素振りも見せず、ただ茫洋と佇んでいた――ルウが姿を見せるまでは。
その姿を見た途端、歩み寄るアンデッド共の前に近衛騎士が割り込み抜剣する。幾人かの剣は淡く白銀色に輝く剣――希少な聖剣だ。
「やめて!!」
ルウが騎士たちの間を縫って前へと飛び出し、アンデッドを庇うように両腕を広げた。
これにはガウディも焦った。アンデッドに無防備に背を向けるなど正気の沙汰ではないのだから。ルウの名を呼び、連れ戻そうとするガウディを押し留めたのはバーンだ。反射的に殺気を込て睨むガウディに、バーンは平然と前を指し示した。
そこからは驚きの連続であった。
全てのアンデッドが頭を垂れルウを待っているではないか!ガウディは一瞬ルウがアンデッドの最上位種ではないかと疑ったほどだ。伝承によれば人と変わらぬ姿の者もいたとか。
だがそれも次の瞬間には消し飛んだ。白銀色の光がアンデッドを包み込んだかと思えば、光の粒子となって天へと昇っていったのだ。その幻想的なまでに儚く美しい光に、ガウディは思わず見ほれ、最後の光が見えなくなるその瞬間まで瞬きすることなく見送った。
「……さようなら」
小さく呟かれたその声で正気に返ったガウディは、天を仰いでいたその目をルウへと向けた。
その目に飛び込むは緑……赤茶けた大地にルウを中心としたその一か所だけ草が生え、花が咲いていたのだ。その瞬間の想いを何と表せばいいのだろうか。ガウディの胸に熱い炎が灯り、込み上げてくる感動にきつく目を閉じることしかできなかった。死の大地と隣り合わせに生きる者にとって、この奇跡は筆舌に尽くしがたいものであった。
神獣に見放された地……それが荒野なのだから。
ちなみに全員が感動に打ち震えている間、ルーファは動揺に打ち震えていた。強い力を使ったために髪の色が元に戻ったのだ。こっそりカニ歩きでミーナの下へと急ぎ、気分が悪くなったと言って早々に天幕へと退避したのである。フードを被っていたため、結局ガウディがこれに気付くことはなかった。
ガウディはこの時点でルウを王宮で保護することに決めていたのだが……本人が街中で冒険者として暮らしたいと主張したため、渋々それを了承した。
バーンとゼクロスから閉じ込めたら1人で抜け出すぞ、と脅されたためである。その代り滞在先はガウディが用意し、護衛を付けることを約束させたのだ。
(儘ならぬものだ)
ガウディはため息を吐く。
彼は密かにルウを娘にすべく計画を立てていた。ズバリ婚姻である。
だが、むさい息子たちに可愛いルウは不釣り合いというもの。しかし!ここでルウが半分男の子だという事実が幸いする。ガウディの一人娘――ベティ――の存在だ。外見は男にしか見えないが、王妃に似て綺麗な顔立ちをしたその姿は正に美青年と言っても過言ではない。そんなベティと美少女にしか見えないルウ……お似合いである。
ガウディはタキシードを着たベティとウェディングドレスを着たルウの姿を夢想し、その顔をだらしなく緩ませる。
コンコン
聞こえて来たノックの音に慌てて真面目な顔を作り出すガウディ。
「陛下、シンシアーナ様の準備が整いました」
「今行く」
今から、表向きは光魔法士であるゼクロスを歓迎する晩餐が始まる。晩餐と言っても身内だけのこじんまりとしたものだが。ちなみに、本来の目的はルウの歓迎と紹介だ。
ガウディは急ぎ足で妻の部屋へと向かう。遅れたら怖いのである。
その頃、バーンとアイザック、ゼクロスは部屋で寛いでいた。
彼らは服を着替えるだけで特にこれといった準備があるわけではない。バーンとアイザックは用意してもらった礼服に身を包んでいるが、ゼクロスだけは自前の神官服だ。ただし、いつもの紺色のものではなく儀礼用の純白の神官服である。神聖さが増してはいるが……その分、より一層モヒカン悪人面とのギャップが激しくなっている。
「ルーファは服を着替えるだけじゃないんっすかね?」
この場に(一応)男と申告しているはずのルーファがいないことを疑問に思うアイザック。
「メイドに遊ばれてるんじゃないのか?」
バーンの言葉に全員がさもありなん、と頷いた。
女の中には見目麗しい者を着飾らせて愛でる趣味の者が一定数存在するのだ。3人は同時に目を瞑り、ルーファの冥福を祈る。
「お待たせしました~」
その言葉と同時にミーナが入室してくる。いつもは襟元まできっちり締めている彼女であるが、今日は大胆にカットされた胸元から零れ落ちんばかりに双丘が自己主張している。鮮やかな萌黄色の髪を複雑に編み込み、レースを重ねた淡い黄色のドレスが歩く度にひらひらと揺れている。
反射的に胸元を凝視する男二人にゼクロスの鉄拳が炸裂する。悶絶する2人を他所にミーナに微笑みかけるゼクロス。
「よくお似合いですよ。まるで春を告げるとされる妖精の様です」
「ふふっ、さすがゼクロスさんです~。エスコートをお願いしてもいいですか~?」
「光栄でございます。ミーナ姫」
紳士ゼクロスがミーナのエスコート権を勝ち取った。
「ところでルーファちゃんはまだなんですか~?」
ミーナより遅いとはどれだけ遊ばれているのだろうか。いや、もしかしたら何かやらかしているのでは……不安に駆られるバーン達。
「ちょっと見て来やしょうか?」
アイザックが席を立とうとした矢先、ノックが響きルーファが顔を覗かせた。
長い黒髪を左側で1つに結い上げ、余った毛先は小さな三つ編みとなって垂れ下がっている。その身を包むは宝石をふんだんに縫い込まれた純白のドレス。胸元に咲く淡いピンクの花が可愛らしい反面、背中は大胆にカットされどこか危うい色気を醸し出している。神秘的な藤色の目と誘うような深紅の唇。清純さと妖艶さが同居したその姿は、男の欲望をダイレクトに刺激する。
思わず唾を飲み込み、ガン見する男二人に再びゼクロスの鉄拳が炸裂する。ミーナは倒れ伏す2人をヒールで踏みつけルーファに歩み寄った。その際に蛙を潰したかのような声が聞こえるが気にしない。
「……変?」
「とっても可愛いですよ~」
不安気なルーファを抱きしめ、ミーナはうっとりとルーファを見つめる。
「少し大胆だとは思いますが……非常によく似合っていますよ」
安心させるようにゼクロスが言い、ルーファは嬉しそうに笑う。そして期待の眼差しでバーンとアイザックを見つめた。
「「エロい(っす)」」
「エロいってどういう意味なの?」
2人の感想に小首を傾げるルーファ。
「あ~、足が滑っちゃいました~」
ミーナのヒールがバーンの後頭部に突き刺さり、さらにグリグリと加えられる回転。アイザックは影の中に逃亡済みである。
「可愛いという意味ですよ」
制裁を受けているバーンをルーファから隠すように移動したゼクロスが誤魔化す。平常運転である。
「ところで……なぜドレスを着ているのですか?」
男の子扱いをするようにガウディに言ったはずである。
「王妃様に可愛い子は何を着ても許されるって言われたんだぞ!だからこの服になったの」
そう言ってクルクル回るルーファ。
そうですか、と諦観の眼差しでそれ以上のコメントを差し控えるゼクロス。賢明である。最近まで裸族(子狐)であったルーファに服へのこだわりはない。そもそも、スカートを履いているのが女性だけだという事実に未だ気付いていないのだった。
迎えに来たメイドに案内され広間へと移動する5人。
「ゼクロスさん、ルーファちゃんをエスコートした方が良かったんじゃないですか~?」
申し訳なさそうな面持ちでミーナが切り出す。まさかドレスを着ているなど思いもよらなかったのだ。
「ミーナのように可愛らしい女性をエスコートできるなど、男冥利に尽きるというものですよ」
不安気なミーナの様子に安心させるように微笑むゼクロス。邪な笑いにしか見えないが、彼の心は常に紳士だ。
ちなみに、ルーファのエスコートはバーンとアイザックが二人で務めている。
やがて前方に騎士が守る細やかな彫刻が施された扉が見え、従者がそれを押し開く。
シャンデリアが輝くひと際豪華な広間に、10人以上が余裕で座れるであろう円形のテーブルが置かれている。上座下座の無い円形のテーブルが置かれているという事態が、招待された賓客の格の高さを表している。
テーブルの上に料理はまだないものの、銀色に輝く食器――〈毒感知〉の魔法を施された――が整然と並べられており、いつでも食事が始められるように準備されている。
既に国王一家は席へと着いており、入場と同時にその目が一斉にルーファ達へと向けられる。
ガウディはルーファを驚きのこもった目で見つめ、その横で王妃が悪戯が成功した子供のように笑う。どうやら王妃の単独犯のようだ。
バーンが招待への感謝の言葉を述べ、ガウディが歓迎の言葉を贈る。
各自が席へと着席し、ルーファもそれに倣い背もたれが高く優美な曲線を描く椅子へと座る。ガウディを中心として反時計回りに王妃、皇太子と続き、時計回りにバーン、ゼクロスと“赤き翼”のメンバーが続く。ルーファはガウディから最も離れた席だ。
ルーファがキョロキョロしていると隣に座っている綺麗な男性が微笑みかける。年の頃は20歳前といったところか。
自己紹介が始まり、ガウディに続き王妃シンシアーナ、皇太子アウディ、次男バウディ、そしてルーファの隣に座った美青年、王女ベティが名乗る。ルーファ以外の全員から驚きの声が上がり、バーンに至ってはその絶壁の胸元を凝視している。後で制裁確定である。
最近まで引き籠っていたルーファは外見で男女の区別がつけられないでいる。ルーファの判断基準は声が高いか低いかなのだ。そのため、ハスキーな声ではあるが男性ほど低いわけではないベティに対しても、特に驚くことなく受け止めた。
その様子に驚いたのはむしろベティだ。大概の者の反応は2つに分けれるのだから……嫌悪か好奇か。
「君は……驚かないんだね。大抵の者は僕が女だと知ると驚くんだけどね」
「どうして?」
「どうしてって……男の格好をしているだろう?髪もこの通り短いし」
「男の格好ってどんな格好なの?」
会話の噛み合わないルーファに困惑の様相を見せるベティ。
「ほら、君はドレスを着て女の子の格好をしているだろう?」
「オレは男の子なんだぞ」
「「「えっ!?」」」
王子と王女の声がハモった。
「似合っているのだから良いではありませんか。とても可愛らしいわ。ねぇ陛下?」
シンシアーナがコロコロ笑いながらガウディを流し見る。
「うむ!実に愛らしいではないか!」
ルーファのウェディングドレス姿を妄想をしていた男だ。反対などあろうはずがない。両親の様子に事情を察した王子たちはルーファに謝罪の視線を送るが全く通じていない。
その後は和やかに食事が進み、デザートを食べ終えたところで人払いがなされる。
シンシアーナが速やかに遮音結界を起動させ、ガウディも一国の王の顔つきへと変わる。自然と全員が背筋を伸ばし、今から行われる話し合いに真剣な面持ちで臨む。
「今から伝えることは最重要機密だ。他言すればお前たちだとて処罰の対象となる」
鋭い目つきで王子たちを見据え、ガウディはルーファを自分の下へと招く。
「ゼクロス殿が光魔法士だということは既に話した通りだが、ルウは神聖魔法に類似した固有魔法の保持者だ。その力は〈浄化〉の比ではない。……荒野に花が咲いたのだ。信じられるか?」
驚きに目を見張る3人の視線がルーファに突き刺さり、ルーファは咄嗟にガウディへとしがみついた。にやけそうになる顔面を気力でねじ伏せながら、ガウディは重々しく続ける。
「ルウの希望により、これからは街中で暮らすことになっている。護衛は当然つけるが、有事の際にはルウの命を最優先に行動しろ。これは王命である」
この日ルーファは本人が理解せぬまま、カサンドラ王家の庇護を得た。