ルーファの秘密・上
そこは、ふわふわで温かく優しい空間。心地が良く、うとうとと微睡みの中を漂う。ふと気づけば、遠くで誰かの声が聞こえる……。
『……ぃ、おいっ!いい加減に起きろっ!!』
『ふぁっ!?』
一気に覚醒し、飛び起きたルーファが周りを見渡せば、フェンリルと目が合った。
『ふおぉぉぉぉ!でっかい狼がぁぁぁぁぁ』
ぱたり
再び死んだ振りを敢行するルーファを、尻尾で叩くフェンリル。
『ふぅ。驚かさないでほしいんだぞ』
正気に返ったルーファのその言葉に深々とため息を吐き、フェンリルは疲れたように口を開いた。
『はぁ、もういいや……。お前はこれからどうすんだよ?』
『お前じゃないんだぞ。オレはルーファスセレミィ。ルーファって呼んで欲しいんだぞ』
『オレ様はフェンだぜ。よろしくな』
『フェンちゃんって呼んでいい?』
『ダメ!フェンって呼べよ!ってか、ルーファはバカにしないんだな』
『何を?』
『オレ様の名前。他の叡智ある魔物には単純だとか、脳筋に相応しいだとかバカにされんだよ。』
腹立たし気に地面を尻尾で叩くフェン。
『オレは覚えやすくていい名前だと思うんだぞ』
そこでハッとルーファは気づく。自分が本名をを名乗っていることに。ルーファが読んだ家出した物語の主人公は、追手の目を欺くために偽名を名乗っていた。
横目でフェンの様子をそっと盗み見れば、何も感づいた様子はなくルーファのことは知らない模様である。それに、フェンは原魔の森を住処とする叡智ある魔物。誰かに自分のことを話すとは思えない。
人の町に行った時に偽名を名乗れば大丈夫だろう、とルーファは思いなおした。
『そんで?これからどうすんだよ』
『うむす。オレは迷宮王国カサンドラに行って冒険者になるんだぞっ』
張り切ってルーファは答える。
ルーファの中で冒険者といえば迷宮で強くなるのがセオリーである。世界最大の迷宮ともなれば、正に夢をかなえるための一歩に相応しい。
『はあっ!?お前カサンドラがどこにあるか知ってんのかよ?』
『もちろん知ってるぞ』
ルーファは〈亜空間〉から地図を取り出し、ある一点を前足で指し示す。
『ええと、ここがカサンドラなんだぞ』
その場所はラスティノーゼ大陸最西端にあたる。ルーファが暮らしていたカトレアの神域から最も遠い場所、それが迷宮王国カサンドラである。
『……カサンドラまで行くのにどれくらい時間が掛かるか知ってんのか?』
知らないだろうとは思いつつも、一応フェンは尋ねた。
フェンの心配を他所にルーファは地図に飛び乗り、カトレアの神域からカサンドラまでの距離を測る――自分の身体で。大体、ルーファの鼻先から尻尾の先まで……ズバリ30センチ程である。
『多分、10日位で着くと思うんだぞ』
自信満々に答えたルーファに、今日一番のため息を吐いたフェンは事実を口にする。
『お前の足じゃあ、最低でも7年はかかるぞ』
『へっ!?で、でもそんなに遠くないんだぞ』
前足でカサンドラをペシペシ叩いて主張しながら、ルーファはウルっとした眼差しでフェンを見つめる。だが、ルーファの儚い願いは次の瞬間、木っ端みじんに打ち砕かれた。
『いいか、よく聞け。この大陸はな、ルーファが思っているよりもずっとでけぇんだよ』
ルーファはショックの余りよろめき項垂れる。その大きな瞳からは涙が溢れ、今にも零れ落ちそうな程。焦ったフェンは話題を強引に変える。
『そ、それよりも!何でカサンドラなんだよ。冒険者になるなら、もっと近くでいいじゃねぇか』
その質問に、萎れていた耳と尻尾をぴんと立て、ルーファは元気よく答える。
『聞きたい?聞きたい?』
『……教えてくれ』
地雷を踏んだ気がしないでもないが、今更聞きたくないとはいえず、しぶしぶフェンは頼んだ。
そしてルーファは語りだす。自分の野望を。
迷宮王国カサンドラ――そこは迷宮を中心に栄え、数多の強者が集う冒険者の国。彼らは夢を追い求めこの国にやって来る。ある者は富を、ある者は名声を。だが、その夢が叶うのはほんの一握りに過ぎない。
ある時、1人の男がこの地に下り立つ。その男の名はルウ(偽名)。ルウは単身迷宮に挑み、多くの魔物を屠る。いつしか、ルウの名はカサンドラ中に響き渡った。
そして……運命の日がやって来る。魔物の暴走――迷宮が魔物を解き放ったのだ!勇敢なる冒険者が集い、迷宮から魔物を出さしめんとするも、数の暴力に為す術無く徐々に戦線は後退していく。すでに後はなく、迷宮の入り口にまで魔物の軍団は差し迫り、人々の胸に絶望が押し寄せる。
だが!その絶望は切り裂かれた。1人の男――ルウ――の手によって。
彼は単身魔物の群れに突入し、その剣を振るう。剣が振られる度に血飛沫が舞い上がり、魔物が断末魔の悲鳴を上げる。くるくるくるくる男は舞う。神獣に捧げる剣舞のように。人々は魅入られたかのように男を見つめる。彼らの胸に宿るは勝利への歓喜。そして……新たな英雄誕生への熱望。
その瞬間、世界最高峰たるSランク冒険者が誕生した。
ルウはSランク授与のため獣王国リーンハルトへ向かい、英雄王ガッシュに謁見する。
そこで世界は驚愕する。謎に包まれたその男――ルウ――は謁見の最中に神獣へと姿を変えたのだ。新たな神獣の到来にリーンハルトは歓喜に包まれる。英雄王ガッシュはルウの前足を取り囁く……「オレにはルウが必要だ。オレと共に歩んでくれ」、と。
『こうしてオレは見事英雄王ガッシュのペットの座を射止めるんだぞ!』
『ペットかよっ!ってか話長ぇよ!!』
うっかり最後まで妄想を聞いてしまったフェンは自己嫌悪に陥る。ちょっと面白いなと思ったのは秘密である。
ゴホン、と咳払いしたフェンは気を取り直してルーファに尋ねる。
『てぇことは、やっぱりカサンドラへ向かうのか?』
『そうだぞ~。でも7年もかかるなんて……』
いくら置手紙をして来たとはいえ想定外である。さすがに、それだけの期間連絡が無ければ家族に心配をかけてしまう。
(どうしよう……一旦戻ったほうがいいのかな?)
だが、カトレアとヴィルヘルムが自分を外に出してくれるとは思えない。はっきり言って2人とも超過保護なのである。
『オレ様が送ってやろうか?』
『えっ!?』
『オレ様の足なら1月だ』
フェンは思わず協力を申し出た。
何と言うか……放っておくことができないのだ。このままここで別れたら、この小さな神獣は遠からず死んでしまうだろう。なんだかんだで、愛着が湧いてきてしまった。だがそれも悪くない、そう思う。
『いいの!?』
『おう、かまわねぇぞ。どうせ暇だしな』
『ありがとう!!』
何ていい狼なのだろうか。ルーファはきらきらとした眼差しでフェンを見つめ、密かに顔が怖いと思っていたことを反省する。
『じゃあ早速出発なんだぞ!』
『ちょっと待て。その前に聞きたいことがある。ルーファはさっき収納系の魔法を使っていたよな?それに結界もだ。神獣には本来ない力だ。どういうことか説明しろよ』
そう言って、フェンはじっとルーファを見つめる……嘘は許さぬとばかりに。それに神獣は全て白銀色の体毛に藤色の目をしている。一部とはいえ黒が混じるなど本来あり得ぬことなのだ。確かに神獣に見える。だが……何かが違う、そう本能が囁く。
沈黙が辺りを支配する。
観念したように目を閉じたルーファに先程までの明るい雰囲気はない。何か重大な秘密があるのだろう。
長い沈黙の後、ルーファは重々しく口を開いた。
『ふっふっふ、よくぞ気づいた。さすがはフェン……オレが見込んだ男よ。オレはただの神獣ではない……超☆神獣さんなんだぞ!』
シリアスな雰囲気をぶち壊し、ドヤ顔でのたまうルーファ。
反射的に尻尾で叩いた自分は悪くない、とフェンは思う。
『あー!その顔信じてないな。本当なんだぞ。本当に凄い神獣さんなんだから!何なら、アカシックレコードで見てみればいいんだぞ!』
アカシックレコード、それは世界の記憶。そこには未来を除く、この世界で起きたありとあらゆる事象が記録されている叡智の結晶である。
そして、この閲覧を許されし種は管理者と呼ばれ、アカシックレコード閲覧権を持つ。神獣と叡智ある魔物はまさにその1柱――世界の管理者――なのである。
『ホントにいいんだな?』
フェンが再度確認するのには理由がある。それは、許可なく他者の情報を見るのはマナー違反とされ、相手を怒らす行為に他ならないからだ。敵対している相手であればいざ知らず、新たな友人に対する行為ではない。
ルーファは何の抵抗もなく許可を出す。なぜなら知っているから。自分のステータスは誰にも読み取ることができぬことを。
『開錠』
その瞬間フェンの脳裏に世界の記憶が流れ込む。その情報の渦に指向性を持たせ、ルーファの情報にアクセスする。
『こりゃぁ……どういうこただ?』
何も、何もない。ルーファという存在は存在しない。
今まで一度も見たことのないこの現象……いや、フェンは過去に一度だけ見たことがある――叡智ある魔物の王、竜王ヴィルヘルム。彼が長い狼生の中で唯一見通せなかったのは、この男だけなのだから。
フェンは昔を思い出す。冒険者をしていたあの頃を。
奇しくも、先程ルーファが語ったようにスタンピードを食い止めた功績でフェンはSランク冒険者になった。そして竜王ヴィルヘルムに謁見を申し入れたのだ。
今思うと、その時自分が叡智ある魔物魔天狼であると明かしたことが良かったのだろう。ヴィルヘルムの興味を引き、謁見が許可されたのである。
そして謁見の最中、どうしても好奇心を抑えきれずアカシックレコード閲覧権を使ってしまったのだ。その瞬間のことは今でも覚えている。
謁見の間に広がる今まで感じたことのない程強烈な殺気。
死を、死を覚悟した。いや、実際自分は死んだのだと思った。無意識に人化が解け、狼の姿を晒していた。無様に震え、立つことすら適わなかった。次はない、そう言われ時、自分が許されたことを知ったのだ。
その後、自分が叡智ある魔物という理由で不利益を被らないよう、という配慮からギルドカードに保証人としてヴィルヘルムの名が刻まれ、狂喜乱舞したフェンであった。
そんなもの凄い御方である竜王ヴィルヘルムと同様に、アカシックレコードで読み取れぬルーファ。まさか、こいつは実はもの凄い神獣なのだろうか。ルーファに目を向けるとそこには……せっせと毛繕いしている子狐の姿が……。
(……ないわ~)