ルーファ死す
普段は不気味な静寂に包まれている荒野に轟音が木霊する。アンデッドが大地を埋め尽くし、全てを飲み込まんと蠢いている。
護衛兵が隊列を組みそれに対抗し、空から強襲を掛けるアンデッドを飛竜部隊が地面へと叩き落とす。
時はバーン達が屍骸肉塊の元へ向かった頃まで遡る。
屍骸肉塊と呼応するかのようにソレは現れた。
アンデッド最上位種・不死王
――其は数多の不死者の王
――其は数多の魔法を極めし者
――其は数多の穢れし魂の支配者
黒き茨の王冠を頭に載せ、青白い鬼火が眼窩で揺れる。肉が削げ落ち骨だけとなったその姿に弱々しさは欠片もない。人と変わらぬ背丈でありながら、まるで巨人を相手にするかの如き圧力を感じさせる。その身に纏うはみすぼらしきマントのみ。否、それはマントではない。刻々と動きを変え炎の如く揺らめくそれは……魔力。膨大な視認できるほど密度を高めた魔力が、マントのようにその身を覆っているのだ。
不死王が厳かに手をあげる。
足元を禍々しき魔力が大地を覆い、そこから無数のアンデッドが姿を現す。だが……それは今まで現れていた最下級の腐屍鬼ではない。上位種・死将軍を筆頭に、中位種・死霊騎士、下位種・骸骨兵が眼前を埋め尽くす。闇雲に襲ってきた腐屍鬼と違い、規律だった動きをみせ粛々と隊列を整える。その手に握るは白く輝く骨の剣だ。
――囮。
ガルーダの脳裏をその言葉が掠める。これが……本隊。無意識に喉が鳴り、手の平に汗が滲む。
屍骸肉塊が進行方向を塞いでいるため隊列は止まり、前に逃げることは叶わない。ガルーダ達は反転し、自然と相対する形となった。
不気味なほどの沈黙が辺りに立ち込める。戦えば負ける。そう分かるが故に彼らは動けない。
先に動いたのはどちらだろうか。
両陣営共に魔法陣が次々と浮かび上がり火花を散らす。同時にガルーダの指示で結界魔法が発動し、それを防ぐ。不死軍団は魔法を防ぐことすらせずに魔法の雨を掻い潜り、ただひたすら前進している。次いでガルーダ達も動き出す……が、初動の遅れがここにで如実に表れた。骸骨兵の突貫を防ぐこと叶わず、隊列を徐々に喰い破られていく。
ただ1人従軍していた光魔法士の飛ばす魔法が次々とアンデッドを討ち滅ぼすが、それは氷山の一角に過ぎない。彼は範囲魔法を……〈浄化〉を使えないのだから。
ルーファは魔獣車の中で震えていた。外から聞こえる軍靴の音が今にも扉を蹴破りそうで。
それまでルーファを抱きしめていたゼクロスが立ち上がる。
「ルウはここに居て下さい。決して魔法を使ってはなりませんよ」
「何処行くの……?」
ゼクロスの服の裾を掴みか細い声でルーファは尋ねる。いや、本当はルーファにも分かっているのだ。ゼクロスが戦いへ赴こうとしていることを。……ルーファを守るために。
「大丈夫ですよ。アンデッド共を滅ぼしてすぐに戻ってきますから」
裾を掴んでいるルーファの手をそっと外し、ゼクロスは笑顔を向ける。
「お、オレも……オレも行く!」
泣きそうな顔で叫ぶルーファにゼクロスは首を振る。
「足手まといです。ルウが魔法を使えばアンデッドを凶暴化させる恐れがあります。ここで大人しくしていて下さい。いいですね?」
ゼクロスの初めて見せる強い口調にショックを受けたルーファは俯き、涙がその頬を伝う。
「アイゼン殿、ルウをお願いします」
強張った顔で頷いたアイゼンにルーファを託し、ゼクロスは振り返ることなく姿を消した。
(どうしよう。どうすればいいんだろう。これはきっとオレの所為なのに!)
このままではゼクロスが死んでしまう。いや、それだけではない。優しくしてくれたナギや“もふもふ尻尾”、それにアイゼンも。
ルーファは考える。
自分の力でアンデッドが凶暴化するのなら、その全てを〈浄化ノ光〉で消し去ればいい。次から次へと現れるのなら、その全てが消えるまで力を使い続ければいい。
ルーファの魔力はヴィルヘルムすら凌駕するのだから。
ただ……海のように膨大な魔力に対し、ルーファが使えるのは、小さな蛇口からチロチロと出る少量の魔力だけ。
ルーファもそれは分かっている。それが自分の弱点であり、魔法が使えぬ理由だと。それでどこまで戦えるのか分からない。でも……例え足手まといになろうとも、それでも皆を助けたい。助けたいのだ!
ルーファは決然と顔をあげ扉へと向かう。
「何処へ行くのですかな」
アイゼンがルーファの手を掴み、行かせまいと力を込める。
「放して!このままでは皆が死んでしまう。アイゼンも分かっているでしょ?」
「商人は約定を守る者。違えるわけにはいきませんな。それに……行ってどうするというのです?例え〈浄化〉を使えたとしても、相手は無数の不死の軍団。しかも上位種です。そこまで効果があるとは思えませんな。むしろ、アンデッドが凶暴化する方が問題です。直にバーン殿たちが戻って来ましょう。それまで耐えるのです」
諭すように語るアイゼンにルーファは唇を噛み締める。
(違うのに!オレは神獣なのに!!)
ルーファが使うのは〈浄化ノ光〉。〈浄化〉とは比べ物にならぬほど強大な力。
ただ一言、自分は神獣だと、そう言えばいいはずなのに……今の暮らしが楽しくて、連れ戻されるのが嫌で、失いたくなくて……その一言が出てこない。今、皆は命を懸けて戦っているというのに!
何て自分は我儘なんだろう
何て自分は卑怯なんだろう
卑怯で……汚い。それが自分
いつもいつも逃げてばかりで……弱い
こんな自分を好きだと言ってくれた人達
神獣だと知られてからもそれまで通りに接してくれた
何も知らないルーファに色々な事を教えてくれた
皆のことを騙していたのに……笑って許してくれた
一緒に笑って、喧嘩して、悲しくて泣いていたらずっと側にいてくれた
……会えなくなることが何だと言うのだ
失うよりはずっといい
きっといつか会える、そう信じられるのだから
ルーファは口を開く。自分は神獣である、そう告白するために。
だが……それは叶わぬ未来。
ドゴンっ!!
魔獣車の扉がはじけ飛び、そこから現れたのは剣を手にした1人の男。ルーファの知らない男だ。金茶色の髪に黒い瞳をした逞しい肉体をした戦士である。アイゼンがルーファを守るように前に出た。
「何をしておいでですかな、ダルカス殿」
“筋肉躍動”の固有魔法士・ダルカスは血走った眼差しでルーファを見つめ引きつった声をあげる。
「そいつの所為だろ!そいつがいるから襲われんだよ!!さっさと渡せ!!」
「ルウ様は光魔法士ですよ。どうなさるおつもりですかな?」
ルーファを背に隠し、じりじりと下がりながらアイゼンが問う。
「決まっている!あいつらに差し出す。そうすりゃ助かんだよ!!」
「狂いましたか!相手はアンデッドですよ!?そんな保証が何処にあるのです!!」
ガタンっ!
突然、猛烈な勢いで魔獣車が走り出した。バーン達が屍骸肉塊を倒したのだ。
バランスを崩したアイゼンが転倒し、その隙にダルカスがルーファの手を掴む。明確なる悪意が自分に流れてくるのを感じ、無意識にルーファは身体を震わせる。
「放してっ!放せぇ!」
「黙れ!!!お前が化け物を呼び寄せたんだろうがっ!!!」
掴まれた腕から枝が折れるかのような音が響き、ルーファの口から絶叫が迸る。それに一切目を向けることなくダルカスはルーファを引きずって行く。
「誰かっ!誰かー!!」
ルーファに付けられた護衛が近くにいれば、とアイゼンは声をあげるが……その希望はあっさりとダルカスによって摘み取られる。
「無駄だよ無駄」
反対の手で持った剣を僅かに掲げる。血の滴る剣を。
アンデッドに血は流れていない。ならばこの血は……。
「トッポォォォォ!!魔獣車を止めなさい!!!」
アイゼンは長年苦楽を共にしてきた御者の男へ向けて叫ぶ。だが、魔獣車に止まる気配はない。戦闘音で声が届かないのだろうか……返事はない。
「無駄だって言ったろ?事情を話せば快く乗せてくれたぜ。ハッハハッハーハハハハハッ!!」
口を引きつらせ狂ったように嗤うダルカスをアイゼンは呆然と見つめる。だが、すぐに正気に返りダルカスへと掴みかかるが……商人が冒険者に敵うはずもなく、アイゼンはそのまま袈裟切りにされる。床へと転がった彼はただ絶望と共に見つめる。その凶行を。
アイゼンの名を叫ぶルーファを気にすることなく、ダルカスは扉を失った魔獣車からルーファを外へと突き飛ばす。咄嗟に手を伸ばし魔獣車の突起を掴んだルーファを、ダルカスは更に蹴りつける。鈍い音がして吹き飛ばされたルーファは飛翔することすらできず、それでも必死に伸ばした手は……そのまま空を切った。
全力で走る魔獣車から突き落とされたルーファの身体は激しく地面に叩き付けられ、バウンドしながら転がっていく。ルーファの全身を今まで感じたことのない痛みが走り、それは直ぐに灼熱へと変わる。視界が黒く閉ざされていく中、ルーファが最期に見たのは振り上げられた蹄であった。
ゼクロスが異変を感じたのは隊列が前へと駆け出し始めた時であった。
まだ予断を許さない状況ではあるが、それでも多少は息が付ける。反射的に彼はルーファのいるはずの魔獣車へと目を向けた。側にいるはずの護衛がいないことに眉を顰め、次いで魔獣車の扉がないことに気付き目を見開く。
「すみませんが、あの魔獣車へ近寄ってもらえませんか?」
嫌な予感を覚え、同乗させてもらっている兵士に声を掛ける。
後方では未だ戦闘が続いているが戦況が変わった現在、彼の任務は光魔法士たるゼクロスを無事に逃がすことだ。そこまで離れていないこともありその兵士は快諾し、魔獣車へと向かった。
そして……ゼクロスは目撃する。魔獣車から蹴り落とされ、地面を転がっていくルーファが後続の魔獣車に跳ね飛ばされるのを。
蹄に踏みつぶされ跳ね上げられたルーファの身体を地中から伸ばされた数多の腕が掴み、津波に飲み込まれるかの如く、群がったアンデッドの中へと消えていく様を。
魔獣車から顔を覗かせた男がその様子を嗤いながら眺めている、その姿を。
ゼクロスはルーファの名を叫び続ける。騎獣から飛び降りようとする彼を護衛についていた兵たちが必死に押しとどめている。
そんな中、足を止めた兵たちにガルーダの怒声が突き刺さった。
「何をしている!!さっさと進まんか!!!」
「ガルーダ様!アンデッドが引いて行きます!!」
それは異様な光景。生者を憎むはずのアンデッドがまるで潮が引くように次々と消えていく。見渡す限りアンデッドが広がっていた荒野に、今佇むのは生者だけ。
「なんだ……?いったい何が?」
ガルーダの疑問に哄笑と共に応えがある。
「オレだ!オレのお陰だ!オレが救ったんだ!!」
ゼクロスが弾かれたかのように走り出す。手にはメイスが握られ、その目には……激しい怒りが宿っている。咄嗟に側にいる兵が取り押さえ、それを振り払おうと獣のように叫び声をあげ続けるゼクロス。
「おい!これはどういう状況だ!!説明せよ!」
「……オレにも聞かせてもらおうか」
ガルーダの言葉に続き低く押し殺した声がその場に響く。
バーンは周りを睥睨し、取り押さえられたゼクロスと嗤い続けるダルカスに目を向ける。その顔には笑みが浮かんでいる――冷たく酷薄な笑みが。
それを見たガルーダの背中に冷たいものが奔る。
「私が説明しましょう」
治療を施されたアイゼンが進み出て、ダルカスの所業をぶちまける。その目に宿るは怒りと憎悪だ。
それに対する周りの反応は二つ……称賛か嫌悪か。
ガルーダは兵に目配せをし、自身もバーンを止めるべく身構える。
「ダルカス、アイゼン殿の言葉は正しいのか?」
酷く冷たい声が辺りに響く。普段のバーンからは考えられぬほどに。
「そうさ!!オレが救ったんだ。あいつはアンデッドを呼び込んだ化け物だ!死んで当然だろ!!」
轟音と共にバーンが消えた。
穿たれた地面
舞い散る血飛沫
くるくると回転しながら……落ちる首
バーンの振り抜かれた剣には血の一滴もついてはいない。
それ程の速度。それ程の力。
――武王魔法〈剛力〉〈疾風〉〈金剛体〉
彼の力は全て身体能力の強化。アイザックのような特殊な力は何もない。だが……それ故に強力。
「1つ聞く。お前は知っていたのかドゥラン」
呆然と佇むドゥランが慌てて首を横に振る。
「ミーナ、アイザック」
“筋肉躍動”メンバー全員に向けられていた魔法が解除される。その時ようやくドゥランは気付く。自分の首筋に短剣が宛がわれていることに。
「アイザック止めろ」
再びバーンの声が響き、短剣が離れていく。
闇魔法・下級〈影移動〉でバーンの側まで戻ったアイザックはバーンを睨みつける。
「なぜ止める。殺ス。全員殺ス」
普段の彼からは想像もできない程の殺気を漂わせ、アイザックは真意を問う。返答如何によってはバーンにも襲い掛かる、そう思わせる狂気が垣間見えた。
「それは取っておけ。……助けに行くぞ。あいつはどんな怪我であろうと一瞬で治す」
その言葉に俯いていたミーナが弾かれたように顔をあげる。
背を向け歩き出したバーンに続き、ミーナ、アイザックそしてゼクロスが続く。
「待ってくれ!!オレも連れて行ってくれ!!」
バーンは振り向きドゥランを睨みつける。その視線の強さに息を飲んだドゥランだが、逸らすことなくその目を見つめ返す。
「ダルカスは“筋肉躍動”のメンバーだ。その不始末の責任はリーダーであるオレにある。ルウは定期部隊の一員だ。オレ達の護衛対象でもある。それを……あのバカが!!このまま引き下がれねぇ!協力させてくれ、頼む!!!」
「「「お願いします!!」」」
勢いよく頭を下げるドゥランに並び、ビッド、マイク、トビアスが続く。
「……好きにしろ」
立ち去るバーンを即座に追いたい気持ちを抑え、ナギはガルーダの元へカレンを向かわす。
私も行きます!!ガルーダ大隊長、飛竜部隊に行かせてください!!!」
ナギの言葉に考えるように目を閉じるガルーダ。
「二体だけだ」
「なぜっ!?」
「三体はカサンドラへ行き援軍を要請しろ!援軍が合流し次第、我々も後を追う。それまで……死ぬなよ」
真意を理解したナギは破顔し、敬礼する。最大限の感謝を込めて。
「承知しました!感謝します大隊長。マッチ、行くぞ!!!残りはカサンドラへ急げ!!アンデッドが姿を消したからといって油断するなよ!」
「……お前も大概物好きだな」
「バーン殿に言われたくありませんね」
追ってきたナギに僅かに笑みを見せるバーン。だが……それも一瞬のこと。直ぐに真面目な顔になり、アイザックに目を向ける。
「どうだ?」
地面に耳を当て気配を探っていたアイザックが起き上がり北を指す。
「数は?」
「多数」
「それは、期待できそうだな」
獰猛に笑いバーンは北を見据える。
(無事でいてくれ。ルーファ!!!)




