悪意ある噂
上空には抜けるような青空が広がっている。だが……それも荒野には何の影響も与えはしない。何故なら、深い紫色の瘴気に覆われ、大地には一片の光さえ届くことはないのだから。昼間ですら尚薄暗いその場所には昼夜を問わずアンデッドが徘徊している。
赤茶けた大地には草木の一本すら生えず、迷えば即座に死を意味する。だがその“死”は終わりではなく始まりに過ぎない。この地で死を迎えたものは例外なく救いなきアンデッドとなり、永遠を彷徨い歩くこととなるのだから。
メイゼンターグからカサンドラまでの道のりは戦闘によって伸びることもあるが概ね10日程度だ。今日で3日目、小規模のアンデッドに襲われることが数回あったものの順調に行程を消化していた。
それにも拘わらず、ルーファの顔色は冴えない。出発当初は部隊の真ん中を進んでいた魔獣車は、現在最後尾に位置している。どこから漏れたのか、ルーファがアンデッドに狙われているという情報が商人たちの間に広まったためだ。
元々負の感情に敏感な神獣は、彼らの敵意を明確に感じ取り怯え始めた。中にはすれ違いざまに「邪魔だ」「どっかに行け」酷い時には「アンデッドにさっさと喰われろ」等暴言を吐かれ、見ていて可哀そうなほど委縮してしまっているのだ。ゼクロスとミーナが報復へ燃え、バーンとアイザックが必死に押しとどめると言った場面も何度かあった。
そのために隊列の後方に移動し、ルーファに友好的な商人を近くに配している次第である。友好的な商人程、力ある商人だということは皮肉だが……これはある意味当然のこと。利に聡いものであれば気付くはずなのだから。
そもそも、普通はアンデッドに狙われている時点で同行を断られるはず。それが護衛兵を増やしてでも同行させているという事実が、ルーファが特別だということを物語っている。大物貴族の子供か光魔法士か。不興を買うなど愚の骨頂、という訳である。彼らの予想は概ね当たっているといえよう。
ルーファは手渡されたスープを見つめ、ため息を吐く。食べるのが大好きなルーファだが、はっきり言って食べる気がしない。今まで神域で暮らし、外へ出てからも何だかんだで良い人にばかり巡り会ってきたのだ。明確な悪意に晒されるのはこれが初めてとなる。
ルーファは悩んでいた。
このままカサンドラへ行ってもいいのかどうかを。自分は歓迎されないのではないか、その思いが拭いきれない。それに……もし自分のせいでカサンドラにアンデッドが大挙して襲い掛かってきたらどうすればいいのだろうか。今からでもアンデッドのいない地へと行くべきではないのか。
「ルウ、どうしました?食事の手が止まっていますよ?」
心配そうにゼクロスがルーファの顔を覗き込む。
「オレは……カサンドラに行ってもいいの?迷惑じゃないかな……」
最後になるにつれてルーファの声は小さくなり、震えるように消えていく。
「……あの商人達に何か言われたのですか?」
黙りこんだルーファを心配そうにゼクロスは見つめ、事情を理解したミーナが勢いよく立ち上がる。
「私ちょっと用事を思い出したので行ってきますね~」
「待てミーナ。何処へ行くんだ?」
不穏な空気を察知したバーンが慌てて手を伸ばしミーナを掴む。
「決まってるじゃないですか~」
にっこりと微笑むミーナにバーンは背筋が震える。
(ダメだこいつを解き放ってはいけない)
助けを求めて視線をゼクロスへ向けるが……彼は青筋を立ててミーナに頷いている。アイザックは……と辺りを見回すが姿が見えない。逃げたようだ。
バーンは悲壮感を漂わせつつ決死の様相でミーナを止めようと口を開いた……ところで救世主が現れる。
「それでは根本的な解決とは言えませんな」
カサンドラ最大手の商人、ラプリツィア商会代表アイゼン・ラプリツィア。
ぽっちゃりとした人好きのする顔に柔和な笑みを浮かべる四十路の男だ。迷宮より産出した物であれば何でも扱っている、と言われるほど幅広く商売を行っている。また、カサンドラだけでなくリーンハルト全域にも商売を展開しており、貴族相手にも渡り合えるほど顔が利く人物である。
この世界に於いて、姓を持つのは貴族であり、ほとんどの平民は名だけを名乗る。しかし例外として毎年決まった金額の税金を支払うことで、姓を名乗ることが許されるのだ。姓を持つ平民と言うのはそれだけで力ある裕福な者だと言える。
アイゼンは断りを入れてからゼクロスの隣へと座り、従者から差し出された食事を受け取る。
「単刀直入に伺いますが……ルウ様は光魔法士ですかな?」
一瞬身体を強張らせ、ゼクロスの方をチラチラ覗うルーファ。バレバレである。
「……できれば秘密にしておいてもらえれば助かります」
ゼクロスは鋭い眼光をアイゼンに向ける。これはフェンと合流するまでは知られない方がいい情報だ。何処にアグィネス教がいるとも知れないのだから。
「それは無理でしょうな」
四方から発される殺気に顔色一つ変えることなく、アイゼンは飄々と続ける。
「おっと、別に私が暴露するわけではありませんよ」
「つまり……お前は知っているわけだな?」
脅すかのような獰猛な笑みを浮かべ、バーンはミーナに目配せする。同時にマントに隠れるように遮音結界の魔法陣が浮かびあがり発動する。
芸術的と言っても過言ではない流れるような魔法にアイゼンが感嘆の吐息をもらし、ミーナに称賛の目を向ける。恐らく今の魔法を感知できた者はいない。それ程一瞬であった。
「誰が情報を漏らした?」
「私が知っているのはタランチェ商会が噂を広めていたということですな」
バーンが目線で先を促す。
「この商会はあまり良い噂を聞きません。“至高の力”の皆様と懇意にされているとか」
「その噂はどういったものだ?」
アイゼンはさりげなく周りを見渡し、身を乗り出して声を潜める。遮音結界は張ってあるが……念のためである。
「人を攫っている、と言うものですな。彼――ミミク・タランチェ――の店を訪れたのを最後に消息を絶った者が一定数います。その中には“至高の力”と対立していた者も含まれます」
ゼクロスとミーナはお互いに顔を見合わす。はっきり言って大商人たるアイゼンからの話でなければ眉唾だと切って捨てるところだ。
まず、なぜ自分の店で犯行を行う必要があるのか。さらに言えば攫ったとしてどうするというのだろうか。
カサンドラは四方を荒野に囲まれ孤立した国。その国土も大陸で最も小さく、都市の1つがそのまま国となっている。定期部隊で外に運んで売らなければ即座に足が付くだろうし、護衛兵たちに囲まれた状態で人を秘密裏にメイゼンターグまで運ぶなど土台無理な話だ。
戸惑う2人とは対照的に、バーンの眼光は冷酷な光を宿しアイゼンを貫く。だが、それも一瞬。瞬き1つの間に、誰にも気付かれることなくいつもの不敵な表情へと変わった。
「殺しているの間違いではありませんか?」
「殺すのであれば、それこそ迷宮ですれば証拠など残りません。危険を冒してまでわざわざ自分の店でする必要はない、そう思われませんかな」
「衛兵は動かないのですか?」
「ミミクはデルビエル伯爵と親戚関係にあたります。確たる証拠がなければ動かないでしょうな」
ゼクロスとのやり取りを黙って聞いていたバーンであったが、さすがに不審に思い口を開く。
ゼクロスは犯罪者顔ではあるが神獣神殿育ちであるために、腹の探り合いは苦手である。ミーナは論外。アイザックはやろうと思えばできるがバーンがいる限り彼に丸投げだ。ちなみに、現在彼は気配を消して側で話を聞いている……多分。
「なぜオレ達にそれを言う?それに詳しすぎだ。何を企んでいる?」
アイゼンは笑みを消し、バーンを強い眼差しで見つめた。
「さすがAランクパーティー“赤き翼”。私はあなた方を利用するつもりです。あなた方も私を利用すればいい。私の甥がタランチェ商会に行ったっきり帰って来ないのです。それでタランチェ商会を調べました。その結果ですよ。別にあなた方に甥を探してもらおうとは思っていません。恐らくはもう既に……この世にはいないでしょうからな。当初はただ邪魔になる人間を殺しているのかと思いましたが……彼らは殺人が目的ではなく、何らかの目的のために捕らえた人を利用しているのではないかと思います。あなた方はパウロ殿に目を付けられています。遅かれ早かれ何か接触があるのではないかと思った次第ですな」
「甥の仇を討てればという訳か。だが、今回の件に関係があるとは思えない。それはどうなんだ?」
「今回の件には関係ないでしょうな。今の話は将来への布石の1つです。あなた方にとっても悪い話ではなかったはず。知っているのとそうでないのとでは警戒の度合いが違いますからな」
アイゼンは今までの柔和な笑みではなく、悪だくみしていそうな黒い笑みを浮かべる。苦虫を噛み潰したかのような顔をするバーンを気にすることなく話を続ける。
「パウロ殿はルウ様が光魔法士だと知っているのですよね?」
「そうだ」
「であれば、隠す意味はないと思いますな。むしろ広めるべきです。今の状態でカサンドラへ着いたとしても辛い思いをするのはルウ様です。ルウ様は〈浄化〉まで使えるのでしょう?そうでなければ、ここまでの優遇措置はありませんからな。リーンハルトが風竜を出すなど、ね」
意味深に笑うアイゼンに、バーンは僅かに目を見張る。一体風竜の情報をどこで手に入れたというのか。ナギが転属してきたのもここ最近の出来事であるというのに。バーンはアイゼンの情報網に舌を巻きつつ首肯した。
「ルウ様の〈浄化〉の力は特別だと噂を流しましょう。その力を恐れたアンデッドが狙ってきているとね」
まさにその通りであるのだが……そんなことは言えずバーンは無表情に頼む、とだけ口にする。百面相をするミーナにアイゼンが気付かぬことを祈りながら。
ルーファはじぃっとアイゼンを見つめていた。話は難しくルーファには半分も理解できなかったが、アイゼンからは悪意は感じられず悲しみと怒りの気配がする。悪意はもっと別の方向から流れてきている。
アイゼンもルーファの視線に気づき、藤色の目を見つめる。全てを見透かすかのようなその目を。
しばらくの間2人は無言で見つめ合っていたが、先にルーファが視線を逸らしバーンに目を向ける。
「バーン君この人は信用しても大丈夫なんだぞ」
その言葉に驚いたのはアイゼンだ。一つ苦笑を漏らすと、ルーファの頭を撫で忠告する。
「そう簡単に人を信用してはいけませんな」
まるで子供扱いだ。
唇を尖らせながらルーファは去って行くアイゼンを見送る。表情とは裏腹にその尻尾は嬉しそうに左右に揺れていた。
「ルウた~ん。遊びに来まちたよ~」
アイゼンと入れ替わるように“もふもふ尻尾”のメンバーが現れ、ゼクロスとミーナが近づけまいとその眼前に立ちはだかる。
その様子が可笑しくてルーファの口から笑い声が漏れる。
自分は何を悩んでいたのだろうか。こんなにも頼もしい仲間がいるというのに。
優しく導いてくれるぜクロス
甘やかしてくれるミーナ
叱ってくれるバーン
いつも側で見守ってくれているアイザック
箱庭にいたら会えなかった人達。外の世界は怖いことや辛いこともあるけれど、それでも……ここに来てよかった。そう思える。この胸に宿る温かな感情はきっと箱庭では得られなかったものなのだから。
ルーファはスプーンを手に取り、少し冷めてしまったスープを掻き込む。
いつの間にか失せていた食欲も元に戻り、ルーファは元気よく立ち上がる。今からゼノガ達と遊んであげなければならないのだから。




