蠢く陰謀
差し込む太陽の光が磨き抜かれた真っ白い大理石の床に降り注ぎ、まるで部屋自体が輝いているかのような錯覚に襲われる。繊細な作りをしたテーブルの上にはクリスタルで出来たグラスが置かれ、中に注がれた琥珀色の液体が芳醇な香りを漂わせている。
どこか神聖な雰囲気を放つその部屋で向き合っている人物が2人。
美しい男だ。
銀色の髪は艶やかに額から流れ落ち、白魚のような指がそれを掬い耳へとかける。伏せられた目も髪と同じ銀。金糸と銀糸で刺繍がなされた純白の豪奢な衣装を身に纏うその姿は神秘的で、まるで宗教画から抜け出したかのよう。
優雅に伸ばされた男の手がクリスタルのグラスを掴み、暫しその黄金の輝きを堪能した後、一息にあおる。一見乱暴なその仕草は神秘的な雰囲気と相まって、どこか艶めかしい。
「首尾はどうだ、仮面?」
空気を震わす男の声も想像を裏切ることなく、甘美な響きとなって耳朶を打つ。
「上々だ。汚染獣は順調に増えている。何体かはリーンハルトに見つかり討伐されたが、微々たるものだ」
皺枯れくぐもった声がそれに答える。不気味な声だ。
男のようにも女のようにも、子供のようにも老人のようにも感じられる。その姿もまた異様。漆黒のローブを目深に被り、その間から歪な笑みを浮かべた仮面だけが覗いている。小柄で身長は150センチに届くか届かないかといったところだろうか。
相手の反応を待つことなく仮面は続ける。
「瘴気も増えている。このまま行けば、苦労することなくリーンハルトを弱体化できるだろう。だが……迷宮が邪魔だ。アレが瘴気を浄化している。浄化率は我々が当初算出した計算を遥かに上回っている」
「カサンドラ大迷宮か……瘴気が増えているのだ、放っておいてもその内スタンピードで滅ぶのではないか?」
「王国は滅んでも迷宮が滅ぶことはない」
「そうなのか?以前、人種がおらねば迷宮はできぬと言っていたではないか」
話が違うとばかりに男は目を細め嗤う。それまで纏っていた神聖さが一転し、妖しく廃退的な雰囲気へと変わる。
「迷宮は瘴気の浄化と人種を削減するために生まれる。この二つが揃わなければ生まれることがないのは以前教えた通りだ。だが……一度生じれば話は別だ。王国が滅亡しても瘴気を吸収し、魔物を量産し続ける」
仮面は男の変化に一片の動揺すら見せず、淡々と説明を続ける。その様子に男は面白くなさそうに眉をしかめるが、次の瞬間には良いことを思い付いたとばかりに目を輝かせ、身を乗り出した。
「支配はできぬのか?」
「可能。だが、あの迷宮は200層もある……少々手間だ。私が動ければ簡単だが、竜王に悟られたくはない。汚染獣にやらせたとしても竜王が動かないとは言えないだろう」
仮面の言葉に男は面白そうに笑い声を漏らす。
「何がおかしい」
「竜王は動かぬ」
確証を持って宣言する男に、仮面は先を促す。
「北の神域に何者かが侵入し、神獣が傷を負ったらしい。今ドラグニルは犯人の捜査にかかりきりだ。竜王の怒りも激しく、ドラゴ周辺の天候は荒れに荒れているとか」
「……それは本当か?」
「余を疑うのか?神獣が傷を負ったかは定かではないが……ドラグニルが何者かを躍起になって探しているのは間違いない。竜王軍が動いている」
男は深く椅子に腰かけ足を組む。その仕草からは余裕と絶対の自信が感じられる。
「今が好機というわけか。いいだろう汚染獣を動かそう」
「支配したとして見つかれば意味がないぞ?迷宮はうまく隠せそうか?もしそうでないなら逆にこちらの手の内を明かすことになりかねぬ」
仮面は自分で言い出してその言い草はないだろう、とやや呆れた口調で答える。
「……そこは問題ない。あの迷宮は特別だからな。ククっ、むしろあの迷宮が手にはいれば、こちらの切り札になるだろう」
チリン
話が一段落ついたところで男はベルを鳴らす。
「おいっ!」
声を荒げ、男を睨み付ける仮面に「問題ない」と軽く手を振って男は答える。仮面は不機嫌そうに舌打ちを1つし、入室してきた女に目を向ける。
兎人族の女だ。
ストレートの藍色の髪は夜空のように深く、陽光に翳される度に星が瞬くような輝きを灯している。同色の目は常に伏せられており、その感情をうかがい知ることはできない。白い肌に絶妙な位置に配された顔のパーツは美しく整っており、その顔の右半面を長い前髪が覆い隠している。
グラスに酒を注ぐ女を一瞥し、仮面は押し殺した声で問う。
「どういうつもりだ」
「ソレは余の玩具だ。声帯を切り取ってある。あぁ、もちろん無学ゆえ字も書けぬ」
その言葉に仮面はもう一度女に目を向ける。女の手は恐怖で震え、その指は左右とも3本しかない。注意深く女を見れば服の上からでも分かる本来2つあるはずの膨らみは1つ。仮面は女の髪を掴みあげ引き寄せる。
……醜い。
顔の右半面は皮が剥ぎ取られミイラの如く筋肉が剥き出しになっている。藍色の瞳は抉り出され、空虚な穴が仮面見つめていた。
「悪趣味だな」
「酷い言い草だな。これは崇高な実験だ。〈浄化〉では欠損は治せない。だが、皮膚を抉り取られても傷は治る。これは欠損ではないのか?では、どの程度の欠損であれば治るのか。また他人の部位を利用しても治療が可能なのか」
興味を引かれたのか仮面が結果を尋ねると、男は自慢するように語りだす。
「皮を剥いでも〈回復〉で治療可能だが、範囲が広ければ〈浄化〉の領域になる。さらに言えば、どちらにしろ5日以上放置すれば効果はない。だが、切り取った皮を取って置いたら別だ。個人差にもよるが10日程度であれば余裕で元に戻せる。他人の皮を使用した場合も同じ結果が出た」
「それは興味深い。他人の手や足でも付けることが可能なのか?」
「残念ながら今のところ成功したのは皮だけだ。コレの顔の左半分は別の玩具の皮を用いている。他の玩具はすぐにダメになるがコレだけは別だ。既に1年近く保っている。壊してくれるなよ。夜の反応も上々だからな」
薄く笑う男の言葉に女の手の震えがどんどん大きくなり、今では全身に及ぶほど。
「やはり悪趣味だな」
仮面は興味を失ったのか最早見向きもせずに吐き捨てた。
「勇者召喚陣の実験はどうだ?」
「前と変わらない。アンセルム王国内であれば問題なく発動できるが、離れるにつれ難しくなる」
男の言葉に仮面は不機嫌そうに答える。どうやら未だに機嫌は直っていないようだ。
「だがベリアノスは召喚に成功したのだろう?」
「そうだ、莫大な生贄を用いてな」
男は指先でトントンテーブルを叩き、幾ばくかの沈黙の後再び質問する。
「では生贄を増やせばわが国でも使用は可能か?」
「不可能。召喚陣に組み込まれている生贄を魔力に変換する術式が発動しない。恐らくアンセルムの地と何か関係しているのだろうが……解明できていない」
「それは残念」
さも残念そうに呟く男の顔は笑みが浮かんでいる。元々、自国で召喚するつもりなど欠片もないのだ。そんな危険は冒さない。それは他国に行わせればいいことなのだから。いざという時にはアンセルムで行うという手もある。
だが最早その必要もないだろう。彼ら――ベリアノス――は実に良く踊ってくれている。
「さて、竜王はいつ勇者召喚に気付くのか」
クスクスと笑う男はまるでソレを望んでいるかのよう。いや、それこそが男の望み。
竜王の目が西部へと向けられたその時、全てが動き出すのだから。
男はうっとりと笑みを浮かべる。ようやく積年の願いが叶うのだ。神獣を手に入れようとクマラを動かした時も、ベリアノスの覇権に手を貸した時も、その尽くを竜王に潰された。我らが世界を支配するための最大の障害――竜王ヴィルヘルム。その竜玉――最愛なる者――を手に入れるのだ。
――神獣カトレアを。
そのために力を蓄えねばならない。
手始めに迷宮。そして戦争。争えば争うほど瘴気が増し汚染獣の力となるのだから。
さて……ピエロはリーンハルトとどこまで上手く踊ってくれるだろうか。
男はグラスを傾けながら子供のように無邪気に笑う。
(……あぁ、楽しみだ)
自分たちはただ機が熟すのを待てばいい。勇者が知恵ある汚染獣へと変わる日を。