残酷な真実
石造りの武骨な部屋にブラウンの絨毯が引かれ、中央に置かれているテーブルに掛けられているのは染み1つない真っ白なクロス。その上に生けられた一輪の花が唯一の飾りとなって、招かれた客を歓迎している。
別に手を抜いているわけではなく、これが精一杯の歓迎なのだ。なぜなら、ここはメイゼンターグ。対汚染獣のための前線基地なのだから。
ルーファは飾られた花を優しく撫でながら一通の手紙を取り出す。
英雄王ガッシュからゼクロスへと送られた礼状だ。何度も読み返したそれを飽きることなく目を通し、ルーファはニマニマと笑う。
宛名はゼクロスとなってはいるが、風竜カレンを助けたのはルーファである。ズバリこの手紙はルーファに向けたものだと言っても過言ではない。読み終わったルーファはホゥっと切なげにため息を吐き、愛読本『英雄王ガッシュ』にそれを挟むと〈亜空間〉へとしまった。
手紙に封筒が付いていないのは、ミーナにあげたためだ。ガッシュの直筆サインに大喜びであったとだけ述べておこう。ちなみに、手紙にもサインが署名されていたのでルーファ的には全く問題ない。ミーナは大切な同好の士なのだから。
ゼクロスは短剣もルーファに渡そうとしたのだが、これはバーンに止められた。ゼクロスへと贈られたもの――しかも王家の紋章入り――を他者に渡したことが知られれば彼の信用が地に落ちるためだ。この短剣があればガッシュに謁見すら可能なのだから。
ルーファ的は非常に残念であったが、大好きなゼクロスに迷惑が掛かるのは到底許容できるものではない。そのため恐縮するゼクロスをバーンと2人掛で説得したのだ。
その2人はというと……昨夜から出かけている。ダイアノス率いるアンデッド討伐部隊に同行しているのだ。
本来であれば、護衛依頼を受けている最中に他の依頼を受けることは先ずないのだが……今回は特別だ。アンデッドの討伐はこれから荒野を渡るルーファを守る行為に繋がるのだから。
そのため、今日の護衛はミーナとアイザックとなる。
コンコン
ノックの音にルーファは座っていた椅子から飛び降り、小走りに扉へと向かう。扉を開けると、いつもの皮鎧ではなくお洒落な服を着たミーナが立っていた。後ろのアイザックはいつもと変わらない暗殺者スタイルだ。
今日は3人で街を散策する予定なのだ。
ミーナに手を引かれながら露店を冷やかし、屋台でつまみ食いをしながら通りを進む。すると、そこかしこで井戸端会議をしている女性たちが街を救った“英雄バーン”について声高に話をしているのが聞こえる。
アンデッドの最上位種呪毒髑髏を倒したことが竜騎兵を通じて広まったのだ。特級魔法を単身で使える魔法士などほとんどいないために、大いに街中を賑わせている。
世間の人々が言う『特級魔法』とは魔道具を使ったものを指すのだ。巨大な魔石を幾つも取り付けた超特大の砲の様な魔道具である。
何人もの魔法士が協力して魔力を込め、短くない時間をかけてようやく発動できる代物だ。規模も本物と比べれば小さめで、一発撃てば必ずメンテナンスをするように義務付けられている。これは別に壊れやすいからという訳ではなく、暴発すれば周囲が壊滅するほど危険な物だからだ。
そういう訳でメイゼンターグにおけるバーンの人気は鰻登り。容姿の良さも相まって歩くだけで女性が群がり、きゃーきゃー騒いでいる。バーンもそれに気を良くし、連日別の女性の元を渡り歩いている有様だ。
だがこれに比例してミーナの機嫌は急降下していた。
可愛らしい容姿にその存在を激しく主張する2つの双丘を持つミーナは、“赤き翼”唯一の女性ということも相まって、バーンと一緒にいるだけで嫌味を言われるのだ。
だが昨夜からバーンが討伐に出かけ、今日はルーファとお出かけ――アイザックもいるのだが――とあってご機嫌である。
「ミーナちゃん、あそこ本屋があるんだぞ!」
「最近チェックしてませんからね~。行ってみましょうか~」
2人は真剣な顔で本を物色し始める。ミーナは恋愛小説のコーナーへ、ルーファは冒険譚のコーナーへと。アイザックはひっそりとルーファにくっついている。
しばらく無言で本を見ていたルーファは一冊の本に目を止める。タイトルは『勇者と汚染獣』。
(これはっ!?まさか父様の!!)
ルーファは少し色あせている本を手に取った。
児童向けなのか字より絵の比率が多く、表紙は赤い竜と剣を持った男の絵が描かれている。竜王ヴィルヘルムと勇者マサキだ。
本になっているとは知らなかったルーファは感激してその本を籠に入れる。もちろん購入する予定だ。他にも英雄王ガッシュの短編集やSランク冒険者の冒険譚を見つけ次々と籠に入れていく。
「ルーファちゃんいいの見つかりました?」
二冊の本を大事そうに手に抱えているミーナにルーファは笑顔で頷く。会計を終えた2人と……最早空気と化しているアイザックは本屋を後にした。
ダイアノスに用意してもらった部屋へと戻ったルーファは早速買ってきた本を開く。最初に読むのはもちろん『勇者と汚染獣』だ。
意気揚々とページを捲っていた手が徐々に止まりがちになり、ルーファは震える手で最後のページを捲った。
文字を追うルーファの目は見開かれ、震える手は嗚咽を抑えるかのように口を覆っている。
ぽたり……ぽたり……
零れ落ちた涙が本に染みを作り広がっていく。
「ヴィーが……ヴィーが父様を殺したの……?」
呟かれた言葉は誰にも聞かれることなく吸い込まれるように消えていった。
それは……ヴィルヘルムがルーファに知られることのないように隠していた真実。
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
ルーファは手を振り上げ本をテーブルの上から叩き落す。巻き込まれた花瓶が床へと吸い込まれ、音を立てて花びらを散らした。
(きっと何かの間違いなんだぞ……)
ベッドへ潜り込んだルーファはぎゅっと目を閉じる。これは夢だと言わんばかりに。
――2日後
「ルーファの様子がおかしいだと?」
討伐から帰還したバーンとゼクロスが部屋でのんびりと寛いでいる所へ、ミーナとアイザックが訪れ事情を告げる。
「どの様な状態なのですか?」
「ベッドに籠ったまま出てこないんです~。食事にも全く手を付けてません~」
「買物から帰ってから様子がおかしいんっす」
ゼクロスの問いにミーナとアイザックは大まかな出来事を説明する。
「買物中に何かがあったという訳ではないのですか……」
ゼクロスが考え込んでいると、バーンは勢いよく立ち上がりずかずかと扉へと向かって歩いていく。
「バーンさん!どこへ行くんですか~?」
「本人に聞く。その方が早い」
バーンはその勢いのままルーファの部屋へと向かい、ノックもなしに中へと踏み入る。
「バーンさん!」
さすがにミーナが非難するようにその名を呼ぶが、バーンはそれを気にすることなくベッドのシーツを捲る。
泣きつかれて眠っていたルーファはいきなり捲られたシーツに驚いて飛び起きた。
周りを見回し、夢が終わりを告げ現実が直ぐそこまで迫っていることを知る。ルーファは……怖かったのだ。この話が真実であると告げられるのが。だから逃げた。誰にも会わずにベッドの中へ隠れた。
「うう~」
枕に顔を押し付けて声を殺し泣くルーファに彼らは戸惑った様子で顔を見合わせた。ゼクロスは枕ごとルーファを抱えあげ、そのままソファーに向かい腰を下ろす。バーンとアイザックはその向かいのソファーに座り、お茶を淹れた後ミーナもゼクロスの隣の席に着く。
しばらくはルーファの泣くに任せていたゼクロスが口を開く。
「お茶が冷めてしまいますよ?」
ようやく顔をあげたルーファに、ゼクロスはそっとカップを差し出す。
「暖かい……」
お茶を飲み、少し落ち着いた様子のルーファにゼクロスは語り掛ける。
「私達はルーファの苦しみを完全に理解することは出来ないでしょう。それは、あなたがこれまで生きてきた中で積み重ねてきたもの。あなただけのものですから。ですが……分かち合うことはできる、私はそう思います。喜びも悲しみも……そして苦しみも、共に経験し共に語り合い、そうすることで一緒に歩んでいける。私達にルーファの苦しみを分かち合わせてはくれませんか?」
ルーファはゼクロスを見て、そしてその視線を対面のソファーに向ける。正確にはクッションに……その下に隠すように置かれた一冊の本へと。
その視線に気づいたバーンが、クッションの下をまさぐりそれを手に取る。
バシンっ!!
ルーファの尻尾が勢いよく動き、それを叩き落とした。
「嘘だっ!その本は嘘っぱちなんだぞ!!ヴィーは……ヴィーは父様のこと大切な友達だって言ってた!父様をころ、殺した、なんてっ!そんなの嘘だぁっ!!!」
『勇者と汚染獣』
投げ出された本を見てバーン達はルーファが塞ぎ込んでいた理由を知る。
ルーファにとってヴィルヘルムとは……父親なのだ。マサキが本当の父親であることは知っている。それでも、ずっと側でルーファを見守り育ててくれた父親とはヴィルヘルムなのだから。
育ての父親が実の父親を殺す、それはルーファにとって受け入れがたい現実であった。
再び泣き出したルーファにゼクロスは静かに語る。
「私は大切なのは結果ではなく過程であると考えます」
「か、過程……?」
縋るように見つめるルーファに、ゼクロスは真剣な目を向ける。
「そうです。あなたは竜王様が好き好んであなたの父君を殺したと思いますか?」
「そんなことっない!!ヴィーは父様のことが大好きだったんだから!!」
「きっと……それが答えなのですよ。あなたの父君は自分の命を懸けても守りたい何かがあった。そして、竜王様も……。それが何かは知りません。ですが想像はつきます。それはきっと……自分の愛する人達だったのではないでしょうか?友人や妻……そして生まれてくる我が子」
「お、オレのせいなの……?」
ハッとしたようにルーファは呟き、ゼクロスは悲し気に続ける。
「その様なことを言ってはいけません。大切な人を守るために戦うことは、それは自分の内より溢れる思いなのです。決して誰かのせいではないのですよ。お二方が仲の良い友人であったのなら、最も辛かったのは当事者であるお二人です。竜王様は……今なお苦しんでおられるやもしれません」
「ヴィーが苦しんでる……?」
それはルーファにとって想像もつかない事であった。ヴィルヘルムはいつも泰然としており、そんな素振りは欠片も見当たらなかったのだから。ただ……父親のことを語る時は、少し寂しそうであったが。
「竜王様は、今まで一度もこの本の存在を否定しなかった……友人を手にかけたとなれば、それを見るのもお辛いでしょうに。本の内容を変えることも、竜王様であれば容易だったはずです。これは私の想像にすぎませんが……この本の内容は事実なのでしょう。でなければドラグニルがこの本の存在を許すはずありませんから。竜王様にとってこの本は……己に対する戒めや悔恨なのかもしれませんね」
悩む素振りを見せるルーファをゼクロスは優しく見守る。
「オレは……今まで何も知らなかったんだぞ。世界のことも、ヴィーのことも。ヴィーは強くて優しくて……ヴィーの気持ちなんて考えたことなかった。ヴィーが悩んだり苦しんだりすることなんてないって思ってた。オレは嫌な奴なんだぞ。自分の気持ちばっかり優先させて……」
「バーカ、誰でもそうだぜ。だから言葉があるんだろうが。知りたいんなら次に会った時に聞けばいいさ」
悄然と項垂れるルーファにゼクロスが声を掛けるより先に、バーンが口を挟む。ゼクロスは若干不機嫌そうである。
「そうですよ~。相手は悠久の時を生きる竜王様ですよ~。遅い何てことないですよ~」
ミーナの言葉にようやくルーファは笑顔を見せる。
バーンが差し出した『勇者と汚染獣』を受け取り、大事そうに抱える。だが、その心は完全に晴れたとは言い難い。
ルーファは気付いてしまったのだから。ルーファが家出してもヴィルヘルムなら平気だと思っていた。母は悲しむだろうが、ヴィルヘルムが側にいれば大丈夫だろうとも。
(本当にそうなのだろうか)
ルーファは初めて疑問に思った。自分はとても酷いことをしているのではないのか、と。
ルーファの心に暗雲が立ち込める。でも……ここで諦めるわけにはいかない。早く強くなって2人の元へ帰るのだ。焦燥に胸を焦がせながら、ルーファは窓から空を見上げる。
(もう少しだけ、もう少しだけ時間を下さい)
その祈りは誰に向けた者なのか。
ただ……ルーファは願わずにはいられない。大好きな2人に自分の無事を知らせたくて。




