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迷宮神獣Ⅰ~汚染獣襲来~  作者: J
迷宮王国カサンドラ
26/106

修行開始

 朝靄が明けやらぬ早朝。男が一心不乱に二振りの剣を振るっている。

 一体どれほどの時間そうしているのだろうか。身体からは止めどなく汗が流れ落ち、その汗は蒸気となって立ち昇っている。その剣の切っ先は目で捉えきれぬほど早く、それでいて体幹は全くと言っていい程ぶれることはない。あたかも敵と相対しているかの如く、男の目は鋭く眼前を見つめていた。


 時には踏み込み時には目に見えぬ何かを避けるように、男の身体はまるで流れる水の如く滞ることなく動き続ける。

 そして……裂帛の気合と共に双剣が一段と鋭い音を放つ。



 ドゴオオオォォォォォォン!



 ()()された木々が男の身体を避けるように地響きを立ててながら倒れ落ちた。


「すごーい!すごーい!!かっこいい!!!」


 興奮したようにルーファは今まで座っていた倒木から立ち上がりバーンの元へと駆け寄る。興奮で頬を赤く染め、その目を潤ませている。



(こういうのも悪くないぜ)


 バーンは頬を緩めるとルーファの()()()()をわしゃわしゃ撫でる。昨晩ミーナに染めてもらったのだ。


「おう、()()()()。朝食の支度はもういいのか?」

「うむす。オレは味見係を任命されたから、出番はもうちょっと後なんだぞ」


「……そうか」


 おそらく追い出されたのだろうと思いつつバーンは昨夜のことを思い起こす。




 ルーファが思いつめたかの様な顔で話があると言い出したのだ。何事かと思えば、ルウという名前が偽名であると泣きながら誤ってきたのである。


 はっきり言おう。その名が本当の名でないことは全員知っていた。神獣が自分の認めた者以外に名を呼ばせないことは有名な話なのだから。カトレアが“母なる神獣”、サラシアレータが“炎の神獣”という2つ名で呼ばれているのはこのためだ。ヴィルヘルムが“竜王様”と呼ばれるのも同じ理由からだ。


 名を呼ぶのは不敬だとされるため、彼らもまたそれが当然だと考えていたのだが……どうやらルーファは違ったようだ。


「オレの真実(ほんとう)の名はルーファスセレミィ。皆にはルーファって呼んで欲しいんだぞ」


 ルーファのその言葉にゼクロスは感動の涙を流し喜んだ。かく言うバーンも名を呼ぶ栄誉にあずかり、さすがに身体を熱くしたものだ。

 そういう訳で人前を除き、ルウのことはルーファと呼ぶことになったのである。





「バーン君!オレに剣を教えて欲しいんだぞ」


 真剣な眼差しを浮かべるルーファを見つめ、バーンは思い悩む。以前見た短剣の使い方からしてほとんど素人のように思えたのだが……バーンは念のため本人にも確認する。


「どのくらい使える?」

「ずっと前にヴィーに短剣をもらって訓練したことがあるんだぞ!」


「なにぃぃぃぃぃぃぃ!!ま、まさか竜王様直伝なのか!!」


 バーンは興奮のあまりルーファの肩を掴み揺さぶる……が、ルーファはさっと目を逸らし、もごもご口の中で何事か呟いた。


「……何だ?」


 そこはかとない嫌な予感を覚えつつルーファに問いただすバーン。


「く、訓練してたんだけど……間違って尻尾を切っちゃって、取り上げられちゃったんだぞ!!」


 顔を赤らめてもじもじするルーファ。……人化してなければデコピンを食らわせているところである。


「取り敢えず、短剣を構えてみろ」


 バーンは頭をがりがり掻きながら、ため息を1つ吐く。どちらかと言えば短剣の扱いはアイザックの方が上手いのだが……今は見回りに行っていて留守だ。短剣の構え方を指導していると、まだ数分しか経っていないにもかかわらず、ルーファの手がぷるぷると震えてくる。



 ツルリ



 ルーファの手から短剣が滑り、足に向かって落ちていく。


「おわああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 瞬時に〈疾風〉を発動し短剣を掴むバーン。どこかで見たような光景である。


「ご、ごめんなさい。重くてつい」


 ルーファの言葉に片手で短剣を弄びつつ、バーンは思考する。

 普通であれば身体を鍛えてから出直してこい、と怒鳴りつけてやるところだが……相手は神獣、しかも子狐である。果たして鍛えたからと言って筋力がつくものなのだろうか。仮に身体能力が本来の姿に依存するのであれば、鍛えたところで無駄だろう。

 バーンはルーファに噛みつかれたことを思い出した……全く痛くなかったことを。


「あ~、はっきり言おう。ルーファに剣の才能はない。……弓を鍛えてみたらどうだ?」


 弓を引くにも力はいるが、あの弓であればルーファでも戦えるかもしれない。

 バーンの言葉に唇を噛み締め俯くルーファだったが、次の瞬間には顔をあげ、決然とした面持ちで尋ねる。


「オレは強くなれる?」

「分からん。だが……努力次第である程度は可能だろう」


「よろしくお願いします」


 ぱっと顔を輝かせ、頭を下げるルーファにバーンは苦笑する。


「まあ待て。オレは弓は専門外だからな。アイザックに頼んだ方がいい。あいつは一通り何でもこなす」

「あっしは構わないっすよ」


 いつの間にか木の上に胡坐をかいて座っていたアイザックにルーファは驚き、バーンは悔し気に振り向いた。


「くそっ!これだけ接近されて気付けないなんてな!」


 アイザックはしてやったりと得意げに笑い、立ち上がる。


「今からやりやすか?」

 




「そうじゃないっす。もっとこうするっす」


 アイザックの指導に四苦八苦しながら矢を番えるルーファ。後ろからルーファを抱きしめるようにその身体に触れているアイザックを見てバーンは思う。これを自分がやったら間違いなくミーナの棍が飛んでくるというのに……何たる理不尽か!!バーンが世界の不条理を嘆いている間にも指導は続く。


「えいっ」


 可愛らしい声と共に矢が放たれ、近くの木へと吸い込まれるように当たる。


「あっ!当たった!!」


 喜びの声をあげたルーファは、嬉しそうに飛び跳ねる。


「今の感覚を忘れないようにするっす」

「分かったんだぞ!」


 ルーファが矢を射る光景はミーナが朝食の用意ができたと呼びに来るまで続けられた。


 



◇◇◇◇◇◇





 獣王国リーンハルト王都リィン。


 美麗さよりも質実剛健を好む獣人族の性格そのままに、流麗と呼ぶよりは機能的と言ってよい整然とした街並みが続く。きっちり舗装された通りは綺麗に掃き清められており、歩道と車道の間には街路樹が花を咲かせ、人々の目を楽しませている。


 街中は活気に溢れ、人々の顔は皆明るく希望に満ちている。子供たちもはしゃいだ声を上げ、路地を走り回っている。



 ――英雄王ガッシュ。



 彼は名君としても名高き王だ。だが、実際のところ彼は内政をそれほど得意としているわけではない。優秀なのは彼を支える人材の方であり、それを見極める慧眼こそ彼を名君へと成さしめている。

 いや……それすらも彼を表す本質ではない。


 ――不屈の闘志

 ――圧倒的な武威

 ――衰えぬ肉体


 〈神に選ばれし戦士〉英雄王ガッシュ。


 獣人族の寿命は種族により異なるが、狼人族たるガッシュの寿命は150年程である……本来であれば。

 だが治世206年を迎えて尚、彼の肉体が衰えることはない。即位時と全く変わらぬその容姿。そして、その身に纏う圧倒的なまでの覇気。


 侵略を諦めず戦争を仕掛けてくるベリアノスに対し、常に最前線で戦い国を勝利へと導く無敗の王。


 彼こそまさに獣人族の希望(リーンハルト)である。





 リーンハルト王城・光星城。


 光星とは空に瞬く導きの星――英雄王ガッシュを指す――がその名の由来となる。別に城が光輝いているという訳ではない。


 民から熱狂的なまでに信望されているガッシュの執務室はいっそ滑稽なほど質素だ。華美なものは全て排され、実用一辺倒なその場所はガッシュの飾らない人柄を如実に表しているかのようだ。実際は壊しそうだからという理由で撤去されただけだが。


 そこに置かれた何の飾り気もない只頑丈なだけの執務机に1人の男が座っている。


 190センチに近いガッチリとした体躯に黒い野生の狼を思わすウルフヘア、同色の狼耳と尻尾を持つ男だ。髪の間からは鋭い眼光を放つ黒い左目が除いているが、逆の目は眼帯に覆われ窺い知ることはできない。やや肉厚の唇と健康そうな小麦色の肌が、更に彼の野性的な魅力を高めている。男前……と言っていい容貌なのだが、その目つきの悪さが全てを台無しにしている。そう……彼もまた犯罪者顔なのであった。


 この男こそ英雄王ガッシュその人である。

 


「陛下、風竜の件の追加報告がきております」


 そう声を掛けるのはガッシュが最も信頼する側近の1人、バハルス・リッケンハイム。宰相補佐官であると同時に、ガッシュの身の回りの世話までこなす非常に優秀な人物だ。まだ若く柔和で優し気な顔立ちをしているが、かなりの辣腕家であり腹黒でもある。


 決裁していた書類から顔を上げ、ガッシュはまるで親の仇でも見るかの如くバハルスを睨みつける……が、彼はただ単に目を向けただけのつもりだ。


「進展があったのか?」

「はい、前回、風竜という情報が意図的に改ざんされていたことをお話ししましたが、調査を進めたところ、相手は組織だって動いている模様です。思った以上に根が深いですね。この件に関わった者の洗い出しは既に終了しております。こちらがそのリストです」


 渡されたリストに目を通し、ガッシュは口を開く。


「それで……背後関係はつかめたのか?」

「……全員が密かにアグィネスを信仰しておりました。しかし……ベリアノスの関与を立証するのは難しいでしょう」


 ガッシュの身体から魔力が吹き出し、奔流となって室内を荒れ狂う。書類が宙を舞い、頑丈なのが取り柄の執務机に罅がはいる。


 ガッシュはベリアノスの支配時代を、彼らによって行われた悪逆非道の地獄を生き抜いた人物。その怒りは深く激しい。


「……ベリアノスめっ!!!」

「落ち着いてください陛下。誰が片付けると思っているんですか」


 ガッシュの怒りを柳の如く受け流し、バハルスは書類を拾っていく。


「……すまん」


 はっと我に返り、大人しく椅子へと腰かけたガッシュの手が罅の入った机を撫でる……が、それで治れば苦労はしない。


「いつ動きますか?」


 顔をあげずに書類を拾い続けるバハルスが鋭く問う。


「すぐにでも」

「よろしいのですか?大物が釣れるまで泳がすこともできますが」 


()()()は釣れん。今回関わった者は、すでに切り捨てられている」


 ガッシュの言葉にバハルスは息を飲む。


「陛下は……()()ご存じなのですね。黒幕を」

「……知っているだけではどうにもならん」


 自嘲するように嗤いガッシュは話を変えた。


「そういえば、今回の功労者は“赤き翼”の光魔法士……ゼクロスと言ったな。連絡は取れたのか?」


「それが……取れたのは取れたのですが、現在護衛依頼の最中のようで断られました。カサンドラに向かっていますので招待するのは難しいかと」


「そうか……直接会って礼が言いたかったんだが。それでは仕方ないか。報奨金と礼状をメイゼンターグで渡せるよう手配しておけ」


「畏まりました」


 バハルスは優雅に一礼した後、執務室を後にする。





開錠(オープン)


 誰もいなくなった室内でガッシュは()()()()()()()()()を開く。

 彼は全て知っている。黒幕が誰かも、誰と繋がっているのかも。

 だが……動けない。()()()()()身分がガッシュを縛り付ける。


 証拠もなくその男を捕らえることはできない。いや……以前彼は証拠を密やかに入手し、アグィネス教共を一気に排除したこともあった。だが、それは所詮一時の清掃に他ならなかった。ガッシュの知らぬ間に奴らは息を吹き返し、奴隷王国ジターヴを国内に引き入れていた。


 ガッシュが気付いた時には、多くの民が浚われ売られていた。もし……ガッシュがアグィネス教共を排除せず密やかに見張っていたのならば、ここまでの大事件には発展しなかっただろう。一掃したがために新たな芽に気付くことが遅れたのだ。


(儘ならないものだな)


 ガッシュは1人ため息を吐き、アカッシクレコードに目を通す。



 ザッ……ザッ……ザザザザッ……



 不意に走る不快なノイズ。

 ガッシュは思わず舌打ちする。最近アカシックレコードを見ている時、起こり始めた現象である。気付いたのは1年近く前のことだ。


 ただ……頻度があがっている気がする。


 ガッシュは疑問に思うが、そもそも自分はこのシステムを利用しているだけで、原理を理解しているわけではない。仕方がないか、とガッシュはアカシックレコードを閉じて書類の決裁へと戻った。



 ――彼は気付かない。水面下で蠢く異常に。異変はもう目の前にまで迫っているというのに。

 



 

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