バレた
リーンハルトの街道を西へと向けて魔獣車が走っている。引いているのは羊型の魔物だ。魔獣車を引く魔物としては別段珍しいものではなく、愛らしいフォルムやモコモコの羊毛の需要から、ペットや農家にも人気の品種だと言える。
御者台に座り、その羊を操っているのは黒髪紺目の豹人族の男だ。箱型の車部分の上には赤髪の色男が鋭い目つきで周囲を警戒している。
魔獣車の中から外を眺めていたルーファであったが、同じ景色がずっと続くのに飽き、同乗者――ミーナとゼクロス――に話しかける。
「ねぇねぇ、お外に出ていい?」
前方に設けられた窓からルーファはアイザックの後頭部を見つめる。そう、ルーファは御者台に座りたいのだ。
「ダメです」
「危ないですからね~」
いつもはルーファに甘いゼクロスとミーナも今回ばかりは首を縦に振らない。もしルーファを御者台に座らせでもしたら……外に身を乗り出して転がり落ちるか、羊型の魔物を触ろうとして転がり落ちるか……どちらにしろ転がり落ちる運命しか見えないためだ。
「羊さんに触りたかったのに……」
どうやら後者のようである。
「もうすぐ今夜の野営地ですからね~着いたらいくらでも触れますよ~」
「えっ!もう野営地なの!?」
ルーファは窓にへばり付き上空を確認する。まだ日は随分高いように思える。
「野営には準備に時間がかかるんですよ」
火や水は魔法で用意できるとはいっても、薪を集め、食事の支度もせねばならない。魔導コンロも存在するが、どうせ見張りのために夜通し火を焚くのだ。魔力の無駄、と持ち歩いては居ない。他にも地形の確認及び周辺を探索し危険な魔物が潜んでないかを調査する必要もある。その際に、肉や野草などを手に入れられれば御の字だ。
「ここが野営地なの?」
そう言ってルーファは、誰もいない……どころか野営をした跡さえ見当たらない広場を見回す。
「そうですよ~」
「辺境ですから、野営する人も少ないのですよ」
ゼクロスの言葉は嘘である。彼らは荒野に沿って移動しているのだから。
“荒野”――それは世界有数の危険地帯の名だ。
濃い瘴気が渦巻く汚染獣の発生地帯。魔物は凶暴化し、瘴気に触れし亡骸をアンデッドへと作り変える死の大地。
汚染獣とアンデッドに武器は効かず、魔法の中で最も効果が高いのが希少な光魔法、次いで火・灼熱・雷魔法である。ちなみに光魔法とこれらの魔法の間には効力に天と地ほどの差がある。
さすがに汚染獣ともなれば、〈回復〉では殆どダメージを負わせることはできないが、アンデッドであれば掠めるだけでも滅ぼすことが可能である。それに比べ火・灼熱・雷魔法では焼き尽くすまで威力を高めねばならない。
ちなにみ、これら以外の魔法であれば粉砕しても時間が経てば元に戻ってしまうのがアンデッドの厄介な特徴だ。アンデッドと対峙するときは治癒石を大量に持っていけ、これが常識である。
Aランクパーティーである“赤き翼”には高火力の魔法士が多い。というか、ゼクロスを除き全員がそうだと言える。バーンは火と灼熱、雷を、ミーナは雷魔法を特級まで使用できる。アイザックも火と灼熱を上級まで修めている。もちろん他の魔法も修めてはいるが……ここでは割愛させてもらおう。
さらに光魔法士であるゼクロスが加わり、荒野の近くであろうと恐るるに足らず、という訳だ。ルーファが怖がってはいけないので言わないが。
そういう訳で、野営地は用意してあれど誰も使用する者はなし、という有様なのだ。余程急いでいるか腕に自信がある者、または犯罪者以外は一旦中心部へと戻り、別の街道、もしくは転移陣で移動するのが常識である。
それ程興味がなかったのか、ルーファはそれ以上は深く詮索せず、せっせと羊の毛並みを堪能している。この魔物、弱そうに見えて防御力と持久力は中々のモノ……いや、それだけではない。草でも木でも何でも食べるためエサ代がかからないのが最大の利点といえる。
「今日はここで寝るんだぞ」
羊にへばり付いたルーファはスリスリと羊毛に顔を埋める。ゼクロスは苦笑しながらルーファを引きはがし、魔獣車を指さす。
「ルウはあそこで寝てください」
「みんなは?」
不安気に尋ねるルーファにゼクロスは安心させるかのように般若顔で笑う。
「私たちは見張りがありますからね、外で寝ます」
これはルーファが他の人と寝るのを怖がっているための配慮(誤解)である。
ルーファはホっと安堵する。実は未だに寝ると子狐の姿に戻ってしまうのだ。本狐はまだ気づいてはいないが、人化している時間は徐々に伸びつつあるのだが。
ミーナが焚火を基点に魔物除けと隠蔽の結界を張る。隠蔽は焚火や音、匂いを隠すためのものである。こうしておけば、余程上位の魔物でも限り感づかれることはない。
実は彼女は属性魔法を高い水準で使いこなしているが、本来は無魔質の特殊魔法士だ。この他にも多くの〈結界〉魔法を保持している謂わば結界のエキスパートなのだ。結界を使えない他の冒険者は魔道具でこれらの結界を代用している。
アイザックが仕留めた魔物に舌鼓を打ち、野宿にしては豪華な夕餉をすました後ルーファは魔獣車の中で横になる。この中は〈空調〉もかかっており実に快適である。さらに、この向かい合わせの座席は広げることができ、広げれば全面が平らになるのだ。その上にクッションを敷き、ルーファは物思いにふける。
(悪いことをしたんだぞ)
魔獣車の中は意外と広い。ミーナと2人でも余裕で眠れるし、3人でも詰めれば入れそうな程。
さすがにルーファも気が付いてはいるのだ。皆がルーファのために外で眠ることに。
(頑張って人化を完璧なものにしなくては!)
決意を新たに、ルーファは人化が解けないようにと念じながら体に魔力を通し、何時も着ている厚手のマントを布団代わりに目を閉じる。しばらくは人の姿を保っていたルーファだが、やがて子狐へと姿が変わった。
「ルウちゃん眠りましたかね~」
「静かだから、もう寝てるんじゃないっすか?」
ミーナとアイザックが小声で会話をしている。バーンとゼクロスも既に眠りについているためだ。見張りのペアは最も強いバーンとゼクロスが組み、次点のアイザックとミーナが組むのが常である。見張りの順番はじゃんけんだ。先に眠る方が人気なのだ。
「……ちょっと様子を見てきましょうかね~」
「ミーナは〈暗視〉を持ってないから、どうせ見えないっすよ」
〈暗視〉とは闇魔法の最下級である。メンバーの中で闇魔法を使えるのはアイザックのみ。元々闇魔法は資質がなければ使えないとされるほど習得が難しい魔法である。
「じゃぁ、アイザックさん様子を見てきて下さいよ~。初めての魔獣車ですし、もしかしたら怖がってるかもしれませんからね~」
国境での出来事を思い出し、アイザックはそっと魔獣車に近づき窓から中を覗う。
「なっ!?」
驚きの声を上げ、急いで魔獣車の扉を開け中を確認する。
(いない!!)
尋常ではないその様子にミーナも駆け寄る。
「どうしたんですか!?」
「ルウがいないっす!!!」
アイザックの叫び声にバーンとゼクロスも跳ね起きる。
「どうした!!」
バーンの声と同時にゼクロスが光魔法・最下級〈照明〉を発動させ、神々しく輝く。
四人が見つめるその先にはルーファのフード付きマントだけが残されていた……。
慌てる三人を尻目にバーンは更なる異常に気付く。
「待てっ!おかしい!マントだけじゃないっ!!」
バーンがマントを剥ぎ取ると、その下からはルーファが先程まで着ていた服が現れる。
「えっ!?えっ!?どうしてルウちゃんだけいないのっ!!」
まさか新種の魔物でも出たというのであろうか。ルーファはもう魔物に……ふらつくミーナを支えながらゼクロスは黒い物体に気付いた。
(これは……カツラ?)
ゼクロスがカツラを掴み持ち上げると、そこには……。
……白銀色の子狐が気持ち良さそうに眠っていた。
「「「「…………」」」」
ゼクロスはそっとカツラを元の位置に戻し、バーンも無言でマントを被せる。
全員で焚火を囲みながら、バーンが口火を切る。
「アレはどういうことだ?」
しばしの沈黙の後、考え込んでいたゼクロスが口を開く。
「母なる神獣様はルウと同じ狐耳と尻尾を持った美しい方でした。それに……神獣神殿にいるときに聞いたことがあります。母なる神獣様が御子を身籠っていたと」
「じゃぁ、ルウちゃんはっ!」
「分かりません。私が謁見した時にはすでにそんな様子はありませんでしたし、その話も2百年以上前の話です。ただ……身籠っているのが噂され始めたのは千年以上前のことだそうです。竜王様がドラグニルからお離れになり神獣様の神域へと住まわれるようになったのが約二千年前……」
意味深に言葉を切るゼクロス。
「おいおい!嘘だろっ!?ルウが竜王様の子だとっ!!」
「それにしては弱くないっすか?」
興奮するバーンにアイザックが冷静に突っ込む。
「た、確かに少し……いや、かなり……」
悩み始めたバーンにゼクロスが言葉を被せる。
「ルウの手足は先だけが黒色でした」
ヴィルヘルムの姿は有名である。多くの本にその威容が記されているのだから。
紅の美しき竜体を艶やかな黒き鬣が流れ落ちる。金色の角と目が神々しき輝きを放つ……。
そう、黒い鬣である。
まさにヴィルヘルムの色彩の一部。
三人は無言で立ち上がり魔獣車へと向かう。彼らは自分の感情に正直なのだ。欲望に忠実ともいうが。その後ろを止める無駄を悟ったゼクロスが諦めて続く。
「確かに黒いですね~」
「あまり長く見ていたら目を覚ましてしまいますよ。もうこの位に……」
言葉を続けようとしたゼクロスの目に藤色の輝きが映る。まん丸な目をぱっちり開いた子狐が彼らをじぃっと凝視していた。
ぶわり
子狐の毛が逆立つ。
バーンはすぐさまルウのマントを掴み、武王魔法〈疾風〉を発動させる。他の三人はバーンの邪魔をせぬように一歩下がる。
次の瞬間、子狐が弾丸の如く飛び出し逃走を図るが、〈疾風〉を発動させたバーンの目にはスローモーションのように映る。素早く広げられたマントに包まれ即座に捕獲される子狐。もがく子狐をマントごとゼクロスに渡し、マントの上から優しく子狐を撫で始めるゼクロス。
……完璧である。
『うおぉぉぉぉぉぉ!放せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』
「大丈夫ですよ。誰もルウを傷つけたりしませんからね」
その頭に直接響く声にゼクロスはこの子狐がルーファだと、神獣であると確信する。
ようやく暴れなくなったルーファからそっとマントを取る。
そこには……狐耳を伏せプルプル震える子狐の姿があった。その余りの可愛らしさにミーナが鼻息を荒くするが、即座にアイザックに連行されていく。
「まだ怖いですか?」
どことなく傷ついた様子のゼクロスにルーファは罪悪感を覚える。
(皆優しくしてくれたのに……)
顔を上げたルーファはゼクロスの元へと飛翔し、その顔をペロペロ舐める。
『怖がっちゃってごめんなさい。オレは皆のこと大好きなんだぞ!ただ……神獣だってバレたら酷い目に遭うって聞いてたから怖くて……』
そう言ってブルブルと身を震わすルーファ。
ゼクロスは優しく――仁王像を無理矢理笑わせたかの如く――微笑み、ルーファに語りかける。
「私たちは絶対にルウを傷つけません。我が神である母なる神獣様に誓います」
『オレも皆を怖がらないって母様に誓うんだぞ!』
狐耳と尻尾をピンと立ててルーファも真摯に答えた。
ルーファは皆を信じ切れず、疑っていた自分を恥じた。正直少し怖い感じがしたのだ。そのせいでバーンに牙を立ててしまった。そんな自分を怒ることなく受け入れてくれた皆。ルーファは順々に彼らを見つめていき、感謝の言葉を口にする。
『ありがとう、ゼクロス
ありがとう、ミーナちゃん
ありがとう、バーン君……』
そして最後にアイザックを見つめ、
『ありがとう……え~と』
口ごもるルーファに彼らは思う。
まさか、アイザックの名前を忘れたんじゃあ……。
そう言えば、ルーファがアイザックの名前を読んでいるのを聞いたことがない気がする三人である。
「はっ、はははっ……。どうせあっしは存在感が薄いっすからね……」
アイザックが乾いた笑い声を漏らし、気のせいであろうか……その目の端が光っている様に見える。
肉球に汗を滲ませながらルーファは必死に頭を回転させる。
何としてでも思い出すのだ!
この全身真っ黒な服を纏い、本に出てくる盗賊の様な男の名前を!!
その瞬間、天啓が迸る!そう!この男の名前は!!
『ありがとう!トウゾック!!』
ルーファの心からはいつの間にか恐怖心が消えていた……が、この日アイザックの心には消えない何かが残った。