越境
ここはフォルテカ公国と獣王国リーンハルトとの国境。
ルーファ達はフォーンを出立してから4回の転移を経て、5日かけて国境の街ピリルへとたどり着いた。辺境の街シルキスからフォーンへ向かうのとは違い、フォーンから大国リーンハルトへと向かう転移陣は混んでおり5日もかかった次第である。ピリルで一泊した後、今現在リーンハルトへ入国するための長蛇の列に朝早くから並んでいるのだ。
シルキスを後にしてから本日で9日目、概ね予定通りに進んでいるといえよう。
「全然進まないんだぞ……」
「仕方ありませんよ。街へ入るのとは違い検査も厳しいですから」
退屈そうに呟くルーファにゼクロスが答える。
入国審査は〈収納〉の魔法が施された鞄――マジックバッグ――であろうともすべて中身が検められるのだ。時間がかかるのも当然だと言えるだろう。だが、ルーファ達が並んでいる列はまだましだ。商人専用の列ともなれば一体検査にどれだけの時間がかかるか分からないのだから。
「バーン君、オレの弓と矢は大丈夫なの?」
心配気に尋ねるルーファ。
「ん?あぁ、心配するな。アイリスからの封書があるからな」
そう言ってバーンは胸ポケットをぽんぽんと叩いた。
実はフォーンに滞在しているときに冒険者ギルドから呼び出しがあったのだ。何事かと思って行ってみれば、アイリスからの封書を受け取ったという訳だ。別紙に越境の際に兵士に見せると良い、と記入されていたのである。
但し書きに、ルーファが光魔法保持者であると記してある旨が書かれていたが、これは仕方がないといえよう。超絶危険な武器を持っているものが一般人であるのと光魔法士であるのとでは信用度が違うのだから。ルーファにしか使うことができないとなれば尚更である。
ルーファ達3人は屋台をぶらぶらしつつ時間をつぶし、バーンとアイザックは延々と列に並んでいた。パーティ内のヒエラルキーが如実に表れていると言えるだろう。
日も大分傾いた頃、ようやく順番が回ってくる。
国境を守る両国の兵士たち――荷物の改めは両国の兵士立ち会いの下で行われる――に、バーンはギルドカードとアイリスから貰った封書を渡す。
素早く封書に目を通した兵士にルーファ達は別室へと案内された。
しっかりと施錠し、盗聴防止のための結界を発動させた後、顔も体も人一倍大きく髭を蓄えた貫禄ある巨漢が口を開く。フォルテカの兵士のようだ。
「問題の弓と矢を拝見させてもらいたい」
ルーファはその言葉に慌てて鞄から弓と矢を取り出す。本来なら、〈亜空間〉に仕舞っていればバレることはないのだが……既にバーン達に弓の存在を知られているために隠すわけにはいかなかったのだ。
「こ、これはっ!」
弓と矢を目にし、その力に動揺する兵士たち――何人かはすでに気絶している――にバーンは警告する。
「触るなよ。死ぬぜ」
ごくり、と唾を飲み込んで口を開いたのは、リーンハルトの軍服を身に着けた無精髭を生やした獅子人族の男。
「封書を信じていない訳ではないが、ルウ殿が光魔法士か確認したい」
声と同様震える手でナイフを取り出した彼は、自らの手に当てソレを引いた。
勢いよく飛び散る血飛沫。
動揺のあまり力加減を誤ったのだ。
ルーファは小さな悲鳴を上げ、慌てて癒しを施す。
部屋を……建物全体を白銀に輝く光が覆う。
瞬間、その光は傷を負った者全てを癒す
瞬間、その光は病に蝕まれた者全てを癒す
それは――まさに奇跡。
本来治るはずのない重篤な病も、腕を失った者でさえ等しく癒された。
奇跡を目にした人々はある者は不思議そうに、ある者は涙を流しながらその光を見つめる。やがて、彼らは1人、1人と跪き、やがてそれは波紋のように全体へと及ぶ。いつもは喧騒溢れる国境も今は侵されざる聖なる領域のように静謐さが満たしている。
国境を守る兵士さえも、その瞬間だけはただ一心に祈りを捧げる。それが当然であるかの如く。
室内にいる者は皆等しく、ルーファを呆然と見つめていた。例え外で起きた奇跡を目にせずとも、ルーファのしたことが尋常ではないと感じた故に。
バーン達はAランクの冒険者。ゼクロスは〈浄化〉を使用することは出来ないが、その魔法を目にする機会はあった。だが……違う。全てが。
いや、そう感じたのは彼らだけではない。今まで〈浄化〉すら見たことのない一兵卒ですらその御業に畏敬の念を抱いたのだから。
――ただルーファだけが違っていた。
ルーファは酷く怯えていた。フェンから何度も何度も使うなと念を押されていたというのに……使ってしまった。
人に知られれば毛皮を剥がされると言われた。
人に知られれば目をくり貫かれると言われた。
これは心配したフェンがルーファを戒めるために言った言葉。この言葉にルーファは縛られる。
(どうしよう!早くっ!早く逃げなくちゃっ!!)
ルーファは扉に向かって走る。それに最も早く反応したのはバーンである。ルーファの手を掴み引き寄せる。平時であればそれで済んだであろうが、パニックになったルーファはバーンに噛みつき逃れようと暴れまくる。尻尾を膨らまし、唸り声をあげ牙を剥く。目からは涙が溢れ、震える身体がルーファの怯えをバーンに伝える。
歴戦の戦士であるバーンも流石にこれ以上どうすることもできず、早々に白旗を上げる。
「っゼクロス!!」
ゼクロスがすぐさまルーファを抱き上げようとするが、ルーファは噛みついたバーンの腕を離そうとはしない。
「大丈夫です。大丈夫です。怖くありませんよ」
ゼクロスはその言葉を繰り返しルーファに聞かせる。最初はグルグル唸るだけだったルーファも徐々に落ち着いていき、戸惑ったようにバーンの腕をそっと離す。その様子にミーナとアイザックもほっと安堵の息を吐いた。
呆然とその様子を見ていた兵士たちが動き出す。
「全員、剣を床に置け!」
獅子人族の兵の言葉にリーンハルトの兵が従う。次いで、巨漢の兵士も同様の命を下し、フォルテカの兵もそれに倣う。国境を死守するはずの兵士たちが自ら武器を手放したのだ。
兵士たちはルーファを怖がらせぬよう次々と腰を落としていき、あたかもルーファに傅いているようである。
フードが捲れ、露わになったルーファの容貌を指揮官2人は呆然と見つめる。
――藤色の瞳。
それは、噂にのみ聞く神獣と同じ色。
神獣の血を引く子供。
彼らは自然と真実へ辿り着く。
「誓約書を用意しろ。行けっ!」
獅子人族の指揮官の言葉に部下が走り出し、巨漢の指揮官も部下に命じる。
「お前たちも全員署名しろ。口外無用。責任はワシが取る」
彼らは国への報告の義務よりも、ルーファの存在を優先させたのだ。
「いいのかよ?」
思わず、といった様子でバーンが尋ねる。それは国への背信行為に他ならないのだから。
「ふん、どこにアグィネスの手が伸びておるともしれん。ワシらは何も見なかった。それだけだ」
「あいつらの手は長い。例え国の中枢であろうと油断できん。……だが、カサンドラに行くよりはリィンに行った方が良いのではないか?我が国の王都であれば警備も厳重だ。何よりガッシュ陛下は仁義に厚い御方。事情を話せば貴殿らの力になってくれるだろう」
彼らの言葉を嬉しく思いながらも、バーンは苦笑しながら答える。
「本人の希望でな。それに……こいつの大切な奴がそこで待ってるからな」
そう言ってルーファの頭を撫でようとするが、ミーナに棍で叩き落とされる。締まらない男である。
「そうか。家族がいるのならば一緒に過ごすのが幸せというものか……。もし何かあれば連絡をくれ、力になるぞ。オレはギギル・アインクライン。兄はリーンハルトの将軍をしている。まぁ、オレは出来の悪い3男だがな」
「おいおい、大物だな!」
そう言って握手を交わすバーンとギギル。
「がっはっはっはっは!ワシはトストン、ただの平民だが協力は惜しまんぞ!」
「平民が国境守備兵の将兵ってだけで十分凄いと思うぜ」
「何だ気付いておったのか。がっはっはっはっは!」
バーンは苦笑しながら差し出された手を握り返す。
「2人ともクビになったら“赤き翼”に歓迎するぜ」
「「縁起でもないことを言うな!」」
その後、ルーファの存在を秘匿する旨の誓約書に全員が署名をし、その用紙はルーファに手渡された。
ゼクロスにべったりと引っ付いていたルーファも、最後にはおずおずと礼を言い手を振りながら砦を後にした。
リーンハルトに無事入国した5人は即座に宿を確保し現在に至る。
バーンに泣いて謝るルーファを宥め、寝かしつけたところで全員がバーンの部屋へと集まった。
「バーンさん傷の具合はどうですか~?」
大丈夫そうではあるが念のためミーナは尋ねる。
「どうってことないぜ」
バーンはそう言って腕を見せる。噛み跡1つない腕を。元が子狐であるルーファの噛む力は弱く、はっきり言って甘噛みレベルだったのだ。ルーファの渾身の噛みつきで傷1つついていない事実に、微妙な顔をしながらもミーナは納得して頷く。
「街の様子はどうでした?」
ゼクロスは今まで街で情報収集をしていたアイザックに問う。
「表向きは全く騒ぎになってやせんね。この街の住人は誰も砦での出来事を知りやせん」
「……どういうことだ?」
困惑して顔を見合わせるバーン達。ゼクロスが鋭い目でアイザックを見据え、静かに口を開く。
「表向きは……と言いましたね。裏では違うということですか?」
よくぞ聞いてくれたとばかりに、アイザックはニヤリと笑う。
「念のため、今日国境を越えた奴の部屋に忍び込んだんっすが……どうやらルウが使ったのは神聖魔法の類っすね。腕が生えた者もいるとか。ただルウの存在どころか、奇跡が起きたことすら話す者がいないのか外部には一切漏れてやせん」
アイザックの言葉に首を傾げながらも、取り敢えずは大丈夫のようだ、と彼らは頭を切り替える。
「……ルウは何者だ?」
もはやここに至って、その正体を気にせずにはいられないバーンである。
「藤色の目は神獣の証ですが、人種にもいないとは言い切れません。しかし……今日ルウが見せた力は間違いなく光魔法などではありません。恐らく神聖魔法で間違いないかと思います」
さすがにゼクロスも〈祝福〉以外の神聖魔法を目にしたことはなく断言はできないのだ。
「ルウちゃんは神獣様なんですかね~?」
「それか神獣様の血を引いているか……でしょうね」
思った以上に責任重大な依頼を受けていた事実に、全員の表情が引き締まる。Sランクで尚且つ、叡智ある魔物であるフェンが守っていたのもある意味当然だ。むしろ、そのまま守っていてほしかった。
「どうしやすか?」
その言葉に3人が同時にアイザックを睨む。降参したように両手をあげた彼は苦笑する。
「あっしらが受けた依頼はカサンドラまでっすよ?まさか着いたら放り出すんっすか?」
そういう訳にはいかないだろう、とアイザックの目が語っている。
「話してもいいんじゃないか?カサンドラのギルドマスターは信頼できるそうだ。アイリスからも親書を預かってることだしな」
「光魔法士と神獣様では待遇が違うと思います~」
「ミーナ達のおっしゃることは正しいのですが……相手を信頼していきなり全てを話すのは……」
唯一ゼクロスだけが渋い顔で反対する。
その判断が間違っていた場合、危険が及ぶのはルーファなのだ。
悩むもそれで答えが出るわけでもなく、結局ギルドマスターが信用に値すると断言できるまでは自分たちが面倒を見る、という話しに落ち着いた。
――その日、国境で奇跡が起きた。
だが……1人の人種が言い出した言葉により、その場にいた人々はその奇跡を秘匿する。
それは新たな神獣が誕生し神域を求めて旅をしている、というものだ。
大陸の西側半分に神域は存在しない。また、間にアグィネス教支配圏を挟むこの地域に神獣が訪れることはない、と絶望視されている。例え自分たちがどんなに神獣の到来を渇望していても。
騒いではいけない、神獣は静寂を好むと言われているのだから。
秘密にせねばならない、アグィネス教徒に悟られることがないように。
その考えは、その場に偶然居合わせたマスメディアの記者たちにも浸透し、彼らは無言でこの情報を握りつぶす。
奇跡は人知れず沈静化し、この情報は各国の上層部にさえ伝えられることはなかったのである。