初めての戦闘
フォルテカ公国――前身はフォルテカ魔導王国と言う。
かつてベリアノス大帝国が行った侵略戦争末期に滅ぼされた国の1つである。王族はエルフの血を引く混血種故に長命ではあるが、外見は人族と変わらない。戦後150年という雌伏の時を経て、英雄王ガッシュと共に戦い見事返り咲いた国である。
現在でも、獣王国リーンハルトの良き隣人として存在している。
魔法の研究に力を注いでおり、大公キアラ・ファウス・マギ・フォルテカは刻印魔法研究の第一人者でもある。優秀な魔法士を多く抱える魔導部隊は、その練度と実力の高さから近隣諸国に武名を轟かせている。
「そういう訳で、フォルテカの刻印魔法技術は凄いんですよ~」
ミーナはルーファに説明しつつも魔道具のチェックに余念がない。
「おい!ミーナいい加減にしろよ!遅くなるだろうがっ!」
魔道具店から動こうとしないミーナに業を煮やしてバーンが怒鳴る。
「分かりましたよ~」
ルーファの手を引き名残惜し気に魔道具店を出るミーナ。そんなミーナの様子に苦笑しつつ、ゼクロスが説明を続ける。
「大公キアラは女性なんですよ。御子も娘1人で、次期大公も女性ですね」
「大公と国王って何が違うの?」
ルーファは疑問に思ったことを口にする。
「違いはほとんどありませんよ。ただ、フォルテカ魔導王国の生き残りが、公爵の地位を賜っていた王弟殿下だったためだと言われていますね。本人が王を名乗るのを嫌がったという話ですよ」
「へ~、そうだったんですね。知りませんでした~。というかゼクロスさんドラグニル出身なのに凄く詳しいですね~」
「神獣神殿で歴史は必須科目の1つですからね。それに、リーンハルトに来る前に調べましたから」
「見かけによらずまじめですね~」
「見かけによらずは余計です」
ミーナの言葉に苦言を呈しつつ、“赤き翼”一行は目的地――冒険者ギルド・フォーン支所――に向かい歩みを進める。
彼らの目的はルーファに依頼を受けさせることだ。冒険者ギルドは国際機関ではあるが、所在する国に税金を払わなくていいということではない。ギルドに所属するということは当然、納税の義務が発生するのである。
F~Bランク冒険者はランク毎に、最低限の依頼受注回数が決まっている。依頼料が安い低ランクは受注回数が多く、高ランクになるにつれて少なくなっていく。ルーファもその例に漏れず、フォーンに滞在する間に何件か済ます予定だ。ちなみにAランク以上は国にいてくれるだけで僥倖という観点から、その縛りがない。
「妥当に常駐依頼からだな」
バーンは幾つかの依頼書を指さす。その全てが薬草の採取依頼である。これらは医療ギルドへと卸され、薬として販売されることとなる。
ファンタジーにお馴染みのポーションは、この世界にほとんど存在しない。飲んで即効性のある治癒ポーションは神獣が作る“神獣の気まぐれ”か、上級以上――50層を超える――の迷宮から発見される“迷宮ポーション”のどちらかになる。つまり人種では作れない技術であり、非常に高価なものだといえる。
では、冒険者はポーションの代わりに何を使用しているかというと、治癒石を用いている。
治癒石とは、魔石に特殊魔法〈付与〉を用いて光魔法を付与したものである。付与魔法は刻印魔法と違い魔法自体を付与するため、魔質を変換するために同魔質の魔石を用いる必要がなく、相性の悪い闇属性の魔石を除いて付与が可能である。
使用方法は〈解放〉と唱えるだけで、使用者の魔力すら使用しない優れものだ。ただし、1回のみの使い切りとなる。
なぜ魔石を交換すれば使い続けられる刻印魔法にしないのかというと、光魔石は神域の近くでしか発掘されず、非常に高価なためである。
治癒石は比較的安価だとはいえ、それでも安いもので3万ドラ(銀貨3枚)はするため、多少の怪我は医療ギルドの薬を用いるのが常識だ。
「この依頼書を受付に持っていけばいいの?」
ルーファは依頼書に手を伸ばそうとするが、ゼクロスがそれを押しとどめる。
「常駐依頼は持っていく必要はありませんよ。それ以外の依頼は受付に行って、この依頼書に記されているコードを専用魔道具に通す必要があります」
「じゃあ、もう依頼に行っていいの?」
「ルウちゃんは、このヨモギ草を知っていますか~?傷薬に使う薬草なんですよ~」
〈浄化ノ光〉を使えるルーファに薬草など必要なはずもなく、当然見たことも触ったこともない。首を横に振ったルーファの手を取り、ミーナは2回を指さした。
「先に薬草について調べてから行きましょうね~。基本的な情報は図書室にありますからね~」
「あった~!また見つけたんだぞ!」
はしゃぐ様なルーファの声が聞こえ、木々に隠れるように薬草の群生地が姿を現わす。
言葉無くその様子を見つめるバーン達。それも当然、これは5つ目の群生地なのだから。
最初は普通であった。生えていそうな場所を地面にしゃがみ込み、虱潰しに探していたのだ。だが、1つ見つけてからが違った。ルーファがじぃっとその薬草を見つめていたかと思うと、あっちあっち、と言って皆を先導し始めたのだ。
最初は張り切っているルーファに、苦笑しながら付いて行っていたいバーン達だが、群生地を1つ2つと見つけるうちに戸惑いの方が大きくなっていった。
すでに依頼20回分は軽く達成している量の薬草を確保している。はっきり言って異常だ。まだ、森に入って2時間も経っていないというのに。
「ゼクロス……光魔法には薬草を見つける力でもあるのか?」
思わずといった様子でバーンが尋ねる。
「そんな力があれば以前に受けた依頼も簡単に終わったでしょうね」
「だよな」
4人の目は自然と薬草をせっせと採取しているルーファに向かう。
「このことはあまり知られない方がいいと思いやす……」
アイザックの言葉に全員が頷く。光魔法保持者というだけで狙われやすいというのに。
ミーナがルーファの側にしゃがみ込み、採取を手伝いながら声を掛ける。
「ルウちゃんは薬草の場所が分かるんですか~?」
「なんとなく分かるんだぞ」
ゼクロスも採取を手伝いながらルーファに注意を促す。
「いいですか?この力のことは誰にも言ってはいけません。世の中には悪い人がいますからね、ルウの力を利用しようとする者も中にはいるでしょう」
「そうですよ~。ルウちゃんはただでさえ可愛いのに!気を付けなくちゃダメですよ~」
「分かったんだぞ!」
本当に分かっているのか、と言いたくなるほど元気な声である。
ちなみに、ルーファのこの力は豊穣ノ神の権能の1部である。神聖魔法の上位互換であるこの力だが、豊穣には植物を育む恵みの力――植物に関する権能――が含まれているのだ。つまり薬草を探すことなど、魔法がほとんど使えないルーファであろうと造作もないことと言える。
僅か2時間で2月分のノルマを余裕でこなしたルーファ達が街へ戻ろうと腰を上げた時、辺りを警戒していたアイザックが警戒を促す。
「ゴブリン3体が向かって来やす。排除しやしょうか?」
「2匹排除。1匹はこっちへ回せ。ルウに経験を積ます」
「了解」
その言葉と共にアイザックは暗殺魔法〈気配完殺〉を発動し、一瞬にして皆の視界から消える。きょろきょろ辺りを見回しているルーファにバーンが注意を促す。
「ルウ、戦う準備をしとけ」
アワアワと鞄から短剣を取り出したルーファは、一丁前にソレを構える。ここで弓を使わないのは訳がある。一応フェンと練習したとはいえ、弓が前に飛ぶようになった程度の腕前のルーファでは敵に当たる前に味方に当たる可能性が高いのだ。
がさがさ
藪を掻き分けて緑色の小鬼――ゴブリン――が姿を現す。バーンが素早く動き足を切りつけ、動きを封じる。
「ルウ殺れ」
言葉と同時にゴブリンを蹴り上げ、ルーファの前へと飛ばす。
だがルーファは動かない。いや、動けないでいた。それもそのはず。ルーファは今まで暴力とは無縁の世界にいたのだから。魔狼に襲われたことがあるとはいえ、戦闘自体はこれが初めてなのだ。
ルーファは頭の中が真っ白になり、まるで今いる世界が夢のように現実感の無いものに感じる。フワフワと雲を踏むような感覚でバーンの声が何処か遠くで聞こえる。短剣を構えていたが、果たして今もまだそれを持っているかどうかさえよく分からない。
足を切られたはずのゴブリンが、口から泡を吐きながらルウに向かって来るのがまるでスローモーションのように見える。
固まり動けないでいるルーファを一瞥し、バーンが即座にゴブリンの首を刎ねる。
それと同時に血飛沫が舞い、ルーファの顔を汚した。
何かが、何か生温いモノが自分の顔に付着する。ルーファは震える手でソレを拭い、焦点の合わぬ目で見つめる。
「なぁに、これ……?」
見開かれたその目から止めどなく涙が流れ、手の震えは既に全身へと及んでいる。
ミーナが弾かれたかのように動き、ルーファを抱きしめる。同時に〈清浄〉の魔法を発動し、血で汚れたルーファの身体を清める。
「大丈夫、もう大丈夫ですからね~」
そう言ってルーファの背中をぽんぽん優しく叩くミーナ。
ゼクロスは歯噛みする。己の認識の甘さに。閉じ込められていたとは、つまりこういうことなのだ。ルーファは何も知らない。子供ですら知っている“死”という存在すらも。
バーンもばつが悪いのか意味もなく辺りをグルグル回っている。
「……何かあったんすか?」
丁度そこへ戻ってきたアイザックの声だけが虚しく木々の間に消えて行った。
「もうっ!気が利きませんね!はやくソレを片付けてください!」
バーンが答える前にミーナが彼らに怒鳴りつける。普段の間延びした言葉も鳴りを潜め、その目は怒りを孕んで役に立たない男たちを睥睨している。
正気に戻ったゼクロスはルーファの目からゴブリンの死体を隠す位置に立ち、バーンが即座に燃やし処理する。
しばらくして、弱々しいルーファの声が聞こえる。
「ミーナちゃん……あれ……なぁに?……みどりの……」
しばし逡巡した後ミーナはそっと答える。
「あれは……血です。生き物にはみんな血が流れているんですよ~」
「ち……でもぉ、ち、は赤……だって、本に……」
再び震え始めたルーファをぎゅっと抱きしめ、ミーナは続ける。
「生き物によって血の色は違うんですよ~。緑の血を持つ者もいれば青い者もいるんです。ごめんなさい、ルウちゃん。もっと……もっとよく考えるべきでした。もう何も怖いことはないですからね~」
そう言って頭を優しくなでると、ルーファはようやくわんわん声を上げて泣き始めた。その様子にミーナは達はホッと安堵の息を漏らしたのだった。
「ルウの様子はどうだ?」
バーンの問いに戻ってきたゼクロスとミーナが答える。
「取り敢えずは落ち着きました。今はベッドで眠っているはずです」
「ルウちゃんは眠る時に誰も側に寄らせないんですよ~」
「それは……」
思わず口ごもるバーン。その理由など1つしか思い浮かばない。ルーファは……夜な夜なエロ貴族に……。
沈痛な重い空気が辺りを支配する……が、あらぬ誤解である。
目から滲む涙を拭いながら、ミーナが殊更明るい声音で皆に提案する。
「もう依頼は十分達成していますし、明日はギルドへ寄った後はルウちゃんと買い物に行きたいんですけど、いいですか~?」
「いいぜ、楽しんで来いよ」
快諾したバーンは次いでゼクロスに目配せする。
「ダメです。お金はあげませんよ。この前渡したばかりではないですか」
「あれは……シルキスで……」
「ダメです」
絶望で打ちひしがれるバーン。その後ろで同じような表情をしたアイザックの姿が見えた。
ルーファは子狐の姿に戻り、ベッドの上で丸くなる。本当は誰かの側で一緒に眠りたいが、この姿ではそれも叶わない。
ルーファは今日あった出来事を思い出す。飛び散る血に、断末魔をあげ、凄惨な表情で死んでいったゴブリン。
ルーファは知らなかった。
血があんなに生臭いということを。
血があんなにヌルヌルしているということを。
“死”という存在があれ程厭わしいものだということを。
それは、ずっとヴィルヘルムが見せまいとしてきた残酷な現実。
自分は守られていた、そのことは知っていた。でも……何から守られていたのか……それを分かっていなかったのだとルーファは思う。漠然と危ない物からだと思っていたが、きっとそれだけではなかったのだ。
ルーファは不安に思う。このまま自分は冒険者を続けられるのだろうかと。ゴブリンですら、いや、生き物一匹すらも殺せないだろう自分に。
ルーファはプルプルと首を横に振る。自分は決めたのだから。神域を出るときに。強く、強くなるのだと。
ずっとヴィルヘルムとカトレアに守られてきた。そしてそれは神域にいる限り続くのだろう。
だが……それでは嫌なのだ。父が母を守ったように、父がヴィーと対等であったように、自分もまたそうでありたいのだ。守られるだけの存在ではいたくないのだ。せめて、せめて大好きな2人に心配をかけないぐらい強く在りたい……そう思うのだ。
そのためには、こんなところでヘコたれてはいられない。まだ自分の冒険は始まったばかりなのだから。
ルーファは決意を新たに眠りにつく。
(どうか明日には元気になれますように)
次の日には元気よく買い物を楽しむルウ達の姿と、背中を丸め安酒をチビチビ啜るバーンとアイザックの姿がフォーンの街中で見ることができたという。




