嘘
暁闇が払拭され、辺りに日の光が満ち始めた早朝。さえずる鳥の声を子守歌代わりにルーファは惰眠を貪っていた。
コンコン…………ドンドンドンッ!
最初は控えめにされていたノックも回数を重ねるにつれ遠慮のないものへと変わる。
「おいっ!ルウ!いい加減に起きろ!」
バーンの怒鳴り声にベッドの上で飛び上がる子狐。人化して慌てて服を着ようとするも、焦って上手く着ることができない。既にノックは扉を破るかの如く轟音を轟かせているというに。
「ま、待って~!」
ドゴオオオオォォォォン
半なきで叫んだルーファの声に被さるように、ひと際大きい音が響いたかと思えば、次いで静寂が訪れる。ようやく着替え終わったルーファがそっと扉を開けると、そこには倒れ伏すバーンと笑顔で挨拶をしてくるミーナとゼクロスの姿があった。なぜかゼクロスのメイスからはポタリポタリと血が滴っている。
「バーンくんは大丈夫なの……?」
心配そうにバーンに手を伸ばすルーファを制し、ゼクロスはバーンを足で踏みつけ光魔法〈回復〉を発動させる。
「お腹がすいたでしょ~?朝ごはんにしましょうね~」
ミーナに手を引かれ食堂に向かうルーファの後をバーンを引きずりながらゼクロスが続く。その後ろからはいつの間に合流したのかアイザックがいた。
「朝からごめんなさいね~、本当なら昨日のうちに予定を伝えようと思ってたんですけど……2人とも帰ってきたのが深夜をまわってたんですよね~」
そう言ってミーナは極寒の如き視線をバーンとアイザックに向ける。
バーンはシルキス最後の夜だと女の元へとしけこみ、アイザックは財布の中身を全部摩るまで賭博場に入り浸っていたのだ。ミーナとゼクロスは明け方近くまでイライラしながら二人を待っていたのである。正確にはミーナは途中で眠りについたので待っていたのはゼクロスだけだが。
肩を震わせる二人を無視し、ゼクロスが説明を始める。
「チケットが無事取れましたので今日は転移陣を4回ほど利用します。今日の夜には公都フォーンに着きますよ。フォーンには2日ほど滞在する予定です。待ち時間が2日で済むとは運がいいですね。それから……は、フォーンに着いてからにしましょうかね」
目を白黒させるルーファに優しく微笑むゼクロス。だが、その顔は何か企んでいる様にしか見えない。
話がひと段落着いたところで朝食が運ばれてくる。シャキシャキのサラダに大きなソーセージ、スープにパン、そしてデザートにはフルーツが付いている。中々バランスの取れた食事だと言えるだろう。
昨日教わった通りにフォークとナイフを持ち、ルーファは熱々のソーセージにそれらを突き立てる。
ツルン!
ソーセージがまるで生きているかのように飛び跳ね床へと落下する。狐耳をペシャンと垂らし潤んだ目でソーセージを見つめるルーファ。ミーナは聖母の様な微笑みを浮かべ、盗ってきたソーセージを素早く切り分けルウへと差し出した。
「ルウちゃん、あーん」
反射的に口を開きソーセージを頬張り、その美味しさにルーファは満面の笑みを浮かべた。
「それオレのソーセージ……」
バーンが小さな声で自己主張するもミーナは意に介さず笑顔で答える。
「食べればいいじゃないですか~」
そう言って顎をしゃくり床に落ちたソーセージを指し示す。
「……おかわりを」
「まさか長旅の前に無駄遣いをするなどと言いませんよね?」
バーンの言葉の上からゼクロスが言葉を被せる。2人の怒りは現在進行形で続いているようだ。
その様子を見ていたルーファが自分の皿に移してもらったソーセージをバーンに差し出す。
「バーン君、あーん」
「ルウ、お前……」
感動した様子でバーンはソーセージを噛み締める。ミーナとゼクロスもルーファの優しさに心打たれ、その瞳を潤ませている……が、よく考えてほしい。それは元々バーンのソーセージである。
アイザックだけが黙々と食事を続けていた。
現在ルーファ達は冒険者ギルドへアイリスに別れの挨拶をしに来ている。
「すまない待たせたな」
幾分か慌てた様子でアイリスが入室する。目の下にはクマが浮かび、その表情は焦燥に満ちている。僅か1日で痩せこけたアイリスの様子に、何があったのか、と緊張を漲らせる一同。
「おい、何があった」
表情を引き締めたバーンが尋ねる。
「……昨日、原魔の森の様子がおかしいと連絡が入ってな、調査を行ったところ凄まじいまでの破壊痕が見つかったのだ」
アイリスの声は疲れ果てた老人のように力がない。
緊迫した空気が流れる中、ゼクロスが質問を重ねる。
「それは……強力な魔獣が出現した、ということですか?」
「……分からん。見たこともない様な痕跡だ。まるで巨大な何かが通った後のように道が奥深くまで続いている。それだけではない。破壊されたとしても僅か数日で元通りに復元するほどの再生力を持つ原魔の森が、そこだけ再生力を失っているんだ」
今まで聞いたこともないような有様に、ゴクリと誰かが唾を飲みこむ音だけが妙に大きく聞こえた。
「……手が必要か?」
「そうしてもらえると助かる」
バーンの問いかけに力なくアイリスが答える。
「ルウ、悪いが……」
そう言って振り返ったバーンが見たものは……滝の様な汗を流しつつ目をキョトキョトと動かしているルーファの姿だった。
(……怪しい)
全員の心が1つになった。
咳払いをしつつゼクロスがルーファに向き直る。
「ルウ……何か心当たりがあるのですね?正直に話して下さい」
それでも話そうとしないルーファに苛立ち、バーンが口を開きかけたその時……
ズボっ
バーンの口にミーナの棍が突っ込まれる。その目はテメェは黙ってろ、と語っている。喉を突かれ咳き込みだしたバーンを尻目にゼクロスが優しくルーファに語りかける。
「大丈夫です。誰も怒りませんから、ね?」
ルーファは暫し逡巡するも、悄然と話し始める。
「ごめんなさい。お、オレがやってしまったんだぞ」
驚きに目を見張る一同にルウは鞄(亜空間)から弓と矢を取り出す。途端、濃密な魔力がその場を支配する。バーンたちは震え倒れそうになる身体を気力でねじ伏せ、その弓……否、矢を凝視する。顔色を変えた彼らの様子に気づくことなく、ルーファは思考を巡らせる。
(何としてでも誤魔化さねば!)
ルーファは死地に赴く戦士の如く覚悟を決め、話を練り上げる。先程までの焦りは鳴りを潜め、そこにいるのは一人の役者。
「これは原魔の森の奥で拾ったんだぞ」
一旦そこで話を切り、ルーファは意味深にバーンたちを見回した。
そこは原魔の森深部。魔物すら近づかぬ死の沼地。いや、近づけぬのだ。そこに住まう一体の強大な魔物故に。
ソレは死の病を撒き散らし、触れればたちどころに腐り死ぬ。憎しみに満ちたその眼は禍々しき光を放ち、頭からは捩くれた2本の角がまるで歪な王冠の如く生えている。身体は鱗に覆われるも、その所々は腐り落ち、異様な臭気が立ち込めている。まさに疫魔の王に相応しきその姿は、生者を死へと誘う使徒のよう。
ある時二人の旅人がその沼地へと踏みいる。そこにしかない薬草を追い求めて。
旅人の名はルウとフェン。
光魔法さえ効かぬ呪病に侵されたルウを救うため、フェンはルウを樹の洞に隠し単身その魔物へ挑んだのだ。
フェンの口から咆哮が迸り爆風が辺りを包み込む。それが戦闘の合図となった。
巻き上がった汚泥が視界を遮りフェンの姿を覆い隠す。だが疫魔の王には通じない。フェンの居場所をたちどころに見抜きその猛毒の牙をフェンへと突き立てる!
ガチリっ
そこにフェンの姿は既になく、牙の噛み合う音だけがその場に残る。
瞬間、低い唸り声が辺りに響き、疫魔の王の首筋に鋭い牙が突き刺さる。黄金に輝く瞳に闘志を宿し、巨大な狼がその首を引き千切らんと左右に振る。
フェンと同色の目を持つ巨狼……いや、それはフェン、フェンなのだ!
天空の王・魔天狼。風を従え空を翔ける天空を司りし最強の魔物の一角。その威容は疫魔の王を軽く凌駕する。
だが疫魔の王に動揺は微塵も見られない。王の如くゆっくりとその身を動かし沼の中に隠されし全容が露わになる。
九頭竜
先程まで戦っていた疫魔の王はその首の1つに過ぎなかったのだ!
フェンは一旦距離を取ろうとするも、それを許すヒュドラではない。九つの首がフェンへと絡みつきその牙がフェンへと突き立てられる。
ガアアアアアアァァァァァァァァァ!!!
フェンの絶叫が響き渡り、その青灰色の美しい毛並みが徐々にどす黒く色を変える。
……腐っているのだ。生きながら。
だが、だが、フェンの目は未だ諦めを知らず爛々と力強い光を放っている。フェンが諦めた時、それがルウの死ぬ時なのだから……。
しかし……遂に限界が訪れる。身体の大半が黒く染まりその身が……崩れていく。
「フェン!!」
必死にフェンを呼ぶ声が聞こえる。ルウだ。ルウが動かぬ体を引きずってフェンの元へとやって来たのだ。フェンの絶叫を聞き、助けるために!
何の力も持っていない弱き存在でありながら、それでもフェンの元へと……
なぜならフェンは……ルウのたった1人の、初めてできた友達なのだから。
ルウは〈浄化〉を発動する。自分の想いを力に変えて。
――その想いが奇跡を起こす!
毒に染まりし沼地が清水溢れる湧水へと。
腐りしフェンの身体が美しき青灰色へと。
そして……ルウの目の前には1張りの弓と赤き矢が顕現する。
ルウは導かれるままに矢を番え放つ!ヒュドラへと――。
矢は流星の如く赤き尾を煌めかせながら飛翔し、ヒュドラを見事穿ったのだ!
「こうしてオレは苦難を乗り越え、この弓と矢を手に入れたんだぞ!原魔の森を出る前に弓の練習をしたら、森が破壊されてしまったんだぞ」
完璧だ。完璧である。自分で作ったのに、思わずうるっとなった程である。その姿はやり切った感で溢れていた。
「ルウちゃんっ!」
その言葉と共に柔らかい何かが顔に押しつけられる。
ぽよよよぉぉぉぉぉん
ミーナの胸に抱かれながら、ルーファはその感触を暫し堪能する。なかなか気持ちいいのである。
「辛かったですね~。もう……もう大丈夫ですからね~」
「そうです。ここにはルウを傷つける者などいませんから」
ミーナの顔は慈愛に満ち、ゼクロスの目は泣き腫らしたかのように赤い。よく見れば、バーンとアイザックも袖で目元を拭っている。アイリスは……最早触れるまでもないだろう。彼女の尊厳のためにも。
(ちょっとやり過ぎたかもしれない……)
「詳しいことはフェンに聞いて欲しいんだぞ」
ルーファはフェンを犠牲にして逃亡することにする。フェンは頼りになるのである。きっとどうにかしてくれるに違いないのだ。
フェンが知らぬ間に設定のハードルをマキシマムまで上げたルーファはフェンにエールを送った。
そして今、全員の視線は赤い矢へと注がれている。
「凄い力を感じるぜ」
そう言って手を伸ばすバーン。
「ダメっ!」
ルーファは慌ててバーンを止める。
「これはオレにしか触れないんだぞ!触ったら死んじゃうかもしれないんだぞ。フェンも危なかったんだから……」
フェンの腕が消えたことを思い出し、思わずルーファは涙ぐむ。
「マジかよ」
バーンは冷や汗をかきつつ手を引っ込める。
「弓なら許可したら触れるんだぞ」
そう言ってルーファは弓を差し出した。
「神聖な力を感じますね……。この巻き付けてある皮を外しても?」
ゼクロスの言葉にルーファは逡巡するも、こっくりと頷く。もうどうにでもなれの心境である。
――光輝く神樹の弓が姿を現す。
そのあまりの美しさに息を飲む一同。ゼクロスは反射的に跪き自らに祝福を与えたカトレアに祈りを捧げる。彼女に謁見した時に感じたのと同等の力を感じたために。
祈りが終わり、ゼクロスが口を開く。
「これは神樹から作られた聖具……聖弓でしょう。もしかしたら、その沼地に封じられていたのかもしれませんね」
「迷宮の深部から持ち主を限定する武器が稀にでるといやすが、この弓もその類いじゃねぇっすか?」
「まさか原魔の森に迷宮が!?そんな話は聞いたことがないぞ!」
「凄いのはこの矢だぜ。一体何でできているんだ」
白熱する議論を余所にルーファは暇をもて余していた。視線を上げた先にある時計が目に入る。
「そういえば時間はいいの?」
ルーファの言葉に全員が時計を確認する。
「やべぇ!一時間切ってやがる」
「簡単ではあるとはいえ荷物検査がありますし……厳しいですね」
慌ただしく席を立ち上がったバーンたちをアイリスが引き止める。
「私が一筆書こう。荷物検査ならパスできるはずだ」
即座にアイリスは紙にペンを走らせ封書を用意する。
「助かるぜ!色々と世話になった」
バーンを皮切りに全員がアイリスに別れの挨拶を済ます。
「寂しくなるな……」
名残惜しげに呟くアイリスへルーファは近寄り、その頬にキスをする。
「ありがとう、アイリス」
その時清涼な風がアイリスの身体を駆け抜けた。
「……?ルウ元気でな。幸せになるんだぞ」
違和感を感じたのかアイリスは一瞬訝しげな顔をするが、すぐに笑顔になりルーファを抱きしめる。
――この日、アイリスは神獣の祝福を得た。
アイリスの封書のお陰で面倒な荷物検査をすることもなく、無事に到着した一行は係員の指示に従って進む。
「A16便、あと5分で出発します。転移陣からはみ出さないようお願いします!」
係員の注意に反射的に足元を見るルーファだったが、彼らが立っているのは中央寄りのためはみ出す心配はない。
「空いてて良かったですね~」
周りを見回し、ミーナは嬉しそうに顔を綻ばした。今回は30人しか利用する者がいないため、比較的すいていると言ってもよい。これが満員になると……胸をわざと触るような変質者が出てくるのだ。
「いつもはもっと多いの?」
ルーファの質問に変質者のことなど言える筈もなく、ミーナは基本的な情報に留める。
「ここは辺境ですから基本空いてますけど、中心部に向かうにつれて混みだしますね~。多い時は定員ギリギリまで詰め込まれますよ~」
「ここは定員50人ですがリーンハルトの王都では500人が一気に移動できますね」
ゼクロスの補足説明に目を見開くルーファ。そこへ係員の声が響く。
「カウント開始します!10、9、8、7……」
転移陣が光を放ち始め、驚いたルーファはゼクロスにしがみつき目をぎゅっと瞑る。ルーファを抱きしめ返し至福の表情を浮かべるゼクロスに、悔し気に歯を軋ませるミーナの姿は次の瞬間にはどこにもなかった。
4回の転移を経て、その日彼らは無事公都フォーンに到着した。




