別れと新たな仲間
最近続いた快晴は鳴りを潜め、空は分厚い雲に覆われている。吹く風は僅かに湿り気を帯び、雨の気配を感じさせる。シルキスへの街道を行く人々の歩みも今日は幾ばくか忙しない。そんな街道から逸れた草原に7つの影が佇んでいる。
「びえぇぇぇぇぇん!びえぇぇぇぇぇぇぇぇん!!」
大泣きをするルーファにフェンは困ったような目を向ける。しがみつくルーファを無理矢理引き剥がすこともできず、先程から膠着状態が続いている。なんだかんだ言って半年以上一緒に旅をつづけた仲である。
「ルウちゃん、フェンさんが困ってますよ~」
「そうですよ。またすぐ会えますから」
ミーナとゼクロスが必死に慰めるも一向に泣き止む気配がない。ちなみにアイリスも号泣しているが、こちらは綺麗に無視されている。
フェンはルーファをひょいっと抱き上げ声を掛ける。その口調はいつになく優しい。
「ルウは立派な冒険者になんだろ?ここで躓いてどうすんだ」
「ぐすっ……ぐず。だ、だってぇ」
「大丈夫だ。またすぐ会えるさ。約束したじゃねぇか」
額をコツン、と合わせてフェンはルーファの目を覗き込む。
「……うん」
「よしよし、いい子だ」
そう言ってルーファの頭を撫でるフェン。
「約束……絶対なんだぞ!」
「分かってるって」
フェンはようやく泣き止んだルーファをゼクロスへと渡し、人化を解く。
そこへ今まで背景と化していたバーンとアイザックが歩み寄り声を掛ける。
「ルウのことは任せとけ。オレ達が責任もってカサンドラまで連れて行く」
バーンの言葉にアイザックも同調する。
「そうっすよ。カサンドラに着くまでには立派な冒険者になってやす」
その言葉に1つ頷き、フェンはルーファに向き直る。
『いいか、拾い食いはダメだ。飯をもらったからって知らねぇ奴には付いて行くなよ。1人で出歩くのも禁止だ。街ん中では手を繋いでもらえ……いや、常に手を繋いでもらっておけよ。ギルドカードはちゃんと首にかけてるか?それから……』
「大丈夫なんだぞ!オレはもう大人なんだぞ!!」
あれこれと注意をするフェンに口を尖らせ反論するルーファ。猜疑的な眼差しをルーファに送り、他のメンバーにも念を押しておく。
『絶対ぇルウから目を離すなよ。何をやらかすか分かんねぇからな』
魚の一件を思い出し、納得したように頷く一同。僅かに顔が引きつって見えるのは錯覚だろうか。
フェンは涙を堪えようとハンカチを噛み締めているアイリスに限定し、思念を送る。
『原魔の森に気を付けろ』
瞬間、アイリスはギルドマスターとしての顔つきになり目でフェンに問う。
『様子がおかしい。オレ様はこれから調査に向かう。……汚染獣に注意しろ』
目を見開くアイリスを一瞥し、ルーファに歩み寄り鼻先を寄せる。
ペロリ
『またな!どっちが早くカサンドラに着くか勝負だぜ!』
そう言って空へと舞い上がるフェンにルーファも負けじと叫び返す。
「負けないんだぞ!」
あっという間に雲の間に見えなくなってしまったフェンを探すように、ルーファはいつまでも空を見上げていた。
フェンと別れた後、彼らはシルキスまで戻ってきていた。だが、ここにいるのはルーファとミーナ、ゼクロスの3名だけである。アイリスはフェンの忠告を受け即座にギルドへと取って返し、バーンとアイザックは他の用事を済ますために別行動だ。
ぽつぽつと振り出した雨の中、3人は足早に買い物を続ける。長旅に出るにあたりルーファの装備が圧倒的に足りてなかったのだ。服もフェンから貰った一着しか無いうえに、日用品に関しては何一つ持っていないという状況だ。
ミーナはぷりぷりと怒りながら服を見て回る。
「全くフェンさんは酷いです~。今までルウちゃんをこんな着の身着のままで連れ歩いていたなんて!」
何と下着すら履いてないのである。普段は〈魔装〉で服を作り出しているフェンではあるが、服同様、普通の下着も一応持ってはいる。だが、さすがに自分の下着をルーファに履かすわけにはいかず、後で購入しようと思いそのまま忘れていた次第である。ルーファも今まで服など着たことがなかったために、別段気にしなかったことも原因の1つだ。
ミーナが見ているのは全て〈調整〉が掛けてある魔法服だ。バーンは普通のでいいだろ、と言っていたがミーナはそれを聞き入れなかった。彼女は自他共に認める魔道具マニアでもあるのだから。彼女が身に着けている物は全て魔道具だと言っても過言ではない。そんな彼女が可愛らしいルーファに安物の服を着せるだろうか。否、あり得ない。フェンから多額の報酬を貰っていることもあり、金額すら確認せず次々と籠に放り込んでいる。
いつもであれば金庫番たるゼクロスが止めるのだが……ルーファに甘い彼にその気配は微塵もない。むしろ当然の如く見守っていた。
ルーファのギルドカードにも既に幾ばくかのお金を入れてはいるが、無駄遣いを警戒してゼクロスに預けているため、支払いは全てゼクロスが行っている次第だ。
「こんなものですかね~。ルウちゃん疲れたでしょう?ご飯にしましょうね~」
「それが良さそうですね」
ぐったりしているルーファを見たゼクロスはその身体を抱え上げ、歩き始める。背中に巨大なメイスを背負っているというのに、その足取りは軽い。ミーナはゼクロスを追いかけ焦ったように声を掛けた。
「ちょっとゼクロスさ~ん。人攫いにしかみえませんよ~!」
その言葉に地味に傷つきながら、それでも彼はルーファを下ろそうとはしない。なぜならルーファにぎゅっと抱き着かれているのだから。にやけそうになる顔を堪えながら食事処の扉を潜るゼクロスの顔は凶悪犯にしか見えなかった……通報されないことを祈るばかりだ。
食事を取りながら、ゼクロスはルーファに今後のことを説明する。ルーファは旅の仲間であると同時に依頼主でもあるのだから。
「いいですか?シルキスはフォルテカ公国の東部の街になります。ここからフォルテカを横断し、獣王国リーンハルトに入ります。荒野に沿う形で、リーンハルトを抜けカサンドラに向かうというわけです」
「荒野って何?」
もごもごと口を動かしながらルーファが尋ねる。ハッキリ言って犬食いである。何せ今までスプーンもフォークも握ったことすらないのだから。
(……個室にして正解でしたね)
ゼクロスは自分の行動の正しさに満足気に頷きながら、その問いに答える。
「ルウは“大災厄”を知っていますか?」
「知ってるんだぞ!汚染獣が世界を滅ぼしかけたんだぞ」
ルーファの顔を拭きつつゼクロスは説明をつづける。
「よく知っていますね。召喚された勇者たちが知恵ある汚染獣と戦った場所こそ荒野なのですよ。勇者たちが知恵ある汚染獣に変わってしまった場所でもあります。この世界で最も瘴気が濃く、未だに草一本すら生えない不毛の大地です。カサンドラはその荒野の西端にある国なのですよ」
「そうなんですよ~。母なる神獣様でさえ浄化できなかったと言われているほど瘴気に満ちた大地なんですよ~。汚染獣が発生するのもほとんどが荒野ですしね~」
負の感情を集める原魔の森でも発生することはあるが、瘴気へと変わる前に魔物が誕生するため、戦争・虐殺などが起こらない限りは殆どない。
「そんな危険な場所にあるの!?」
驚くルーファに二人は苦笑し、なぜか得意げに胸を張りつつミーナが答える。
「それがあるんですよ~。正確にはカサンドラ大迷宮のお陰なんですけどね」
「迷宮の影響でカサンドラ周辺だけ森があるんですよ。水もそこだけ湧いています。何より、カサンドラ大迷宮は世界最大の迷宮、その内包された資源たるや莫大なものですから」
「冒険者の国ですからね~。稼ぐなら断然カサンドラですよ~!」
拳を握りやる気を漲らせるミーナ。ルーファの目もキラキラと輝いている。
「カサンドラまでどの位かかるの?」
不安気にルーファが尋ねる。フェンの足でもカトレアの神域からシルキスまで半年以上かかったのだ。実際はルーファの寄り道でかなりの時間を消費しただけなのだが……そのことは完全に頭の中から消え去っている。ルーファは過去を振り返らない主義なのだ。
「フォルテカを抜けるまでは短距離転移陣を使いますので10日と掛からないでしょう。むしろ待ち時間の方が長いでしょうね」
ゼクロスの言葉にうんざりとした表情を見せるミーナ。
「たんきょりてんいじん?」
ルーファは神域にあった3つの転移陣を思い出す。それぞれドラグニル(竜王宮)、ギガント王国(白亜城)、バッカス火山王国(サラシアレータの神域)に繋がっている。これらは全て長距離転移陣であり、短距離転移陣とは一線を画すものとなる。
短距離転移陣とは300キロ以内を一瞬で移動可能な魔法陣で各主要都市を結んでいる流通の要だ。使用には1人2万ドラ(銀貨2枚)かかるが、冒険者及び医療ギルドのメンバーだけは1万ドラで利用可能だ。
街中にあるものの、防衛のためにその区画は高い壁で囲まれており、出入口も2か所――入口用と出口用――だけとなる。その出入口にも衛兵の詰め所が用意され、厳重な警戒が行われている。非常に便利ではあるが、防衛上の問題で1つの都市にそこまで多くの転移陣が設置されているわけではない。
また、転移陣は王都を中心として放射線状に設置されており、転移陣のある都市はその放射線状にある前後2つの都市を結ぶのが常となる。ただし、大都市ともなれば枝分かれしている場所もあり、複数の転移陣が設置されていることもままあるので一概には言えない。
便利な反面問題もあり、王都を中心に縦に伸びているため、横に行こうと思えば一旦分岐点まで戻る必要があるのだ。そのため街道を利用する者も多くいる。
当然のことながら、この転移陣は国を跨ぐものではなく国境を短距離転移陣で越えることはできない。
ゼクロスはルーファに短距離転移陣の簡単な説明を行い、気難しそうな表情で続ける。
「フォルテカを抜けるまでは転移陣が敷かれている線上を移動できるのですが、リーンハルトではこの線上からはみ出してしまいますので、利用することができないのですよ。転移陣を利用してカサンドラに最も近いメイゼンターグまで行こうと思えば、それこそ一度王都リィンまで行かねばなりませんしね」
「じゃあ、途中から歩くの?」
不安気にルーファが質問する。最近発覚したのだが、二本足で歩くのは非常に疲れるのだ。せめて飛べればいいのだが……神獣だとバレてしまうので土台無理な話である。
その様子に苦笑を一つ漏らし、ゼクロスは安心させる様に微笑む……のだが、その顔はまるで般若の如き様相だ。
「大丈夫ですよ。リーンハルトに入ってからは魔獣車を購入する予定ですから」
「魔獣車?」
小首を傾げるルーファに二人は驚いた顔をする。まさか魔獣車を知らないとは……だがそこで、ルーファが今まで鎖に繋がれていたこと(設定)を思い出す。ゼクロスは(架空の)その愚か者共に心の中で呪詛をまき散らし、ミーナはハンカチで目元を拭っている。
自分の感情を表に出さぬよう気を付けながら、ゼクロスは言葉を紡ぐ。
「魔獣が引く箱のことですよ。街中で見かけませんでしたか?」
「!?あの浮いてた変なの!!」
そう、この世界の馬車・魔獣車は総じて浮いているのである。車の部分に〈浮遊〉の刻印魔法が施してあり、それを馬ないし魔獣が牽いているのだ。刻印魔法が破損した時のために車輪もついてはいるが、ほぼ飾りといっても過言ではない。
ルーファの不安気な表情が一転嬉しそうに輝く。一度乗ってみたいと思っていたのである。その様子にゼクロスはそっと安堵の息を吐いた。
「魔獣車であれば、メイゼンターグまで1月といったところですね。途中寄り道したとしても、シルキスから2月もあれば大丈夫でしょう。問題はそこからです。荒野は瘴気の影響で転移陣はおろか通信の魔道具すら使えません。魔物も凶暴化してアンデッドも多いですので、カサンドラへの道のりは大変危険なものになります」
「ちょっと~。あまりルウちゃんを怖がらせないで下さいよ~」
ミーナの非難の言葉に慌ててルーファに目をやると……涙を浮かべプルプルと震えているではないか!
「心配いりません!危険ですからそれなりの対策も施されていますから!月に一度大隊を組んで荒野を渡るのですよ。そこにはリーンハルト・カサンドラの精鋭だけでなく高位冒険者も多く参加しています。まぁ、それだけ迷宮に価値があるということですね。私たちもそれに便乗する予定ですから!」
「そうですよ~それに私たちはとっても強いんですよ~」
そう言って、ミーナは力こぶを作ってみせる。クスクスとルーファの口から笑い声が零れ、和やかな雰囲気が流れる。
「そういえば……バーンさん達はちゃんとチケット取れたんですかね~」
ミーナの言うチケットとは短距離転移陣を使用するための予約チケットのことである。利用する者が多いため、事前に予約する必要があり、チケットには日時と番号が記されている。その時間に受付に行けば比較的スムーズに利用できるが、祭りなどの期間と重なれば、それまでに10日近く掛かるということもある。
そして、ミーナが不安がるのには理由がある。
バーンは大の女好きで常に複数の女性を侍らし、女のために金は惜しまない稀代の女たらし。そしてアイザックは大のギャンブル好きで時間があれば常に賭博場に通っているギャンブル依存症なのだ。ちなみに、魔道具マニアのミーナは高価な魔道具に湯水のごとくお金を費やす浪費家のため、あまり人のことは言えない。
ゼクロスがパーティの金庫番をしているのは当然の流れだと言えるだろう。
非常に不安である。まさかとは思うが、渡した資金を女とギャンブルに使っているのでは……。
「もし遊び惚けているのであれば……しばらく外を歩けぬ顔になるでしょう」
そう言って立てかけてあったメイスを軋むほどの力で握りしめるゼクロスに、よく分かってない顔で最後のデザートを頬張るルーファ。
「そろそろ宿に戻りましょうかね~」
ミーナの言葉でお開きとなったが、宿に戻ったところで問題が起こる。ルーファが強固に1人部屋を主張したのだ。一緒の部屋にしようと思っていたゼクロスは涙目である。
結局、ルーファが頑として譲らず1人部屋を勝ち取った。
ルーファは部屋へと入り、扉にしっかり鍵を閉めてベットに腰かける。
(危なかったんだぞ)
ルーファが同室を嫌がったのには理由があるのだ。実は寝ている間に人化が解けてしまうのである。これはフェンも知らないことだ。ああ見えて紳士なフェンはルーファ用に別室を取っていたためだ。
ルーファなりに先程の話をまとめると、どうやらフォルテカを出るまでは宿を取る模様である。そのことにルーファは安堵の息を吐く。
何としてでもリーンハルトに入るまでに人化が解けないようにせねばならない。決意を胸に、マントを脱ぎ横になるルーファ。大泣きしたせいもあり、すぐに睡魔が押し寄せる。神獣は睡眠を必要とはしないはずなのに……。そう理不尽に思いつつもルーファはその波に身体を任せ意識を沈めていく。
次の瞬間にはベットの上に人の姿はなく、小さな子狐が可愛らしい寝息を立てている。
『……フェン』
寂しそうに鼻を鳴らすルーファを双子月が優しく見守っていた。




