フォルテカ公国へ
ちょっと長くなりました。
雲1つない青空の下を二人の旅人が街道に沿って歩いている。時折吹く風が草原を揺らし、サラサラと音を立てて流れていく。穏やかな気候と暖かな太陽の光が旅人を柔らかく包み込み、順風満帆な旅路を祝福しているかのようだ。
街道の先に街を囲む外壁が連なっているのが見えるが、それもまだ遠い。
フード付のマントに身を包み、顔を隠した旅人は親子だろうか。大柄な人影が小柄な方の手をしっかりと握っている。
「フェン……疲れたんだぞ。翔んじゃダメ?」
そう言ったそばから躓くルーファを支え、無情にフェンが答える。
「ダメだ」
「……おんぶ」
「おいおい、冒険者になんだろ?こんくらいでヘコたれてどうすんだ。それによ、おんぶしたら歩く練習になんねぇだろうが」
正論であるがゆえに、項垂れながらも足を動かすルーファ……が、その歩みは亀のように遅い。
(さすがに可哀想か?)
フェンは気付かれぬようにルーファの様子を確認する。
何せ昨日が記念すべき二本足での初歩行なのだ。だが……とフェンは頭を振る。これから暫くは1人でやっていかねばならないのだ。歩けないようでは話にならない。
結局フェンは原魔の森でルーファと別れず、最も近い街――フォルテカ公国の城塞都市シルキス――までルーファを連れて行くことにしたのだ。歩行困難な美少女……もはや犯罪臭しかしない。ここで信頼できる冒険者を雇い迷宮王国カサンドラまで連れて行ってもらう予定である。
「ルーファ、設定を覚えているか?」
「大丈夫だぞ!オレは今まで悪い奴に閉じ込められてて、フェンに助けてもらったんだぞ」
忘れていないことに安堵しつつフェンは念を押す。
「いいか、余計なことは言うんじゃねぇぞ?お前は何も知らねぇ。歩くのが苦手なのもずっと鎖に繋がれていたからだ。〈浄化の光〉以外の魔法は全部魔道具を使っていることにしろよ。光の魔質の奴は他の魔法が一切使えねぇからな。再生もだめだ。あれは神聖魔法だからな、傷を治す程度にしとけよ」
「わわわわわ分かってるんだぞ!えっと、〈収納〉を使うときは、この鞄から取り出す振りをするんでしょ?あと、この腕輪に結界魔法が込められてるんだよね?」
「おっ、ちゃんと覚えてんな」
そう言ってフェンは満足気に頷いた。
後は信頼できる冒険者がシルキスにいれば完璧なのだが……いなければどうしようもない。ちなみに、信頼できるかどうかはアカシックレコードで調べればすぐ分かるので何も問題はない。
遠くに見えていた城壁が近づくにつれ、人が長蛇の列を作り並んでいるのが確認できる。
「……あれに並ぶの?」
億劫そうに列を見て呟くルーファ。
「ふふん、まぁ見てろ」
ニヤリとどこか自慢げに笑ったフェンが列の横をすり抜けて城門へと近づけば、それに気づいた衛兵たちがルーファ達へと向かってくる。
「失礼ですが……」
そう言って声を掛けてくる衛兵にフェンは冒険者カードを渡し、受け取った衛兵が持っていた識別水晶にそれを翳す。すると、ピピっと電子音の様な音が辺りに響く。
「こ、これはっ!Sランクカード!?こ、後見人が竜王様だとっ!!!大変失礼いたしました!Sランク冒険者フェン様、ようこそシルキスへ!」
その言葉を聞いた人々は驚愕の眼差しをフェンに向け、そこかしこで歓声が上がる。
震える手でカードを返し、敬礼する衛兵にフェンは声を掛ける。
「こいつはオレ様の連れだ。連れて通るぞ」
そう言ってフェンは衛兵に向かって大銅貨を指で弾く。それを両手でキャッチした衛兵は、上ずった声を上げた。
「はいぃぃぃ!どうぞお好きなように!」
それでいいのか衛兵、と思わないでもないがこれは当然の反応である。Sランク冒険者は現在世界に3名しかいないのだから。大国の王にも謁見でき、大貴族と同等……いや、小国の王すら凌駕する地位なのだ。
ルーファはそんなフェンにキラキラとした尊敬の眼差しを向けている。
「すごーい!すごい、すごーい!!」
大絶賛である。
周りからの黄色い悲鳴にさすがに居心地が悪くなったフェンは、ルーファを左腕にひょいっと抱きかかえ足早にその場を去る。抱っこしてもらえてご満悦なルーファは、フェンの首に手を回してご機嫌に尻尾をパタパタ振っている。
「フェン!フェン、あれ何っあれっ!わぁーあっちからいい匂いがするんだぞ。あれ食べようよ~」
「後でだ!先に冒険者ギルドに行くぞ。こら!髪を引っ張んな!」
落ち着きなく辺りを見回すルーファに、フェンは抱く腕に力を込める。隙あらばフェンの腕から飛び出そうとするのだ。最初に捕獲しておいて正解だった、そう思うフェンである。
それも仕方ないともいえる。何せルーファにとって生まれて初めての街なのだから。
大通りを進んでいくと武装した者が目に見えて増えてきた。フェンは重厚で巨大な建物の前で止まりルーファを降ろす。剣と盾が交差した絵が描かれているこの建物こそ、冒険者ギルドだ。
フェンは躊躇いなく扉を開き、中へと踏み入る。その後ろを緊張した面持ちでルーファが続く。フェンの手はしっかりとルーファの手を握っている……主に拘束的な意味で。
中に入ると左手側に受付がズラッと並び、右手側には飲食ができる酒場となっている。すでに夕方が近いせいか酒場には多くの冒険者がたむろし、騒がしいことこの上ない。奥の壁には依頼書が所狭しと張られており、複数の冒険者と思しき者が真剣にそれを吟味していた。
物珍しさにルーファがキョロキョロしていると、横合いから声が掛けられる。
「ようこそシルキス冒険者ギルドへ。案内が必要ですか?」
ギルドの制服を着た男だ。フェンはギルドカードを男に渡し要件を伝える。
「ギルドマスターに会いてぇ。いるか?」
男は僅かに目を見張るが直ぐに笑顔を取り戻し、一旦フェンに断りを入れ奥へと去っていく。ギルドカードを確認しに行ったのだろう。待つこと暫し、戻ってきた男は恭しくギルドカードをフェンへと返却し、一礼する。
「ギルドマスターがお会いになるそうです。私に付いていらして下さい」
途端、辺りが騒めき始める。普通、ギルドマスターとは面会しようと思っても中々できる存在ではない。周囲に一切目を向けることなくフェンは男の後を追う。もちろんルーファの手はしっかりと握っている。
3階への階段を上がり奥へと進めば、1・2階とは違い剥き出しの石でできた床には絨毯が引かれ、雰囲気が武骨な物から柔らかい印象の物へと変わってくる。男が止まったのは何の変哲もない扉の前だ。
コンコン
二回ノックをした後、中から応えがある。
「入れ」
意外なことに若い女の声だ。男は扉を開けフェン達を中へと促し、自身はそのまま扉を閉め立ち去っていった。
窓辺には執務机が置かれ、耳の尖った若い女が座っていた。
部屋の中央には長方形のテーブルとそれを挟むように置かれているソファーが2脚。テーブルの上には既に3人分の飲み物が用意されており、暖かな湯気が立ち昇っている。そして何より目を引くのが部屋の片隅にある水槽か。色とりどりの小さな魚が悠々と泳ぎ、訪れる者の目を和ませる。
執務机に座っていた森人族の女が立ち上がり、フェン達にソファーを勧める。彼女も対面にあるソファーに移動し、その手をフェンに向かって差し出した。
「ようこそシルキスへ。貴殿を歓迎する。私はシルキスのギルドマスター、アイリスだ。よろしく頼む」
「オレ様はフェンだ。こっちはルウ。ちょっと訳ありでな。話ってぇのはルウのことだ」
ルウとはもちろんルーファのことである。ルーファの強硬な意見により偽名を名乗ることになったのだ。ちなみに、当の本人の目は先程から水槽に釘付けである。
水槽へと向かおうとするルーファの手を放すまじ、とフェンが握る。そんな攻防など露知らず、アイリスは続きを促す。
「ルウはオレ様が依頼の最中に拾った……いや、助けた子だ。おっと、分かっちゃぁいるかと思うが何の依頼かは詮索するなよ?とある貴族の屋敷で鎖で繋がれていたのを助け出したんだが……冒険者になりたいと言い出してな。ここへ連れてきた」
「つまり、このギルドで冒険者としてこの子の面倒を見ろということか?」
アイリスは方眉を上げながら気難し気に答える。ギルド職員として雇うのならまだ分かる。だが、冒険者としてであれば承諾することはできない。原則、冒険者への対応は平等でなければならないのだから。これが、誰の目にも特別だとわかる高ランクの冒険者であれば話が別だが。
敏感にアイリスの感情を察知し不服気にフェンは続ける。
「訳ありだと言っただろうが。いいか、ルウは光魔質だ。それも特級まで使える」
「なっ!?」
光魔法は他の魔法と多くの点が異なっている。他の魔法は最下級、下級、中級と上がるにつれ使用魔力量が多くなるのだが、光魔法は違う。
最下級の〈照明〉は他の魔法と変わらず微々たる消費量であるが、下級〈回復〉、中級〈解毒〉、上級〈解呪〉は全て同じ使用魔力量なのだ。つまり、下級の魔力量があれば上級まで行使可能であり、成人した光魔法士は全員上級まで使用できるのだ。
だが特級〈浄化〉は違う。これは瘴気を浄化する聖なる光。汚染獣・アンデッドに高い威力を誇り、これ1つで〈回復〉〈解毒〉〈解呪〉も行うことが可能となる。更に威力も跳ね上がり、〈回復〉では千切れた腕を繋げることはできないが、〈浄化〉ではそれさえも成し遂げる。
ただし、欠損した部位は再生することはできない。これは、神聖魔法〈浄化ノ光〉の領域である。
故に、特級を使える光魔法士の数は固有魔法士よりも遥かに少ない。レア中のレアだ。〈浄化〉の魔法が使えれば、国で上位の地位を約束されたも当然なのである。
「ちょっと待って欲しい。この子はもしや、アグィネス教に……」
動揺するアイリスにフェンは沈痛な面持ちで嘘八百を述べる。
「……そうだ。捕らえられていた。その頃の記憶はあまり残っていねぇようだが……」
「この子は正気……なんだな?」
「特殊体みてぇでな。生まれつき光魔質が固定されてんだよ」
「そんなことがっ!?」
アイリスが驚くのは無理もない。
以前にも述べた通り光魔質は魂が穢れれば闇魔質へと変化するのだ。そのため、ほとんどの国では5歳になると貴族・孤児関係なく真実の水晶によるステータスの確認が行われる。これはアグィネス教であろうと同様である。
ただし、神樹の実から作られているこの水晶は神獣神殿にしか寄贈されていない。アグィネス神殿にあるものは全て神獣神殿を襲い奪ったものである。
神獣信仰国では光魔質の者は適性の分かる5歳で神殿に預けられ、心を清廉に保つための修業が行われる。また、犯罪組織やアグィネス教に狙われるのを防ぐため、肉親以外の面会は許されず、外出の際にも厳重に警護されることとなる。
そして15歳になると神域へと赴き、神獣の審判を受けるのだ。この審判で魂の資質を見定められ、合格すれば祝福を賜る。祝福を賜ることで光魔質が固定され、闇属性に変質するのを防ぐことができるのだ。ただし、魂が悪に偏ると祝福が消えるため完全にとはいえないが。
その後は、自由が与えられるが狙われることには変わりないため、大半の者が警護が厳重である神獣神殿で働く神官となる。稀に冒険となる者もいるが、この場合は信頼でき尚且つ実力のある者を国と冒険者ギルドが斡旋する。
だが……神獣がおらず、光魔質の固定が行えないアグィネス教支配圏は話が異なる。5歳になると真実の水晶でステータスを確認するまでは同じだが、その後は闇魔法を用いて光魔質を固定するのである。
禁呪・闇魔法上級〈精神汚染〉
禁呪を用いて精神を破壊し、強引に光魔質を固定するのだ。心が無ければ魂が穢れることはないのだから。
精神を破壊された子供たちは教団の操り人形となり、外部に気付かれることなく神官として働いている。特級である〈浄化〉だろうと精神を癒すことは叶わず、癒すには神聖魔法〈浄化ノ光〉が必要である。故に、1度精神を壊された子供はもう2度と自分の意思を持つことはないのだ。
「アイリスは知ってんだな。アグィネス教団の秘密を」
「私は森人族だからな。こう見えても200歳を超えている。……以前、精神を破壊された子供を保護したことがあるのさ。酷いものだったよ。主人を失ったその子は食事を取ることも出来ず、そのまま死んでいった」
そう言ってアイリスは沈痛な表情でフェンの膝を枕に眠っているルーファを見つめる。
「……母様。……ぐすん」
都合よくカトレアの夢を見ていたルーファが母を恋しがり涙を流す。
フェンの正面からは鼻を啜る音が聞こえる。
(やりすぎたかもしんねぇ)
ルーファのタイミングの良さに慄きながら、フェンの額からは一筋の汗が流れ落ちる。フェンは〈影収納〉でハンカチ……はないのでタオルを取り出し、アイリスにそっと差し出す。溢れる涙と鼻水を拭い、落ち着きを取り戻したアイリスがフェンに質問する。
「話は戻すが、なぜ冒険者に?特級まで使えるならば雇用先は選り取り見取りだぞ?」
フェンは肩をすくめながら答える。
「本人たっての希望だ。迷宮王国カサンドラへ行きたいそうだ。そこまで信頼できる冒険者に送ってもらいてぇ」
「失礼だが、フェン殿はどうするのだ?」
アイリスの目が非難するかのように細められる。
「オレ様は用事があってな。緊急を要するもんだ。本来なら付いて行ってやりてぇんだが……。用事が済み次第オレ様もカサンドラへ向かう。それまで気にかけてやってもらえねぇか」
そう言って困ったようにルーファを見る目は、心配気な光が灯っていた。
「失礼した。無礼をお許し願いたい」
深々と頭を下げたアイリスは続ける。
「フェン殿の用事とやらが終わるまでここで預かることも可能だが?その方が安全ではないか?」
「それができれば簡単だがなぁ。ルウは冒険者に憧れてんだよ。それにジッとしておけないタイプでな、放っておくと1人で飛び出しかねねぇ」
「そうか……冒険者であるフェン殿に救われ、今まで閉じ込められていたために……」
アイリスは何かに納得したように、タオルでそっと目元を拭う。フェンの顔が微妙に引きつっているのは気のせいではないだろう。
「1つ聞いてもいいだろうか?なぜ、この子……ルウはずっとフードを被ってるんだ?まさか、アグィネス教徒に何か……」
震える声でアイリスが尋ね、それに答えたフェンがルーファのフードを脱がす。
そこに現れたのは黒髪のサラサラなショートヘアをした息をのむほど美しい子供。もちろん事前にフェンが用意した鬘をかぶったルーファである。思わず口に手を当て息をのむアイリス。その手が細かく震えている。
「何ということだ……これ程の容姿……いったいこの子はどんな辛い目に遭ったことか……ズビーっ」
アイリスの脳内ストーリーでルーファは一体どんな目に遭っているのか。フェンの心は既に罪悪感で決壊しそうである。そんなフェンにアイリスは力強く微笑んだ。
「今、街にAランクパーティ“赤き翼”が滞在している。安心してほしい、彼らの内1人は光魔質の持ち主だ。個人ランクもAランクが2名いるので実力も折り紙付きだぞ。指名依頼を出そう」
「おぉ!ありがてぇ!」
フェンは自分の仕出かした全てのことに蓋をして礼を言う。
「緊急というからには急ぐのだろう?2日前に依頼から返ってきたばかりだからな、恐らく街に滞在しているはずだ。すぐに連絡してみよう」
アイリスはテーブルの上に置いてあるベルを手に取り軽く振る。
チリリン
すぐに職員と思わしき女性がやって来て、アイリスの命令に再び部屋を後にする。
「返事がありしだい連絡しよう」
フェンはお勧めの宿を尋ね、眠ったままのルーファを抱きかかえて冒険者ギルドを後にした。
ようやく街にたどり着いた!