勇者召喚・中
勇者召喚陣……それは現在では不可能とされている技術の1つである。
その理由は刻印魔法に使用する魔石にある。
刻印魔法は刻印化する魔法陣と同魔質の魔石が必要となり、世界唯一の魔質である固有魔法と同魔質の魔石は自然界に存在していないためだ。
そして魔石とは永き時をかけ徐々に作られていくもの。
例え固有魔法士が魔石を作ろうと鉱物に毎日魔力を限界まで込めたとしても、一生に一個できるかできないか、というのが厳しい現状だ。更に少しずつ込めていかなければ、すぐに壊れてしまうため非常に作るのが難しいのも理由の1つである。
固有魔法の刻印化が成功するのはまだまだ先のことだと言えるだろう。
コツコツと石造りの廊下に足音が響く。
フードを被った4名を取り囲むようにして6名の男達が歩いている。辺りに人影はなく、まるで廃墟の中を歩いているかのようだ。
廊下の突き当りで10名が足を止めた。
その先には壁しか見当たらず、目的地というには何もなさすぎる。それでも誰一人騒ぐことなく佇む姿はいっそ不気味だ。
その時、壁へと歩み寄った小太りの男が慣れた手つきで壁を順番に触れば……
ガコン!
ひと際大きい音が鳴り響いたかと思えば、目の前に地下への階段が口を開けた。
等間隔に明かりの魔道具が取り付けられてはいるものの、それでも尚暗い地下への階段を全員が粛々と降っていく。その先に一体何が待ち受けてると言うのか。
最後の階段を下りれば、現れたのは不思議な紋様の描かれた扉。
この扉は中のモノを外へ出さないための封印であり、侵入者を拒む鉄壁の守りでもある。何せ上級魔法で攻撃されようと数度は余裕で耐えれるのだから。
フードを被った1人が進み出て扉に手を翳せば紋様がぼんやりと光を放ち、ゴゴゴゴ……と言う音と共に扉が開く。そこから溢れるのはビリビリと大気を震わす濃密な魔力だ。
彼らは迷いのない足取りで、扉の先へと消えて行った。
「陛下、お待ちいたしておりました。すでに準備は整っております。いつでも召喚可能です」
扉の内部では光輝く魔法陣を取り囲むようにして幾人かの男女の姿があった。
全員揃いのローブを纏い、魔法士然とした姿をしている。いや、事実彼らは魔法士なのだ。それも選ばれし一握りのエリートたち――宮廷魔法士である。
ジャイヴァロックはフードを脱ぎ捨て、マリアンヌ、サントス、ドロテオがそれに続く。
ここはガイアスの軍事施設にある極秘の研究所。この研究所の存在を知る者は国でも極わずか。高位貴族でさえ……いや、皇太子とマリアンヌを除く皇族ですら知らぬ場所だ。
勇者召喚は世界の禁忌、もし知られれば大国と言えど破滅を意味するのだから。
「始めろ」
ジャイヴァロックが命じると同時に、マリアンヌが目を輝かせて魔法陣を覗き込む。
「いよいよですね」
魔法陣がひと際輝きを増し、異世界より勇者を呼び寄せる――
◇◇◇◇◇◇
ここは世良高校、東京にある公立の高校である。
すでにホームルームが終わっているのか、教室に生徒の姿は少ない。窓の外からは部活に励む学生の声が聞こえる。
教室に残っているのは6人。
「朝人、今日も家に寄ってくだろ?」
彼の名は大文字省吾。182センチという平均を遥かに超える身長と、如何にも何か武道を嗜んでいると思われるガッチリとした体躯の持ち主だ。
「当然。今日は絶対勝つ」
そう言って拳を握るのは中肉中背のどこか飄々とした雰囲気を持つ少年、皇朝人だ。
省吾の義父である大文字重は、日本有数の古武術の達人であり道場を営んでいる。彼らは重の影響で古武術にはまり、しょっちゅう稽古をつけてもらっているのだ。今日も彼らは道場に顔を出し、稽古をつけてもらう予定である。
別の机では少女たちが楽し気に話をしている。
「静流ぅ、見た見た?例の漫画の新刊!」
「もちろん」
人好きのする満面の笑みで志藤結菜は、分厚い黒縁の眼鏡をかけたどこか野暮ったい印象を与える少女――相川静流――に話しかけた。
「で?どっちだと思う?あの主人公!」
「「受け!!」」
声がハモり、同時に笑い声が二人の口からあふれる。
あまり共通点のなさそうな外見の二人だが実際は違う。彼女らは大のBL――ボーイズラブ――好きなのである。
特に静流は、高校生でありながら日夜執筆活動に励む、人気BL作家でもある。その手の趣味を持つ腐女子からは神と崇められる御方なのだ。
「楽しそうね」
そんな二人に背後から冷ややかな声が突き刺さった。
クラス委員長の青柳凛は結菜の肩に逃がすまじと手を置き、退路を断つ。
「提出物……あとは志藤さんだけなんだけど。まさか、このまま帰る……なんて事はないわよね?」
笑顔ではあるのだが……その目は全く笑っていない。
「ヒッ」
反射的にビクリと身を震わせ、涙目で委員長を見つめる結菜。
「あっ、私用事があるから……」
「まってぇぇぇ!見捨てないでっ!」
あっさり裏切って席を立った親友に結菜は縋りついた。
最後の1人は教室の隅でスマホをいじっているどこか陰気な雰囲気の少年――蛇川満――だ。
実際、彼はあまり周りに馴染めていない……というか寧ろ嫌われているといってもよい。
最初はそうでもなかったのだが、人の悪口ばかり言っていたために周囲から煙たがられているのだ。満も元より慣れ合うつもりはないのか、クラスメイトとの間に距離を置いている。
まあ、特に虐められているわけでもないので担任も生徒の個性だとして放置している次第である。
そんな日常の一コマの教室に……異変が忍び寄る。
いきなり辺りが暗くなったかと思えば、足元が輝きを帯びる。
――勇者召喚陣が発動した。
「うぅ……」
その声を上げたのは誰だろうか。いつの間にか彼ら6人は石畳の床に倒れていた。ほぼ同時に目を覚まし、身体を起こした彼らに柔らかな少女の声がかけられる。
「ようこそおいで下さいました、勇者様方」
その言葉に彼らが周りを見渡せば、魔法陣と思われる紋様の描かれた床の外側に如何にもお姫様といった姿の少女がいた。その少女の側に控えるのは数人の高貴な身分と思われる人達に、歴戦の猛者といった面持ちの髪を短く刈った男。更に後ろには、騎士や魔法使いといったおとぎ話に出てきそうな恰好をした人々が見える。
呆然とする勇者たちに、少女が頭を下げる。
「急にお呼びだてして申し訳なく思っています。先ずは自己紹介を。わたくしの名はマリアンヌ・ネオ・ギリス・エターナ・ベリアノス。栄えあるベリアノス大帝国の第4王女です。勇者様方のお名前をお教え願えますか?」
その言葉に若干の冷静さを取り戻した彼らはお互いの顔を見合わせる。警戒、戸惑い、興奮……様々な感情を浮かべる勇者たち。
最初に名乗りを上げたのは頬を紅潮させ、目をギラギラと輝かせた蛇川満。それに続く形で朝人、省吾、凛、結菜、静流と続く。
――隷属魔法の準備が整った。
心の中で会心の笑みを浮かべたマリアンヌは、不安に満ちた表情で話を続ける。
「事情が分からねば不安でしょうから、今から説明いたしますね。実は……この国は危機に瀕しているのです。邪竜ヴィルヘルムが世界を我が物にせんと、亜人たちを使い攻撃を仕掛けているのです。すでに世界の半分はかの邪竜の手に落ちました。我々も抵抗したのですが……もはや、勇者様方に縋るしかできないのです」
そう言って無念そうに俯くマリアンヌ。
「つまり俺たちに戦えってことですか?」
「そんな無理よ!戦うなんて出来っこないわ!」
「俺たちは帰れんのかよっ!」
「はははっ!俺は選ばれたんだっ!」
口々に思いを叫ぶ彼らをマリアンヌは冷めた目で見つめた。
だがそれも一瞬。直ぐにソレを笑顔の仮面の下へと隠す。
「1つずつお答えしますね。まずは、戦っていただきたい、というのは我らのお願いであり強制ではありません。先程申し上げた通り、わたくし達には勇者様方に縋ることしかできないのです。そして、今は自覚がないのかもしれませんが、貴方がたには戦う力が宿っています。そう、貴方がたは“神”に“選ばれし特別な存在”なのです!」
「ふざけんなよ!!俺は帰れるかって聞いてんだよ!」
(……おかしいですね。ちゃんと〈勇者マニュアル〉の通りに進めているのですが。あの大柄な勇者……確かショウゴ・ダイモンジと名乗りましたか。あの者にはあまり通じていないようです。勇者――特に殿方は“神”、“選ばれし者”というフレーズに弱いと記載されていたのですが)
省吾を宥める朝人の声を聴きながらマリアンヌは思考をめぐらす。「帰れない」そう言った途端、暴れだす勇者も存在したとマニュアルには書いてあった。ならば、本当のことは言うべきではない。
「もちろん帰ることは可能です。ただ……帰還の魔法陣も大量の魔力を必要とするので、帰れるまで1年は掛かってしまいます。それまでで結構です。どうか、わたくし達に力をお貸しください」
マリアンヌの言葉に目に見えて安堵する勇者たち。それを横目に見ながら言葉を続ける。
「それまでの生活はこちらで保証いたします。何不自由なく暮らせることをお約束いたします。ですからどうか今だけわたくし達の言葉に従ってはいただけないでしょうか?」
そう言ってマリアンヌは深く頭を下げた。
「我らからもお願いいたしまする」
ドロテオを始めとするそこにいる全ての人が揃って頭を下げ、誰も上げようとはしない。これも〈勇者マニュアル〉に載っていることだ。
相手側の真摯な態度に、凛は手をパタパタさせながら慌てて言葉を掛ける。
今どきの高校生が一目で偉い人だと分かる人物に頭を下げられる経験など有るはずもないのだから。
「分かりました!帰る前の期間だけでしたら私たちにできることだったら協力しますので、頭を上げてください!皆もそれでいいよね?」
「俺は端からやるつもりだっ!」
「まぁ、帰れるなら」
「できることだったら」
勇者全員が了承した。
次の瞬間、魔法が発動する。
――隷属の魔法が。