第8話 『藤林屋敷の試練』
ここからしばらく、パーティメンバー集めの話が続きます。
ヤマトとセルマのふたりは仲良く手を繋いだまま、ナガラの住まう藤林屋敷へと向かう。学校を起点とすると、上泉の館とは正反対の方向に位置する屋敷で、ヤマトもあまり訪れることはない。
「そういえば、ナガラ様が上泉館に遊びに来られることはあっても、ヤマト様がお出掛けになられることは、あまり無かったような……」
セルマはふと、小さな違和感を口にする。確かにヤマトとナガラが学校外で会うときは、もっぱら上泉家の館が使用されている。
ヤマトはそもそも、積極的に外出するタイプではない。だから招待される側ではなく、招待する側になる。
……セルマはそう思っていたのだが、どうやらそれだけが理由ではないことを、この日思い知ることになる。それと同時に、彼がセルマをこの屋敷へ伴うことを、躊躇った理由も判明するのである。
藤林屋敷は、典型的な和風の御屋敷といった趣である。古き良き、ヒノモト文化の建築美が溢れているという印象だ。改築され、すっかり洋館となってしまった上泉館とは対照的である。
正面には立派な門を構え、瓦を敷いた重厚な塀に囲まれている。そして何よりモノクロのカラーリングが調和した美しさが、そこはかとない威厳を醸し出している。流石は伊賀忍軍・上忍御三家の一角が住まう邸宅といったところであろうか。セルマはその荘厳な構えの建物に、すっかり見入ってしまっていた。
正門は大きく開かれた状態で、立派な庭が視界に広がっている。しかし中はひっそりと静まり返っており、人がいる気配はない。
「ご家族の方はお留守かな。困ったな……」
いつの間にか、繋いでいた手と手は離れ、ヤマトは塀の周辺をウロウロしている。
「……あの、ヤマト様。何をなさっておられるのですか?」
セルマが疑問の言葉を口にするのも無理からぬことである。目的地である屋敷を目の前にしながら、ヤマトは道端の手頃な大きさの石を拾い集めているのだ。
「セル。もう少しだけ待っていてくれ」
彼はそう言いながら、いくつかの小石を手に取ると、最後に塀に立てかけてあった竹箒を携え、ようやく門前へとやって来た。
「セル、ちょっとそこから離れていてくれないかな」
ヤマトは彼の専属メイドに、屋敷の門から距離をとるよう口頭で注意する。そして門の入り口にある立派な踏み石を、遠くからその箒で引っ叩いた。
ブワッ。
踏み石の下から、大量の白い粉末が巻き上がる。無警戒に門をくぐろうとしていたら、粉を浴びて真っ白になっていたかもしれない。
その光景を見たセルマは、何事が起ったのかと、しばし呆気にとられる。
「たぶん小麦粉か何かだよ。健康に害があるとかではないけれど、この先も注意が必要だから気を付けて」
ヤマトは事もなげに言ってのけると、踏み石に触れぬよう、軽やかに飛び越える。セルマも主人に倣って、同じように飛び越えた。
「セル、僕より先に進んだらダメだよ」
ヤマトから注意喚起の声が飛ぶが、この少女も阿呆ではない。たった今、目の前で起こった出来事を見て警戒心のレベルはマックスである。
ヤマトは門から玄関までのルートを軽く見渡してから、さきほど拾ったばかりの石を、適当な間隔で転がしたり、投げたりしはじめる。
石が投下された先では、落とし穴やら、トラバサミやら、投げ縄やら、多種多様なトラップが発動していく。そのシュールな光景に、セルマはポカンと立ち尽くしてしまっていた。
「もうそろそろ大丈夫かな」
一通りのトラップが発動し、玄関までの道が出来上がると、ヤマトは満を持して歩き始める。さきほどの竹箒で数歩前を叩きながら進んでいる辺りは、彼らしい慎重さだ。セルマもその後ろを、恐る恐る付いて行く。
「に……忍者屋敷って、皆こんな風になっているのですか?」
「いや、これは完全にナガラの父君のご趣味だな。こういう悪戯が大好きな人でね」
なるほど、これでは来客も少ないであろうし、ナガラも誰かを招待したいとは思わないだろう。それが親友であればなおさらだ。
そしてセルマが藤林家へ同行するのを渋ったヤマトの気持ちも、今なら良く理解できる。あまりに予想外な理由ではあったが。
さておき二人は、なんとか玄関近くまでやって来る。目指す玄関口は三段ほどの小さな階段の上にあり、その扉の真ん中には呼び鈴らしきものが付いていた。
そこに向かってヤマトが無造作に階段を登りはじめたので、セルマも慌ててその後を付いていこうとする。
その直後。
「あっ、しまった!セル、階段の三段目は踏まないで……」
慌てたヤマトの声が、侍女に向けられる。
セルマは即座に主人の言葉を解したが、時既に遅し。
彼女が三段目の階段に足を掛けた瞬間。
ツルッ。
三段目に油か何かが塗ってあったのだろうか。
セルマはうっかり足を取られ、豪快に転びそうになる。
「あっ!」
「セルっ!」
ヤマトは懸命に、大切な侍女へと手を伸ばす。
セルマもそのノンビリした性格に反して、反射神経は優れているため、咄嗟に主人の手を取ることに成功した。ヤマトはふたりの手と手が結ばれたことを瞬間的に確認すると、力を込めてセルマの身体を自らの元に引き寄せる。
「セル、大丈夫だった?」
「は、はい……。ありがとうございます、ヤマト様」
セルマはヤマトに抱きかかえられる形で、階段の上へと引き上げられる。とんだハプニングには違いないが、思わぬ役得にセルマは少し嬉しそうにしている。
「ごめんね、セル。普段から一段飛ばしで階段を登っているから、すっかり忘れていた……」
「いえ、助けて頂けて嬉しかったです。……できれば、このまま抱きしめていてください」
セルマの後半の言葉は囁くような声であったため、ヤマトには聞き取ることが出来なかった。
侍女が何を伝えたかったのか、気にならないでもないのだが、今は親友の屋敷の前だ。
そのまま抱擁を続ける訳にも行かず、さっと身を離す。
セルマは少し名残惜しそうに、主人の顔をじっと見据えた。
「一応、これらの罠の数々も、イタズラで済む程度に抑えられてはいるんだよ。後ろを見てごらん」
ヤマトの指し示す階段の後ろを振り返ると、確かにそこは芝生の絨毯になっており、転んでも怪我をしないよう配慮されていた。
そういえば踏んだときの感触も、クッションのように柔らかかった気がする。
確かに、罠それ自体に悪意はなさそうだ。
とはいえ、お世辞にも趣味が良いとは言えないだろう。
すったもんだの末、ふたりはようやく玄関扉の前へと辿り着く。
ヤマトはさっそく呼び鈴を押すが、残念なことに音が鳴らない。
「上泉です。どなたかいらっしゃいますか?」
「こんにちは~。どなたかいらっしゃいませんか~?」
仕方なく声を出して呼び掛けてみるも、やはり応答がない。
「……ヤマト様、如何しましょうか」
侍女は困って問いかけるも、ヤマトは落ち着き払った様子である。
この状況は想定内のようだ。
「ご家族が留守がちなのは今に始まったことではないんだ。ナガラは寝ているだけの可能性もあるから、一応中に入れないか確認してみるよ」
寝ている、という言葉にセルマは少し驚く。
そして不思議そうな表情でヤマトに問う。
「こんなお時間に、もうお休みになっていらっしゃるのですか?」
「ええとね。忍者は定期的に夜目の訓練が必要で、深夜に活動するために夕方休むこともあるんだそうだ」
ヤマトの説明に、何やらコクコクと興味深げに頷くセルマ。自分の知らない世界に対する好奇心が、僅かばかり刺激されたのかもしれない。
「寝ているかもしれないナガラを訪ねるのも、本当は気が引けるのだけど……こちらも急ぎの用事だからね」
親友に対して良心の呵責を表明するが、かといって引き返すつもりもない。彼にとって、監軍補佐にナガラを迎えることは最優先のタスクなのだ。
「それでは鍵がかかっていないか、確認してみますね」
そのヤマトの意思を受けて、セルマは気を利かせたつもりなのだろう。
目の前の扉を開こうと試みる。
和風建築であるにもかかわらず、この屋敷の扉はドアノブの付いた開き戸のように見えた。そのため、洋風建築に慣れているセルマには違和感がなかったのだろう。無造作にドアノブを掴み、手前に引く。
……このとき間違いなく彼女は油断した。
ここまでの経緯を踏まえたら、もっと警戒していて良さそうなものである。しかし逆に、色々と罠をかいくぐったあとであるからこそ、気が緩んでいたのかもしれない。
「あっ、セル。いけない……」
ヤマトの制止は間に合わず、トラップが発動してしまう。
セルマの引いたトアノブが、スポーンと扉から引っこ抜けたのだ。
「きゃあっ!」
重厚な扉を開くために、相応の力を込めていたのだろう。セルマはドアノブを握ったまま、後方にひっくり返ってしまう。
軽く尻餅をつく形となり、セルマの短いスカートが捲れあがる。普段は覆い隠されている、むっちりとした白い太腿と黒いレースの下着が丸見えとなる。
このモノトーンのコントラストは、ヤマトの視覚を著しく刺激した。年頃の健康な若者の心を掻き乱すには、十分過ぎるほどの絵面である。
ところが、この事態はそれだけでは終わらなかった。
ブシャーッ!
ドアノブのあった部分が穴になっており、そこから勢いよく水が噴き出したのだ。僅か三秒ほどの放射ではあったが、扉の前に転がっている少女をびしょ濡れにするには十分だった。
「ヤマト様ぁ……冷たくて……おしりが痛いです……」
普段はノホホンとした彼女にも、さすがにこの仕打ちは堪えたらしい。珍しく半泣き状態となっている。
そして水に濡れた衣服はピタリと彼女の肢体に密着し、先程より更に淫らな姿を浮かび上がらせる。
上半身は特に被害が甚大で、その豊満な胸の形がハッキリ視認できるほど、布地が張り付いている。白い衣服は、濡れて透けているように見え、濃艶な官能的オーラを醸し出している。
ヤマトとしては文字通り、目のやり場に困る状況だ。
「セル、大丈夫かい?」
ヤマトはへたり込んだ侍女に手を差し伸べ、優しくゆっくりと立たせる。そして鞄の中からトレーニングウェアの上着を取り出して、彼女の肩に被せた。
「とりあえず、この扉は開き戸じゃなくて、引き戸なんだよ……」
ヤマトが扉を横方向に動かすと、戸はガラガラと難なく開く。
その様子を見ていたセルマは、更に泣きそうになる。見た目は完全に開き戸であるにもかかわらず、実際は引き戸という珍妙なトラップだ。
「このお屋敷、意地悪なのです……。すごく意地悪なのです……」
泣きべそをかく侍女の姿に、若者の胸が痛む。
普段はノンビリ、おっとりとしている専属侍女が、これだけ狼狽えるのも珍しい気がする。
「ごめんね、セル。僕がこの屋敷のことをもっと良く説明しておけばよかったね」
自分のことをいたわる主人の言葉に、セルマは申し訳ない気持ちになる。
扉にも当然注意して然るべきなのに、うっかりトラップに引っ掛かってしまった自分が、恥ずかしくて、情けなくて。そして何よりヤマトの足枷となってしまっている事実に、気持ちが沈んでしまう。
「いえ、無理を言って付いて来たのは私なのです。私こそ足手まといになってしまい、申し訳ありません……」
「いや、僕も久し振りだから油断していたんだ。このドアノブのトラップも初めて知った……」
すっかり落ち込んだ様子のセルマに、ヤマトは優しく声を掛ける。彼としても、彼女を守り切れなかったことを悔いているのだろう。元気付けるように、なるべく明るい声で侍女を励ます。
「建物の中に入ってしまえば、もう安全なんだ。さあ行こう、セル」
優しく伸ばされたヤマトの手を、セルマは半べそをかいたまま、嬉しそうに握りしめる。
ご主人様の手は温かい。
着せてもらったトレーニングウェアも温かい。
そして何より大好きな匂いがする。
身体は冷たいけれども、心は温かい。
そんな気持ちで、セルマはヤマトと共に藤林屋敷の中へと入っていくのだった。
「……ところで、どうしてまた少し前屈みになっていらっしゃるのですか?」
「ごめんね、セル。しばらくこちらのほうを見ないで欲しい。すぐ治ると思うから……」
藤林家の位置付けは、盗賊ギルドというよりも公儀隠密に近いと思ってください。