第7話 『セルマの気持ち』
今回から、補佐官という名のパーティメンバー集めがスタート。友人の少ない主人公が頑張ります。
教官室を後にしたヤマトは、その背に僅かな哀愁を漂わせながら、静かに廊下を歩む。オレンジ色に輝く夕日が差し込む通路には、彼以外に人影がなく、その靴音だけが響き渡る。
一旦教室へと戻り、荷物をまとめて昇降口まで来ると、彼の専属メイドが靴箱を背に待っていた。
「ヤマト様、お疲れ様でした~」
彼女はいつもの「にへらー」とした笑みを浮かべながら、主人を迎える。思いのほかスムーズに合流出来たことが嬉しかったのか、頬を僅かに赤く上気させ、口元はいつものように緩んでいる。
「セル、遅くなるかもしれないから先に帰るよう言ったのに」
「図書館で調べものがあったのです。無為に時を過ごしていた訳ではないので、ご安心くださいませ」
恐らく方便であろう、とヤマトは察するがそれ以上は何も言わない。野暮な言葉で、心優しいセルマの気遣いを無碍にする必要などないのだ。
「そうですか、ゴブリン討伐でタテヤマまで……」
学校からの帰り路。
ふたりは横に並んで歩きながら、会話を続ける。最初は、セルマがヤマトの後ろを付き従う形で歩いていたのだが、それだと会話がし難いということで、ヤマトが横に並ぶようお願いしたのだ。
「なるほど、監軍の御役目を仰せつかったのですね」
最前線送りではないことを知って安堵したのか、セルマの表情は緩む。自分の主人にどのような任が課せられたのか、ずっと気にしていたのだろう。
「僕はこのまま藤林屋敷に行って、ナガラに補佐役を打診してくる。セルは先に帰っていて良いよ」
「いえ、私もご一緒させてください」
ヤマトは気遣ってくれているのであろうが、セルマとしては蚊帳の外に置かれるような対応が不満のようだ。
「うーん……。あまりセルを、あの屋敷には連れて行きたくはないのだけど……」
ヤマトは困った顔をして言う。
少しばかり意味深な物言いだ。
しかしセルマはそれを気にした様子もなく、にこやかな表情のまま、断固同行する意思を表明する。そしてヤマトの腕をキュッと掴むと、満面の笑みで問う。
「それでヤマト様。当然、私も補佐役として連れて行ってくださるのですよね?」
「……それは……」
ヤマトとしては、当然予期出来た言葉だ。
しかし、いざ問われてみると、やはり返答に詰まってしまう。彼はセルマを戦場に連れて行くことには消極的なのだ。
「ヤマト様。私だって、ヒノモトに忠誠を誓った士官候補生です。いつかは戦場に赴くこととなるでしょう」
自分が軍に関わることに、ヤマトが賛同してくれていないことは、セルマも知っている。
同じ防衛高等学校への進学を決めたときも、彼は良い顔をしなかった。しかしセルマは、だからこそ同行したいと考えている。
「このように考えてくださいませんか。今回は監軍補佐という、間接的な任務で戦場を経験できる良い機会である……と」
セルマはそのノンビリした雰囲気からは想像もつかないほど、聡明な少女である。
眠たそうな瞼に、にへらーと開かれた口。こんな締まりのない表情の裏には、明敏な頭脳が隠されていることをヤマトは知っている。
セルマを戦場に連れて行きたくないという気持ちは、言うなればヤマトのエゴだ。そうであるからこそ、このように正論を突き付けられては、反論することができない。
そして何より、セルマの言葉の正しさを認めざるを得ない。初陣を討伐行の最前線で迎えるよりも、今回このような形で戦場を経験しておく方が、今後を考えたらよほど良いのかもしれないのだ。そこまで分かっていても、ヤマトは己の心を納得させることができない。
「セル。僕はこれからもずっと軍属として、この国を守っていくことになると思う。君までそれに巻き込まれる必要はないよ」
セルマは優秀な少女だ。
だからこそ自分の存在が、彼女の未来を邪魔してはいけないと思う。彼女の可能性を潰してしまってはいけないと考えるのだ。
「セル。君はもっと違う道を模索することだってできるはずだ」
セルマは料理も裁縫も得意だ。
その気になれば調理師にもなれるだろうし、仕立屋にもなれるだろう。
学業の優秀さを鑑みれば、教師にも。
あるいは学者にもなれるかもしれない。
彼女の可能性はそれこそ無数にある。
そんなヤマトの言葉に、セルマは少しだけ寂しそうに微笑むと、彼の目をしっかりと見据える。そしてゆっくりと、明瞭な言葉を紡ぎ出す。
「ヤマト様。私が防衛高等学校に進んだのは、確かにヤマト様の影響です。しかしこの道を選んだのは間違いなく私の意思なのです」
セルマの声は相も変わらずノンビリしたものではあるが、そこには当人の強い意思が感じられる。
「ヤマト様はお優しい方ですね。私の過去をご存知のうえで、色々とご配慮くださいます。そして可能な限り、私を危険なことから遠ざけようとしてくださいます」
そう語るセルマの表情は柔らかい。そして翠色に輝く瞳はとても優しく、ヤマトの姿を映し続けている。
「それでも私にとって大切なのは、ヤマト様と共にあることなのです。私のことを大事に考えてくださるのでしたら、なおさらお側においてくださいませ」
セルマは自分よりも背の高いヤマトを、見上げる形で懇願する。上気した赤い頬と、愛らしい上目遣いが若者の心を揺さぶらせる。
ヤマトがいくら堅物の石頭であるとは言っても、やはり一介の若者である。美しい少女にここまで言われて、嬉しくないはずがない。彼は顔を真っ赤にしながらも、何とか次の言葉を吐き出す。
「……し、しかしセル。僕の存在が君の進路を狭めている事実に変わりはないよ。そしてこの状況が正しいとは思えない……」
若者は己の心の憂いを正直に吐露する。長らく、彼の中でわだかまっていた心情だ。
上泉家で、彼女を保護したことを間違ったとは思っていない。しかし彼女の人生を縛るつもりはなかった。意図せず、そうなってしまったことを彼は悔いているのかもしれない。
そんなヤマトの気持ちを慮ったのであろうか。セルマは少し困ったような表情を見せてから、今度は楽しそうに語りだした。
「ヤマト様。良いことを教えて差し上げます。実は私って結構なお金持ちなのです」
セルマは少し悪戯っぽい表情をしたかと思うと、エッヘンとその大きな胸を張る。
「父様、母様が遺してくださった財産を一人娘の私が相続しています。加えてあれだけの事件でしたから、ウェーデンからの弔慰金の額もかなりのものでした」
突然話の方向性が変わり、ヤマトは些か戸惑う。
しかし話の意図は汲み取れた。彼女はその気になれば、独立できたことを伝えたかったのだろう。
「それにお義父様……コンゴウ様から、毎月多額のお給金を頂いています。私の貯金額をご覧になったら、ヤマト様もきっと驚きになると思いますよ」
それについては、ヤマトも漠然とは知っていた。セルマに限らず、下総上泉家に仕える使用人の福利厚生は充実している。
彼の父、上泉金剛は非常に優れた経済観念を有する人物だ。軍隊においては、後方勤務と事務処理の天才と言われ、主に補給と倉庫管理にその才を発揮してきた。
下総上泉家の家計も極めて堅実で、ヤマトもシナノも経済的には何不自由なく育てられてきた。
コンゴウは酒やタバコなど、いわゆる嗜好品の類は一切嗜まず、豪奢な遊びも好まない。
彼が投資するのは、まず人。あとは唯一の道楽である、書物ぐらいのものであった。そうした理由もあって、使用人たちへの給金は他の武家と比べて遥かに良かった。
「ヤマト様。私はけっして不自由などではありません。そして上泉家の皆様に大事にして頂けて……今の私は本当に……本当に幸せなのです」
セルマはその右手を自身の豊満な胸に当て、軽く俯く。その恥ずかしそうな、そして愛情に満ち足りたような表情は、心から幸福を感じているように見える。
「実は私、館に住まわせて頂いているのを理由に、コンゴウ様にお給金は必要ない旨をお伝えしたことがあるのです。それでもコンゴウ様は、私の口座にずっと積み立ててくださっていました」
そんなことがあったのか、とヤマトは少しばかり驚く。しかしセルマや父の性格を考えれば、さもありなん……とも思うのだ。
「私はいま、自分の意思でここにいます。そして自分の意思でヒノモトのために戦いたいと思うのです。それをお許し頂くことはできませんか?」
ここまで言われては、ヤマトとしても降参するほかない。そして何より、セルマのまっすぐな気持ちが嬉しい。
彼女の同行に否定的であった気持ちも、少しずつ霧散していく。
「……わかったよ、セル。僕に力を貸してくれるかい?」
「はい!喜んでお伴いたします!」
キラキラと輝く瞳で、セルマは歓喜する。
同行が許されたのが余程に嬉しいのだろう。勢い余って、ヤマトに真正面から抱き着いてしまう。
「……セ、セル。そんな喜ぶようなことではないだろう」
若者は相当に慌てているが、セルマには一切それを気にした様子はない。それどころかヤマトの背に回された彼女の両腕には、より一層の力が込められ、更に密着度が増している。
セルマの柔らかな体の感触と、興奮のためか少し熱い体温がダイレクトに伝わってくる。
女の子独特のフワリとした香りが鼻孔をくすぐり、若者の心を惑わせる。
そしてその薄桃色に輝くプラチナブロンドの髪が、首元を擦る感覚が何ともこそばゆい。
しかもよせばいいのに、喜んでピョンピョンと跳ねるものだから、凶悪な存在感を誇示するセルマの胸が、不本意な形で彼の胸板に擦り付けられる。これを計算尽くでやっているのだとしたら、とんだ小悪魔だ。
そうも思ったが……まぁ間違いなく無意識でやっているのであろう。
「ヤマト様。どうして少し前屈みになっていらっしゃるのです?」
「……いや、何でもないよ。気にしないでくれ。すぐに治る」
セルマには元々、ヤマトに対して抱きつき癖があるので、このような抱擁は初めてではない。とはいえ、彼も年頃の健康な若者であり、理性を抑えるのは結構大変なのだ。
「さあ、セル。ナガラのところに行くよ」
彼は何とか『色々な意味で』この場を収め、次の目的地をあらためて示す。
この公道に、他の人影がなかったことが、ある意味では幸いであっただろう。ヤマトの言葉で抱擁を解いたセルマは、少し名残惜しそうにしている。
「ヤマト様。もうひとつ、とっても良いことを教えて差し上げますね」
まだ何かあるのだろうか。
ヤマトは興味深げに、セルマと向き合う。
すると少女はにこやかに笑って言った。
「ここにいる女の子は幸せになりたいから、大好きな男の子に付いて行く訳ではないのです」
そして自分の口の前に右手の人差し指を立てると、右目でウインクをする。
「私はヤマト様と一緒でしたら、不幸になっても良いから付いて行くのです。そのことを覚えておいてくださいね」
そうはっきりと言い放つ彼女の姿は、キラキラと輝いて見える。そのあまりの美しさに、若者はしばし呆然と見惚れてしまっていた。
それにしても、自分はこの少女にここまで慕われる資格をもつ人間なのであろうか。それだけの価値を有した人間なのであろうか。つい、そんなネガティブな疑念も浮かんできてしまう。
「ありがとう、セル。僕も……頑張るよ」
しかし、慕われるに相応しい人間でありたいとは思う。少なくとも、この目の前に佇む純真な少女を不幸になんてしてはいけない。
そう強く想うのだ。
しばらくしてセルマは手を繋ぎたいと、仕草だけでおねだりをする。ヤマトは最初こそ恥ずかしそうに戸惑っていたが、やがてその要望に応える。
仲睦まじく手を繋ぎ、夕焼けの道を歩む二人の影は、どこまでも長く伸びているのだった。
セルマの過去については、第四章・欧州編にて明らかになります。まだまだ先の話ですので、とりあえずは極東編をお楽しみください。