第6話 『監軍拝命』
「進発は明後日。ゴブリンの砦が完成する前に制圧する」
教官は堂々と宣言する。覚悟はしていたが、思いのほかタイトなスケジュールだ。
しかし砦が完成する前と後では、討伐の難度が大きく変わる。可能な限り早く動くべきではあるだろう。
「ナラシノ基地から、小野中尉率いる二個中隊で進発。キサラヅ駐屯地を経由して、そこで二個中隊と合流。更にタテヤマ基地で一個中隊と合流する」
教官は地図を指し示しながら、細かな行程を順に説明する。これについては、ヤマトの予想の範疇を超えるものではない。若者は小さく頷き、教官へ了解の意を示す。
「そしてゴブリン砦の最寄りの村に、護衛を兼ねた臨時の対策本部が設置済みだ。そこに一個中隊が駐留している。以上の隊が合流して、一個大隊での砦攻めだ。何か質問はあるかね?」
これが今回の作戦の全体像ということであろうか。ヤマトは暫く自分の考えを脳内で巡らせていたが、やがて内容がまとまると静かに意見を具申する。
「愚考させて頂きますに、此度のゴブリン討伐にあたり、既に二点の大きな例外があることから、存外予断を許さない状況と思われます。兵数一〇〇〇と言わず、さらなる万全を期すべきではないでしょうか」
ヤマトの質問に愛洲教官は軽く頷き、同意の意を示す。しかし実際に教官の口から発せられた言葉は、彼に現実を突き付けるものだった。
「それについては私も憂慮している。しかし残念ながら、圧倒的に人員が足らんのだ」
兵数を増やせるものなら増やしたい、ということなのだろう。しかし少子高齢化に伴う人手不足の難局は、防衛問題にも波及し始めている。
本来採るべき安全策を講じることができないのは問題だが、かといって具体的な解決案を提示できるものでもない。これについては、諦めるほかないようだ。
「そしてもう一点です。一個大隊規模の軍隊において、中尉が司令官というのは、些か任が重いのではないでしょうか」
いくらなんでも『難ありと噂の人物に総司令を任せるのですか』とは、問えない。さすがにそれは礼を失することとなるだろう。
誹謗と受け取られれば、自分が度量の狭い、あるいは偏見の強い人間と思われるかもしれない。
しかしながら、小野中尉が遺した爪痕を知る身の上としては複雑なのだ。
いまだに剣道部と柔道部の関係がギクシャクしているのも。
他校の剣道部との合同訓練や練習試合をセッティングするのに難儀するのも。
すべてが彼の狼藉の結果と聞いて、不安を覚えるなというほうが無理な話だ。
そもそも本来、大隊規模の軍隊は佐官クラスが率いるのが通例である。そこで小野中尉個人ではなく、あえて階級を問題にしたのだ。
「実はそれについても私の懸案事項でな。結局は人材不足に伴う、窮余の策なのだ。更にそこに旧態依然とした因習が絡んでしまってな」
教官の話によると、ゴブリン討伐における武家間の慣習により、今回の案件は小野家の者に一任せざるを得ないのだという。
ゴブリン討伐という試練を、まるで武家の御曹司が突破すべき、通過儀礼のように扱う悪習が絡んでいるようなのだ。
例外の多い今回の討伐行を、小野中尉に任せるというのは不安ではある。しかし教官個人ではどうにもならない政治的な事情が、状況をややこしくしている。
「そこで上泉伍長。君の力が必要なのだ」
予期していなかった教官の言葉に、ヤマトはやや動揺する。そしてその意図を正確に把握するため、彼は教官の目をじっと見据える。
「今回の討伐にあたり、小野中尉に対して、とある条件を提示してある」
愛洲教官は疲れたかのように、一旦フゥと小さく溜め息をついてから言葉を続ける。
「……シンプルな話だ。今回の討伐行に際し、更なるイレギュラー要素が判明した場合、戦わず即座に引き返すというものだ」
即時撤退。
これはなかなかに厳しい条件だ。しかし確かに、これ以上のイレギュラー要素はあまりに不穏当ではある。『例外』の内容にもよるが、即座に撤退というのは案外妥当なラインなのかもしれない。
「それに伴い、貴官を含め五人の監軍を付けることとなった。これで役割を理解してもらえたかな」
なるほど、概ねの事情は把握できた。自分に何を求められているのか、これについても理解できた。
しかしこれでは、監軍が必要な理屈はともかく、その役目にヤマトが抜擢された理由がわからない。
そんなヤマトの疑問が表情に出たのだろうか。教官は少しだけバツの悪そうな表情を作ったあと、話を続ける。
「まぁ、その、なんだ。今回の総司令殿は、どうやら権威に弱い一面があるみたいでな。監軍である貴官の姓を知れば、無謀な軍事行動を強行はしないだろう」
その言葉を聞いたヤマトは露骨に落ち込んでしまう。教官のさり気ない一言は、彼のコンプレックスを著しく刺激してしまったのだ。
要するに、己の軍を監察する者の中に、ヒノモトでも高名な『上泉』の姓をもつ人間がいれば、小野中尉も自然と委縮する。無茶な行動は慎むだろうとの判断なのだ。
それにしても、あまりに情けないではないか。自身の才幹などよりも、名前のほうがよほど役に立つのだ。
しかも上泉の名が本家本元のものであればまだしも、それは分家のものでしかない。
彼は幼い頃より、まず『上泉』という姓で驚かれ、その後『下総上泉家』という分家の姓で相手を落胆させてきた。そんな理不尽な仕打ちの繰り返しだった。
ともかく監軍に選出された理由は判明したが、これではあまりに憐れな道化ではないのか。
そのひどく落胆した様子に、教官はようやく自らの失言を悟ったようだ。すぐさまフォローしようと、言葉を付け加える。
「確かに貴官の名が有効に活きる状況を想定していない訳ではない。しかし我々が最も貴官に期待しているのは、その視点と考え方なのだ」
この教官の言葉通り、ヤマトは一般とは異なる視点と思考を持つ若者である。とりわけ観察力が優れているという訳ではないのだが、真正面から見据えるだけでは気付かないような、小さな異常や変化を察することに長けている。
かつての軍事演習においても、自チーム・相手チーム両方の細かなイレギュラー要素に気付き、上層部に報告している。いずれも戦況に大きな影響を与えるような情報ではなかったため、事情を知らぬ者には軽視されているが、一部の教官の間において彼の評価は高い。
「上泉伍長。貴官は自身の成績に不満を持っているようだが、それはあくまで、我ら防衛高等学校の定めた評価基準に拠るものに過ぎない」
ヤマトの成績は、剣術・魔法・政治学・軍学すべてが百点満点中、七十五点前後という中途半端なものだ。良く言えばオールラウンダーだが、悪く言えば器用貧乏である。
これがせめて、全項目で八割の成績を修められていれば、まだ多才と胸を張ることも出来るのだが、七割五分ではそれも難しい。実際、ヤマトのことを快く思わない人間の中には、彼のことを『四分の三』を意味する『スリークォーター』と呼び、陰口をたたく者もいる。これも彼が抱える劣等感の原因のひとつなのだ。
ところがこの教官はそう悪くは考えていないようである。彼が驚くような話をし始める。
「良いか、上泉伍長。今の防衛高等学校の評価基準は画一的に成り過ぎている。特に軍学の分野においてはそれが顕著だ」
教官の意外な言葉に、ヤマトは思わず目を見開く。実は彼自身も考えていたことだが、まさか愛洲教官が同じような語り口を持っているとは、想像だにしていなかったのだ。
「ゴブリンは社会性が低く、集団戦闘が苦手な生き物。確かに間違いではないだろう。しかし今の軍学はそれを前提にするあまり、本質を見失っている」
滔滔と持論を述べる教官を前に、ヤマトは静かに頷き共感する。
「要するに相手が無能であるのを前提に、いかに被害を少なく、効率的に掃討できるかという、悪い意味での合理主義に陥ってしまっているのだ」
これはヤマトも痛感していたことであった。七十年以上も対人戦闘が無かったために、誤った方向に進み過ぎてはいないか。過去のゴブリン討伐の成功例を過信し、慢心があるのではないか。そう常々思うのだ。
「ところが貴官の戦略シミュレートのレポートを拝見して驚いた。ゴブリンが人間と同じように考え、策を弄する前提で戦略・戦術が組み立ててある」
教官の言う通り、ヤマトの戦略・戦術は、ゴブリンが人間と同レベルの知的生物であることを想定して立案されている。あらゆる事態を想定し、二重、三重の安全策が講じられている。
そのために総合的な効率が落ちてしまっているのだ。彼の軍学の成績がイマイチ振るわないのも、それが理由である。
「今回のゴブリン討伐に、イレギュラーな要素が生じていることから判るように、今後必要なのは貴官のような考え方だ」
まるで作業効率を高めるかのように戦闘に向き合う。そんな今の評価システムは極めて危険だ。その言葉は、ヤマトにとって殊のほか嬉しいものだった。
「監軍の任務、謹んで拝命いたします」
監軍に任じられた理由が明らかになったことで、彼の声は明るい。意想外の形で評価されていたという事実も、彼の心を軽くする。どんな人間であっても、期待されて嬉しくないはずがないのだ。
「ところでな、上泉伍長。実は此度の任に際し、貴官の補佐をする人員まで用意することができなくてな」
人手不足の実情も、ここまでくるとなかなかに厳しい。しかも今回の彼の任務は重要だ。
味方の軍を注意深く監察し……。
ゴブリンのイレギュラーな行動に注視し……。
高慢な総司令の行動を制御する……。
特に困難と思われるのは、総司令の手綱となることだろう。部下を制御するというのであればまだしも、相手は自分の上役であり、年長者であり、先輩なのだ。この難題を前に、補佐をしてくれる人間は喉から手が出るほど欲しい。
「そこでな。貴官に半個分隊を結成する許可を与える。自ら同志を集めると良かろう。必要な物資、資金はこちらで用意する」
自分の補佐官は自分で集めろ、ということなのだろう。しかしそうなると、彼には新たな悩みの種が浮上してしまう。
「人員は軍属の者、もしくは軍関係者の推薦状を用意できる者に限るが……。まぁ難しく考えず、同じ防衛高等学校所属の者から選べば良かろう」
教官は気軽に言うが、ヤマトにとってはそれこそが問題なのだ。平たく言えば、クラスメイトや同級生の中から信頼できる親しい者に声を掛けろ、ということなのであろうが、友人の少ない彼にとってはそれが難題なのである。
「半個分隊であるから五人以内だ。五人に達さなくとも良いが、仲間は多いほうが貴官も動きやすかろう」
教官は片手を広げ、『五』という数字を強調する。その数字はヤマトにとって、途方もなく遠く感じてしまう。
そして何より、進発は明後日。期日は今日明日中、という極めて厳しい状況である。
「畏まりました。心当たりのある者に声を掛け、進発までにご報告いたします」
ヤマトは自身の懸念を悟られぬよう、冷静な声で返す。とは言え、彼の脳裏に浮かんでいる補佐官候補の顔は、現時点では親友のナガラただひとりだけである。
愛洲教官は、目敏くヤマトの落胆に気付いていたが、その理由にまでは思い至らなかったようだ。少し不思議そうな顔をして、若者を退室させる。
「なかなか見込みのある若者だが……少々真面目すぎるやもしれぬ。いま少し清濁も併せ呑める人間となれば良いが」
教官はシンプルな人物評を下すと、少し愉快そうな表情となる。
「しかしながら、この討伐行の命運を握るのは、意外と彼かもしれぬな」
なかば予言めいたその独り言は、他の誰の耳にも届かず、学年主任室の中にだけ響いて消えた。
そして教官は、いま送り出したばかりの若者の後姿を思い出し、その前途を祈るのだった。
次回から、補佐を務めてくれる仲間集めの話が始まります。