第5話 『与えられた任務』
ヤマトはその日も一日、無事に授業を終えると、昼に言われた通り愛洲主任教官の待つ、学年主任室へと向かう。
夕日の差し込む長い廊下を抜け、重厚な扉の前に立つと、姿勢を正してから軽くドアをノックする。
入れ、という威厳のある声がドア越しにくぐもって聞こえてくると、ヤマトは静かに部屋へと入った。
「失礼致します。上泉伍長、参りました」
ヤマトは丁寧に挨拶を行うと、執務机の前に起立する学年主任教官と相対する。
愛洲教官は齢五十を超えた中年の男性である。やや恰幅の良い体型に、日に焼けた浅黒い肌。そして顎に蓄えた立派な髭が実に特徴的だ。
教官はヤマトの姿を確認すると鷹揚に頷き、目の前にある来客用の椅子へと座るよう促す。
長い話になるのだろうか。若者は少しばかり緊張の度合いを高める。
ヤマトは背筋を伸ばしたまま、なるべく姿勢を崩さぬよう、慎重に腰を下ろす。普段、教室で使用している椅子とは比べものにならないほど、フカフカと柔らかで座り心地が良い。思わず肘掛けを使用してしまいそうになったが、咄嗟に自重して、軽く握った拳を両膝の上に乗せる。
その姿を見た教官は楽しげに含み笑いを見せると、さっそく話を切り出した。
「上泉伍長。突然ですまぬが、ゴブリン討伐の任務だ。タテヤマの駐軍基地まで出向いて貰いたい」
指令の内容が予想の範疇内であったため、ヤマトはいくらか安堵する。というのも、このヒノモトという国は災害大国なのだ。
独立国家として長い歴史を持つこの島国は、太古の頃より『鬼』と呼ばれる生物災害と向き合ってきた。人と意思疎通ができない生物であり、そして人を襲い、食らう存在だ。
小型ながら、手先が器用で知能が高く、そして何より恐るべき繁殖力をもった子鬼。
知能は低いが大型で力が強く、驚異の戦闘力を誇る大鬼。
主にこれらの種族がヒノモト国内に跋扈しているのだ。
「上泉伍長。今回の貴官の任務は監軍だ」
この言葉を受け、ヤマトは内心大きく驚く。なるべく動揺が表に出ないよう心掛けてはいるが、それでも教官には悟られているのだろう。ヤマトの反応を当然だとでも言うように、悠然としている。
「自分は実戦経験が皆無でありますが……」
監軍とは文字通り、軍を監察する役回りのことだ。軍の規律に乱れが無いか注意を払い、不正が起こらぬよう監督する。監軍の報告は論功行賞にも大きな影響を与えるため、極めて重要な職務だ。
いくら士官候補生とはいえ、本来学徒が与えられる任務ではない。ましてや、初陣を飾るヤマトに課せられたとあれば、驚かない訳がない。
「上泉伍長。今から、事の経緯について説明しよう」
これは願ってもないことで、ヤマトは静かに教官の言葉を待つ。このような異例な指令がある以上、何らかの理由があるに相違ないのだ。
「そうだな。ではまず基本的なことだが、ゴブリンがどういう存在であるかを説明してみたまえ」
順を追って、ということだろうか。
ヤマトは教官の言葉に従い、一般論に沿った説明を始める。
「ゴブリンとは、我が国に古来より存在する子鬼で、人間を襲う災害生物です」
教官は満足そうに頷くと、なおも質問を続ける。
「人間を襲う理由は?」
「他の動物を狩るのと同様に、食糧の確保が目的とされています。特にゴブリンを害する可能性の高い、天敵ともいえる人間には強い敵意を示し、老若男女問わず襲います」
この後も立て続けに質問が続く。
そしてヤマトは、それに正確に受け答えして行く。
「その生態は?」
「人里離れたところに小規模な砦を築き、それを中心に集落を形成します。知能は高く、独自の言語を操っているようですが、未だに人間と意思疎通が成立した事例はありません」
「その強さは?」
「ゴブリンの成体であれば、訓練された成人男子の一兵卒相当。主に弓、槍、鈍器の扱いに長けています」
「その戦闘スタイルは?」
「ゲリラ戦を得意とした小規模戦闘のエキスパートです」
「その弱点は?」
「統率力の高い個体が生まれにくく、規模の大きな集団でも総数二百程度。そのため大規模集団戦闘を不得手とします」
「その対処法は?」
「最低でも二倍。可能であれば三倍以上の兵力で制圧することです」
流れるような問答が行われる。これらのことは、防衛高等学校に通う生徒であれば、目を瞑っても諳んじられるほど、常識的な内容だ。
ヤマトとしては、このような簡単な設問を繰り返す教官の意図をまったく汲み取れていないのだが、この場ではまずそれに応じるほかない。そんなヤマトの心理を察してか、やがて教官の質問も打ち止めとなり、今回の件について話が移行し始めた。
「実はな、上泉伍長。此度のゴブリンの行動において、イレギュラーな点がいくつか確認されている」
愛洲教官は少しだけ眉を顰め、言葉を続ける。
「まず今回のゴブリン砦なのだが、タテヤマの人里から僅か十キロほどの場所に築かれつつあるということだ」
なるほど、確かにそれは異例だ。
本来、ゴブリンはかなり人里離れたところにしか、砦を築こうとしない。人間の生活圏に近過ぎるゴブリン砦は、当然のように討伐の対象となるからだ。
繁殖力に優れたゴブリンは、数が多くなり過ぎると新たな集団を形成しては砦を築く。そのため少しずつ人間の生活圏に近付いてくるのだが、危険と判断された砦は人間の防衛軍に討伐される。
そんなサイクルの繰り返しなのである。
ゴブリンとしても、人間が憎悪の対象であるとはいえ、互いの生活圏が縮まることはリスキーであることを承知している。そのため、少なくとも人里から二十キロ圏外に生息するというのが定説であったのだ。
「そして二点目なのだが……。今回その砦に立て籠るゴブリンの数が、どうやら四百を超えているらしいのだ」
これも例外的なことである。
ゴブリンは、人間と比べると遥かに社会性の低い生き物だ。多くの群れは『ホブゴブリン』と呼ばれる、一般のゴブリンより僅かに優秀な個体が率いることが多いのだが、その器では二百匹程度を統率するのが精精とされている。
ゴブリンという生物は、自我が強過ぎるのであろうか。優秀な個体に従うという特性は広範囲に波及しないし、同程度の力量を持つホブゴブリン同士が同集団内に存在すると、抗争に発展しやすいという研究結果も出ている。
ゴブリンとしても、より大きな集落を構築して、人間と対抗したほうが良いに決まっているのだが、その試みは必ず瓦解する。先の理由により、集落内で分裂が起きるのだ。
この点が対ゴブリンにおける、人間側の大きなアドバンテージとなっている。
このたびの四百という群れにしても、そのうち自然に崩壊するのかもしれない。とはいえ、現時点において不穏な要素であるには違いない。
「今回の討伐にあたり、我が防衛軍は一個大隊……約一〇〇〇人を派兵予定だ」
愛洲教官は宣言するが、ヤマトの顔は浮かない。
「上泉伍長、何か意見があれば遠慮なく述べたまえ」
「いえ、まずは最後までお話を伺わせてください」
確かにヤマトに思うところはあるが、自分が考える程度のことは上層部も把握しているだろう。ヤマトの慎重な言葉に、教官は「ほう」と些か感心したような声を出す。
若者は結論を焦るばかりに、話を先回りし過ぎることがある。そういった悪癖と、この若者は無縁のようだ。
「今回の大隊を率いるのは、防衛大学所属の小野明忠中尉だ。剣道部に所属していた君の先輩であるから、名前ぐらいは聞いたことがあるのではないかな」
その名を聞いた途端、ヤマトの形の良い眉がピクリと歪む。ほんの微かな変化ではあったが、教官は気付いたのだろう。少し含みのある笑いをしている。
小野明忠。
ヤマトの三年上の先輩で、彼の所属する剣道部のOBである。年齢がみっつ離れているため、ヤマトが高等学校に入学したのと入れ替わりに卒業しており、幸か不幸か直接的な面識はない。
しかし卒業生の中でも有名人であるため、ヤマトもその名を知っていた。小野派一刀流の開祖である小野家の御曹司であり、その剣術の腕前と軍略の冴えは文句の付けどころがない。ところが非常に高慢な性格であり、剣道部内においてもトラブルが絶えなかったと聞いている。
ヤマトは噂だけで、人にレッテルを貼るようなことはない。とはいえ、彼が尊敬する剣道部の先輩方の話を総括する限りでは、どうにも難のある人物と言う評を下さざるを得ない。
特に、彼が敬愛する古藤田先輩が。あの公明正大で寛容な先輩ですら、小野先輩に対しては少なからぬフラストレーションを抱えていたようであるから、相当に問題があるのではと思える。
「何か言いたそうだな、上泉伍長」
教官は明らかに、若者の反応を楽しんでいる様子だ。しかしヤマトは、この愛洲教官が性悪な人間でないことを知っている。むしろ、中途半端な成績の彼に目を掛けてくれる数少ない人間の一人だ。
「いえ、問題ありません。お話を続けてください」
無論、ヤマトとしては聞きたいことが増えていく一方である。
とはいえ、話の全体像が見えないうちに、小さな質問を重ねるのは愚かしくも思える。若者はおとなしく、教官の次の言葉を待った。
災害大国ヒノモト。子鬼、大鬼はそれぞれ、地震と津波のメタファーです。鬼討伐はさながら、災害救援活動といったところでしょうか。