第4話 『真昼の宴は終焉を告げる』
そんな賑やかな昼食会もそろそろ閉幕という頃、壮年の男性がひとり、彼らの座へと近付いてくる。一同に軽い緊張が走り、防衛高等学校の生徒の面々は自然と敬礼の姿勢となる。
この男性は、ヤマトのクラスを担当している教官で、名を丸目という。浅黒く焼けた肌に精悍な顔付きは、ごく最近まで戦場を駆け巡っていた証であろうか。タイ捨流という剣術の使い手で、剣道部のヤマトにとっては目標の一人でもある。
彼はヤマトの姿を確認すると、低く渋い声で語り掛ける。
「上泉伍長、ここにいたのか。……ああ、今は昼休憩中であるから、堅苦しい挨拶はせんで構わん」
そういうとニコリと笑い、並びの良い白い歯を見せる。その言葉で生徒たちは敬礼を解くと、教官の次の言葉を待つ。
「上泉伍長。悪いのだが今日の放課後に、愛洲教官の学年主任室へと来てくれないか。大事な話があると言っていたが、恐らく出撃命令だ」
その言葉で、ヤマトの顔が引き締まる。最近では学徒兵の出撃も増えてきているため、覚悟はしていたのだが、いざ自分の番と言われ緊張しない訳がない。しかし彼は、その感情を一切表に出さぬまま、教官の言葉に了解の意を示す。丸目教官はヤマトの返答に満足そうに頷くと、校舎へと戻って行った。
「ヤマトもいよいよ初陣かぁ……」
ナガラが小さな声で呟くと、その場にいる女性たちが小さく身を震わせる。ヤマト本人は覚悟が出来ていたらしく、それほど動揺した様子はないのだが……。
セルマも、ミユキも、イスズも、そしてシナノも、内心穏やかでないといった様相だ。
「ヤマト様……」
普段は「にへらー」とだらしなく口を開いているセルマが、今は珍しく口元をキュッと結んでいる。彼女が不安なときに見せる仕草で、ヤマトはそのことを良く知っている。可憐なピンク色の唇がすぼみ、その口の形が小さな「への字」になると、ヤマトの胸は軽く締め付けられたかのように苦しくなる。
セルマと初めて出会った日。幼い少女が過酷な運命に晒され、そして慣れない異国へとやってきたあの日。
儚げで心許ない。
彼女の何とも言えぬ悲痛な表情。
そんな過去の記憶が脳裏に蘇り、彼の心を揺さぶらせる。
「大丈夫だよ、セル。まだ任務の内容もわからないのに、今から心配するようなことじゃないさ」
ヤマトはそう言って、彼女の頭を軽く撫でる。
本来、綺麗にセットされた髪を、男性に不器用に撫でられるという行為は、女性として本意ではないのであろうが、セルマは嬉しそうにヤマトの手に自らの頭部を委ねる。昔からこのふたりはそうだったのだ。
頭を撫でられるたび、セルマの口元は少しずつ緩み、また「にへらー」と締まりなく開いていく。そんな光景を、妹のシナノはやれやれといった表情で眺めているが、それで収まりそうにないのはミユキだ。
「旦那様!夫が戦地に赴くことで、一番悲しむのは妻のワタクシなのです。ワタクシのことも慰めてくださいませ……」
そう言って、同じように頭を撫でて貰おうと、ヤマトの間近へとにじり寄る。
ヤマトは咄嗟に「妻ではないだろう」と言いかけたが、それを察したミユキが悲壮な表情を浮かべたために思い留まる。この辺りの甘さが、彼の長所であると同時に優柔さでもある。
「えへへ、旦那様……」
ヤマトが右手でセルマの頭を。
左手でミユキの頭を撫でるという、なんとも珍妙かつ不可思議な光景が展開される。
ナガラやシナノは呆れたような表情で三人の様子を眺めているが、複雑な面持ちをしているのはイスズだ。顔を薄桃色に染め、僅かに頬を膨らませている。
「イスズ、お前も撫でて貰ったらどうだ?」
ナガラがさぞ可笑しそうに、実妹をせっつく。しかしイスズは無言のまま、フルフルと横方向に首を振る。イスズにはイスズなりの矜持があるのだろう。
「イスズちゃんの性格で、ヤマトお兄様のような鈍感な男性を相手にするのは大変ですね。途方もない苦難の道となりそうです……」
困ったような顔をしていたシナノは、フーッと長い溜め息を吐くと、急に柔和な表情に切り替わる。そしてまるで手の掛かる子供でも見るような暖かい目で、親友を見つめる。
この自分にとって最も身近な人間関係は、これからどのように変化していくのだろうか。
不安でありながら、また楽しみでもある。
そんな複雑な思いを抱きながら、陽の高い正午過ぎの青空を見上げるのだった。