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第3話 『地政学という考え方』

 地政学という考え方が必ず正しいということではなく、『地政学的見地』という考え方があることをご理解頂けると嬉しいです。

「ところで、さきほど教室では何のお話をされていたのですか?」


 昼食も佳境に差し掛かった頃、セルマが食後のお茶を淹れながら、ヤマトへと質問を振る。ヤマトは周囲を軽く確認してから、先刻のナガラとの会話の続きを始める。


「ああ、地政学の話をしていたんだよ。ウェンディ先生が訳してくれた本があっただろう」


 その言葉を受けて、セルマはなるほどと頷く。セルマも、上泉兄妹と一緒に家庭教師による講義を受けているため、地政学のことを知っている。

 むしろ二人よりも、理解力が優れているぐらいだ。この辺りはやはり、平和ボケしたヒノモト人と国際人の差異であるのだろうか。


「地政学は、これからのヒノモトで必要とされてくる考え方ですね。今後の国際情勢を予測していくには重要な学問ですから」


 こんなヤマトとセルマの会話に、ナガラが口を挟む。


「それにしても、しょぱなから隣国は敵である、は凄いよな。隣人とは仲良くしましょうってのが、一般的な考え方だし」


 ナガラは先程と同じ感想を漏らす。ヒノモト人の感性であれば、真っ先に違和感を覚える部分であるので、これは致し方ないところであろう。

 しかし、ヤマトはこれを当然予期していたように返答をする。


「誤解されそうだけれども、これは別に隣国は敵であるから争いなさい、という意味ではないんだ。少し説明させて貰おうかな」


 そう言って小さく息を吹き、軽く声量を整える。


「実際に、個人単位でも『隣の存在は敵』といったような概念は存在するんだ。……ナガラ、例えば君が乗り合いの馬車で、すべての席が空いていたとしたらどこに座る?」


 親友に例え話を出して問うてみる。ヤマトは説明をするときに、こうした例題的な設問を引き合いにすることが多い。それを知っているナガラは、慣れた様子で回答する。


「そうだなあ。詰めて座るのがマナーと言うのを差し引いても、たぶんすみっこの席に座ると思うぞ」


「どうしてすみっこを選ぶのか、理由は説明できる?」


 ヤマトは小さくジェスチャーを交えて、質問をさらに重ねる。ナガラは少し考えてから、ゆっくりと答える。


「……それは。やはり、すみの席だと落ち着くから……だと思うな」


 ナガラの言葉に満足したように、ヤマトは頷く。


「そうだね。僕でもはしに座ると思う。理由も同じく落ち着くからだよ」


 恐らく、この場にいる多くの人間が同じ解答をしただろう。そもそも堂々と真ん中に座る人間のほうが少数派には違いない。


「そして隅の席が落ち着く理由だけど、その根本には縄張りとか、パーソナルスペースといった概念が存在する」


 確かに人間には、本能的に侵されたくない領域というものがある。親しい間柄であればまだしも、見知らぬ相手と距離を縮めるのに抵抗があるのは普通の感覚であろう。


「この『縄張り』の概念を突き詰めていくと、恐らく人間は潜在的に隣の存在をリスクと考えている」


「リスク?」


「そう、リスク。つまり危険因子ということだね」


 イスズの短い質問に説明を加えたヤマトは、なおも解説を続ける。


「自分の隣の席に座る人間が、不愉快な貧乏びんぼうすりをする人かもしれない。酷く不潔な人かもしれない。でもすみの席であれば、そのリスクを半分に出来る」


 やや乱暴な論法だが、あながち的外れではない。確かに両端を人に挟まれるよりは、すみにいて片面だけでも安全を確保するという考え方は間違っていない。


「学校の寮でもそうだろう? どうしても角部屋のほうに人気が集まる」


 ヤマトは別の例も挙げて話を続ける。


「隣人が真夜中でも構わず楽器を演奏するような人間かもしれない。毎晩友人を集めてはドンチャン騒ぎをする人間かもしれない。でも角部屋ならそのリスクが半分になるんだ」


 相応の説得力はあるが、彼の言説は基本的に『他人を信頼しない』という立場に重きを置いている。これは現実主義というより、性悪説寄りの理屈であるかもしれない。


「そもそも遠くに離れていれば、トラブルになることは少ない。国と国だって同じだ。遠く離れた国といさかいになることはあまりない。隣国であるからこそ境界線だの、水産資源だのと摩擦が起きてトラブルになるんだ」


 世界中を見渡しても、隣国同士で仲の良い国は存在しない。何故ならば『隣国』という関係こそが、最も利害を生じさせる要因であるからだ。


「チャイカや南北アリコが、いつまでもヒノモトに因縁をつけてくるのも、そういう理由なのでしょうか」


 ミユキの素朴な疑問に、ヤマトは頷いて答える。


「そうだね。彼らは隣国という地政学的リスクを知っているから、明確にヒノモトを敵と定義している。ヒノモトをおとしめ、その力を弱めておくことは彼らにとっては正義なんだ」


 すると今まで話を聞いているだけであったセルマが口を挟む。


「隣国は敵、という概念は外国では常識です。国境を接しているからこそ、必然的にトラブルも起こるのだから、その事実をまず受け入れなさい、という戒めでもあります」


 セルマはヒノモト人の感性とはかなり異なる。北欧出身の人間であるため、国防や国際情勢に関する視点は極めてシビアだ。


「ヒノモト人の悪癖あくへきとして、よく無理をしてトラブルの元を断ち切ろうとするのですが……。国際関係において、多くの場合それは不可能なのです。外交は、国家間での揉め事が今後も起こり続けるという前提で進めなければなりません」


 この場にいる者たちは皆、セルマの言葉に思い当たる節があるのだろう。

 いつか分かりあえる。

 いつか協調し合える。

 そんな理想主義的な概念を、外交という現実の舞台に持ち込んではいないだろうか。


 領土問題や歴史問題などは、それが顕著だ。一歩退けば一歩踏み込まれ、二歩退けば二歩踏み込まれる。国際関係において、双方が納得して収まる事例など、ほとんど無いのだ。


 そんな現状を鑑み、全員黙りこくってしまう。

 しばらくしてその沈黙を破ったのは、ミユキだった。


「……それにしてもこの本、原文はイリギス語なのですわね。ヒノモトよりも面積の小さな国の言葉が、世界中で使われているというのも不思議な気がいたしますわ」


 ヤマトの本をペラペラとめくりながら、先刻のナガラと同じような感想を述べる。最近は翻訳の魔法が発達し、あまり外国語の勉学が重視されなくなってきている。そのためか、イリギス語の本が珍しいのだろう。


 そしてそのミユキの言葉を受けて、セルマは意外なことを言い出す。


「イリギス語が世界各地で使われている。つまりそれは、イリギスが世界中で侵略行為と植民地支配をしていたという過去の裏返しでもあるのですよ~」


 これはイリギス、シロアといった国々と因縁浅からぬ、ウェーデン出身の人間ならではの意見かもしれない。非常に辛辣な内容の言葉ではあるのだが、セルマの声自体はいつも通り非常にノンビリかつ明るいもので、そのギャップが何とも珍妙である。


「ちなみに現在、ユーノ(欧州)圏で難民問題や、テロ事件が起きていますよね。あれも過去の行いによる自業自得の側面があるのです」


「え?それはどういう……」


 ナガラやミユキたちにとって、このセルマの言葉は思いもよらなかったようで、その言葉の続きに耳を傾ける。ところが、その疑問に答えたのはヤマトだった。


「ミユキ。仮にだけど、君がある日突然、ヒノモト以外の国に逃亡して生活しなければならない、という状況に陥ったら、どういう国に逃げようと思う?」


 ヤマトお得意の例え話がはじまる。

 ミユキは想い人に語り掛けられたのが嬉しかったらしく、軽く頬を染めてから真面目に考え始めた。


「うーん、そうですわね。ヒノモト以外で生活をするなんて考えたこともありませんでしたから、急には思いつかないのですけど……」


 首を軽く傾げ、右手を顎に当て、可愛らしく考える仕草をしてから答える。


「……やはり可能な限り、近い環境にある国を選びたいと思いますわ」


 ミユキの回答にヤマトはうんうんと二度ほど頷いて同意する。


「それが自然な考え方だよね。移民や難民というのは、基本的により良い福祉、より良い仕事を求めて移住先を探す訳だけれども……」


 ヒノモトに住んでいると、危機に直面して外国へ移住する、という事態は想定し難い。ヤマトの視点は、この場にいる多くの人間にとって新鮮に聞こえる。


「それでも極力、大きく環境の変わらないところを選びたいと考える。その最たるものが言語なんだよ」


 ヤマトの言葉を受け、セルマも丁寧に解説を加えてくれる。


「想像してみてください。看板や標識が、知っている言語で書かれている国と、読めない言語で書かれている国。どちらに住みたいかなんて、答えは明々白々ですよね」


 なるほど、ぐうの音も出ない。旅行であるならまだしも、生活するとなると言語は大きな壁となる。


「発展途上国や戦争被災国の中でも、イリギス語圏の難民はイリギス連合王国を。ランス語圏の難民はランス共和国を目指す。これは起こるべくして起こった事態です」


「そして移住先で思うような待遇にありつけなかったり、ヨソ者として差別を受けたと感じたりすると、最悪の場合はテロ要員になってしまう……と」


 かつて植民地支配を広げた国が、その反動で現在、難民問題として苦しむ。なるほど、確かにそれは自業自得だ。


 このように、地政学の考え方を裏付ける重要なファクターのひとつは歴史である。人や国が歴史を創り、歴史があるからこそ今の人と国がある。

 そして世界中で起きている出来事のすべては、地理的要因から生まれた歴史という背景があってこそなのだ。


 この場の話で、ミユキも地政学に興味を持ったのか、ヤマトに本を貸してくれるよう依頼する。

 ヤマトは快くミユキに本を差し出した。


 後日。

 ミユキがこの本を抱きしめ、その匂いを執拗に嗅いでいるところを侍女が目撃し、立花家でちょっとした騒動になるのだが、これはまた別のお話……。

 『隣国は敵』という言葉の真意は、けっしてネガティブな意味ではないことをご理解頂けると嬉しいです。

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