第24話 『地政学で浮き彫りとなる国家事情』
地政学的な弱小国、とは国力そのものが低いことを指す訳ではありません。天然の要害がない、強国に囲まれている、などの理由でも『地政学的な』弱小国となります。
「軍事力と経済力で圧倒して、絶対的にヒノモトが強者である事実を突き付ける。それだけよ」
そう断言するウェンディの声は冷たい。
セルマの問うた“仲良くする手段”の意図するところは、無論そういった威圧による友好ではない。もっと理想主義的な、相互理解や相互譲歩による、精神的に高度な友好のことだ。
ウェンディは当然そのことに気付いている。気付いていながら“強者”であることを誇示する以外に、南北アリコとの友好は有り得ないと断言したのだ。
「セルマちゃんの気持ちはわかるけど、正常な国交というのは国家の成熟度や民度が釣り合わないと成立しないの。ヒノモトと南北アリコが対等な友好関係を築くには、あと数百年以上掛かると思うわ」
ウェンディの指摘は厳しいながらも、正確な現状認識に根差している。
麻薬密輸、武器売買、紙幣偽造、拉致誘拐、恫喝外交、あらゆる悪事に手を染め、もはや国の体を装った広域暴力団と言われる北アリコ。
被害者と加害者の間に存在するという『道徳的優位』なる論理を持ち出し、ヒノモトとの約束事を平気で破り続ける南アリコ。
いずれも成熟には程遠い国家だ。
「あえて端的な質問をしましょうか。あなたたちは、大人と子供の間に、純粋な友情が成立すると思いますか?」
家庭教師は、少しだけ哲学的な問いを発するが、その意図はすぐにヤマトたちにも汲み取れた。
確かに大人と子供の間に、本当の意味での友情が成立するとは思えない。
親愛の情が成立する余地は十分にあるが、友情となると精神的なレベルが釣り合わないと難しいように思えるのだ。
「ヒノモトが大切にすべき関係は、やはりG7(ジーセブン)……つまり先進国会議ではないかしら。価値観の合わない外交ほど虚しいものはないもの」
ランス、メアリー、イリギス、ゲルマ、ヒノモト、ロマリア、カナディア。
世界における先進国同士であれば、国際条約の重要性を深く理解しているし、マクロの視点で国際関係を語らうことも出来る。
国家としての成熟度も、ある程度は釣り合うだろう。
それに比べ、情治主義をもって平気で国際条約・国際合意をかなぐり捨てるアリコとはとても相容れないのだ。
「そもそも、ヒノモトと南北アリコは相性が最悪なの。片方は異民族支配を受けたことのないノンビリした海洋国家。もう片方は属国として生命を長らえてきた虐められっ子国家。まるで水と油なのよ」
ウェンディの声には諦観の念が込もっている。言われてみれば、これほど真逆で、これほど折り合いの悪い組み合わせは他にないのではあるまいか。そう思えてしまうほどである。
人間関係においても、ウマが合わない相手と無理に付き合う必要はない。そんなことをしても、お互いに不幸になるだけなのだ。適切な距離を保ったオトナの対応が求められるのである。
「世界は現実主義で動いているの。理想主義も大事だけれども、まずは現実に則った方策が大切なのよ」
ヒノモトがどれほど理想論を語っても、世界は現実主義で動いている。その事実をウェンディは冷酷に突き付ける。
「仮に世界が理想主義で動いているのなら、とっくに世界が平和になっていないとおかしいのよ。逆説的に言うと、平和になっていないことから世界が理想主義で動いていないことが証明されてしまっているわ」
その通りである。世界が理想主義で動いているのならば、とうに争いも差別も無くなっているはずなのだ。
「禁断魔導兵器だって、すべての国がいっせーのせ!で無くすことができれば、それが一番なのよ。しかし現実問題それは無理でしょう?」
理想と現実。
政治や外交を語るうえで、幾度も議題にのぼるテーマだ。
ヒノモトとて、外国ともっと高度なレベルで結び付きたい。しかしながら、世界情勢がまだまだそれを許さないのだ。
「北アリコのような、イバラキ県やトットリ県と同程度の経済規模しかない小国ですら、禁断魔導兵器を持つだけで世界中の首脳陣を右往左往させられるの。禁断魔導兵器が国家の切り札としていかに有効なのかが分かるでしょう」
「そうですね。そんな重要なカードを、おいそれと捨てる国家は存在しません」
ウェンディの言葉に、ヤマトは悲しそうな声で応える。
彼らとて、平和で平等な世界を望んでいるのだ。理想主義が通じる世界であって欲しいのだ。しかし現実はこの上もなく非情である。世界は現実主義でのみ動いているのだという事実を改めて認識せねばならない。
「ヒノモトと南北アリコは、地理的に敵、歴史的にも敵、そして国民性の相性も最悪となると、もはや和解の道はなさそうですね」
セルマは諦めたように呟く。
絶対に相容れぬ相手と言うのは、どうしても存在する。ヒノモトと南北アリコはまさにそういう関係なのであろう。
「力こそすべて……それこそが万年虐められっ子国家である南北アリコの価値観なの。その意向に沿うとしたら、やはりこちらが強者であることを突き付けるしかないのよ」
南北アリコは儒教の影響が色濃いため“対等”という概念が極めて薄い国家だ。
力によって生じる上下関係、つまり“序列”でしか国際関係を論じることができない。ヒノモトとは考え方が根本的に異なるのだ。
そうであるから、ヒノモトが提案する互恵関係を、南北アリコが理解できないことに腹を立てるのも筋違いだ。それが価値観の相違というものなのである。
「南北アリコが歴史を誇張して、執拗に被害者であることを主張するのは、ヒノモトにお金をたかるためかと思っていたのですが、そうではなかったのですね」
セルマはなかば呆れたように言うが、ウェンディの声は深刻だ。
「お金をたかるのも目的のひとつだと思うわよ。でもそれ以上に、彼らの主張する道徳的優位とやらを守りたい気持ちのほうが強いの」
ウェンディはグラスの葡萄酒を少しだけ喉に流し込むと、更に言葉を続ける。
「虐められっ子の歴史を歩んだ国家は、ねちっこく被害者であることを主張するの。それは新たなボスである、メアリー合衆国やチャイカへのご機嫌伺いでもあるのよ」
かつて私たちは、こんな酷い目に遭わされていた。そう主張して新しい支配者へと媚びるのだ。
インフラを整備し、経済を発展させたヒノモトの功績をひた隠し、さぞ酷い弾圧だけを受けたかのように印象操作するのには、そうした理由が隠されている。
「前のご主人様からはこんな酷い目に遭っていました!嫌々従っていただけなんです!だから新しいご主人様は可愛がってください!という属国の論理ね」
ウェンディの言葉は相変わらず厳しい。その言葉の意味するところは、あまりにさもしく聞こえるが、本筋として間違っていないため、その場にいる人間は少し反応に困る。
併合が植民地支配に。
慰安婦が性奴隷に。
徴用工が奴隷に。
すべてが少しずつ、そして徹底的に捻じ曲げられていく。
「根も葉もない話ではないところが卑怯よね。慰安婦問題も強制連行の有無を争点としているのに『慰安婦の存在を否定するのか!』とか言って、混迷する方向に論点をずらしてくるでしょう?」
そう言ってウェンディは、まるで自分の国が貶められたかのように腹を立てる。
「ヒノモト人は、この問題をもう少し怒って良いと思うわ。自分たちの祖父や曽祖父をレイプ魔呼ばわりされているようなものなのだから。しかも事実ならともかく、そうではないのだから」
ヒノモト人は、こうした歴史問題もどこか他人事だと思い込んでしまう節がある。ウェンディにとっては、そうした部分も苛立たしく思えるのだろう。
「……それにしても」
と、セルマは小さく呟く。
「先程、同じ半島国家の例としてリギシャの名前を挙げましたけれども、やはりこれらの国は全く違うようにも思えます」
そう思い直したかのように、言葉を紡ぐ。
それらの半島国家は、確かに性質は似ているのだとしても、やはり根本の部分に違和感を覚える。そのぐらい南北アリコの陰湿さは異常とも思えるのだ。
既に七十年以上も昔の件を。しかも公式には、最初の『基本条約』で完全に解決したはずの案件を、幾度も幾度も蒸し返しては、謝罪と賠償を要求するのだ。もはや真っ当な国家ではあるまい。
「まぁセルマちゃんの言う通り、南北アリコとリギシャには、地政学的にも決定的な違いがあるわ。それが国民性の違いを生み出すの。それが何かわかるかしら?」
お世辞にも防衛力が高いとは言えない南北アリコ。
それに比べてリギシャは心臓部が山岳で守られていたり、海域には防衛拠点となる島を数多く抱えているなど、地形的な違いは多い。
しかしウェンディの意図するところは、そういうことではなさそうだ。
「そんなに難しく考えなくていいのよ。もっと判り易い、根本的な違いがあるの」
家庭教師はそう言うが、ヤマトもセルマも、なかなか思い至らない。すっかり考え込んでしまう。
(※よろしければ、ご一緒に南北アリコとリギシャの決定的な違いを考えてみてください)
……。
……。
……。
……。
……。
「ヒントその一。国それ自体ではなく、各半島が連なる大陸の違いを考えてみましょう」
ウェンディは得意気にヒントを出す。
チャイカ大陸と、ユーノ大陸の決定的な違い……。
ふたりはいま少し、思慮を巡らせる。
……。
……。
……。
……。
……。
「ヒントその二。大陸に連なる半島国家が、もっとも心安らげるのは、どのような時でしょうか」
「……あー……」
「あ、はい……わかりました」
ふたつめのヒントが出たところで、ヤマトもセルマも唸るように声を上げる。
「先生、ふたつめのヒントはサービスし過ぎです」
「そうですね、そこまでヒントが出されてしまっては、流石にわかってしまいます」
二人は、ウェンディとのこうした問答に慣れているのだろう。得心がいったように、頷いている。
「では答え合わせをしましょうか。まずはふたつめのヒントの答えを、ヤマト君どうぞ!」
家庭教師に指名されたヤマトは、小さく息を吐いてから答える。
「はい。半島国家がもっとも心安らげるのは、連なる大陸の混乱期……具体的には戦乱期ですね」
まずは明確な回答を出したあと、更に解説を付け加える。
「国内が割れている状態だと、近隣諸国にちょっかいをかける余裕がありません。まずは国内の敵を倒すのが最優先で、半島のことは後回しになります」
ウェンディはその回答を、満足そうに首肯する。
「そうね。春秋戦国、漢楚、魏呉蜀、色々あるけど国内が割れている間は、まず目の前のライバルを倒すのが最優先。近隣諸国のことなど二の次となるわ」
このふたりの会話を受けて、セルマが問題の正解を答える。
「そしてそれこそが、ユーノ大陸とチャイカ大陸の決定的な違いです。ユーノ大陸は分割統治されている時期のほうが長いですけれど、チャイカ大陸は幾度も統一されています」
チャイカ大陸を、ほぼ丸ごと飲み込み終わっているチャイカ教皇国。
それに対しユーノ大陸は、現在でも群雄割拠に近い状態だ。ゲルマ連邦共和国やランス共和国をはじめ、ロマリア共和国、イスパーニャ王国、ポルトガ共和国、ラオンダ王国、他にも数々の国家が連なっている。
「ユーノ大陸がひとつの勢力によって統一されることが少ないのは、イリギスのオフショア・バランシング戦略(※)の影響であったり、河川に区切られた地形であったり、色々と理由はあるのだけれど……」
この辺りは、欧州史に詳しい人間であれば把握している事実である。とはいえ、この場の主題からは逸れるため、それについては深く言及しない。
「要するにリギシャと南北アリコとでは、心穏やかでいられた期間の長さが全然違うということね。身も蓋もない言い方をすれば、南北アリコは世界でもトップクラスの虐められっ子国家ということになるわ」
「……だから、あんな性根のひん曲がった国になってしまったのですね」
ウェンディの解説に続き、セルマによるトドメの一言である。
しかしながら、地政学的な視点から南北アリコを分析すると、そういう結論に至るのだ。
「ヒノモトは、元寇を含め外国から攻め立てられた回数は数えるほどしかないわ。それに比べてアリコは、ここ千年の間に二千回もの侵略を受けていて、そのたびに国土が荒廃しているの。あれだけ性格が歪むのも、仕方がないのかもしれないわね」
アリコ半島は、ヒノモト人が想像もできない地獄を味わってきたのだろう。その点において、同情の余地は確かにある。
しかしながら、では互いの価値観の相違を埋めるための努力をしなければならないかと問われると、それはまた別の問題だ。
「南北アリコは外敵に虐められ続け、そして支配者が変わるたびに国内では、裏切り裏切られる歴史を繰り返してきたの」
ウェンディは一息ついて、なおも言葉を続ける。
「それに比べてヒノモトは、海に守られたノンビリした島国国家。でも災害は多かったから、人間同士で信じ合い、助け合う気質が強いの」
災害のとき、ヒノモト人は極めて冷静であると言われている。
配給の際はおとなしく列を作るし、弱者を優先させる良識も持ち合わせている。
恐らく災害のときに自分勝手に振る舞うことは、事態を悪化させるだけであることを、その遺伝子に刻み込んできたのであろう。
逆説的に言うと、災害時に協力の姿勢を示せない人間は、ヒノモトでは生き残ってこれなかったのではなかろうか。
そう考えると、ヒノモトにおける極端な同調圧力の根本にあるものも理解できるような気がする。
「裏切りで生き残ってきた国と、助け合いで生き残ってきた国ですか……。これはもう全く民族性が違っていて当たり前ですね」
セルマはそう、冷静な結論を下す。
地政学とは、歴史とは……民族性の違いをここまで浮き彫りにしてしまうのだ。
「現在の南アリコによるヒノモトへのバッシングを見ていると、虐め慣れしていない弱小国家の危うさを感じるわ。恐らく史上はじめて、自分が優位に立てた相手だと思い込んで、好き放題やっているのでしょう」
アリコは今まで長らく虐められっ子であったために、自分が虐める側にまわったとき、手加減が出来ていないのだ。しかも“道徳的に”自分のほうが上だと信じ込んでいるので、余計に性質が悪い。
更にはヒノモトバッシングがあまりに日常化し過ぎて、バッシングに無自覚な素振りさえある。もはや末期症状だ。
「ヒノモトは衰えたと言っても、世界でも有数の経済大国よ。南アリコは、その気になれば一撃で自分を葬れる獅子を、おとなしいからという理由だけで、調子に乗って叩き続けているようにも見えるわ」
ヒノモトと南北アリコは、国力が全く違う。
ヒノモトが本気で怒り、南アリコに何らかの制裁を科せば、簡単に致命傷を与えることも出来る。現実として、立場がまるで異なるのだ。
「ご主人様、顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
セルマは心配そうに、自分の主人を気遣う。確かに、彼の顔色は良いとは言えない。何とも思いつめたような表情をしている。
「大丈夫だよ、セル。ありがとう」
ヤマトは伏せていた顔を上げ、専属侍女を安心させるように優しい声で返答する。
「何というか……。チャイカがヒノモトを煩わしく思う気持ちは理解できるし、南北アリコの歴史もあまりに不憫に思えてしまってね」
人にはそれぞれ立場がある。
同じように、国にもそれぞれの立場があるのだ。
地政学的に国家を分析していくと、それぞれが抱える事情が浮き彫りとなる。
「でも、ヒノモトにもヒノモトの事情があるの。他国のことまで思いやってあげる必要は全くないのよ」
ウェンディはそう言って、教え子を励ます。
実際その通りなのだ。すべての国は現実主義で動き、そして自分のことだけで精一杯なのである。
「例えばだけど、南進を続けるシロアに『侵略をやめろ!』って言うと格好良く聞こえるでしょう?」
そう言ってから、ウェンディはニタリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「でも『お前たちシロア人は極寒の地がお似合いなのだから他国に侵略してくるな!』って言ったら意地悪そうに聞こえるの。世の中なんてそういうものなのよ」
この家庭教師の言葉に、その場にいた人間たちが一斉に笑い出す。
ジョークとしても、皮肉としても完成度が高いだけでなく、その事実があまりにも的確であったからだ。
こうして、下総上泉家のダイニングで行われた地政学の授業はひとまずその幕を閉じた。
明後日に出陣を控えた勇士たちは、さしあたって休息の時間を迎えるのである。
(※)イギリスのオフショア・バランシング戦略については、第四章・欧州編で詳しく解説する予定でしたが……。興味のある方は『学校では教えてくれない地政学の授業 茂木誠氏・PHP研究所』をご閲読ください。お勧めの書籍です。




