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第23話 『ヒノモトと南北アリコが敵国である理由』

 海洋国家、大陸国家といった区別は、ある程度の規模の国家でないと定義されません。南北アリコは定義外となっています。

「はっきり言って、南アリコ、北アリコのふたつの国は、ヒノモト人にとって最も理解し難い国家だと思うわ」


 ウェンディのこの言葉は、まさに核心をついている。

 メアリー合衆国の同盟国でありながら、ヒノモトを執拗に憎悪し、チャイカにへつらう。まるで童話に登場する『卑怯なコウモリ』のような南アリコ。

 禁断魔導兵器の開発を強行し、メアリー合衆国、ヒノモト、果ては宗主国のチャイカすら敵に回しかねない北アリコ。

 どちらの国も、ヒノモト人たちには理解の範疇を超えている。


「でもね。この国は訳が分からないと、思考を捨ててはいけないの。南アリコも北アリコも、敵であるからこそ、どんな国であるのか良く理解しないといけないの」


「敵を知り、己を知れば百戦危うからず……ですね」


 セルマがたどたどしく発した言葉を、ウェンディは大袈裟に頷いて肯定する。

 ……とはいえ現状ヒノモト国民の多くは、敵を知らず己も知らない、極めて危険な状態であろう。


「さて。この問題を語るのに際して、まずは南北アリコが地政学的にどういう国であるのか。それをおさらいしておきましょう」


 そういうとウェンディは、右手の人差し指をヤマトに向けて発言を促す。若者は慌てた様子もなく、自分の知る南北アリコの地政学的な知識を披露する。


「南北アリコは、地政学的な弱小国です。ひょっとすると世界でも最弱に分類されるかもしれません」


 すると今度は指が、セルマへと向けられる。


「ヤマト様と同じ意見です。ただ地政学的な最弱国は、ボーランドか南北アリコか迷いますね……。どちらにしても、最弱に限りなく近いことには間違いないのですが」


 何とも容赦のない意見が飛び交う。

 地政学的な弱小国を語るとき、真っ先にボーランドという名が挙がる辺りは、さすが欧州史に詳しいセルマならではかもしれない。


「そうね。先生も世界最弱を選ぶとしたら、そのどちらかで迷うわ。それではなぜ、南北アリコが地政学的な弱小国なのかを説明できるかしら?」


 そんな試すような質問を発してから、ウェンディは再び同じように、人差し指をヤマトに向ける。するとヤマトはその質問を予期していたかのように、理路整然と理由を説明し始める。


「まず、チャイカという大陸覇権国家の隣国であること。またアリコ半島が、チャイカ大陸の付け根に位置するため逃げ場がないこと。この点が大きいと思います」


 地政学は地形や風土のみならず、周辺国との関係や状況でも変化する。南北アリコの最大の不幸は、周囲を強国に固められていることだろう。

 続いて、やはり指を向けられたセルマも持論を展開する。


「チャイカとアリコの国境にある鴨緑江が、あまり防衛の役に立たないのも理由のひとつでしょうか。また黄海の海洋防衛力にも期待が持てません」


 このセルマの指摘も的確である。

 国境を区切る鴨緑江は、さして川幅が広くなく、水深もあまりない。水量の少ない季節や、水が凍る冬季であれば徒歩で渡ることも不可能ではなく、河川としての防衛力は低い。

 またチャイカ大陸からアリコ半島に渡る黄海は波が穏やかで、船を使っての侵略も容易なのだ。アリコは要害に恵まれず、陸と海の両方から侵攻リスクを抱えているのである。


「まったくその通りね。アリコは地政学的な弱小国。そして隣には世界有数の覇権国家という、最悪のシチュエーションなの」


 ウェンディはそう言って、一旦話をまとめる。そして難しい質問を若者たちに突き付ける。


「それでは問題です。隣には戦っても絶対にかなわない大国がいます。しかも自国は半島のため逃げ道がありません。さて、あなたならどうしますか?」


 これは難題である。

 そもそも、既に詰んでいるようにも思える。

 ヤマトは軽く首を傾げて、少し考えてから困ったように返答を行う。


「そうですね……。これはもう隣人に頭を下げて、何でも差し出すから手荒なことはご容赦くださいと、そう頼み込むしかないのではありませんか」


 全面降伏宣言である。

 これは既に戦略というものから逸している。

 しかし、他に手の打ちようがないというのも事実であろう。


 そのヤマトの返答を聞いたウェンディは、わざとらしくいかめしい表情を作る。不満を表明した証だ。

 ヤマトはさすがに考えが浅かったかと反省し、家庭教師に対して弁明を行おうとしたところ、急にウェンディは笑いをこらえたような表情になり吹き出す。


「ヤマト君、その回答で正解なのよ。実際、それ以外に現実的な方策はないの」


 ヤマトをからかっていたのだろう。若者は少しだけ不満そうな顔を見せるが、言葉に出しては何も言わない。ウェンディの冗談にいちいち反応していては、相手のペースに引き摺りこまれるだけなのだ。


「実際、アリコはずっとそうやって生き延びてきたの。金銀反物から奴隷まで貢いだ挙句、時には王子まで人質に差し出して、チャイカに頭を下げ続けてきたのよ。文字通り額を床に擦り付けて、自国の平穏を守ってきたの」


 アリコはずっと大国の顔色を窺い、強いほうにつくことで生き延びてきた国家だ。あの場所、あの環境において生命を永らえるには、他にすべがなかったとも言える。


「一応アリコを弁護しておくと、これはけっして民族が劣っていたとか、意気地いくじがなかったとか、そういうことではないの。大陸に面した半島国家の運命は大体似たようなものなのよ」


 そのウェンディの言葉に、セルマは小さく頷く。


「そうですね。例えばリギシャも、ユーノ大陸の支配者が変わるたび、それに従っている印象があります」


 ユーノ大陸の覇者が、ロマリア帝国となればロマリア帝国に服従し。

 ユーノ大陸の覇者が、オスマンルコト帝国となればオスマンルコト帝国に服従する。

 半島国家は、属する大陸に生命線を握られる運命なのだ。


「でもそう考えると、長年服従させられていたチャイカをこそ恨んでも、ヒノモトばかり憎むのは筋が通らない気がするのですが……」


 このヤマトの考えは、多くのヒノモト人が共通して抱える想いであろう。

 ウェンディはその意見を、当然だと言わんばかりに首肯して受け止めるが、その論理ロジックについても説明を始める。


「南北アリコの、あの難解な民族性は、地政学の中でも特に『歴史』による影響が大きいの。それこそがまさに、ヒノモトと南北アリコが地政学的な敵国の理由でもあるのよ」


 ウェンディの講義は、ようやく本題に深く踏み入るようだ。お膳立ては出来たと言わんばかりに、続けて話を展開する。


「アリコはずっと、隣の大陸国家に平身低頭して生き延びてきたの。ところがややこしいことに、この隣人の中身が時々入れ替わるのよ」


「唐、元、明、清……ですね。確かに幾度も隣人が入れ替わります」


 ウェンディの説明に、ヤマトがすかさずフォローを入れる。家庭教師は満足したように頷くと、そのまま説明を続ける。


「アリコとしては無論、新しい支配者に服する訳だけれども、話はそう単純ではないの。ちょっと簡単にシミュレートしてみましょうか」


 そう言うと、ウェンディは少しだけ声を無機質なものに変える。


「大陸の支配者であるA朝廷にアリコは服従していました。ところがある日、大陸で政変が起きます。A朝廷が滅びて、B朝廷が新たなる支配者となりました」


 繰り返されてきた歴史を簡略化し、なかば棒読みするように若者たちへと伝える。


「……さて、このときどのようなことが起こるでしょうか」


 このややこしい質問に、セルマはすぐに自分なりの回答を出す。


「アリコは、新しい支配者であるB朝廷に従おうとしますよね。しかし、B朝廷が必ずしもそれを受け入れるとは思えません」


「そうね。今までA朝廷と仲良くしていたくせに、信用できない……となるわね」

 

「B朝廷にとっては、滅ぼしたA朝廷は敵だったわけですから、まあ当然の流れですね」


 それまでA朝廷に服していたアリコであるから、貢物をはじめA朝廷を支援する国のひとつという扱いになる。B朝廷にとっても、アリコは敵だったのだ。 


「そこでアリコで何が起こるかと言うと……虐殺よ」


「虐殺……ですか?」


「そう、虐殺」


 ヤマトがいぶかし気に問うた単語を、ウェンディはもう一度事務的に繰り返す。


「今までA朝廷と仲良くしていたアリコの上層部たちを自らの手で粛正するの。そして前の政権と仲良くしていた連中は処分しましたから、新しいB朝廷さん、これから宜しくお願いします、となるわけ」


 思わぬ惨事ではあるが、なるほど理には叶っている。それまでのアリコ上層部も、国家のためを思ってA朝廷と親密にしていたのであろうに、政変によってその立場を失ったのだ。


「だから歴史的にも、チャイカ大陸での政変と連動して、アリコ半島でも政変が起こっているの。判り易いでしょう?」


 大陸国家に命運を握られた、半島国家ならではの悲劇といったところであろうか。そう考えると少しだけ憐れでもある。


「こうした歴史が繰り返されているから、アリコは代々、現政権が前政権を否定する傾向が強いのよ」


 ウェンディは苦笑交じりにそう言うが、あまり笑える事態ではなかろう。

 現在は民主化されたはずの南アリコですら、その大統領の末路は悲惨なのだ。亡命したり、逮捕されたりするのはまだマシで、暗殺、自殺、不審死など、多くの場合悲劇的な結末を迎えている。

 これらの原因が、脈々と受け継がれる負の遺伝子のせいだとするのなら、その業はあまりに深く思える。


「まあ政変に次ぐ政変はまだ仕方ないとしても、更に過酷な運命が待ち受けている人たちがいるわ。アリコに残ってしまった、A朝廷の関係者よ」


 家庭教師の言葉は低く冷たい。

 確かにそれまで国交があったのだから、滅びたA朝廷の関係者がアリコに残っていても不思議ではない。そんな彼らを待ち受ける運命は、恐らく滅びた本国の人間たちより凄惨であろうことは想像に難くない。


「今まで偉そうに俺たちを支配しやがって!という反発の気持ちがあるのは勿論なのだけど、A朝廷の関係者を残虐に殺すことは、彼らにとってB朝廷への忠誠の証ともなるの」


 そのウェンディの説明に、ヤマトは何か閃くことがあった。どこかで、それと同じような場面を耳にしたことがあったからだ。


「それってまるで、太平洋戦争におけるヒノモト敗戦直後の状況と同じなのでは……」


 太平洋戦争でヒノモトの敗戦が決定した日。

 アリコ半島から引き上げようとしたヒノモト人たちは、突如豹変したアリコ人たちに襲われた。

 男性たちは見るも無残に殺され、女性たちも凌辱されたのち惨たらしく殺害された。滅びたA朝廷の関係者が嬲り殺されるのと、まったく同じ構図ではないのか、と思ったのだ。


「まったくその通り!つまり南北アリコにとって、繰り返された歴史におけるA朝廷と、現在のヒノモトはまったく同じ存在なのよ」


 ウェンディは優秀な生徒を褒めるかのように、小さく拍手する。しかし正解してもあまり嬉しくない問題ではある。


「それまで繰り返されてきた大陸支配者への服従が、太平洋戦争のときはヒノモトに変わっていたのですね。そしてヒノモトが戦争に敗れたあとは、新しい支配者であるメアリー合衆国やチャイカに乗り換え、忠誠を示すためにヒノモトを貶め続けている……と」


 淡々と事実確認をするようなセルマの発言は、その場にいるヒノモト人たちの肝を冷やす。

 南北アリコの、執拗なほどのヒノモトへの恨み、憎しみ。

 かつてヒノモト人と懇意にしていた同胞たちまでも、親日派として排除する異常さ。

 そして歴史を誇張し、数字を水増ししてまで自らが被害者と主張する背景に、そんなおぞましい歴史があることを今更ながらに認識したのだ。


「勝者におもねり、敗者をさげすむ。本当に分かりやすい民族よね」


 ウェンディの言葉に侮蔑の響きはない。

 彼女はただ淡々と事実を述べたに過ぎない。

 地政学的な見地とはそういうものなのだ。




「なんというか……救われない話ですね」


 ヤマトは小さく呟く。

 しかしウェンディは特に気にした様子もなく、明るい声で話を続ける。


「判り易く言うならば、アリコは典型的な『いじめられっ子』国家ね。環境が環境だから、ある程度仕方がないとは思うのだけれども」


 要するに逆恨み、である。

 またチャイカに対する無意識下での恐怖もあるのだろう。

 しかしそうであるからこそ、腑に落ちぬといった表情でセルマが口を挟む。


「ヒノモトと南北アリコが、そうした背景もあって地政学的な敵同士ということは良く分かりました。しかしそれでは、仲良くする手段はもう残されていないのでしょうか?」


 純粋なセルマらしい質問だ。ウェンディはその言葉を聞いて、少しだけ楽しそうに笑う。


「アリコと仲良くする方法はたったひとつだけあるわ。それは地政学の基本にある通りよ」


 そして冷然とした口調で断言する。 


「軍事力と経済力で圧倒して、絶対的にヒノモトが強者である事実を突き付ける。それだけよ」

 ポーランドは国力自体は高いのですが、ドイツとロシアに挟まれているという環境が最悪に近いとされています。更にヨーロッパとロシアの通り道にあるため、紛争が起こるたびに災禍を被ります。

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