第1話 『プロローグ』
ラノベを読む気軽な感じで、『地政学』や『マクロ経済学』の考え方や基礎を学べるような話を目指しています。楽しくご覧頂けますと幸いです。
隣国とは敵である。
隣国との友好とはすなわち虚構であり、隣国を助ける国は滅びる。
隣国は無力化させ、緩衝地帯とするほかない。
戦争とは、力の不均衡が生み出す政治の結果である。
平和とは、力が拮抗している一時的な小康状態のことである。
戦争とは正義が勝つものではない。
すべての勝者は、単に強者であるに過ぎない。
すべての国家は正義にも悪にも分別されない。
強いて言えばすべての国家が悪である。
繰り返す。
隣国とは敵である。
隣国と良好な関係を築く方法はただひとつ。
経済力と軍事力で隣国を圧倒するのみである。
味方の敵は敵となる。
敵の敵は味方となる。
永遠の同盟国は存在しない。
永遠の敵国も存在しない。
あるのはただ、永遠の国益追求である。
この事実には如何なる感傷も意味をなさない。
如何なる感情論でも否定しえない、冷酷で厳然たる事実である。
地政学の基礎 序文より
『現実主義騎士の地政学』
「正論ではあるけれど、これでは我が国で受け入れられるはずが無いのだよなぁ」
若者は小さくため息をつくと、幾度も目を通したその本をパタリと畳む。そして昼休みにやってくるであろう、友人たちの来訪に備え、教室の自席で待機する。
地政学。
地理的な環境が国家に与える影響を、巨視的に分析するというこの学問は、彼の生まれ育ったヒノモトという国において最もマイノリティな研究分野かもしれない。その理論は徹底的な現実主義の上に成り立っており、そこに理想主義が介入する余地は一分もない。
『和を以て貴しとなす』
『一視同仁』
それこそが正しく人の道であると教育されてきた、一般的な感性のヒノモト人であれば、この内容に眉を顰めるに違いない。気の小さな平和主義者が読んだら、あるいは卒倒してしまうのではあるまいか。そんなことを考え、若者の口元は皮肉めいて小さく歪む。
この若者の名は上泉大和。
ヒノモトのナラシノ防衛高等学校に通う最上級生、つまりは三年生である。
学校と言う場には、本来あまりに不似合いな大小二振りの刀を腰に下げており、その柄や鞘には片喰紋が刻まれている。見る者が見れば、その家紋がヒノモトでも高名な軍人の家系・上泉家のものであることに気付くかもしれない。
取り立てて美男子ということはないが、高く鼻筋の通った均整の取れた顔立ちは、地味ながらも上品な魅力がある。武道を嗜んでいるためか、ピンと背筋の伸びた美しい姿勢も印象的だ。
年頃の青年であるというのに、お洒落には無頓着のようで、身に付けているものは武骨なものばかり。髪も綺麗に手入れされているとは言えず、やや無造作に伸ばされている。それにもかかわらず、清潔感が些かも損なわれていないのは、柔らかな髪質に救われてであろうか。
彼にとって、髪は伸びてきたら切るだけの存在でしかない。散髪の回数を減らすためだけに、一度丸刈りにして帰宅し、実妹に泣かれて以降は、ある程度の長さを保つように心掛けてはいるが、実はそれすら面倒と考えている。
服は実用的でさえあればよい。
髪は邪魔にさえならなければよい。
その程度の感覚でしかなく、要するにファッションやスタイルへの関心が薄いのだ。
そんな彼の唯一の娯楽と言えるのは、つまるところ読書である。学校の昼休みの合間にも、ついつい本を開いてしまう。
「よ、ヤマト。何を読んでいたんだ?」
そんな彼に、気さくに話しかける男子生徒が現れる。
ヤマトにとって唯一の親友とも呼べる存在であり、名を藤林長良という。同じく防衛高等学校に通う学生で、クラスは異なるが同級生である。
軽薄そうな雰囲気を漂わせてはいるが、その眼光は鋭く、所作にも無駄がない。これらのことは、彼がいわゆる『忍者』であることと無関係ではないであろう。
「家庭教師から貰った地政学の本を眺めていたんだよ。もう繰り返し読んだ本だけどね」
そう言いながら、本の表紙が見えるようにナガラへと手渡す。
ナガラは興味深そうにそれを受け取ると、パラリとページを捲ってみる。最初のほうは少しゆっくりであったが、十ページと進まぬうちにサラリと残りのページを流してしまう。
「なんだこりゃ、原文はイリギス語じゃないか。良くこんな本を読む気になるな」
語学の授業でもないのに、外国の文字など見たくもないといった風情で、本をヤマトに突っ返す。
お勧めの本を返還され、少し残念そうな表情をしているヤマトとしても、ナガラの気持ちは理解できる。そのヤマト当人でさえも、家庭教師であるウェンディ先生が和訳を付けてくれていなければ、そもそも読む気が起こらなかったであろう。
「まあ、地政学はヒノモトではタブー扱いだからね。この本だってメアリー合衆国から取り寄せたものだし」
「タブー……禁忌の学問とは穏やかじゃないな。どういう経緯があって、そんなことになるんだよ」
禁忌という言葉に興味を惹かれたのか。恐らく初めて聞いたであろう、地政学という単語の意味について問う。
「そりゃ序文の冒頭から『隣国は敵である』だからね。仲良しこよしの教育が徹底されてきたヒノモト人には合わないだろう」
聞く者が聞けば、このヤマトの言葉……特に『仲良しこよし』の部分に、幾分シニカルなニュアンスが含まれていたことに気付いただろう。ナガラはそれを敏感に感じ取りながら、親友との会話を続ける。
「理想と現実の間にある溝が深いのは、世の常だからなぁ。実際のところ今の国際情勢を見渡せば、隣国は敵、もしくは緩衝地帯という見解は間違っていないんじゃないか?」
このナガラという男も、ヤマトに負けず劣らずの現実主義者である。そうと知っているからこそ、ヤマトも彼に地政学の話題を振ることが出来る。価値観の合わぬ人間に、同じような話をすることは到底できない。
「まぁ隣接していて、本当に仲が良いのであれば一緒の国になっているだろうしね。文化なり、思想なり、相容れない部分があるから明確に国境線を引いている訳だし、そう考えるのが妥当だろうね」
ヤマトの声は低く小さい。
この教室内において、今の彼の言葉が聞こえたのはナガラだけであろう。単なる現実主義者が『反平和主義者』、『差別主義者』といった的外れなレッテルを安直に貼られるのが、現在のヒノモトという国の実情なのだ。
国民の全員が理想主義者という訳ではないのだが、マスコミ・教育界・法曹界が極端な理想主義に偏っている。そのことを知っているからこそ、彼らは身内の間でしかこのような会話が出来ない。
「理想と現実……か」
理想は大事だ。
平和、平等、自由、大いに結構。
彼らも別に、理想主義を否定している訳ではない。
むしろ、そうありたいと強く願っている。
しかし、現在のヒノモトにおける理想主義の形はあまりに歪だ。
『ヒノモトは世界中のすべての国と人と仲良くせねばならない』
『隣国と仲良くするために、係争地は全て相手に譲ってしまえばよい』
平和・平等・自由という絶対正義のお題目を掲げ、理想主義者のやり方に疑念を抱くものはすべて『悪』として断罪される。
『理想は大事だが、現実の道を歩むべきだ』
『価値観の合わない国とは適切に距離をとるべきだ』
そうした現実主義者の声は、何故か性悪説論者の憎悪表現として批難される。
平和、平等、自由。
それらを目指すためには色々な手段があって然るべきなのだが、理想主義者の掲げる絶対正義の前では極端な二元論に矮小化される。そんな母国の現状を憂い、彼らの表情は浮かない。
そのとき突如、教室の後方にあるドアが開く。そして薄暗いふたりの会話のなかに、場違いなほどノンビリした声が差し込まれてきた。
「ヤマト様~。昼食のお弁当をお持ちしました~!」
教室の入り口には、大きなお弁当箱をふたつも下げた少女が立っている。
彼女の名前はセルマ・オールステット。ヤマトの専属侍女であり、防衛高等学校の二年生でもある。
いわゆる西洋のメイドを思わせる服装で、それだけでも周囲の雰囲気から大きく浮いているのだが、その風貌が明らかにヒノモト人ではない。髪色はとても明るいプラチナブロンドで、陽に当たると薄桃色にキラキラと輝いて見える。
トロンと眠そうに、少しだけ閉じられた瞼は、何とも暢気な人柄を表している。そしてその奥に光る瞳の色は鮮やかなグリーンで、いわゆる翠眼だ。
美しく整った目鼻立ちに、サラサラの髪。その頭部には、メイドの象徴とも言える白いフリルのヘッドドレスと、薔薇を象った造花の髪飾りが存在を誇示している。
『にへらー』と締まりなく開かれている口は、何とも緩慢な笑顔を作り出し、周囲を和ませる。その印象的な表情から、一部の男子生徒たちからは『にへら姫』と渾名され、密かな人気を誇っている。
そして男性であれば思わず注目してしまうのが、やはりその胸部だ。いわゆる女性のシンボルとも言うべき胸部が実に豊満で、彼女が動くたび、歩むたび、たゆんたゆんと躍動的に揺れる。
小さな顔、剥き出しになった肩は雪のように白く、一般的なヒノモトの女性とは異なる魅力を醸し出している。
今は入り口で突っ立っているだけであるにも関わらず、まるでそこに建てられた彫像のように周囲の人間の視線を集めている。
「セル、今行くよ。今日は天気が良いから、中庭にでも行こうか」
ヤマトが彼の専属メイドにそう提案すると、セルマは嬉しそうに首肯する。
「ヤマト、俺は売店でおにぎりでも買ってくるよ。中庭に行けばいいんだよな」
ナガラがそういうと、セルマがそれを引き留める。
「ナガラ様。今日のお弁当は沢山作ってきましたから、三人でも多いぐらいだと思います。ご一緒しましょう~」
セルマの言葉に、ナガラはヒューと嬉しそうに口笛を吹くと、ヤマトと共に席を立つ。
彼らはいつもこうして、昼食を共にする。
極々平凡な風景であり、極々平凡な日常だった。