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第15話 『老練なる剣豪』

 二階の自室へと戻ったヤマトは、身軽で涼しい部屋着へと着替えると、簡単に身の回りの整理を行う。

 二日後に出陣を控え、明日は予備日として休日が与えられているため、いますぐに整頓せいとんを行う必要はないのだが、片付けられるときに片付けるのが彼の流儀である。

 こうしたことの積み重ねが、少しでもセルマの負担軽減につながればと、彼なりに配慮してのことだ。


 ヤマトは一通りの片付けを終えると、家族の集まるダイニングルームへと足を向ける。夕食の時間も近いし、何より報告せねばならないこともある。


 途中、シナノの部屋の前を通るのだが、物音ひとつせず、静まり返っている。室内にシナノのいる気配はあるのだが、どうにも声が掛けづらい。


 妹のことは心配ではあるのだが、今自分にできることはなさそうだ。そう判断して、やや足早に目的地へと向かった。




 一階へと降りて廊下を進むと、ダイニングルームからは一際ひときわ、明るい光が漏れていた。

 そして何とも楽しそうに歓談する声が、彼の耳へと届いてくる。

 どうやら来客のようだ。


 廊下まで届く、その聞き覚えのある笑い声に、若者は喜びで胸の鼓動を早める。期待を込めて開いた扉の先には、彼の望んだ通りの人物がいた。


「よう、ヤマト。元気にしていたか」


休賀斎きゅうがさい様こそ、ご壮健で何よりです」


 奥平比叡オクダイラ・ヒエイ

 ヒノモトを代表する軍人であり、剣豪であり、そして英雄である。軍人を志す者で、彼に憧れない人間はいない、とまで言われるほどの高名な人物で、もちろんヤマトも彼に心酔する若者のひとりだ。


 よわい四十を数える壮年の男性で、見た目はいかつく、いかにも気難しげな職業軍人といった風貌だが、その性格は非常に気さくで温厚。剛毅かつ重厚な人柄で、一見近づきがたい雰囲気を漂わせてはいるが、意外に世話好きで人情味溢れる人間である。


 鋭い眼光を湛える目に太い眉。そして口元に蓄えられた髭は、堂々たる威厳を帯びている。身の丈、百八十センチを超える体躯たいくはスマートに引き締められ、まるで無駄な肉がない。極めて精悍せいかん、と表現するのに相応しい風体ふうていである。


 彼は高い統率力、堅実な軍略、優れた判断力、豊富な知識、卓越した先見性を備えた、非の打ち所がない軍人と評されている。そしてさらに、十代目・奥山休賀斎の号を受け継いだ、奥山一刀流の剣豪でもある。

 その圧倒的な戦闘能力で、数多あまた大鬼オーガ子鬼ゴブリンを殲滅してきた英雄なのだ。現在は一身上の都合で休職中だが、国防軍では大将の階級にまで上り詰めている。


 それほどの偉大な人物が、なぜ下総上泉家に訪ねて来ているのか。その理由は、ヤマトの父にある。

 ヤマトの実父であるカミイズミ・コンゴウと、このオクダイラ・ヒエイは遠縁であり、そして戦場で辛苦を共にした親友同士なのだ。そのため一ヵ月に一度程度は、こうして来訪して夕食を共にするのである。




 部屋では、ヒエイとコンゴウの二人がグラスを交わしている。そして背後には、給仕係の男性がふたりほど控えていた。


 ヒエイは僅かに酒が入り、頬をほんのりと赤らめているが、コンゴウのほうは完全に素面しらふである。なぜなら、コンゴウが手にしているのは酒ではないのだ。

 実父が酒を『飲まない』人間であることを、ヤマトは知っている。だからこれは、いつも通りの光景であった。


「どうした、ヤマト。こちらに来て一緒に語ろうではないか」


 ヒエイは気兼ねなく、若者へと声を掛ける。酒が入っているせいもあってか、いつもより上機嫌に見える。ヤマトとしても憧憬の対象である、この偉大な軍人と色々と話したいことはあるのだが、今夜はまず父親に報告せねばならないことがある。


 彼は明るい室内には似合わぬ、緊張をはらんだ小さな息をひとつ吐き、呼吸を整える。そして実父の眼前にて軽く一礼すると、余所行よそゆきの声で、今日あったことを伝える。


「父上。本日、タテヤマにおけるゴブリン討伐の任を拝命して参りました。監軍として、明後日に進発いたします」


 ヤマトの報告を受けた実父は、一瞬だけ小さく目を見開くと、右目の片眼鏡モノクルを片手で軽く抑える。そして二度、三度と鷹揚おうように頷く動作を繰り返した。かろうじて聞き取れる小さな声で「そうか、そうか」と呟いてはいるが、その言葉はせがれに向けてというよりは、まるで自分に言い聞かせているようである。

 そして急に表情を引き締めたかと思うと、椅子からゆっくりと立ち上がり、実の息子の肩を叩いた。


「お前にとっては初陣ういじんだな。御国おくにのために尽力して頑張るのだぞ」


 そう語り掛けてから、その後ボソリと付け加える。


「……だが何よりも、怪我にだけは注意しろ」


 父のコンゴウ自身も軍人であるためか、まず『御国のために』という言葉が飛び出すが、それでも実子への心配のほうが勝ってしまうのだろう。

 聞く者が聞けば、国への貢献よりも、保身を優先するようにと……そう解釈されても仕方のないような言い回しをしてしまう。


 子を想う親の心境としては、極々自然なものであろうが、万一この言葉を自称平和主義者、反国防軍派の人間が耳にすれば、それすらも政治的な攻撃材料として取り上げるだろう。

 それほどにこの国の軍人は、国民から厳しい目で見張られている。これがおおやけの場であれば『尽力するように』としか言えなかったに違いない。


 ……ところが、この場で何より意外であったのは、父よりもヒエイの反応であった。


「ヤマト、詳しい話を聞かせろ」


 歴戦の猛者が、いつになく険しい表情をしている。そして実父への報告を終えたヤマトへ、食い付くように今回の討伐行について訊ねはじめた。


 討伐の日程。

 行軍ルート。

 そして総司令をはじめとする概ねの陣容などなど。


 まるで我がことのように、詳細を確認する。

 つい先程まで朗らかに談笑していた、明るい面持ちが嘘のような真剣な表情だ。


「ヤマト、今回のゴブリン討伐は不穏な要素が多いのだな」


 そう言って一層、顔をしかめる。確かに今回の討伐行はイレギュラーな点が多く、不穏なことに違いはない。

 とはいえ、若者の心の中にはどこか『所詮ゴブリン退治』という気持ちが無かった訳ではない。

 しかし偉大な軍人である、ヒエイの緊迫した表情を見ていると、そのような甘い考えが吹き飛んでしまうような錯覚を覚える。


「それで補佐官は揃ったのか」


 ヤマトの現在置かれている状況についても確認を怠らない。若者は簡潔に、現在同行が決まっている仲間の名前を挙げ、残り二枠が未確定な旨を告げる。

 その言葉を受けたヒエイは右手を顎に添え、しばし何事か思案していたが、突如驚くべきことを言い出した。


「よし、ヤマト。その補佐官としてワシも行こう」


 ヒエイの言葉に、その場にいた人間全員が驚愕の表情を浮かべる。ヤマトに至っては驚きのあまり、ヒエイがいま何と言ったのか、即座には理解できなかったほどだ。


「残り二枠空いているのだろう。ワシがお前を支えてやる。何も心配することはないぞ」


 そういって豪快に笑いだす。

 しかしそれでは済まないのがヤマトだ。状況こそ把握できたものの、それにしても話が飛び過ぎている。


「休賀斎様。自分は伍長、休賀斎様は大将。階級が違い過ぎます。いくらなんでも伍長の補佐に大将閣下がつくなど前代未聞のことです」


 ヤマトの言葉は、極々常識的なものだが、ヒエイはまるで意に介した様子はない。先程までの真剣な表情から打って変わって、何とも楽しそうな笑顔である。


愛洲アイス教官は、軍属の者か、推薦状を用意できるものに限ると言ったのだろう。それならワシでも問題はないはずだ」


 理屈としては全くその通りだ。自分より階級が上の者を補佐官にしてはいけない、などというルールは確かに存在しない。

 とはいえ防衛高等学校の教官たちも、まさかこのようなケースを想定してはいないだろう。


「それともなんだ。軍人でも休職中の者は駄目だというのであれば、お前の父親に推薦状を書いて貰うまでだ。それなら万事問題なかろう?」


 ヤマトの実父であるカミイズミ・コンゴウは、事務方の軍人とはいえ、現役の中将である。中将閣下の推薦状があって、弾かれるということはまず考えられない。

 確かに、全方位に渡って書類的な問題はなさそうに見える。


「まぁ、心配するな。ワシの腕とこの長光があれば、ゴブリンの四百やそこら、モノの数ではないわ」


 ヒエイは腰に下げた大太刀を叩いて、豪快に笑ってのける。

 しかし、ヤマトの懸念はそこではない。


「休賀斎様。監軍の、しかも学徒の伍長風情に、大将閣下が補佐としてついたのでは、現場が色々と混乱いたしましょう」


 ヤマトのいさめるような言葉に、ヒエイは小さく含み笑いを浮かべると、「おや、そうなのか」などととぼけて見せる。


 ヒエイは名門・奥平家の出身とはいえ、学徒兵の頃から戦場を駆け廻り、実力で現在の地位を勝ち取った叩き上げの軍人だ。現場のことを知らぬ訳がない。

 ヤマトたちのこうした反応をすべて予期したうえで、このような提案を行っているに違いないのだ。


「父上……」


 困り果てたヤマトは、助けを乞うように実父へと視線を向ける。しかしその肝心の父親はというと、先程のヒエイと同じような含みのある笑顔を浮かべたまま、さぞ可笑しそうにのたまう。


「良いではないか。ヒエイが助けてくれるというのだ。手続き的にも何も問題なかろう」


 実父もヒエイを支持する側に回ってしまっている。これではヤマトがどれほど抗しようとも、勝敗は決したようなものだろう。


「決まりだな。愛洲教官には、ワシから話を通しておこう」


 そう言って、もう一度豪快に笑う。

 その姿を目の当たりにしながら、ヤマトの心中は複雑極まりない。


 もちろん、喜ばしいことには違いない。

 この雄偉なる剣豪と共に、戦場へと赴けるのだ。

 その老練な剣技を、戦場で目の当たりにする機会が得られるのだ。


 軍人を志す者にとって、まさに夢のようなシチュエーションである。これで心躍らぬ若者などおらぬであろう。


 もっとも、喜んでばかりもいられない。

 偉大な英雄が、卑小な自分の補佐官を務めるという事実に、なかなか実感が湧かないのだ。そして大将閣下が下士官の補佐をするという、いびつな構図への不安もある。


 どのような事態が起き得るのか、まるで見当もつかない。

 地方のゴブリン掃討戦に、国家の英雄が従軍するのだ。ヒエイに憧憬の念を抱いている若手軍人たちも、穏やかならぬ心境となるだろう。


 分不相応の補佐官を得たヤマトに対し、つまらぬ嫉妬を抱く者もいるかもしれない。そんな小心な考えも浮かんでしまう。

 とはいえ、いま彼が口にできる言葉は、これだけだ。


「ありがとうございます、休賀斎様。ご助力じょりょく、心より感謝いたします」


 今は細細こまごまとしたことを案じるよりも、前向きに考えていこう。そうは思いつつも、意想外の事態が次々と展開されることに戸惑いも覚えてしまう。

 そして残り一枠の人選についても、頭を悩ませることになるヤマトであった。

 これでパーティメンバーは四人。残り枠はあとひとりです。

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