第13話 『恋の暴れ馬を御するメイド』
セルマ、ナガラに続いて、ミユキの同行も決定した。ヤマトとしても色々と思うところはあるが、それでも彼にとって望ましい状況となりつつある。ふたりは残りの同行者についても話を進める。
「残りの二枠については、イスズちゃんとシナノに頼もうと思っていたのだけれども、ふたりともまだ話はできていないんだ」
「イスズさんはさておき、シナノさんでしたら同じ館にお住いの兄妹なのですし、今からでもお話をなされては如何ですの?」
「……それがどうにもシナノの様子がおかしくてね。少し時間を空けたほうが良さそうなんだ」
ヤマトはつい先刻取り交わされた、実妹とのやり取りを思い出して、少しだけ表情が曇る。
シナノの心情がまるでわからない。兄妹の距離が着実に離れつつあるようで、一抹の寂寥感を覚えたのだ。
ミユキはそんなヤマトの表情から、何とも複雑な事情を察したのだろう。話題を逸らすかのように新たな提言を行う。
「もし何か心配事がおありなのでしたら、いっそ当家のシラユキを補佐役になされては如何でしょう。きっとお役に立つと思いますわよ」
なるほど、これは存外悪くない申し出である。護身術と情報収集を得意とする、シラユキ自体の才幹もさることながら、何よりミユキのお目付け役という意味での存在意義も大きい。
ミユキが恋に焦がれる暴れ馬だとすれば、シラユキはその馬を御する馭者のようなものだ。そんな彼女が同行してくれるのならば、ヤマトとしても心強い。
「あの子は、年々神経が図太くなっている気がしなくもありませんが、伊達にワタクシの専属侍女を務めている訳ではありませんの。監軍補佐の御役目もしっかりと果たしてくれるはずです」
彼女たちは立花家令嬢とその侍女という、明確な上下関係が存在する間柄でありながら、実際にはまるで姉妹のようなフランクさを漂わせている。ミユキに対する、シラユキの忠告は常に一切の遠慮がなく、ツッコミにもまるで容赦がない。
しかしながら……いや、そうであるからこそ、ミユキのシラユキへと寄せる信頼は厚い。
物心がつく以前からずっと一緒にいたためか、シラユキはミユキのことを何でも把握しているような節がある。
そして己のことを知り尽くされているがために、ミユキはシラユキに頭が上がらないという側面がある。その人間関係のバランスがまた絶妙で、第三者の視点からしてみると、何とも不可解な関係にも思えるのだが、そこには当人たちにしか分からない事情が介在するのだろう。
「ありがとう、その件は一応こちらで検討してみるよ」
ヤマトは慎重な返答を行うが、タイムリミットの迫っている案件であるから、決断は早いに越したことはない。とはいえ、つい先刻まで妹たちへの打診を考えていた身としては、急に意見を変えることに抵抗もあるのだ。
「承知いたしましたわ。ご返答が決まりましたら、せっかくの隣家なのですし、ご遠慮なくお訪ねくださいませ」
ミユキは、そう元気良く返事をする。
自分がヤマトの力になれることが余程に嬉しいのだろう。その笑顔はいつもより輝いて見える。
「……あとふたり、か」
ヤマトは小さく呟くが、その二枠に現在は三人の候補がいる。そして少なくともシラユキは、ミユキからの依頼であれば断ることはないであろうし、ナガラの後押しがあるイスズも、話を受けてくれる公算が大きい。
心持ち安堵した若者は、一口お茶を啜るとフーッと長い息をつく。するとミユキもまったく同じタイミングで、お茶を啜ったあとの余韻に浸っていた。
そのとき不意に、ヤマトは珍妙な感覚にとらわれる。この状況を俯瞰して、まるで長年連れ添った夫婦が、共に茶を嗜んでいるように思えてしまったのだ。
急に気恥ずかしくなったヤマトは、慌ててミユキから視線を外す。そしてミユキも同じような思いであったのか、モジモジしながらヤマトに話しかけてきた。
「それで、その、旦那様。久方振りの夫婦水入らず……ですわね」
この場において必要な話は既に済んでいる、という理由もあるのだろう。ミユキの態度が俄かに変化しはじめた。
熱っぽく頬を紅潮させ、なんとも悩ましげな目でヤマトを見つめる。そしておもむろに席を立ったかと思うと、ジリジリとヤマトのほうへと詰め寄り始めた。
「ミ……ミユキ?」
今まで真面目な話をしていたので、すっかり失念していたのだが、良く考えなくとも、今は密室にふたりという状態である。若者は自分の迂闊さを少しばかり呪う。
「……旦那様……」
戸惑うヤマトにまったく構わず、ミユキはその距離を縮め続ける。
少しばかり暴走モードに入っているのかもしれない。ヤマトはそう考え、警戒心を高める。
ところが少女の口から告げられた言葉は、思いのほか穏便なものだった。
「……旦那様。大変恐縮なのですが、ワタクシ是非、叶えて頂きたいお願いごとがありますの」
「な、なにかな?」
気恥ずかしさからなのか、興奮からなのか。その辺りの判別はつきかねるが、ともかくミユキは顔を赤くしたまま、ヤマトに懇願する。
「あの……。お昼に頭を撫でて頂いてから、あの感触が忘れられませんの。お願いですので、今一度撫でては頂けないでしょうか……?」
思いのほかソフトな要求で助かった、と若者は内心安堵する。いや、要求のハードルが彼の中で下がっていただけなのかもしれないが、少なくともイカガワシイことでなくて良かった、と胸を撫で下ろす。
「それぐらいなら別に構わないよ」
ヤマトが了解の意を伝えると、ミユキはピョコンとヤマトの膝の上に飛び乗る。椅子に座しているヤマトの上に、まるで幼児のようにちょこんと座ったのだ。
まさか膝の上に乗っかってこられるとは思っていなかったヤマトは、些か狼狽える。
「旦那様、如何なさいましたの。さ、撫でてくださいませ」
ミユキはこともなげに言ってのけるが、顔は耳まで真っ赤なままである。冷静な振りをしながら、当人もやはり恥ずかしいのであろう。
しかし、それ以上に困惑しているのはヤマトだ。ミユキの白くて細いうなじを目の当たりにしながら、たじろいでいる。
小柄な少女であるミユキはとても軽く、まるで重さを感じさせない。そのくせプニプニと柔らかなおしりの感触が、彼の太腿を通じてつぶさに伝わってくる。
そして長く綺麗な髪が目の前でサラリと揺れるたび、何とも魅惑的な芳香が彼の鼻腔をくすぐる。ミユキが美しく、また愛らしい少女であることを否が応でも意識してしまう。
「旦那様……?」
どうにもリアクションの鈍いヤマトに、ミユキが恐る恐る声を掛ける。そして、その反応の薄さを不審に思った彼女がゆっくりと振り返り、ヤマトの様子を確認すると、彼の目線はとある一点に釘付けになっていた。
客間の戸口のほうであろうか。その視線の先に何があるものかと、ミユキが目を凝らして確かめると……。
扉が僅かに開いたその隙間から、こちらをジッと見つめる人影があった。




