第11話 『妹はときに複雑な心情を抱く』
「ただいま戻りました」
「ただいまです~」
ナガラの協力を取り付け、上泉館へと帰還したヤマトたちを出迎えたのは、腕組みをして仁王立ちしたシナノであった。眉は僅かに吊り上がり、瞼の辺りがピクピクと動いていて、心なしか不機嫌そうに見える。
いや、どうやら怒っているらしい、というほうが正確な認識であろうか。
上泉信濃。
ヤマトのふたつ年下の妹で、同じ防衛高等学校に通う一年生である。いわゆる重装歩兵タイプでありながら、武器にはヒノモト刀を好んで扱うという、極めて特殊な戦闘スタイルを確立している。
美しい漆黒の髪はミディアムボブにカットされており、とても清楚な雰囲気を醸し出している。かつてはショートボブにしていたのだが、こけしのように可愛いと褒められたことにショックを受けたのか、それ以降は短くなり過ぎないよう気を付けているようだ。
母親譲りの柔和な目に、ヤマトと共通したスッと鼻筋の通った顔の造形は、典型的な和風美人といったところだろうか。
「お兄様。夕刻頃よりずっとミユキさんがお待ちしておりますの。約束した女性を長らくお待たせするとは、一体どういう了見なのです?」
どうやら、ナガラの懸念はそのまま的中してしまったらしい。恐らくミユキは、ほぼ正確に状況を把握したうえで、補佐役について談判しに来たに違いない。
さておき、この場で「約束などしていない」と抗弁する無意味さをヤマトは知っている。ミユキの外堀を埋める技術は天下一品なのだ。
「ミユキさんは、お兄様のような優しいほかに取り得のない男性にも良くしてくださる貴重な女性なのですから、もっと大切にしてあげてください」
実妹から、わりと容赦のない言葉が浴びせられる。しかも優しい以外に取り得が無い、とはなかなかに心を抉る言葉だ。何より、ヤマト当人も自覚していることなのである。
すべての成績が中途半端な上に、取り立てて美男という訳でも無く、しかも目立った特技もない。言われなくとも分かっているのだ。
そもそも、男性が親しい女性に優しくするというのは当たり前のことだ。そんなものは少しも男性の魅力には成り得ない。
例えば伴侶が相方の良いところを挙げたとき、『優しいところ』としか答えられなかったら、それは恥ずべきことだろう。ほかに能が無いと言われているようなものだ。
彼はそう思うのである。
「お兄様は、たまたま現在、大勢の女性に囲まれていますけれども、この機を逃したら一生独身ですよ」
それも確かにその通りだとは思うのだが、それにしても言葉に棘がある。きっとミユキのこと以外にも、シナノのご機嫌を斜めにする要因があるのかもしれない。
「私だって、いつまでもお兄様のお側にいられるわけではないのですから、もっとシッカリなさってくださいまし」
そうは言われても、身の回りのことはセルマがやってくれているし、実妹から何かしてもらったという記憶はあまりない。
内心ではそう思ったが、あえて言及は避ける。下手に突っ込みを入れようものなら、余計にお説教が長くなるだけなのだ。
「ミユキさんが、どうしてもお兄様のお部屋でお待ちしたいとおっしゃるのを、何とか客間に押し留めましたのよ。少しは私に感謝なさってくださいませ」
……認識を改めよう。
それは確かに丁重に礼を述べて然るべき案件だ。
若者は一転、実妹に心より感謝する。
「あ、それとセルマさん。お友達のシラユキさんが一緒に訪ねて来られたから、二階のティールームにお通ししています。すぐにでも顔を見せてあげてくださいね」
「はい!ありがとうございます!」
セルマは元気に、そして嬉しそうに返事をすると、足取りも軽やかに二階への階段を登っていく。
シラユキの来訪がよほどに嬉しいのだろう。いつもの人好きのする笑顔が、更に眩しく輝いて見える。
ちなみに、シラユキとはミユキの専属侍女のことで、フルネームを由布白雪という。
今日も昼食を共にした少女で、セルマとは対照的に和風のメイド服に身を包んでいる。同じ防衛高等学校の二年生で、護身術を得意とする薙刀の使い手だ。
このシラユキは、セルマとはメイド繋がりということもあって仲が良い。時折こうして訪ねてきては、一緒に茶を嗜んだり、世間話に花を咲かせたりしている。
セルマにも、こうした気軽に交われる友人がいるのは有難い。ヤマトは常々そう思っている。
セルマを温かい目で見送ったシナノは、実兄への説教も終え、また必要な伝言を告げたことで、ひとまず満足したのだろう。静々とリビングの方へと戻りはじめる。
その様子を見たヤマトは慌てて、実妹を呼び止めた。
「すまん、ちょっと待ってくれ、シナノ」
「……如何なさいましたの?お兄様」
例の補佐役の件を打診するつもりで引き留めたのだが、ヤマトは思わず言葉を飲み込んだ。振り返ったシナノの表情に、得も言われぬ不安を覚えたのである。
悲しそうな、つらそうな……何とも複雑な面持ちをしている。
振り返った瞬間、微かに涙の雫が舞ったようにも見えた。
「……シナノ?」
ヤマトの訝しげな声に、シナノはいま自分がどのような表情を浮かべているのか、それにようやく思い至ったようだ。
急ぎ両手で顔を覆うと、そのまま二階の自室へと籠ってしまう。
「どうしたのだろう、一体」
ヤマトはそう独り言ちるが、妹の身に何事が起こったのか、まるで想像も付かない。
何故泣いていたのか、その理由に全く思い至らないのだ。
かつてヤマトとシナノは、とても仲の良い兄妹であった。
どこに行くにも、何をするのも一緒。楽しいときも、悲しいときも共にあった。
しかし歳を重ねるごとに、その距離は少しずつ離れていく。ふたりで行動することはおろか、言葉を交わす回数すらも減っていく。
かつては以心伝心の間柄であったが、今ではさっぱり心中を察することができない。
とはいえ、兄妹などというものは、そもそもそういうものであるようにも思う。
思春期を迎えた兄妹の間柄が、ベッタリと仲の良いことのほうがむしろ不自然な気もするのだ。
「大切にしてあげてください、か」
しかしこの兄妹の関係性には、もっと明確なターニングポイントが存在した。具体的には、セルマやミユキといった存在がヤマトの周りに現れてからだ。
それからというもの、シナノは折に触れては、口を酸っぱくして言うのだ。
セルマのことを大切にするようにと。
ミユキには優しく接してあげるようにと。
イスズのことを気に掛けてあげるようにと。
そう、シナノは忠言してくれる。
本来であれば、あまり女性に縁のないはずのヤマトのことだ。その数少ない機会を逸することを、妹は危惧してくれている。
そう思っていた。
ヤマトにしても、身の程は弁えている。自覚しているのだ。
良く言えば真面目だが、悪く言えば面白味のない人間である自分が、女性を惹きつける魅力に欠けていることを。
そうであるからこそ、ヤマトはシナノの言葉を真正面から受け止めてきた。
「若い女の子は何を考えているのか、良く分からないなぁ」
自分も若いことを棚に上げ、ヤマトは呟く。
ひょっとすると妹は、戦場に赴く自分の身を案じてくれていたのかもしれない。
それが不意に、涙という形で発露してしまったのかもしれない。若者は今の出来事をそのように解釈することにした。
「シナノには、後で打診するほかないか……」
妹の態度は気になるのだが、今はまず来客に会うほうが急務だろう。いつまでもミユキを待たせておく訳にも行かないのだ。
ヤマトは幾分、欝欝とした気持ちを抱えながら、客間へと向かうのだった。
現段階ではあまり活躍しませんが、妹のシナノは本作品中で割と重要なキャラです。立ち絵は用意できなかったのですが、良ろしければ覚えておいてあげてください(泣)。




