青木哲男の懐柔 1
一月九日、警視庁特命捜査対策室特命第二係で、佐久間と山川は、川野と青木哲男失踪時の経緯を洗い直していた。
「佐久間警部、良いんですか?確か休暇中じゃ?」
「休暇中さ。ねっ、山さん?」
「ええ。休暇中ですとも」
川野は苦笑し、当時の捜査記録を書庫から取出し佐久間たちへ提示する。
「特命第二係でも、散々調べました。当時、青木哲男は間違いなく、藤堂政宗の個人弁護士をしていたんです。ところが、藤堂政宗失踪と同時に姿を消しました」
「藤堂政宗は息子の藤堂要取引妨害を何とかしようと青木哲男に弁護を依頼していた。そして、藤堂要の取引妨害を松田権造がしていたんだったね」
「はい。台風三号で藤堂政宗の白骨死体が大田区羽田空港一丁目の護岸からあがった話を山川刑事から聞き、我々もあの後、周囲を大規模捜索しましたが見つかりませんでした」
「見つかるはずないさ」
「どうしてですか?」
「・・・生きているんだよ、青木哲男は」
川野や周囲の捜査官たちも驚愕する。
「生きている?何か進展が!」
佐久間は、捜査官たちを近くに集めた。
「いいか、まだ他言無用だ。当時、藤堂政宗の弁護をしていた青木哲男は今では松田権造側近弁護士として働いている。捜査一課のヤマで、覚せい剤を追っていく過程で、ある大学教授の口から青木哲男について裏が取れたんだ」
「そんなことが・・・。でも、どうして青木哲男は藤堂政宗を裏切り、松田権造に与したんですかね?金で釣られたんでしょうか?」
山川は、捜査室に人が入って来ないことを確認しながら、小声で話す。
「金じゃないだろう。松田権造はしたたかな奴だ。警部の話では、大学教授も弱みを握られて仕方なく覚せい剤を学会にばらまいたらしい」
「そこで川野たちの出番という訳さ」
川野たち捜査官の表情が変わる。
「青木哲男が当時どんな弱みを握られたかを調べてみれば良いんですね?」
「出来るか?」
「捜査一課がここまで頑張ってくれたんです。特命捜査対策室特命第二係も負けていられませんよ。聞き込みや当時の関係者をもう一度洗ってみます。藤堂政宗と青木哲男は一緒に拉致され、行方不明となった捜査展開でしたから」
「青木哲男の家族関係についても調べてみてくれないか?消息不明かもしれない」
「そうですね。弱みを握られているとすれば、まず家族関係でしょう。不動産にも確認し、足取りを追ってみます」
「すまない。川野たちの報告を待って、捜査一課も青木哲男を懐柔してみようと思う」
「佐久間警部。それは危険では?」
「多少危険でも、松田権造と青木哲男を分断させないといつまで経っても、松田権造を逮捕出来まい。この一連の事件は松田権造が黒幕だ。都議会議員といえども法の下には皆平等でなければならないからな」
「捜査一課でそこまで腹をくくっているのなら、特命捜査対策室特命第二係も課長に掛け合いましょう」
「恩にきるよ。さすが、山さんの後輩だ」
川野は、佐久間と山川に頭を下げ、持ち場を離れた。
「さあ、山さん。我々も次の作戦に移ろうじゃないか」
「ええ。仕掛けますか」
一月十日、都内某病院の一室。
佐久間は、明智大学で覚せい剤中毒となって身柄を確保した学生たちを一人一人訪問し、容態を確認した。
「どうだ、三谷くん?」
「佐久間先生・・・」
「あはは、先生はやめてくれ。佐久間警部でいいよ」
三谷は、ベッドから起き上がり佐久間から手渡されたお茶を飲んだ。
「警部さんの判断が早くて、症状が軽いとお医者さんも言ってくれました。まだ禁断症状はありますが正気に戻れそうです」
「そうか、間に合って良かったね」
三谷は戸惑いながらも、将来について相談してみることにした。
「あの、警部さん」
「何だね?」
「僕はやっぱり逮捕されて刑務所行きなんでしょうか?」
「いいや、そんなこと警視庁がさせないよ」
「本当に?」
「ああ。君も、恋人の津田香織くんも、そして大友一平くんもね。みんな、情状酌量が認められ、被害者扱いされるよう奔走している。秋山講師には悪いがね」
「秋山講師は殺されたと聞きました。でも、ニュースで流れてないんです。本当なんでしょうか?」
「・・・悲しいことだが、本当だよ。ニュースに流れていないのは、マスコミに対して箝口令を敷いているからだ。・・惚れていたのか?」
三谷は、顔を下げ横に振った。
「分かりません。でも、肉体関係は持ちました。香織には申し訳なかったと反省しています」
「いいかい、三谷くん。そのことは決して香織くんに話してはいけないよ。時には嘘をつくことで救われることもある。彼女を大切にしたければ、尚更だ。彼女は純粋に薬の苦しみから日常へと更正しようと頑張っている。・・・ここで追い打ちを掛けない方が互いのためだ。いいね?」
「・・・はい。ありがとうございます」
そんな会話をしているところへ、三谷公平の両親が入室してきた。
「まあ、警部さん。いつもお見舞い申し訳ありません。ご覧のように日に日に回復してくれています」
「良かったです。この分なら、一年いや半年遅れで卒業出来るでしょう」
両親の顔は明るい。
「それが、特例措置で通常扱いで卒業出来るかもしれないんです」
「本当ですか!」
「ええ。大学も、今回の事件は学生たちに落ち度がなく、被害を出してしまったと言ってくれ、卒業後の就職も有利に斡旋強化してくれる約束を理事たちが言いに先日来てくださいました」
「良かったな、三谷くん」
「はい。警部のおかげです」
「警部さん、理事たちから聞きました。息子を覚せい剤から救うべく探偵として秘密裏に潜入捜査し、学生全てを一気にお救いになったと。処置が遅れていたら、更正出来なくところであったと」
「当然のことをしたまでです。少しだけ、遠回りしたかもしれませんが、完全に薬が切れた訳ではありません。どうか、ご家族みんなで乗り越えてください」
佐久間は、頭を下げると病室をあとにした。
津田香織も大友一平たちも順調に回復し、学生たちの措置が間に合い、症状を軽く抑える事が出来たことを心底助かったと感じざるを得ない佐久間であった。
~同時刻、松田権造事務所~
「議員、ここ数日どちらへ?」
「おお、青木くん。ちょっと野暮用でな。愛人とお忍び旅行に行ってきたんだ。何か変わったことはなかったかな?」
青木は、事務所の人間に聞かれぬように耳元で囁く。
「一月七日に、鳥羽教授が自殺しました」
松田の表情が変わる。
「青木くん、屋上にでも行こうか?」
二人は、無言のまま屋上に上がり、松田はタバコに火をつける。
「ふう、鳥羽教授が自殺を?・・・どこでだね?」
「文京区本郷の雑居ビルです」
「本郷?奴の自宅かね?」
「いえ、自宅近くの雑居ビルです。一月七日に鳥羽教授に呼ばれ会いに行きました」
松田は、ギロリと青木を見つめる。
「教授が君に何の話をしに呼んだのかね?」
「・・・秋山孝子を何故殺したのかと。自分も同じように殺すのかと」
「・・・ほう。で、何と答えた」
「私の知るところではなく、他の組織にでも消されたんじゃないですかとお答えしました」
「・・・そんな答えじゃ納得せんじゃろう?」
「はい。抵抗されました」
「だろうな。で、君が後始末を?」
「いえ。自ら、身を投げました」
「・・・そうか。済んだことは仕方あるまいて。時に証拠は残しておらんじゃろうな?」
「・・・それが」
「それが?何か警視庁に捕まれたのか?」
「いえ、夜間でしたし、私も足が付かぬよう防犯カメラの死角を移動したので、私には辿りつくことはありません。その点は問題ないのですが・・・」
松田は苛立ちながら、詰め寄る。
「はっきり言い給え。何を濁しておる?」
「鳥羽教授のパソコンは教授室にあります。流石に東都大学の教授室に潜り込み、パソコンを回収することは、このタイミングでは出来ません」
「馬鹿もん!それを処理するのが、お前の役目じゃないのか?何のためにお前に高い金を払っている?つべこべ言わないで、サッサと回収して来い!」
松田は、持っていたタバコを箱ごと青木へ投げる。
ぶつかった部分を手で押さえながら、青木はぐっと堪え、対応すべく背を松田に向け歩を進めようとした時、松田が青木を呼び止める。
「ちょっと、待て」
「・・・・・・」
「羽鳥教授の自宅捜索はどうした?」
「ですから、このタイミングで動いては足が付きます。行きたくとも回収出来ていません」
「むむむ。この役立たずが!大学もダメ、自宅もダメ。警視庁が、秋山孝子から羽鳥の存在に気がつき、先に証拠を押さえたらどうなる?儂は一巻の終わりだぞ!分かっているのか!」
「・・・私が、議員の罪を被ります。今までだって、全部そうしてきたじゃありませんか?」
「そんなことは、当たり前だ。で、どうなんだ?」
「は・・・?」
「秋山孝子から、警視庁が羽鳥に辿りつくかと聞いている?頭がおかしくなったんじゃないのか?」
松田が苛立つのも仕方がなかった。
青木は、実際、頭が真っ白となっていたのだ。
(教授。教授の言うとおり、こいつは鬼畜だ。何でこんな奴の言いなりにならなきゃいけない)
「おい、いい加減にしろよ。噛みつくなら、今から電話一本で風岡組にお前の家族を殺させるぞ?透析外せば、三十分保たないんじゃなかったか?」
青木は、唇を強くかみしめ、血がしたたり落ちる。
「・・・秋山孝子から羽鳥教授への足取りは追えないように細工をしています。念のため、今からくれない会に赴き、羽鳥教授からの寄付金に関する資料を破棄しておきます」
松田の表情が戻る。
「それでこそ、我が側近の青木くんだ。よしよし、やることは迅速かつ大胆に頼むよ。東都大学や自宅は儂も少し動いてやろう」
「・・・風岡組を動かされると?」
「ああ。手柄や金が欲しい外国人労働者がわんさかいるからな。金欲しさの強盗に見舞われるだろうな?・・・物騒な国になってしまったよ、この国も。でも安心したまえ。儂が国政で、この国を安全な方向へ修正してやるからな、がっはっは」
(この豚やろう。誰もお前の思い通りにはさせんぞ)
青木は、苦い表情でその場を去った。
ビルの屋上から、青木の後姿を見送りながら松田は風岡組の藤森に電話を入れる。
「・・・儂だ。例の件、少し早めるぞ。・・馬鹿やろう。青木の件だよ。ったく、どいつもこいつも。くれない会で鳥羽教授の寄付金後始末が終わったことを見計らって殺れ。それと、東都大学と自宅からパソコンを回収してくれ。警視庁に気付かれる前にだ。奴はもう独り者だから、自宅は誰もおるまい。万が一の場合は、飼っている労働者を出頭させておけ。・・・いいか?儂はあくまでも知らんことだぞ」
「・・・了解。組長に相談し、すぐ実行します」
「くれぐれも、青木の始末は慎重にな。あいつが証拠隠滅をきちんとしてからだぞ。それまでは、消すな」
「わかりました。お任せください」
電話を切った、藤森は目の前にいる組長に伝える。
「組長さん、青木哲男の抹殺指令と鳥羽に関する証拠隠滅依頼がたった今、出ましたぜ」
「・・・がめつく、心配性な馬鹿だな。そろそろ切るか?」
「いえ、まだ議員も使い道が残っています。奥多摩地区の偽情報がどの範囲が分かってからでも遅くありません。全てを把握してから、一気に儲けだけ奪ってトンズラした方が良いかと」
「お前に任せる。これで、俺も関東でのし上がり、この手で総長まで登りつめるぞ」
「もちろんです。ケツのけばまでむしり取ります」
それぞれの思惑が、分散していく。