反撃の狼煙
十二月二十七日、十五時三十分。
京都旅行から戻った佐久間は、単身、文京区本郷にある東都大学を訪れていた。
事前にアポ取りを行うと、相手が警戒する可能性が高いため、あえて急な訪問にしたのだ。
旅行中にラインで氏原に依頼し、鳥羽秀一の講義状況や空いている時間を調査し、研究の合間に話を聞く算段である。
~ 東都大学、鳥羽研究室 ~
「教授、お客さんです」
「客?・・・そんな話あったかな?まあいい、研究を続けてくれ。すぐ戻る。ああ、そこの試験管には絶対に触れんようにな。私が調合するから」
鳥羽は、研究中であったが、急な来訪に対応すべく研究室を出て、廊下を急いだ。
教授室前まで来ると、佐久間の姿に鳥羽の表情が固まる。
(もしや・・・)
「初めまして、鳥羽教授。そのもしやですよ」
「ーーーーーー!」
「なぜ、心の声が分かるんだという表情をされていますよ、鳥羽教授」
「・・・あんたが、佐久間警か。・・・どうぞ」
(・・・認めた?)
鳥羽は、佐久間訪問を予期していたのか、突然の訪問にも関わらず、教授室にすんなり招き入れた。
「あー、鳥羽だ。至急、私の部屋にコーヒーを頼む。高級なコーヒーをな。よろしく」
教授室から、電話を一本入れると、応接ソファに佐久間を手で招き、佐久間が着席してから自分も座る。
総務課から、すぐにコーヒーが届き、互いに一口飲んだところで会話が始まった。
「あなたをテレビで何度か拝見したことがありますよ。警視庁での記者会見や事件現場での土下座などね。今時、珍しい熱血な刑事さんだから、記憶に深く残っています」
「あれを、ご存じなのですか?お恥ずかしい。しかし、このコーヒーは美味いですな。高級なだけあります」
「ええ。当学に来校する方全てに、お出しはしていません。特別な方にのみ提供するコーヒーです。私も飲めて嬉しいですな」
(・・・特別か)
「佐久間警部。腹の探り合いは時間の無駄だ。私を逮捕しに来たのですか?」
「・・・逮捕するかを判断するために来ました。その前に、あなたの身に危険が迫っているため、忠告に来たと言う方が当てはまるのかもしれません」
「・・・どこまで把握を?」
「証拠としてはまだありません。まだ推測の域でよければお話します」
「ぜひ、聴きたいものだ。何しろ人生が掛かっていますからな」
「では、少々長くなりますが」
佐久間は、A4無地のコピー用紙を取り出すと現在までの流れを書いて説明することにした。
「まず、あなたをA、秋山孝子をBとします。あなたは教え子であるBに何らかの指令を出し、覚せい剤を売買させたか上納金を納めさせている。Bは明智大学で自分のゼミ生徒を巧みに利用し、やがては学校以外の学生にも浸透させていく計画だった。Bは、国本孝子というCを操り、Cは藤堂要というDと結託し、偽ブランド販売の裏で資金集めをしていた。C・Dで資金稼ぎし、Bへ上納する。そして、Bからあなたへ上納する流れが出来る。Aであるあなたは、風岡組に上納するか都議会議員の松田権造に上納。しかし献金は表に出せないので、宗教法人くれない会にBである秋山孝子を会員とし、会に寄付する仕組みを計画。この手法なら金は表に出はしない」
佐久間の説明を、聴いた鳥羽は険しい表情で無言のままだ。
「簡単に説明すると、これが私の推察です」
「・・・この内容で警視庁内部は詳細な捜査を?」
「いいえ。私は都議会議員の松田権造による権力で休暇中の身ですから、捜査本部には話していません」
「・・・恐ろしいですな。さすがは警視庁きっての切れ者刑事だ。普通はここまで辿りつかないんですがね」
「それは、認めるということですか?」
「認めたら逮捕ですか?」
「いいえ。自白だけでは送検出来ません。逮捕する側も証拠が必要なんです」
「では、あなたの本心は何です?忠告と先ほど、言われましたが」
「この一連の事件は、単なる覚せい剤や偽ブランド品ではない。何名も殺された事件なんです。私の知る限り、あなたは自ら私利私欲のために覚せい剤を秋山孝子を通じ、売り捌くはずもなく、どう考えても松田権造や風岡組に脅されて加担した節があるんですよ。私が言いたいのは、捜査のメスがあなたに辿り着く前に、松田権造にあなたが消される可能性が高いということです」
佐久間の本心を聴いた鳥羽は、思い詰めた表情でしばらく考え込んだ。
そして、深くため息をつく。
「言い逃れは出来ませんな。・・・お話しましょう」
鳥羽は、天井を見上げ、静かに話始める。
「・・・秋山孝子は、優秀な学生でした。そして妻亡き後の愛おしい恋人でもありました。ある日、学会の研究成果発表会で風岡組のチンピラに逢い引き写真を見せられ、松田権造と面会しました。当時、まだ妻は生存していたから、不倫になるんでしょうか。名誉と愛人を一度に失うか自分たちに協力するか、二社選択というより、従うしかなかった。・・・あなたの推理は合っていますよ。覚せい剤自体は、風岡組が用意し、秋山孝子へ流れ、それを私経由で風岡組へ上納したり、くれない会への寄付の形で資金は流れています」
「・・・何故、自白を?」
「何故ですかね。もしかしたら、あなたの様な方に捕まって楽になりたかったのかもしれません」
自供をしながら、鳥羽は涙を流す。
「鳥羽教授。・・・よく話してくれました。情状酌量は十分にあります。出頭されるなら、私が責任をもって対応しますが」
「出頭はしません。・・・出頭する前に殺されるでしょう」
「もしかして・・・!」
「ええ。奴らは、孝子を利用するだけ、利用してためらいも無く命を奪った。私なりに仇を討ってやりたいんです」
「お気持ちは、十分理解しますが、相手はプロだ。まず、近づく前に殺されるでしょう。・・・それでも実行するつもりですか?」
「はい。もう、名誉は十分です。妻とは死別していますし、失うものはありません」
「・・・そこまで決意が固いなら、止めはしませんが手を貸しましょう。あなたが死ぬことはない。奴らに法の裁きを受けさせなければなりません」
「ですが、本当にそんな事が出来ますか?」
「一度、奴らの前で死んだことにするんです」
「死んだふり?」
「ええ。妙案が浮かびました」
「奴らの前で、あなたは死に松田権造は必ず油断し綻びを出します。その隙に容疑を固めます」
「・・・詳しく伺いましょう」
「はい、その前に、他のことも知っていることは全て話してください。藤堂要や藤堂政宗、それに青木弁護士について何か把握を?」
「・・・藤堂要は、孝子から聞いています。風岡組に言われ、孝子が国本明美と藤堂要を泳がせ、胴元をしていたからです。しかし、申し訳ないですが、藤堂政宗さんは直接は知りません。青木哲男なら、何度か会っているので知っていますが」
「・・・この男ですか?」
佐久間は、氏原から届いたライン上の写真を鳥羽に提示し、鳥羽もクビを縦に振る。
(やはり、間違いないようだな。これでほぼ、カラクリが見えた)
「鳥羽教授。青木哲男について、お尋ねしたい。あなたは学会でまず、風岡組チンピラに写真を見せられ松田権造と会った。この点に間違いはありませんか?」
「はい、神に誓って」
「では、松田権造から覚せい剤を横流しするよう言われたんですか?それとも青木哲男から言われたんですか?」
「・・・青木哲男です。松田権造の口からではありません」
「・・・やはり、弁護士ですね」
「・・・?」
「忖度ですよ」
「相手の気持ちを推しはかることです。青木哲男は弁護士らしく、政治家に非が行かない配慮をする。何かあればトカゲのしっぽ切りされることをわかっていてです。最悪の場合、青木も一人で罪を被るつもりだ」
「・・・そんな」
佐久間は微笑む。
「法には法を。悪い政治家にはとっておきの仕返しをしましょう。もちろん、二人一緒にです」
「・・・一体どんな仕返しを?」
「今から、ご説明しますよ。私がこれから話す段取で青木哲男をおびき出すんです。決して、松田権造や風岡組と接触はしないでください。接触は死に直結するので、それは避けてください。私は警視庁に戻り、策を施す場所を探します。そこで、青木弁護士と接触しましょう」
「・・・わかりました。それで孝子の仇は討てるんですね」
「ええ。先ほども言いましたが、少々演技が必要ですのでリハーサルも行いましょう。いきなりは危険だと思いますので」
佐久間は、頭に浮かんだ策を、鳥羽に詳しく説明。
この案を聴いた鳥羽は、ただ驚くだけである。
「本当に、こんな展開に!・・・これなら一気に解決するし、スカッとしますよ。・・・良いでしょう。孝子が殺された話を聞いた時、正直、今後の人生を諦めていました。佐久間警部。あなたに託します」
「大丈夫ですよ。この局面を乗りきり、仇を討ちましょう」
同日、十九時二十分。
千代田区三崎町二丁目、水道橋駅付近で火急の時にしか利用しない警視庁ご用達の料亭があり、捜査一課の安藤をはじめ二課長片山、組織犯罪対策第四課長安波、科捜研氏原、そして山川が秘密裏に集合した。
もちろん佐久間からの緊急報告を聞くためである。
「申し訳ありません。休暇中なので警視庁で話すより、ここでの方が話がしやすいかと思いまして」
安藤と片山は、互いに顔をあわせ苦笑する。
「そうだな。表面的には佐久間は圧力に屈して捜査をおりたことになっている。ここで、すぐ復帰したら議員がまた騒ぐところだ」
「その通りです」
安波は、おしぼりで顔を拭うと、タバコに火を付ける。
「ここに呼び出すということは、動きがあったんだな?」
「はい。東都大学の鳥羽教授と接触し、自供しました」
全員が思わず、身を乗り出す。
「何だって!全てをか!」
「はい。大筋はここにまとめております」
佐久間は、これまでわかった経緯を簡潔にまとめ、各自に渡す。
各自、渡された資料に目を何度も通し事実確認をする。
「なるほどな。これで、本ボシを挙げられる。・・・でかした」
「東都大学の鳥羽教授は情状酌量がありそうだ。大事な証人は、今度こそ守り通さにゃならん」
「身柄をすぐにでも確保し、移すか?」
課長たちの間で、様々な意見が出ては結論が分かれる。
佐久間は頃合いを見て、課長たちの間に割って入った。
「いえ、これで終わりではありません。この事件の鍵を握る人物は松田権造よりも青木哲男と思われます。青木哲男は藤堂親子の事件を指示した人物でもあると思われます。何としても青木哲男の口から松田権造に指示されたことを吐かせなければなりません。殺人教唆をとれるか否かで今後が決まります」
「・・・忖度か」
「はい。青木は何かあれば全てを背負う見返りに松田権造に下ったのでしょう。もしかすると、青木哲男も元々は、松田権造に弱みを握られたのかも知れません」
安藤が口を開く。
「山川。特命捜査対策室特命捜査第二係の連中と明日からもう一度青木哲男の身辺を洗い直せ」
「しかし、弁護士事務所はもうありません」
「・・・藤堂千秋だ」
「そうか。まだ当時の記録が出てくるかもしれませんね。どうやら、藤堂千秋はシロのようだし、再度洗います」
「何としても、青木哲男が藤堂政宗を裏切り、松田権造についた背景を調べるんだ」
「山さん、それと風岡組を抑えてくれ」
「それなら、うちの四課に任せればいい。ガサ入れでも何でもやって時間を稼ぐ。新法に則り、危険物を持込んでいないかをあからさまに調査してやるさ」
「それは、ありがたい。捜査一課じゃ出来ない芸当です」
片寄も手を挙げる。
「二課は何をすれば良い?何かやらせろ」
「捜査二課には重要な役目があります。知能犯捜査ならではの役目が。これから、連中を一網打尽にする策を練りましたので、お話します」
佐久間は、東都大学で鳥羽教授に提案した内容を全員へ話した。
提案を聞いた誰もが、吹き出す。
「こりゃあ良い。マスコミも呼んで、盛大に踊るとするか」
「はい。時期もちょうど良いと思います。膿を出すにはもってこいかと」
「大岡越前張りの見事な裁きだ。・・・しかし、その前に、これを実行しなければならんのか?失敗は許されんぞ」
「はい。ここからが正念場です。一課と二課で連携してリハーサルを実施したい。ご協力を」
「捜査二課は快諾だ。安藤、やるか?」
「良いですね。たまに吠えねば、議員がのさばります。国家公務員は飼い犬でないところを見せつけてやりましょう」
こうして、松田権造たちに裁きを下す計画が水面下で動き出すのである。
(松田権造。もう少しで、私の楔がお前に届くぞ。今のうちに、政治力を蓄えるがいい。警視庁の抵抗を止めてみろ)