潜入捜査 3 ~講義~
十一月十三日、探偵に扮した佐久間の講義が行われた。
教務課河合の情報から、大学1年生~三年生は職員との接触が少ない事実を掴んでいたため、大学四年生を優先させ、講義を行う手筈をとった。
あらかじめ、押田学校長の許可を得て捜査一課の人間を同僚とし会場入りさせ、山川をはじめ、八名の捜査官右手にはタブレットが準備されている。
画面には座席位置が映し出され、挙動不審な生徒の位置を全員で共有できる仕組みを採用しており、これは佐久間自ら考案し作成した簡易的プログラムである。
通常の講義とは違い、異例の授業かつ学校長命令でもあり、普段とは違い教室はたちまち満員状態となった。
定刻となり、佐久間が会場入りすると学生たちの熱気に思わず、感嘆の声が漏れ自分の学生時代が蘇ってくる感を覚える。
佐久間は壇上に立ち、一礼すると講義を開始。
「皆さん、おはようございます」
「・・・おはようございます」
「声が小さいな。おはようございます」
「おはようございます」
「よろしく。では講義を始めます。この中で大麻や危険ドラッグに興味がある人、挙手してください」
唐突な佐久間の問いかけに教室中がしーんとし、誰一人挙手はない。
「本当に全員興味がない?別に興味があるから、処罰されてしまう訳ではない。誰もいないかな?」
生徒たちは周りを警戒しながらも、ち
らほら挙手をはじめた。
「はい、君。どんなところが興味あるかな?」
「えーと、よくテレビで気持ち良いって聞きますがどの程度気持ち良いのかなって」
「なるほど、ありがとう。ではそこの彼女は?」
「はい。たばことかはよくニコチン中毒になるって聞きますが、麻薬も本当に抜け出せないのかなって」
佐久間は、マイクを持ちながら生徒たちの間をゆっくり歩き、生徒一人一人の表情を確認する。
「長年、探偵をやっていてわかったことですが大麻や危険ドラッグそして覚せい剤を使用した者について今日は色々レクチャーしたいと思います。まず、誰もが思う気持ち良いかの質問ですが、これは間違く気持ち良いらしいです。世の中の嫌なこと全てを忘れ、快楽に身を委ね桃源郷にいるかの如く他に類を見ない程だとか」
生徒たちも興味津々だ。
「誰もが気持ちよさを追求し、危険がなければ私でもやるでしょう。しかし、理性がそれを許さない。・・・何故でしょう?はい、そこの君」
「・・・幻覚や幻聴、吐き気に襲われるって聞いたことがあります」
佐久間は答えた生徒と握手を交わす。
「正解です。これがいわゆる副作用と呼ばれるものです。実際に使用した者の副作用に苦しむ様子を見たことがあります。ある者は自分でクビを締め悶え苦しみ、ある者は壁に頭をぶつけ、ある者は川に飛び込みました。気持ち良さが強い分、反動も大きくなるみたいです」
再び、教室中がしーんとする。
「ここからが本題です。私は講師で本日君たちに麻薬について使用するとどうなるかを教えるために来ましたが、根底から話してみたいと思います」
生徒たちは佐久間に注目している。
「君たちは既に年齢的にも成人であり、法的責任を親ではなく個人にあるため、全員を子どもではなく一人の対等な大人として接したい。君たちと私は同等な立場として敬意を持って接することを認識ください」
(・・・うまいな、警部)
佐久間に大人扱いをされた生徒たちの表情が変わるのを山川たちは感じた。
「私は君たちに麻薬をやるなとは言いません。また辞めろとも言いません。一度きりの人生は自分だけのものであり、生きるも野垂れ死にするのも自分で責任を取れるのが大人である。自分は本当に前世から生まれ変わったのか、また、来世があるのか誰にもわかりません。だから、もしかするとたった一度しか味わえない人間としての生を皆が大事に過ごして欲しいと思います。恋をするのも良い。バイトするのも良い。社会に出たら時間の中で生きていくため今しか味わえない自由時間全てを家でダラダラ過ごしても良い。全て自分で決めて生きなさい。でも一つだけ注意しなければなりません。・・・それは他人に迷惑は掛けるなということです。皆さんは奨学金で自立している者、親のすねをかじっている者様々でしょう。日本に生まれたからには法治国家の中で生きて行かなければなりません。法を犯すこと、つまり人に迷惑を掛けることとなり、家族や友人、恋人、関係者にも被害が拡散します。先ほど好きにやれと言いましたが、一人の人間として全て自分の責任で自分でケツをふくなら認めましょう。但し、他力本願で誰かがケツを拭いてくれると思うのなら、それは大人ではなく単なる子どもであり、社会に出るのはまだ早い」
佐久間の力説に生徒たちは真剣に自分の身に置き換え、ある者は真っ直ぐ見返しある者は下を向く。
「今、下を向いた者。卑下することはない。自分を知ることが出来るだけで十分大人です。良いですか?皆さんは、この大学に入学出来た時点で既に判断能力は備わっていることは明確です。自慢出来るものや人には知られたくないものがあって当然であり、ない方がおかしい。まずは自分を見つめ知ることからはじめなさい。皆さんが自分の人生限られた時間を過ごすため、麻薬を使用することで法的責任をどう取られたり、元の人生に戻るまで、どの程度時間を要するのか、人に迷惑を掛けるのかを説明し理解をして貰います」
佐久間はここで、前方スクリーンに麻薬使用者の現状がわかる資料を写しはじめる。
「今から見せる資料は、テレビ等では見られない生の使用者状況です。ある使用者は更生し、社会復帰するまで八年遠回りしました。ある使用者は家族を失いました。ある者は麻薬を手に入れるため窃盗事件をおこしました。また、ある者は禁断症状から逃げるため自殺しました。色々なタイプの人生を目の辺りにするでしょう。ショックを受ける学生も出ることは承知のうえで開示しますが、現実を知ることで君たちは法の道を外さなくて済む。また万が一、この中にうっかり手を出してしまった者がいたとしても、今なら引き返せます。見ることで実体験した経験値を育み、人生の糧にして欲しい。では、河合さん。始めてください」
「・・・わかりました」
河合は、壇上の明かりを消し暗くすると、佐久間が用意した一本の実話記録映像を配信し、生徒たちは食い入るように映像を確認し始めた。
佐久間は映像配信を開始してから、全学生の仕草や表情を観察し、表情がこわばった者や汗をかき拭う仕草を見せた者など、直感で怪しいと感じた者を壇上においたタブレットを使用し、座席ボタンを押すと、全捜査員のタブレット上で座席表が白く点滅し、山川たちは対象者をしっかりと把握した。
~ 四十五分後 ~
佐久間が用意した映像が終了し、壇上箇所が明かりを取り戻すと、神妙な面持ちで壇上に戻る。
「これが薬の怖さです。彼らは皆、はじめは興味本位から薬に手を出してしまい、その後人生が大きく変わることになりました。苦労し、更生出来た者も気の持ちようですが、快楽と引替えに正常な日本人の誰もが送っている日常時間をロスしてしまった。しかしながら、更生出来たのであれば、その後の人生を大事に過ごすであろうと私は期待します」
生徒たちは、佐久間の話に真面目に耳を傾け、自分の身に降りかかった場合について質問をする。
「あの、佐久間講師。質問しても?」
「どうぞ、お名前は?」
「間宮と言います。もしですよ?もし、自分が事件や事故に巻き込まれて覚せい剤を打つ羽目になった場合、逮捕されるのでしょうか?」
「ケースにもよります。しかし、まずは生命を優先し、解毒処理すべく病院治療のうえ、事情を伺うことになろうかと思います。強く言いたいのは、逮捕という言葉に負けないで、勇気を持ち、生命を優先させて欲しいと思います。聞いたことがあると思いますが、『罪を憎んで人を憎まず』という言葉は警察の中でしっかり根付いており、警察は市民や区民の味方ですから相談することをお勧めします。警察も鬼ではないのですから、執行猶予や情状酌量は考慮されますよ」
「なるほど。納得出来ました」
「私も質問良いですか?」
「はい、何でしょう?」
「薬物摂取した人間は、骨も残らないって本当ですか?噂で聞いたことがあるんですけど」
「・・・本当です。麻薬だけではありません。適切な治療をしていても度合いや量で遺体を焼却した時箸でつまめる骨量が少なくなったり、骨に色が付いていたりすることがあります」
「僕も質問良いですか?・・・」
佐久間の講義が大学生たちの心にきちんと深く浸透し、この後もしばらく質問が続いた。
講義の様子を眺めていた押田や他の教授たちも、これには驚き学生たちがこんなにも講義に夢中になれるものかと考えを改める必要性を感じた程である。
「皆さん、今日の講義はこの辺とします。質問や相談がある人は、講義後にしてください。また、今日は薬物授業でしたが、また別で皆さんの将来に役立つテーマを披露したいと考えているので、ふるって参加ください」
教室中から一斉に拍手が起きた。
講義開始前の静けさは何だったのかと思うばかりである。
佐久間は講義を終え、拍手喝采のなか教室を後にした。
~ 四十分後 ~
校内の喫煙ルームで喫煙して待機している山川のもとに佐久間が学生たちの問答から解放され、やっと戻ってきた。
「大盛況でしたね。私もあんな授業受けたかったですよ。今の学生は幸せだ」
「私も久しぶりに楽しかったよ。みんな素直な良い子たちばかりで講義して良かったと思うよ」
佐久間も微笑みながらタバコに火を付ける。
「・・・で、山さん。何人対象かね?」
山川は、表情を普段に戻すと周囲に気を配りながら回答する。
「警部の推測が正しければ、六人です」
「あの空間だけで六人か。・・・まずいな。では、山さん申し訳ないが対象者たちの尾行を開始してくれ。どの職員と接触しているかや校外で売人と接触しているのかもしれない。事実関係を調べるんだ。あと、職員は秋山孝子という心理学専攻の女性講師が直感だが怪しい。対象者の一人として捜査官をつけ尾行を頼む」
「わかりました。二十人体制であたるようにします」
「おいおい、山さん。二十人あてがったら通常捜査はどうなる?藤堂要たちの捜査が出来ないよ」
山川はニヤッとほくそ笑む。
「それが、組織犯罪対策本部の連中が捜査一課に応援に来てくれていまして。佐久間警部へのお礼だそうです。・・・安波課長命令ですよ」
「・・・そうか。課長が。・・・感謝します」
組織というのは、有り難いものだと痛感する佐久間であった。
タバコの煙が、寒そうに空へと上っていく。
「山さん、もう冬になるんだなぁ」
二人で、季節が移りゆく瞬間を感じていた。