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EARTH FANG  作者: 石燈 梓(Azurite)
第一部 神々の詞(ことば)
17/93

第三章 契約の印(4)



          4


 折れた矢柄(やがら)を手に取り、コルデは片方の眉を跳ね上げた。マシゥは、彼の正面に立ち、期待して待っている。


「――それで」


 コルデは、矢羽のつけねに刻まれた記号には、おざなりに視線を走らせただけだった。二本の指で鏃をつまみ、目の前で軽く振って、マシゥに返す。

 団長の反応が素っ気無かったので、マシゥは軽く落胆した。

 犬使いは、彼等から離れ、壁際に佇んでいる。両手を腰の後ろで組み、背を丸めた姿は、叱られている子どものようだ。コルデは、彼をじろりと一瞥した。


「舟を出せ、と言うのか」


 犬使いは、応えない。マシゥは急いで訂正した。


「そうです。ああ、いいえ。一艘で充分です」


 折れた矢は、先住民からの友好の証だ。懐に大切にしまいながら、マシゥは、努めて明るい口調で言った。


「犬使いさんが、用意してくれました。ただ、川を遡らなければならないので、漕ぎ手を一人、お借りしたいのです」

「漕ぎ手?」


 青みがかった碧眼がマシゥを見て、再び壁際の男に向けられた。


「お前は行かないのか?」

「…………」


 犬使いの顔は、ぴくりとも動かなかった。マシゥは、彼の弁護を試みた。


「そのう。事情があって、行けないんだそうです」


 それがどんなものか。マシゥも、具体的なことは知らない。


「…………」


 コルデの眉間に皺が刻まれた。苛々していることが、こめかみに見てとれた。

 開拓は、思うように進んでいない。パンサ(麦)の芽も、まだ生えてきていない。食糧が乏しくなっている。――男手が必要なときに、人手を割いてくれと言っているのだから、無理もない。

 マシゥは肩をすくめた。

 雪が融け、湖の氷は消えた。先日のように、活動を始めた獣たちを追って、先住民が砦に近づく機会は増えるだろう。一日も早くという王の命令がなくとも、彼等の方から来てくれたこの機会に会っておきたいという思いは、日に日に強くなっていた。

 彼等との接触が、問題を生じさせてからでは遅いのだ。

 マシゥの本音は、犬使いに一緒に来て欲しいと願っていた。努力の甲斐あって、彼等の言葉を聞き取ることは出来るようになった。しかし、まだ話すことは難しい。相手にこちらの意思を伝えられないのでは、意味がない……。

 けれども、犬使いは頑として、首を縦に振らなかった。砦を離れることは出来ないという。団長に遠慮しているのかもしれないと、マシゥは考えた。

 コルデは、影のように佇んでいる男を眺めて、唇を歪めた。口調に、なぶる響きが含まれた。


「俺たちの中に、連中の言葉を知っている者は、一人もいないぞ」

「…………」

「一緒に行ってやった方が、いいのではないか?」

「…………」


 犬使いは応えない。

 親切心から言ってくれているような雰囲気ではなかったが、マシゥは、コルデの厚意を信じることにした。


「もう充分、協力してくれました。送って下されば、あとは、私一人で何とかやってみます」


 コルデは、フンと鼻を鳴らした。自信のない言葉は、やはり説得力に欠けるらしい。マシゥは押し黙るしかなかった。

 気まずい沈黙が、団長室を包んだ。窓の外から、掘り出した木の根や岩を運ぶ男たちの掛け声が聞こえてくる……。

 やがて、


「トゥークを――」


 ぼそり、と犬使いは呟いた。日焼けした顔の中で、黒い瞳が動いてマシゥを映し、それからコルデに向けられた。


「――息子を、行かせてくれますか。あいつなら、言葉も分かるし、キィーダ(皮張りの小舟)も操れやす」

「俺が反対する理由はないな」


 コルデは、最初からそう言えばよいのだ、と言わんばかりに応えた。

 犬使いは、目を伏せた。その眼差しは昏い。――先日から、彼の表情が以前よりいっそう硬くなったように思え、マシゥは気がかりだった。

 しかし、この申し出は、素直にありがたい。


「あの子か」

「へえ」


 犬使いは、マシゥに向かって肯いたが、視線を合わせることはしなかった。

 コルデが、急かすように口を開いた。


「いいだろう。すぐ行くのか。食糧は?」

「少しなら……」

「出してやろう」


 マシゥより先に部屋を出ながら、団長は、皮肉めいた笑みを浮かべた。


「そのくらいの余裕はある」

「ありがとうございます……」


 マシゥは、深々と一礼した。やっと任務が果たせるという思いと、気を遣う環境から逃れられるという思いから。彼は、心底ほっとしていた。



 キィーダという舟は、長さは大人二人が縦に並んで眠れるくらいあるが、幅は座るのがやっとだ。ヤナギの木を組んで作った枠に、ユゥク(大型の鹿)の皮を張り、表面には獣脂を塗ってある。非常に軽く、簡単に壊れてしまいそうに見えるが、湖に浮かぶさまは、優雅な水鳥を思わせた。

 マシゥたちが近づいたとき、トゥークは、舟に荷物を積んでいるところだった。父親の指示だろう。一つ一つ丁寧に包んだ荷物の中には、あのユゥクの肉も含まれている。

 砂利を踏む足音を聞いて、少年は、仕事の手をとめた。大人たちを見上げる。頭巾の下からのぞく汗ばんだ額には、前髪が貼りついていた。


「これも、持って行け」


 コルデ団長が無造作に差し出した皮袋には、干した肉と魚と、貴重なパンサの粉を練って焼きしめた団子が入っている。少年は迷ったが、父親が肯いたので、黙って受け取った。

 犬使いが、彼等の言葉で息子に話しかける。マシゥと一緒に行けというのだ……。

 驚きが、すばやく少年の顔を過ぎり、黒目勝ちな目が、不安げにマシゥを顧みた。

 マシゥは、少年に笑いかけた。


「よろしく。ええと、トゥーク」


 握手はないと教えられたので、手を差し出すことはしない。トゥークは、緊張した面持ちで頷いた。

 空は晴れ、レイム(太陽)は明るく輝いている。遠くの白い峰と森が、湖面に影を落とし、まるで、湖が景色を呑み込んだように見える。やわらかな風が湖面を撫でて細波を起こし、男たちの髪をなびかせた。

 舟を出すには、うってつけの日だ。

 マシゥは、舟に足を踏み入れた。途端に、小舟がぐうっと傾ぐ。揺れる船底に苦労しながら腰を落ち着ける彼に、犬使いは、神妙な口調で話しかけた。


「途中、三箇所ほど、急流があります。そこは、舟を担いで、陸を歩いた方がいい。大丈夫だと思いますが」

「分かった」

「東側に気をつけて下さい。奴らのナムコ(村)は、そっちです」

「分かった。いろいろと、ありがとう」

「…………」


 マシゥが礼を言うと、犬使いは、戸惑ったように黙りこんだ。この男には珍しく、視線を彷徨わせる。何か言いたいことがあるのだが、言い出せないらしい。

 そんな彼を、マシゥは、怪訝な気持ちで見返した。

 トゥークが、木を削って作った櫂を一本、マシゥに手渡す。犬使いの後ろに立つコルデが、腕を組み、ゆらりと重心を動かした。

 犬使いは、口ごもった。


「ダンナ……。マシゥのダンナ」

「なんだい?」

「あっしは――」


 男は、胸の前で、節くれだった両手を組み合わせた。その手を見て、マシゥを見て、再び項垂れる。どうしても言い出せないらしく、視線をそらしてしまう。

 その横顔を見ているうちに、マシゥは、ふいに彼が――太陽と雪に焼かれた皮膚には、年齢以上に多くの皺が刻まれ、背と脚は曲がり、くたびれきっている。長年の苦労に微笑みを忘れた、孤独な男が――若返り、かつての瑞々しい感情を取り戻したような気がした。

 だが、それは一瞬の幻に過ぎなかった。男はすぐ、元の頑固で無口な犬使いに戻り、力なく呟いた。


「何でもありません。気をつけて……。トゥークを、お願いしやす」

「……分かった」


 後日。マシゥは、この時のことを振り返り、言葉に言い表すことが出来ないほどの苦しみを味わった。自分を信じ、心を開こうとしてくれた犬使いに――危険を承知で橋渡しをしてくれた彼の期待に、応えられなかったことを。

 時間は沢山あったはずだった。もうしばらく砦に留まり、父子に心を配る努力をしていたら。ビーヴァたちと同じ『森の民』でありながら、仲間と離れて暮らさなければならなかった彼等の事情について、考えていたら。

 コルデという男と、開拓団の男たちについて、詳しく知っていたなら、と――。

 マシゥの準備が整ったのを見て、トゥークは、湖の中に歩いていった。靴と衣が濡れるのは構わず、舟を押して、岸から離す。マシゥは、少年が押すのとは反対側のふなべりに沿って、櫂を動かした。

 舟は、不慣れな漕ぎ手に不平を言うかのように漂っていたが、渋々動き出した。トゥークが、後を追って乗り込む。

 犬使いは、曲がった脚を開いて立ち、二人を見送った。コルデが、彼の隣で手を振る。防壁の上から、数人の男たちが、こちらを見送っていた。

 マシゥは、彼等に片手を挙げて挨拶すると、舟を漕ぐことに専念した。

 櫂が、なめらかな水面に波を立てる。陽光が、その上で反射して、金と白の輪を描く。舟の落とす影の中を、小魚の群れが、銀色の鱗を閃かせて通り過ぎる。

 トゥークが、外套の頭巾を脱ぎ、襟を開いて、若い顔をのぞかせた。刺青のないつややかな頬と繊細な輪郭を、黒髪が縁取っている。瞳は深く、晴れた夜空を思わせた。

 マシゥは、改めて、新しい相棒に微笑みかけた。頭上を渡る鳥影に空を仰ぐと、森が、緑の腕をひろげて彼等を迎えているのが見えた。


        *


 舟が見えなくなるまで見送っていた犬使いは、思わず、深い溜息をついた。肩を落とし、踵を返す。その前に、長身の人影が立ちふさがった。

 磨きぬかれた石の刃が、冷たい光を放つ。

 犬使いは、ごくりと唾を飲み込んだ。


「さて」


 コルデの腰には、犬橇用の鞭が提げられている。片手で刀を構え、片手でそれに触れながら、団長は、余裕をもって呟いた。

 犬使いは、掠れた声で囁いた。


「ダンナ……」

「邪魔者はいなくなった。詳しい話を、聞かせてもらおうか」


 男の喉に刀を突きつけたまま、コルデは嗤った。


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