ー稽古の章 1- 初日に寝坊するのはお約束
朝6時。長屋の周囲で起床時間を知らせる鐘の音が響き渡る。
「んん。むにゃむにゃ、そんなにせっつかれても食べれないよお」
俺は夢と現の間、まどろみの中にいた。
「だめだって、ココナッシュ。そこはくすぐったあい」
「おい、起きろ、朝だぶひぃ」
「んん。母さん、もう少し寝かせてくれよお」
「起きろと言ってるんだぶひぃ!」
俺はどすんと腹に衝撃を受ける。腹を盛大に蹴られたのだ。
「ごほっごほっ、がはあ。な、なにしやがる、てめえええ!」
「さっさと起きて、広場に整列しないと、罰を受けるだぶひぃ。相部屋の人間は連帯責任だから、お前が寝坊したら、俺らまで罰を受けるだぶひぃ」
連帯責任だ、罰だ。何言ってやがる。お前誰だよ。おれはベッドの中で、愛犬ココナッシュと一緒にねてたんだぞ。
「うっせえ、てめえこそなんだ。ひとが気持ちよくねてるところをよお」
「訓練初日からこんなんじゃ、先が思いやられるぶひぃ」
「彦助殿。起きてくだ、さい。織田家の訓練が始まりますよ」
まだ半分、寝ぼけてる俺の目の前を猿がなにか喚いている。
「うお、猿だ。猿が人間語をしゃべってやがる。こいつ、生意気だぞ、人間様に向かって」
「うっきいいい。猿とはなんですか、猿とは!弥助さん、いいです、やってくだ、さい!」
弥助と呼ばれた黒人が、水の入った桶を振りかぶり、俺に目がけて中身をぶちまける。
「うおおお。冷たい冷たい。さっぶさっぶ!」
俺は布団から跳ね上がるようにして起き上がる。全身、水にぬれてびしょ濡れだ。そこまでされて俺はやっと目が覚めた。
そうだ、ここは日本の戦国時代で、俺はここ、尾張の国に飛ばされてきたんだ。そして、運よく織田信長に拾ってもらって、今日から訓練だったんだ。
「す、すまねえ。田中太郎。ひでよし。それに弥助。ついつい、寝過ごちまった」
「謝るのは後デス。いそがないと罰を受けるのデス」
「しゃれにならない罰ぶひぃ。しかも連帯責任なんだぶひぃ。彦助、しっかりするだぶひぃ」
集合時間より遅れること5分。俺たち4人はようやく広場に整列した。
「おい、お前ら、何やってんだ。5分も遅れやがって。やる気あんのか!」
激昂するは、昨日、宿舎の案内をしてくれた佐久間信盛である。彼は朝いちの調練の監督らしい。怒らせてはまずい人物を怒らせたことに、俺はびくびくだ。
「よおし、遅れたやつらはいつもの通り罰をあたえる。普段の5キロメートルの倍、10キロメートルの競歩を行ってもらう」
そこかしこから、ええええとか、うわあとかの声が聞こえる。遅れてきたのは俺たちだけではないようだ。
「しっかし、だらしないものであります。特に新兵たちはいつもこうであります。遅れた分、みっちりしごくので、覚悟しろ」
そう言いながら偉そうにふんぞり返るのは、あとで聞いた話、河尻秀隆と言う武将らしい。信長直属の精鋭部隊、黒母衣衆筆頭で、信盛さまと同じく200人を指揮するエリートだそうだ。
「うへえ。今日は河尻さままで来てるぶひぃ。これはまったく手がぬけないぶひぃ」
「おう、のうデス。田中サン、もっと強く蹴り上げればよかったですネ。そこの彦助殿ヲ」
物騒なことを弥助が言う。あれ以上の強さで蹴られたら、余計に寝込むわ、何言ってやがる。大体、5キロメートル競歩が10キロメートルになっただけで、なんでそこまでガタガタぬかしやがるんだ。
「よーし、お前ら、それぞれ砂の入った米俵を担ぎやがれ」
ああ?と俺は思う。米俵を担ぐってなんだ。担いでスクワットでもやるのか?しっかしそれにしても重い。これ、一体何キログラムあるんだ。
「新人たちには言ってなかったな。それは20キログラムある。それを担いだまま、5キロメートル競歩をやってもらうからな。あと、遅れてきたやつらは10キロメートルだ。終わるまで朝飯は与えん」
うわあああとか、いやだああとかの声があがる。どうやら、わざと長屋では、新人とそこそこ慣れてきた兵士が組まされているらしい。相部屋の者同士、連帯感を高めるたけではなく、新人は大概、寝坊するため、相部屋のやつらが被害を被る。
慣れてきた兵士は緊張感が薄れるため、新人を織り交ぜ、この朝いちの罰を喰らわせることで気を引き締めさせているようだ。俺たちはその罠にまんまとひっかかったのだ。まあ、俺のせいなんだがな。
「すまねえ。田中、弥助、ひでよし。俺のせいで朝いちから大変なことになりそうだ」
「まったくだぶひぃ。彦助、お前、この借りは夕食後のおやつで返せよ」
「そうデス。ミーは、夕食のデザートは、大福がほしいのデス」
「やった。彦助殿のおごりで、今夜のおやつは、大福、です」
大福ごときで許してくれるとは、なんとも優しいやつらだ。俺は良い仲間に出会えたことに心から感謝するのである。