年代記:竜が居りし光陰
〈竜巣の谷〉――遥か昔、竜がまだこの地上で暮らしていた時代。
深く入り組んだ谷と無機質な岩石が剥き出しになって聳え立つ〈灰色山〉の奥地に在る、尖った岩石の最上部を〈息吹〉で削って窪地を作り、翼を休めていたといわれる〈竜の巣〉は侵略に護り易く、多くの竜が好んでその地で卵を産み、育てたためにそう呼ばれていた。
〈灰色山〉は何処にも植物が生えていない不毛の土地だが、時折風に乗って聞こえる遠吠えは確かに何かが生息していることの証であった。
その谷に竜が住むと聞いた命知らずのハンター達は、決して傷付かず暁星のごとき輝きを放つ竜の鱗と、食べれば永遠の生命を得ることができるといわれる心臓目当てに、〈灰色山〉の麓に住む村の民の制止も聞かずに入ってゆく。
竜ハンターの多くは長い距離を歩く疲労、何も変わらない灰色だけの景色に恐怖し、道を引き返して村に戻り家路に着く。大抵往きより帰りの人数の方が少なく、往きも帰りも同じ数だったことはめったになかった。そして残りの帰って来なかった者達は、道半ばにして飢え死んだか、村人ですら恐れる得体の知れない生物の食べ物になったか、運良く竜と会う事ができた者は例外なく幼竜の餌となった。
それらの後、竜狩りの危険はハンター達の間に広まり、誰も竜狩りなどしなくなり、村にはただ竜の住む〈竜巣の谷〉だけでも拝もうとする観光目当ての者だけが来る場所となった。
やがて時代は過ぎ、増えてきた人間によって住処を奪われた竜達が安住の地を求めて西の海を渡り始めた頃、〈竜巣の谷〉からも竜は消え始めた。一頭が消え、また一頭が旅立ち、日に日に竜の数が減っていった。そして谷にやってくる竜はいなくなり、〈竜巣の谷〉の竜達もほとんどいなくなった。
そしてある日、最後の一頭になってしまった黒竜が谷から空へ翔び、村の方を真紅の眼で見つめた。村人が集まってその美しい姿に魅せられていると、黒竜は大地が震える程悲しみに満ちた咆哮を放って、西の大空に消えた。
二度と竜が谷に来ることはなかった。
――村の伝承はそう伝える。