大会最終日:聖騎士(二)
正午――
コロッセオは満員御礼だった。観客数はそのうちの一割にも満たず、他は全て帝国騎士が占めていたが。とにかくうるさかった。規律ある騎士団員でさえ、この日の結末に想いを巡らせ、常に議論しあっていた。警備に当たる兵士は気が気でないはずだ。
この日、今まで騎士団席に座っていた客は全員真南の席に収まり、騎士団席には座れる限りの騎士がぎゅうぎゅう詰めになって着席している。
空を飛ぶトゥアドラン騎士団の幻獣、ワイバーンやリトル・ドラゴンの騎手は、ドーナツ状の円に綺麗な七色の色と他の二つの柄が着色されているのが見えた。
いつもと変わりなく、青空に浮かぶ太陽はガイザード全土を明るく照らしていた。
この日、ロイヤル・ボックスの一席――皇帝席の隣に佇む一つの黒い影があった。フードで顔を隠すローブ姿の魔術師、アーバインである。最終日になってようやく登場してきたのだ。フードの下からその表情を覗いたならば、退屈しきってめんどくさそうな顔を見ることができたかもしれない。
ロイヤル・ボックス付近でも動きがあった。貴族席の上段に将専用席があって通常はそこで七人の将は観戦するのだが、最終日だけ将は自分の騎士団の区域にて勝負を見守るのが習慣となっていた。それは自軍の剣闘士を応援するのと同時に、昂ぶり過ぎた部下を戒めるのが目的だ。
今、時刻は迫りつつあった。
赤のチェイスタルと青のゴディスの将軍が王者の場に通じている三つの階段のうち、それぞれ左右の階段を使って決闘場に降り立ち、東西の入口に向かった。
「これより準決勝第一試合を開始いたします。選手入場です」
入口に二人の剣闘士の姿が現れると、各騎士団から地を揺るがすかの如き怒号が発せられた。応援団は立ち上がり、腕を振り回して声を張り上げている。
所属している騎士団だけじゃない。他の騎士団ですら良い戦いぶりを選手には惜しみないエールを送っていた。それは観戦客も同じだった。
現れた選手に、二人の将軍はなにやら話しかけている。多分落ち着けとか、頑張ってこいとか言って部下を鼓舞しているのだろう。ボーカスは、青い魔法戦闘具を着用しているジェイス・ランバルディーンに話しかけられると真摯な眼差しで頷いていた。その一方でハイヴァーンとケレンドスはニヤニヤしながら談話していた。その様子から、緊張のかけらなど一切見当たらない。
「西、ゴディス騎士団二番手、ボーカス。東、チェイスタル騎士団一番手、ケレンドス」
肩を叩かれて励まされた剣闘士は中央に進んだ。その姿を、二人の将は入口付近で見守っている。
その後ろ、コロッセオ内部でシルヴァンとコールは別方向からながらも同じ光景を入口の穴から見届けていた。聞こえるのは応援とも騒音とも判断しがたい音のみであった。
そして、試合開始の鐘がなった。
シルヴァンは静かに銀の剣を見やった。
銀の輝きは色褪せることなく彼の体を映す。
昨日の謎の声はあれ以降一度も聞こえることはなかった。それはシルバー・ファングを手にした時も同じだった。
あの、鐘のように澄み切った、威厳のある声の主は一体誰なのか。あの声はどこから来たものなのか。
テレパシーじゃない。明らかな人の声だ。周りの人間には聞こえない、自分のみが聞くことのできる謡うような声。
眼が使い物にならなくなった時、声は自分の代わりにあらゆることを指示してきた。声に従うと、自然と体はいつものように滑らかに動き、まるで舞うように自分が動いていたのを覚えている。
実際あの時今までで最も体がよく動いたのを覚えている。力に満ち溢れていたのも。そして今まで経験したことの中で、昨日の不可思議な体験が最も不気味だった。
自分の事を知っているような存在が自分に話しかけてきたような感覚だ。もしかして、声の主は自分を知っているのか?
だとすれば誰? どんな存在? 何のために僕に話しかけた?
その物思いを打ち破り、彼を現実世界に引き戻す大歓声が聞こえた。
シルヴァンが決闘場を見ると、膝をつく剣闘士の姿があった。
試合時間は二十分というところだ。
審判二人は互いに頷いて旗を上げた。
「――勝者、ケレンドス」
決勝に進出する男が一人決まった。
ケレンドスはただ薄ら笑いを浮かべてハイヴァーンのところに戻った。ハイヴァーンは元来た道を戻り、ケレンドスは入口の暗闇に消えた。
うなだれるボーカスは満身創痍の状態で帰還した。そのボーカスを優しく迎えたのはジェイスだった。通り過ぎるボーカスをシルヴァンは眺めた。全身汗まみれで、息も絶え絶えである。
どこかおかしい、とシルヴァンが思ったのはボーカスの顔色が蒼白で、唇の色が紫だということに気付いた頃だ。フラフラ、と夢遊病者のように歩行していたボーカスは、突如としてバタンと倒れた。
その場に駆け付けたシルヴァンは直ちに彼を仰向けにし、意識を確かめた。戻りかけていたジェイスはその異変に気付き、係員も近付いてきた。
「どうした!?」
「いきなり倒れたんです」
シルヴァンはボーカスを横たえ、心拍と呼吸、瞳孔の動きを調べた。よく見ると、彼の傷口がどす黒い紫に変色している。
「……まさか、痺れ薬が武器にすり込まれていたのか」
「まだ間に合います、急いで彼を医務室へ!」
「クソッ!!」
ジェイスはボーカスを抱え、脱兎のスピードでその場を去った。
あとに残ったのは眉をしかめるシルヴァンと、呆然とする運営委員の者達だけだ。
**
しばらくした後、西側の入口にアリオンが訪れた。彼も怪訝な顔をしている。
「何かあったのか?」
シルヴァンはさっきの事を事細かに説明した。
アリオンは人目も憚らず舌打ちし、「ハイヴァーンの奴め、そう来るか」と呟いた。
「お前は気にしなくても良い。とりあえずは目の前の戦闘に集中しろ。相手はあのコールだ、用心してかかれよ」
「はい」
「あの若さで千人隊長を務めるほどの実力者だ。腕の力だけではなく、戦略にも長けているはずだ」
「はい」
アリオンはそこでフッと微笑んだ。
「楽しんで来い」
**
「西、ウェイブラス騎士団一番手、シルヴァン。東、パラスラ騎士団一番手、コール・オフ・アイジェンド」
シルヴァンには前方百メーラ先から向かってくる、白のマントを靡かせる男の姿が見えた。その後ろには鍛え上げられた肉体を見せ付ける四十代前半の男の姿が――バラン卿だ。
周りの音がうるさいが、正直どうでもいいくらい耳に入らなかった。
「コール!! コール!!」
「コール万歳!! コール・コール!!」
「シルヴァン!! コール・シルヴァン!!」
「いいぞ!! コール!!」
黒髪の青年と黄髪の青年は砂の戦場にて対峙した。
シルヴァンの表情を見て「何かあったのか?」と、コールは訊ねた。
シルヴァンが事の次第を手短に説明すると、
「気に入らないな」と額に皺を寄せ呟いた。
シルヴァンはコロッセオを見渡した。
「すごい応援だな」
「ああ」コールも話題を変えるのに賛成だったのだ。
「それにしてもだが……君の応援は……」
「すまない、気にしないでくれ」
コールですら苦笑いしてしまう光景が南の方角にあった。
最終日だというのに、観客席の一角を占めるコール専属応援団の姿がそこにはあった。目測でも五十名近く居るはずだ、なぜならそこだけオーラが違うから。応援幕まで拵え、みんな白い衣装で統一していた。
しかも応援する声のそうだが、大きさも男顔負けの声量だ。明らかにそれとわかる応援がコロッセオ中に憚りなく響く。
「コールさま――」
「――コールさま――――」
「――勝ってくださいね〜〜」
「ケチョンケチョンにしちゃってください――――」
シルヴァンもコールも苦笑するしかなかった。一体どうやって六千ルーアという大金を手に入れたのだろうか。二人はその出自を知りたい反面、知らないほうがいいだろうと思った。
「――噂には聞いていたが相当、いや、かなりモテるんだな」
「……ありがたいんだが、ああいう女の子はちょっと苦手でね。もっと静かな子がタイプなんだよ。あーゆう人達に疲れてるからかもしれないけどな」
「そうなのか。いや、でも驚いたよ、君がそういうことを話すなんて」
「なんだ、朴念仁ってイメージでもあったか?」
「まぁ多少は」
「フフ、そのことに関しては親がうるさくてね。街娘はどうこう、伯爵家の令嬢がどうのとやかましくて。僕としては優しく受け止めてくれる女性が好みなんだが」
「約束してる人でもいるのかい?」
「誰も。本当さ、親が何でもかんでも決めようとするんだが、その度に僕は直談判しなくちゃならない。だって結婚なんて一生モンじゃないか。あとから取り止め、なんてのは家名を汚す事になるんだぜ、それだけはどうしても避けなくては。しかし、僕くらいの年齢の貴族の子供は婚約していてもおかしくないし、場合によっては結婚してる者もいる。そろそろ真面目に考えないといけない時期なのかな。
無論恋したことがないわけではないけど、それは一種の憧れみたいなところがあったし。できれば素の僕を見てくれて、あんまり騒がない女の子に出会ってみたいものだ。それがどんなに侯爵家の目からみれば賤しい身分の人であっても」
「……そこまで言うなら、一人君にピッタリのいい子がいるかもしれない。優しくて話していて楽しいし、おそらくその子には約束している人はいないはずだ。年は君よりちょっと下くらいかな」
シルヴァンもコールも笑った。おおよそ試合前には相応しくない内容の話だ。これから両者は敵として戦わなければならないのに、和んだ雰囲気を作ってしまっている。
「ハッハッハッハ! それは是非とも紹介してもらいたいな! それとどうだ、大会が終わったら少し飲みに行かないか? 大会の結果に拘らずさ」
「いいね。行きつけの酒場にその女の子がいるんだ。多分気に入ると思うよ」
「それは嬉しい。だけど、紹介してくれるからといって手加減はしないぜ」
「当然」
二人の好漢は審判が近付いてくると距離を空けた。
「構え」
シルヴァンは腰から二本ある剣の内一本を抜いた。それは〈銀の牙〉ではなかった。
実を言うと、シルバー・ファングは使いたくなかった。奇妙な体験が、シルヴァンに例の武器を使わせることを良しとしないのだ。シルヴァンは切羽詰った状況に追い込まれるまでは封印しておこうと決めた。
コールは背中から得物を取り出した。それは約一メーラ二十セートの刃渡りの大剣だった。
その武器を見たシルヴァンの口から「クレイモア……」という呟きが洩れた。
クレイモア――大剣と分類される両手用の剣の中では小さい部類で、使いやすさ、軽さで知られ、素早さが恐れられる武器だ。
コールは一撃一撃の重みよりも機敏性を重視したと思われる。もしくは自前の腕力で攻撃力をカバーできるからか。だがセイバーよりは明らかにクレイモアの方が威力は高い。
両者は互いに騎士の礼をし、構えた。そこで初めて二対の碧眼がぶつかり合った。
「始めィッッ!!」
二人は足を動かしながら徐々に間合いを詰め、間隔が十メーラまで縮まったところでいきなり激突した。
ガキィィィン!! 鈍い音が響く。
二人の力比べはほぼ互角の均衡だった。シルヴァンが押せばコールが巻き返し、コールが押せばシルヴァンが巻き返すと言う風に。
埒が明かなくなったので、二人は離れた。
先手必勝――シルヴァンが走った。向かってくるシルヴァンを迎え撃とうとしたコールだったが、クレイモアの射程範囲内に入る直前でシルヴァンは地を蹴った。
瞬間、コールは上空の敵に大剣を突き刺そうとしたが、敵はその上をいっていて届かないと判断する。――素早く振り向く。
コールが反転するより早く着地したシルヴァンはそのままコールに切りかかろうとしたが、コールの大剣が間一髪でセイバーを防ぐ。
コールはセイバーを払い、蹴りで応戦するがシルヴァンは楽に避ける。それに応じてシルヴァンもハイキックで頭を狙うが、コールは後ろ転回で回避し、最後に鮮やかに後ろ宙返りを決めた。すごく敏捷な動きだ。
動きが止まった。
今二人は次にどう打って出ようか検討しているのだ。
再び、二体の鳥は合見ゆ。
それからというもの、将軍も、兵士も、客も――誰もが応援するのを忘れて目の前の戦闘を見つめた。
まるでそれは舞台劇のようであった。最初から示し合わされたかのように繰り出される攻撃を、くるのがわかっていたかのように身軽に避ける。
二人は決闘場を平面だけではなく立体的にも活用した。壁を駆け上がって移動したり、互いの頭上を何度も越えた。
その対決は見紛うことなき『舞い』である。彼らは己の剣技だけでなく、軌跡の美しさまで競っているかのようであった。傍目から見れば無駄な動きにしか見えない身の捩りも、彼らにとっては非常に重要な意味を成していたのだ。一つ一つの動作が美しく、力強かった。
客席からは見えないが、シルヴァンとコールは真剣そのものの眼差しをしていたが、顔は笑っていた。
どれくらいの時が経ったのだろうか。誰もが時間を忘れ、固唾を呑んで試合を見届ける。その瞬間は、時はその意味を成さなかった。
汗が飛び、切っ先が顔を掠めても彼らは動きを止めない。むしろその運動量と速度は増す一方だ。
ただただ、長い時間だけが過ぎた。
両雄の動きが止まったところで、ようやく時は動き始めた。
シルヴァンとコールは構えたままだが、どちらも攻撃しようとはしない。全ての手の内は出し尽くしたのであった。
コールはふと大剣を下に向け、深く呼吸した。戦いが始まって以来、そこで初めて目がそれた。
「やはり君は強いな」
と言うコールの息は弾んでいた。一方、シルヴァンも荒い呼吸をしているが、コールほどではない。
汗が、額を、頬を、顎を、首を、鎧を伝わり、熱砂の大地に落ち、ジュッと蒸発する。今、太陽は宙高く昇りつめ、気温は最高潮だった。
コールは天を仰いだ。
――仕方ない。使うか。
「――このままだと先に僕の方が潰れちまうだろうな……、暑いのは苦手だよ、まったく。それに湿気もひどい。乾燥していた方がいいんだが……」と、ボソッと呟く。
視線をシルヴァンに戻した時、シルヴァンは何かを察知した。何を、何故感じ取ったのか。
それはコールの表情がさっきまでとは違う全くの真剣なものに変わったからか、それとも彼の放つオーラが周りの空気を変えたからか。
何をする気だ。シルヴァンは警戒してセイバーを構え直した。
「本気を出させてもらう」
腕を翼のように広げる。
何をしてくるのか、と思った矢先――
「ゾンド・ユーリー・ハンスリル・チュラーシン・クラッサ・ベル」
コールの口からルーンの詠唱が発せられた。
瞬間的にシルヴァンは動いた。呪文の詠唱であれば、なんとしてでも防がなければ。それとは別に、彼の脳裏には、もしかして、という嫌な予想が浮かんでいた。
だが、コールは唱え続けながらもシルヴァンの攻撃を防御した。その最中も詠唱は続く。
「トル・ケニワズコ・デュルーサ・サ=イン・ベツルン/ゴフーオ=ト」
邪魔をしたいシルヴァンであったが、相手が防御だけに徹してしまってはそう崩せるものではない。それに相手はコールだ。並大抵の技では攻略できない。
チィッ! クソッ!
なかなか攻めきれないシルヴァンは悪態を吐いた。
「パラシア・スーン・パウ・ルールラ・ケイス! パラスラ!」
――完成。コールはシルヴァンから飛び離れた。
……そして最後の言葉を叫ぶ。
「我が神、電神パラスラよッ! 我に其の力をッ!」
空気が変わる。コールを中心に、台風の目の如く渦を巻き始めた。
バチバチッ――
電気が擦れ合う音がした。静電気が発生した時のような音だ。
バチバチッ――バチバチッ――
さっきよりも大きな音だった。音の間隔も短い。
――バチッ――バチッ――
――徐々に静かになり、それらの奇妙な音は気のせいか、と思い始めた頃――コールの体から青く、黄色い光が見えた。その光はコールの体を静かに巡り、彼の持つクレイモアにまでうねった。
そして――
バチバチバチバチッッッッ!!!!!
コールの体の内側から金色の光が迸った!
コールは光と化し、辺りを眩しく照らした。あまりの眩しさに皆目をそむける。コロッセオに一つの太陽が誕生した瞬間だった。
シルヴァンは頑張って光の中心にいるコールを認めようと必死になった。
……ゆっくりと、光は弱まった。光が収まると、さっきまでコールがいた場所に、いた。全身に電の黄色い光を纏い、黄色の髪を天に向かって逆立て、微笑している彼が。青い瞳とのコントラストが、より彼の美しさを際立たせていた。
その光景はあまりにも人間離れしていて、人々に畏怖の念を抱かせた。まるで神々や、その使徒を目の前にしているかのような。
観客席にいるライカの、いや、コロッセオにいる知識のある者の口から「聖騎士……」という言葉が洩れた。
――前に本で読んだことがある。
聖騎士――それは神に認められた存在。
神自らが敬虔な信徒――騎士を選び出し、眼鏡にかなった者に与えられる称号。それは一つの神格に対してただ一人と定められている。
選ばれた者は神ご自身の手解きによって、魔法を扱うことができる。その威力や効果は計り知れない。何故なら、神がその時代時代で必ずしも聖騎士を選ばれるとは限らないため、記録が少ないのだ。
わかっているのは呪文書を必要とせず、かつ修行次第で魔法使いでないのに上級な魔法すらも簡単に使えるということ。即ち、そこいらの魔術師より遥かに強敵なのだ。そして全ての聖騎士に共通していること、それは『戦士』であること。それは長らく謎とされてきた。
なぜ僧侶や神官、魔術師に特別な力を与えず、一介の武人に力を授けるのか。一説には、神の気まぐれだとか、決められていた運命だとか、何かを代償に特別な力を手に入れた、という仮説が数多く存在するが、真相は謎に包まれている。その謎を知るのは神と聖騎士のみである。
それはオーシアン大陸の公な歴史に、約百五十年ぶりにパラスラ神の聖騎士が現れたことが記された日であった。