大会最終日:聖騎士(一)
ドォン、ドォン――
赤の月、第五週第六の日――赤の月の最終日、ガイズの青空に、花火が散る。
帝都ガイズの街は人、人、人で溢れていた。初日でさえいつも以上に人の数が多かったのに、その初日ですら華やかさを失っていたと思わざるを得ない程の混み具合だ。
煉瓦の道路は人の行き交いでほぼスペースが埋まっており、憩いの場である各広場も所狭しと人や馬が存在していた。夏ももう終わりに差し掛かっているのに、人が寄り集まっているせいで気温が上昇していた。
昼前なのに酒場ははやくも満員になる店も多く、店側としては嬉しい限りだった。
そして客の専らの噂は言うまでもなく本日の大会の行方についてである。昨日全四試合が行われ、その勝者四人が今日雌雄を決し、王者が誕生するのだ。
「誰かねぇ、優勝するのは」
「コールに決まってんだろ。あいつこそが最強さ」
「そうだそうだ、俺はあいつに千ルーアも賭けたんだぞ、負けてもらっちゃ困る」
「何言ってやがる、ケレンドスだよ、奴しかいねぇって。あの戦いっぷりを見ただろ、あんな情け容赦ない攻撃に太刀打ちできる奴なんてそうそういねぇよ」
「確かにな、ケレンドスの攻撃力は随一だ」
「俺はボーカスだと思うな。残った四人の中で唯一一番手じゃないのはあいつだけだ。番狂わせを起こしてもらいてぇな」
「番狂わせと言えばシルヴァンだろ。二回戦のシン戦は腑に落ちない内容だったが、他の試合では他を寄せ付けない見事な戦いだったぞ」
「……一体今日は誰と誰が最初に戦うのかな」
「俺は是非とも、コールとシルヴァンの試合を見てみてぇ。あいつらの戦い方に共通してるのは『華麗』とか『優雅』ってところだな。考えてもみろ、あの二人が戦うところなんてよ」
「全くだぜ、さぞかしすげぇ試合になるんだろうな。畜生、俺も見に行きてぇぜ」
「今日見に行けるのは金持ちの連中だけだからな、羨ましい限りだ」
「フッ、俺は今日観戦しに行くぜ」
一人が自慢げに言った。
「ナニィィィッッッ!!」
「ナニィ!」
「裏切り者め」
「なんて薄情な奴なんだ、見損なったぜ」
「な、なんだよ、別にいーじゃねーか」
「一人だけ金持ち気分か」
「ちげーって、お前らだって一度くらいは最終日の試合を見たいと思うだろ、俺は今日のチケットを彼女にプレゼントしたんだよっ。……愛の言葉と共にな」
「オオオオオオッッ!!」
「オオッ!」
「プロポーズか、プロポーズ!」
「で、どうだったどうだった?」
「勿論オーケーさ」
聞き手は拍手して恋の成就を祝った。若干の皮肉も混じっていたが。
「そうさ、今日は二人きりで見に行くんだ。高かったぜ、二人分もチケットを手に入れるのは」
「二人分もか!? お前相当頑張ったな。ていうか、お前この後の生活大丈夫なのか?」
「そう、そこが問題なんだが……すまねぇが、二、三ヶ月泊めてくれない? それか少し金貸してくれ」
「フザケンナッッ!!」
その男性は見事彼女と結ばれたが、代わりに大きなものを失ったという……
とまぁそんな感じの話題だった。
その噂を余所に、朝十時頃、コロッセオ内部にてくじ引きが行われ、対戦相手が決定される。そして今剣闘士達が会場に到着しつつあった。
**
コロッセオの一室に大会運営委員会と警備兵、ほんの数名の将軍諸侯らが集まっていた。
その大きな部屋の中央に、台の上に置かれた箱があった。
箱の前に立つのは二人の男、シルヴァンとボーカスであった。
箱の横に立つ、運営委員会の中年の男が口を開いた。
「そろそろ時間だな――」
と言った矢先、部屋の扉が勢いよく開けられた。
「遅れて申し訳ないっ。なにぶんここに訪れたのは初めてなもんで、場所がわからなくて迷ってしまったよ」
「おお、コール選手じゃないか。待ってましたよ」
「いやいや、遅れてしまったかな?」
「いいや、ギリギリセーフだ」
「そうか、それはよかった」
現れた男は微笑み、ニッと白く磨かれ抜いた歯をチラリと見せた。
シルヴァンは振り向き、その青年を見た。見かけたのは初めてではないが、意識して見たのは初めてだった。
扉の前に立つ男は、すらっとしていて身長はシルヴァンと同じくらいで、体付きもしっかりしている。パラスラ騎士団の証である純白のマントを羽織り、鋼の鎖帷子で身を包んでいた。鍛え上げられた彼の体躯からは、無駄な脂肪はどこにも見当たらないはずだ。不必要な栄養分は結果的に全て筋肉へと変換されてしまっていた。鼻は細く高く、双眼はシルヴァンと同じ青色をしていて、整った輪郭の顔であった。
しかもその整いようといったら、男であっても惚れてしまいそうな美しさだ。シルヴァンも綺麗だとか言われるが、もし気の利いた吟遊詩人が彼のことを形容するのであれば、美の神々が至高の業の限りを尽くして創り上げた人間像に、誤って魂を吹き込んでしまったと表現するだろう。言うなれば、『伊達男』という言葉が一番似合うのかもしれない。
しかも彼の醸し出す雰囲気は決して雅やかな女のものではなく、非常に上品な『漢』のオーラも放っているのだ。それが女も、男さえも引き付ける彼のカリスマ性だった。
そして最もシルヴァンの眼に留まったもの、それは彼の髪だった。
そこまで長くはなく、前は目に差し掛かるくらいの長さで、左右の襟足は細く三つ編みにされて垂れている。しかしシルヴァンの注目したのはそこではない、髪の色だった。それは、“金色”というよりも“黄色”をしていた。黄の髪は光を反射せず、人の視線を真っ先にそこに注目させていた。
シルヴァンの脳裏に、例の言葉が思い浮かんだ。
――他の人間とは違う運命を辿る者は、その容姿も自ずと他人とは違う、と師は言いました。
――髪の色、瞳の色が世の常と異なる人間は魔法に限らず何らかの才に非常に恵まれているそうです。
かつて、光の妖術師ニルアドはシルヴァンにそう告げた。
一体このコールという二十歳の青年にどのような才能、はたまた運命があるのか。
コール・オフ・アイジェンドがシルヴァンの隣に立ったところで、運営委員の男が言った。
「そろそろ時間ですし、本日の対戦を決めるくじ引きを始めます」
「一人足りないようだが?」とコールは手を上げて問うた。
「いいでしょう、ケレンドス選手は一番最後に引く事になってるから、いてもいなくても彼の引くくじは一つしか有りませんからね」
「ハハハ、そういうことか」
「では、ボーカス選手からこの箱の中にあるくじ、もとい番号の付いたボールを取り出してください」と、台の上にある穴のあいた箱を指し示す。
ボーカスは前に進み出、中身をかき混ぜるようにして一つのボールを掴み出し、見せた。
「ボーカス選手、一番」
壁際に控えていた他の運営委員の者が壁にかけられている大きな紙にボーカスの名を書き込んだ。
「続いてシルヴァン選手」
シルヴァンも無造作にさっと一つの球を取り出す。
「――シルヴァン選手、三番」
これでシルヴァンの相手はコールかケレンドスのどちらかになることが決まった。そして、コールが引き当てた運命の対戦相手とは?
「コール選手……、四番。
――よって、準決勝第一試合はボーカス対ケレンドス、第二試合はシルヴァン対コール・オフ・アイジェンドという取り決めに決定いたします。決勝はその両試合の勝者が対戦します」
思わず部屋中から溜息が洩れた。
「第一試合は今より二時間後、正午ちょうどを目処に始めます!」
**
部屋を出、どう時間を潰そうと考えていると声を掛けられた。
「待ってくれ、シルヴァン」
振り向いた先にいたのは、言うまでもなく黄髪と碧眼の男、コールだった。
「初めまして、と言った方がいいかな。お互い初見ではないが、ちゃんとした挨拶はしたことがないからな」
「そのようだな」
「やはりな。じゃあしっかり挨拶をしておこう。僕はコール、正式にはコール・オフ・アイジェンド伯爵で、パラスラ騎士団の千人隊長だ。おっと、別に自慢したいわけじゃないからな、気にしないでくれ」
「僕の名はシルヴァン、バスティア公国の〈竜巣の谷〉出身だ。よろしくな」
「こちらこそ。だがすまないな、これから敵として戦うって言うのに話しかけたりなんかして、きっとこれも作戦の内だと思ってることだろう」
「いや、気にしてないよ」
「そうか、それはありがたい、感謝するよ」
「何か?」
「一度君と話をしたいと思っていた。話じゃなくても、お互い知己とまではいかないまでもそれなりに親しくしたいと思っていたんだぜ」
「どうしてだい?」
「それも話したいと思っていた。だがここは場所が悪い、もしよければどこか落ち着ける場所に行かないか?」
コールはコロッセオ内部の関係者区域の一施設に案内した。
「まあ座ってくれ。どうした、別にとって食おうとしてるわけじゃないんだ、腰掛けてくれ」
シルヴァンは勧められた席に座った。
その施設は大会スタッフが使用する通路の横にある簡素な休憩所で、何人か二人をチラチラと見ながら飲み物を摂取していた。
コールはさて、と切り出した。
「初めに僕が君と話したいと思っていた理由だが、僕の試合は毎回必ず君の試合の後だったのだよ。だから君の試合は全部観戦させてもらっていた。そこで僕の抱いた感想を素直に述べるとだ、君はかなり強い。おそらく僕が今まで戦ってきた中でも相当な使い手の一人だ。その強さの秘密を少しでも解き明かしたかったのさ」
「買いかぶりだ」
「いや、違うね、僕はこれでも人を見る目はある方だぜ。我流とは言えあの見事な剣捌き、華麗に飛ぶ姿には脱帽した。僕も動きは良い方だが、あれほどではない。これは単なる予想に過ぎないが、次の試合で僕はかなりの苦戦を強いられるだろう」
コールは真顔でシルヴァンを賞賛した。彼ほどの男が褒めちぎるのだから、シルヴァンの腕前はやはり凄いのだ。
「君は僕の試合をどう見る?」
「いや、すまないが君のは一度も見た事がない。一回目はただ単に見忘れていたんだが、二回目と三回目はどちらも医務室にて治療を受けていたんだ」
「ハッハッハ、そういえばそうだったな! ということは君が僕の戦い方を見ていない分、僕にもチャンスはあるのかもな!」
コールは聞いている側も気持ち良くなるような笑い声を上げた。
彼は相手の凄いところは素直に賛美し、自分に不利な状況すらも笑って言いのけている。その自信こそが彼の強さなのかもしれない、とシルヴァンは感じた。
しかもシンと同じくシルヴァンの剣術を我流と見抜く眼力の持ち主でもある。
これは容易ならぬ相手だ。
コールはふと真顔に戻り、シルヴァンに顔を近づけた。
「ところでだが君の戦った全三試合の中で、唯一と言ってもいい、ほぼ勝負に負けた試合のことだが……」
「ああ、シンのことか」
「そう。僕は別に男尊女卑の心を持っているわけじゃないから、強いものは強いと偏見なしに評価したい。彼女は強かった、それも異常なくらいに。昨日、一昨日の試合――リー戦とレーナゥ戦を見る限り、彼ら二人は何かない限り君には勝てない。君はそれだけの実力者と見た。が、それを考慮しても彼女の強さは別格だ。何か秘密があるんだろうか」
「僕もだ。あの身のこなしは生まれてから身に付けられるものじゃないように感じたな」
「そう感じたか。いや、実はあの戦いを見て僕もシンと戦いと思っていたんだ。弱い相手と戦って勝つより、強い敵と戦って学ぶことはとても多い。是非一度手合わせ願いたいものだな」
その直向に強くなろうとする姿勢と気質に改めてシルヴァンは好印象を覚えた。
「それに何故シンは棄権なんかしたんだ? あの対戦中君とシンの間に何があった?」
シルヴァンは言うべきか言わないべきか迷ったが、マルスヘルムから聞かされたことをそのまま教えた。
「……なるほど、つまりシンの探し人は君だというわけか。だが初対面なんだろう。前に会ったことは全くないのか?」
ここでまたシルヴァンは考えた。彼は三年前以前の記憶を失っていて、その前だったら有り得るかも知れないということを。
少しの間吟味した後、このコールという青年は信頼できると判断し、包み隠さず事実を述べた。
「……ふむ、俄には信じられない話だが、ここでなんの根拠もなく否定するのは愚挙に等しい。その話は僕の心の中にしまっておこう」と爽やかにコールは応えた。
「できればこのことはあまり口外しないで貰いたいな。うちの上司達も知らないことなんで」
「ハハハ、それは嬉しいな、君の上司ですら知らないことをこの僕に教えてくれるとは。それは、君が僕を信用してくれている、と勝手に判断していいことなのかな?」
シルヴァンにとってはこの上ない回答が帰ってきた。
やはり、この男を信頼したのは正解だった。
「勿論。この事を知るのは僕の出身の村の人達くらいだけだ」
「それは嬉しい限りだ、そのような数少ない親密な人達の中にこのコールが列されるとは」
すると、コールは席を立ち、
「その信頼に応えよう。改めてご挨拶させて頂く。
我が名はコール・オフ・アイジェンド、歴史あるガイザード帝国のアイジェンド侯爵家の第一子なり。皇帝陛下より伯爵の地位を賜り、帝国第一軍パラスラ騎士団の千人隊長を務めさせて頂いている。貴殿の親友の列席に加えて頂いた御礼に、我は如何なる時も貴殿を友とし、貴殿が悩みし時は絶えず共に支え続け、貴殿の敵は我の敵とし、共に戦うことを誓う」
騎士の礼をした。
シルヴァンも立ち上がり、同じく騎士の礼をした。
「その言葉、痛み入る。では、こちらも僭越ながらご挨拶させて頂こう。
我が名はシルヴァン、〈竜巣の谷〉より参りしは、親の顔も自分自身すらも忘れた男。それでも我を友と呼びし者の為、我は何時如何なる時も友を第一とし、決して裏切らないことを誓う」
どちらから、と言うでもなく二人は握手を交わした。
「よろしくな、シルヴァン」
「こちらこそ、コール」
二人は微笑んだ。その光景は絵にしたくなるほどに輝いていた。
「それでは、用も済んだことだし僕はこれにて失礼する。次会う時は敵同士だが、それでも互いの健闘を祈ろう。次は砂地の決闘場で――」
コールは悠然と歩み去った。
その後姿は気品に満ち溢れていて、窓から差す太陽の光で神々しく煌いていた。
***
剣闘士によるくじ引きが終わると、すぐに対戦表がコロッセオ前の大広場に公開された。その時それを見た者達の反応と言えば、慌ててその場で議論する者、何かわかっているかのように頷く者、対戦の取り決めに喜ぶ者など多種多彩であった。
それはライカとナナ、カルダンとクロージェンドも例外ではない。
「やっぱりあの二人は戦うんだね。いつかは戦うとは思ってたけど」
「なんだかあたし怖いなぁ」
「なんで?」
「ん〜、正直シルヴァンさんには勝ってもらいたいけど、ライカちゃんも見たけどコールさんだって凄く強いじゃない。だから一筋縄ではいかないし、なんかどっちが勝つにしても無事じゃ済まないって思ったの」
「そんな不吉なこと言わないでよ、応援するこっちがそんなんじゃきっとシルヴァンに届かないわよ」
「う、うん、わかってるわよ。ちゃんと全力で応援するもの」
「でも大丈夫かなぁ」
「うん……」
一方――
「コールに決まっとる!」
「いいや、シルヴァンだ!」
「フン、思い出してみろ、昨日のシン戦はどう見てもあの勝負はシンの勝ちだろう」
ウッとカルダンは詰まった。
そこに付け込み、
「つまりだ、実質あの試合の勝者はシンであり、敗者のシルヴァンでは到底あのコールには勝てんのだよ。本来はシンとコールが準決勝で戦う定めだったのだ」
「いや、何か理由があってシンは直前で棄権したのだ」
「では訊こう、その理由とは何だ?」
「む……多分、シルヴァンに恐れをなして……」
「冗談も休み休み言え! お前もわかっているはずだろう! シンはシルヴァンに情けをかけたのだよ」
「一体なんの訳あってだ」
「そんなことわしの知ったこっちゃない。どちらにしても、シルヴァンじゃあ役不足だ。お前もくじ運がないな」
クロージェンドのホッホッホと声高らかに笑う姿をカルダンはずっと睨んでいた。